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機械

マンションの前のセフティーロック、インターホォンを押した。ことねからの返事はなかった。

携帯にコールした。出てくれなかった。留守電に声を入れた。軽く謝罪した。機嫌を取るような言葉を並べ立て た。


嫌われたか――知られたか――いや、それにしてもおかしい。


ことねが俺を断罪するならば烈火のごとく切り裂きに来る。怒りをぶつけにくる。理由を訊きにくる。許しは 得られないだろうが、そうなった時のことは想定してある。


俳優の知り合いには真っ直ぐな気性を持つ男もいる。ことねに恋心を持っているだろう奴もいる。けしかけれ ばいいだけだ。


俺のことなど――どうでも良い。俺は機械だ。俺のネジと歯車の心は回転だけしていればいい。よしん ば壊れてしまっても構わない。


最後まで役割を果たすだけだ。マネージャーができなくなっても裏で手を回せる。やりずらくなるだろうが、 今なら了司もいる。知恵は奪い取れる。


俺は変わりきっている。恋心はドブに捨てた。愛情と狂気だけが残っている。不安定な精神、壊れそうな思考回路、 俺はトチ狂っていた。


「だが……妙だ」


空気がおかしい。焦燥感、背中のうぶ毛をチリチリと焼く。マンションの前で佇んだ。誰かが来た。若い女だった。


「あれ、どうか致しましたか」


情報、目の前の女はことねの隣の隣の部屋に住んでいた。何度か言葉をかわしたことがあった。


「いえ……俺の彼女が怒って俺を入れてくれないんですよ」


「そうですか、ダメですよぉ~、女の子は繊細なんですから」


「ええ……まいったな。せっかく、ケーキ買ってきたんですが……よければ、いかがですか?」


持ってきたケーキ箱を差し出した。女はぎこちない笑顔で笑った。


「さすがに悪いですよ……」


「いえ、どうぞ。やっぱりこういう物に頼っちゃいけませんよね。言葉でないと」


言いくるめろ――警戒心を解け。女の目、ケーキ箱に向かう。手が伸びる。受け取った。


「ありがとうございます。ほんとすいません」


「いえいえ……しかし、まいったな。携帯も通じない。謝りたいんですが……」


悲しがるポーズ、女の目が哀れみを帯びる。


「よかったら……私も部屋に戻るんで、彼女さんに謝っちゃってください」


かかった――セキリティが解除された。俺は女とともに門を越えた。エレベーターに乗り込んだ。


「キーは受け取ってないんですか?」


「持っちゃうと毎日来てしまいそうなんで、持たないことにしてるんです」


嘘ではなかった。俺は俺を自制できなければならなかった。今はもう必要ないかもしれないが。

エレベーター、到着した。女はおじぎした。


「では、失礼しますね」


「ええ、どうもすいません。見苦しいところをお見せしました」


「いえいえ、困った時はお互い様ですから」


女――部屋に戻った。


ことねの部屋――数メートルのところにある。


パターンの想定、怒り狂っている。嘆き悲しんでいる。驚かせようとしている。


思考回路の演算結果――どれもが違う。異質だった。なんだ。この空気は。以前、味わったことが

ある。


そう――これは絶望の空気だ。


駆けた。ことねの部屋のドアは開いていた。走った。リビング、身体を丸めていることねがいた。その横に、 誰かが倒れていた。白目をむいていた。見たことのある顔だった。


俺が前に殴り飛ばしたストーカー野郎だった。






























口から漏れる焦燥、目をつむった。目を開けた。倒れていた男、脈はない。呼吸もない。絶命していた。死因は頭を壁にぶつけたことによるショック 死だと思われた。


ことね――ただ震えていた。何があったか想像がついた。イカれた男が押し入った。抵抗した。突き飛ばした。 殺した。


人殺し――ことねが耐えられるはずのない重圧、開放してやらなければならない。


どうする――騙せ――どうする――了司のようになれ――お前ならそれができる!


加速する思考回路、警察にこのことを通報するのはまずかった。正当防衛の範疇を超えている。

不法侵入、過剰防衛、状況酌量、執行猶予――ダメだ。


俺がやったことにするか?ダメだ。まだ俺の存在は必要だ。まだ切るわけにはいかない。夢や希望を持っている ことねの道をそのままにしなければならない。一切の絶望は赦さない。


誰かの頼る――了司に。ダメだ。あの男は危険だ。こんな決定的な弱味を見せるわけにはいかない。あの男は相手が 俺であろうと食い殺す。


もっとだ。もっと――思考回路をぶっ飛ばせ。了司に居る境地まで到達しろ。もっとイカれろ。もっと 善良を壊せ。もっと奈落に落ちろ。もっと堕落しろ。


「俺は機械だ――」


小さく呟いた。破滅への疾走。俺を止められる者は誰もいない。


「……ことね」


声をかけた。カタカタと肩を震わせていた。頭をつかんだ。強引に顔をあげさせた。俺は柔らかく微笑んだ。


「君は勘違いしてるみたいだが、この男は気絶してるだけだ」


「……で、でも」


救いにすがれ――すがったままで居ろ。幻想を信じ込め。それだけを見ろ。そうなれば君は清らか のままで居られる。


強く、念じた。


「やれやれ……まあ、人が気絶するところをあまり見たことがないからわからないでもないか」


「安津見君……ホントなの?」


笑った。


「ああ、本当だとも、しかし、コイツ……俺の恋人の部屋に押し入るとは良い度胸してやがるな。いっそ ぶっ殺しちまおうかな」


「ダ、ダメだよ――」


笑った。


「わかってるよ。まあ、こいつを家に送ってやらないとな……」


わざとらしく、ジャンパーから財布を取り出した。免許書を見る必要などなかった。住所など知っていた。


「警察には可哀想だから通報しないでおくか?」


笑った。ことねは頷いた。


「よし、俺が帰ってくるまで待っててくれ、こいつ、送ってくるから」


死体を担いだ。俺は最後まで笑い続けた。






























罪を犯す。法を犯す。


どうでも良かった。スーパーで包丁を買った。シートを買った。カナヅチを買った。死体をシートに乗せて車内で バラバラにした。


臓物臭、血の鉄の臭い、麻痺した神経のおかげで気にならなかった。肉を切り裂き、骨を砕き、俺の手が赤黒い 血で染まっていく。 臓物を見た。ぶよぶよとした肉の感触、人間を解体する作業、吐き気がした。


充てもなくドライブした。海を目指した。まだ夜は深い。闇夜に紛れて俺は死体をあちこちにばらまいた。


歯も砕いた。指も切り裂いた。衣服だけはどうしようもない。海岸を転がるテトラポットの中に捨てた。バラバラ死体、 一部は見つかるだろう。


罪は罪だ。罪には罰が与えられる。


「貴様が――悪い」


バックミラーに映った俺に言った。俺の冷酷な形相――機械。冷たい金属。


最初に男に出会ったときに叩き殺しておけばことねに被害はいかなかった。俺のミスだ。俺がうまく立ち回って いればこんなことにならなかった。


いずれ、法の下に裁かれよう。ことねが幸せを掴み、微笑み続けられる環境を整備してからだ。俺が破滅する のは構わない。だが、ことねが破滅するのは赦さない。


そうだ――それだけが俺の誓いだ。彼女に降りかかる火の粉を全て俺が浴びよう。


俺は騎士だ。暗黒を浴び続ける騎士だ。闇の騎士だ。彼女だけを護り、いつか暗黒に呑まれる。

覚悟はできている。 彼女を愛すると決めた時からそれは完了している。


それしか――俺にはできなかった。俺は何もできないクズだった。俺はゴミクズだった。


「俺は――そうやって生きていく」


誓いの言葉――俺はその言葉をかみ締めた。






























自分のマンションに一度戻った。シャワーを浴びた。石鹸で血の臭いを消そうとした。なかなか消えなかった。 香水をつけた。


車内のおびただしい血痕、熱湯にひたしたタオルで丁寧に拭いた。解体道具、既に海の底にある。

車をぶっ飛ばしてことねのマンションに向かった。カギは手に入れてある。ことねは気づいているだろうか。 幻想を信じているだろうか。


パターンの想定、最悪の事態も想定。だが、護りぬこう。


そして――いつか俺は彼女から離れよう。ゆっくり時間をかけて関係を壊そう。彼女にはいずれ 俺は必要なくなる。元々、俺は彼女の傍には居てはいけない存在だった。


俺は俺の罪を償う。その時、彼女が何も心配もせずに居て欲しい。できるなら、何も知らないまま幸せな 人生を歩んでもらう。


それで良い――それが最良だ。元々、俺は何も欲しくはなかった。俺は彼女に多くのものを もらった。


醜い俺を美しい彼女は愛してくれた。その代償が必要だった。彼女に対価を払う時が来たのだ。


「遅くなってすまなかった」


扉を開けた。微笑んだ。ことねは玄関で待ち構えていた。抱きついてきた。抱きしめた。柔らかい感触、体 全体にぬくもりが伝わる。


「安津見君……もう、帰ってこないかと思っちゃったよ」


「なんでそう思ったんだ」


「だって……だって」


俺は首を横に振った。手をことねの首にまわした。唇を奪った。舌を差し込んだ。


抱ける女は車の運転みてぇにコントロールできるぜ総一――了司の声が脳裏に浮かんだ。


いいだろう、もう俺は彼女すらコントロールしよう。ストッパーを取り外そう。リミッターを振り切ろう。


俺の全ての能力を使って彼女を正常に狂わせてやる。幻想世界を構築してやる。甘ったるい世界を見せ続けて やる。


そこには一切の絶望も暗黒も無い――彼女に相応しい世界、優しい人々が過ごす世界、俺のような 邪悪が居ない世界。


ことねの足に手を回した。持ち上げた。手に身体を抱きかかえた。


「たまには、こういうのはいいだろう。お姫様」


「えっ、あっ……恥かしいよ」


俺は笑った。表面上の笑み、照れくさい笑み、心の底の笑み、狂気の笑み。


騎士――いつか信念に殉ずる。死ぬべき存在だった。俺は死ぬべきだった。






























知性――暴虐の力。神を裏切ったアダムとイブが手に入れたもの。俺がもっとも欲しいもの。

加速する思考回路――俺の脳髄に染み込んだ悪魔の力を揺り動かした。

ことねのこの先について考えた。俺のこの先について考えた。ことねの分析、まだ弱い存在だ。強くしな ければならない。俺の分析、まだ力が足りない。了司に教えを乞う必要がある。

ことねのコントロール――今までのスタイルは破棄する。レヴェルを上げる。人間を強くするもの は感情だ。強い感情が必要だ。ことねは俺を愛している。うぬぼれでは無い。もっと溺れさせる必要がある。


今までよりも――もっと優しく、もっと厳しく、鍛え上げていこう。彼女の全ての感情を見抜こう。 心を読もう。細部に至るまで全てを凝視しよう。


俺はまだゴミクズだ。スタイルを急に変えても怪しまれる。また、俺の行動、雰囲気、感情に至るまでコントロール しきれていない部分がある。


心理面、肉体面、表層、深層、俺を構成する細胞全てをコントロールし、感情を制御し、動かす。


それが了司の居るであろう領域。暗黒の王の領域。精密機械の領域。手に入れなければならない。


時間はどれだけある?少なくとも数年はかかる。ことねに強靭な精神を持たせるのは一つ一つ丁寧に組み立てていく 必要がある。気の優しい彼女にそれが耐え切れるだろうか。無理かもしれない。


そうであるならば――方法を変えなければならない。


優秀な他者を操り、彼女を護らせる。最狂の男、了司を操る――不可能。


人を操りたいなら弱味と金を使え――了司、師の教え。


俺は未だ師の教えにすがって生きている。俺は師の模倣品にすぎない。まだ俺はガラクタだ。


最後のパーツをはめてやりにきた――了司の台詞。


「楽しくなってきたじゃねぇか……」


呟いた。


ベッドの上でことねが安らかに眠っていた。可愛らしい寝顔だった。俺は目をつむった。決別する時がきた。 いつか、来るべき時が来ると思っていた。来てしまった。もう後悔はなかった。

目を開いた。俺は――俺の愛情と決別した。


目じりに熱いものが流れ落ちた。最後に俺は涙を流した。人として生きていた俺の最後の涙だった。

俺は目をつむった。眠りにつきたかった。ただひとときの安息が欲しかった。






























昔のことを夢見た。


俺がことねと暮らしていたときの夢だった。俺はただ単純に喜んでいた。全部、うまくいくと思っていた。違った。 うまくいっていたのは彼女だけで、俺は何一つとしてうまくいっていなかった。


プライドは少なからずあった。全て粉みじんになった。くだらない矜持をもっている事にそのとき、初めて 気づいた。


俺は彼女のためならばプライドなんか捨てても良かった。だが、それはとてつもなく情けない事だと知っていた。 男として生まれた俺のジレンマだった。


俺はどうすればいい――力が欲しかった。


彼女がブラウン管の向こうの世界、俺の知らない世界に行くと言った。俺は焦燥感に駆られた。狂いそうになった。 狂っていた。


足りない――俺は足りない。元々、何もかもが俺はダメだった。俺は平凡だった。彼女とは人種が 違った。昔、学園で一番美しいと言われた女と普通に付き合うことなどできなかった。


表面上は普通に接していた。押し隠していた。見ないふりをしていた。気にしてなかった。だが、もっと彼女は輝く場所に行く。 それなのに俺はどうなのだ。どうだというのだ。


馬鹿野郎か無神経な奴になりたかった。なれなかった。俺のくだらない自我がそれを赦さなかった。俺の強烈 な自我がそれを赦してくれなかった。


相応しい男になりたかった。なれなかった。俺はくだらないことにこだわっていた。こだわり続けていた。


ただ、幸福であって欲しいと願った。ことねと俺と過ごす時間が減っていき、俺がぶち壊れそうになるまでは。


「ごめんね……また、行かなきゃ」


ことねはいつも寂しそうに部屋を出て行くとそう言った。俺はいつも笑顔で答えた。


「わかってるさ」


――わかってなどなかった。行かないでくれと言いたかった。言えなかった。

ならば、俺は彼女のいる世界に行くしかない。それしか、それしか無かった。そこは俺が思った以上に厳しく 暗い闇があるとしても。


了司と会った。了司は俺と二人だけになった瞬間、俺の頭をつかんでコンクリートの壁にぶつけた。俺の貧弱さを一目で見抜いて いた。力を見せ付けられた。俺は師に泣きすがった。


全てを教わった。六ヶ月という短い間、地獄のような日々が待ち受けていた。俺はゆっくりと機械として 組み立てられた。


夢は今までの俺の過程を見せるものだった。悪くはなかった。俺は、俺の積み重ねた時間を見る事でより機械に なれる気がした。


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