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騎士

ドライブ――明日のことを思うといやおうなしに胸糞悪くなる。


怜菜も昔はあんな女じゃなかった。純朴で清楚な女だった。社長に犯された。そして変わった。俺は全てを 見ていた。俺はまた奈落に落ちる女を見ることになる。


ハンドルを持つ手が震える。空は漆黒、黒い世界が眼前を泳いでいる。ネオンの禍々しい光を俺の眼球に 染み込んでくる。


ことねは運が良かった。青臭いガキだった俺がいたせいだった。ことねにもしもがあったなら俺は社長を 殺していた。俺の空気を感じ取って社長はことねに手を出さなかった。今でも、俺は睨み続けている。


「変態女が――」


罵声、思わず口からもれる。暴れ出してくる感情、抑え付けなければならなかった。俺は深呼吸した。怒りを口から 出した。脈拍が徐々に弱まっていく。俺の心臓が止まっていく。俺は機械になっていく。


考えなければならないこと。ことねのこの先、そこそこ有名になった。まだ足りない。何とかして押し上げな ければならない。誰にも手を出せないところに押し上げれば邪悪な奴らは数を減らしていく。


師の教え――騎士になれと言われた。信念に基づいて邪魔な者を全てを殺せと言われた。自分自身さえも殺せと言われた。


俺は 俺の王に従順だった。俺の師は暗黒の王だった。全てを支配できる思考回路を持っていた。

羨ましかった。たまらなく憧れた。俺は師のようになりたかった。師のようになればことねの傍にいられるし 護ってやれると信じ込んだ。


二年という歳月で俺がわかってきたこと。俺の師は何も持っていなかった。孤高な王だった。だから俺もその内そうなる時が くる。師は最初に言った。


「お前はあの女にとって邪魔な存在だ」


嘲笑と共に贈られた言葉、怒り狂った。違うと泣き叫んだ。無駄だった。


ことねが誰からも憧れる存在 になれば俺は必要がなくなる。俺は無意味な存在になる。俺という壁は必要なくなる。


トチ狂った強迫観念――イカレていると思っても信じ込まされている。


俺はことねの心を裏切っている。他の女を抱いている。俺は変わりきっている。俺はことねとは違う世界で呼吸をしている。


その事にことねが気づけば俺の全ては破滅する。

それでも――最期の時まで俺はことねにかかるかもしれない火の粉をかぶり続ける。


盾となり、 剣となり、騎士となる。それが俺に残った全てだった。俺にはそれしか残っていなかった。他の何もかも は失くしてしまっていた。

俺がもっていただろう――恋心さえも。


























歌のレッスンを終えて車で送る途中、誘われた。


「コーヒーご馳走しますよ」


目をつむった。誘惑に負けたかった。負けなかった。スピーカーの音楽を止めた。サイドブレーキを引いた。思案した。十五メートル 向こうにことねのマンションがある。


「まだやらなくちゃいけないことがあるんだ」


「二十四時間体制で仕事してるように見えますよ……」


ことねのふくれっ面、言っていることは間違ってはいない。俺の見るもの全ては情報源だ。頭 に叩き込んでおけばいつか役に立つ。


俺に本当の意味での休息など必要ない。体を休めることも仕事にすぎない。


「既に十一時だ。こんな時間にことねのマンションに入ればマネージャーとはいえ良からぬことだと思われる。ことねを 彼氏もいない清らかな人物だとマスメディアは捉えている」


「うー……だ、誰も見てませんって」


「ハイエナどもを俺は舐めない。獣っていうのは人間と違って気配を消せる生き物だ。すまない、まだ俺は未熟だ。見抜けない」


アイドルを追っかける記者の目――濁っている。淀んでいる。腐っている。人のプライバシーを砕き、人の私生活を暴く のが大好きな変態野郎ばかりで構成されている。


利用はできる。だが所詮は毒物にすぎない。毒は使いどころを間違えば自身を侵す。


「冷たいよぉ~……そんな安津見君は嫌いになっちゃいますよ」


俺がどんな想いで――言葉は口に出ない。ネジと歯車で出来た俺の機械の心。


無性に煙草が吸いたかった。吸えなかった。ことねは 歌手になることを夢見ていた。願いは叶えなければならない。


「そう、怒らないでくれ。休日を取るって言っただろう」


「むー……わかってますけど、あんまり割り切らなくてもよくない?」


アゴに手をあてた――考えるふり、しかし、言葉は厳しすぎたかもしれない。ことねは艶やかに微笑んだ。


「だから……ね、たまには二人の時間を楽しく過ごしましょうよ」


外からは誰も見ることができないガラス、静寂の空間、俺とことねがここで何をしようと誰も知られない。だが、完璧では ない。


ことねがしなでかかってきた。俺の首に手を回した。甘い吐息がかかった。やわらかく、扇情的な肉体が俺の すぐ傍にある。


いつから、ことねから俺を求めるようになった――思い出せない。


ボタンが外れる音、衣擦れの音、かすかな月光が白い肌を照らし出す。


昔の夜を思い出す。俺はことねを求めることしか知らなかった。俺は愛情と性欲に狂っていた。俺は救いがた かった。


抱きたい――だが、抱くな。今、お前がもっている感情は危険だ。冷徹な俺の思考回路。


「なんで……ことねは俺のことが好きなんだ」


いつだって訊きたかった問い。問い詰めたかった。俺の何が良いというのだ。俺はこんなにも醜く生きている というのに。知らないからか――純真だからなのか。俺は全てを君にぶちまけてしまいたい。


赦しを乞いたかった。乞えなかった。彼女が俺のために何かを捨てるのは耐えがたかった。


俺は彼女に迷惑も 傷も与えたくなかった。それが俺のトチ狂った愛情だった。俺が持っている全てだった。


「安津見君が私を好きで居てくれるから、私も好きなんだよ。でも、もう逆になっちゃってるかな。私が好きだから 安津見君も好きでいてくれるのかな」


違うんだ――何かが違うんだ。俺が求めているのはそんな答えじゃない。もう以前の俺ではないんだ。


俺はぶっ壊れちまっているんだ。


ことねは俺にゆっくりと口付けしてくる。唾液の味がした。甘い味がした。舌が絡んだ。水ッ気のある音が 車内に響き渡った。脳細胞が溶けていく。


止めてくれ――俺の闇を壊さないでくれ。俺を癒さないでくれ。俺は地獄に落ちていたい。ずっと地獄で 這いずりまわっていたい。そうでないと、俺は俺の罪が赦せない。


涙、涙が俺の頬に流れた。感情はなかった。もっていないはずだった。どの感情にも属さない涙が俺を狂わせて しまっている。


「するのは……ダメだよね?」


頷いた。声が出せなかった。俺は機械だ――聖句、今は効力を持たなかった。


ことねの細く白く美しい手が俺のベルトに向かった。スーツのボタンが外された。ベルトが解かれた。ジッパーが下ろされる。なすが ままだった。


意図、察した。


「いいんだ――止めてくれ」


「私、お人形さんじゃありませんよ」


知ってる――だからダメなんだ。


俺は君を商品として見れないんだ。俺の全ては君のためにあるんだ。 俺はそれだけで良いんだ。俺は何の見返りもなくても構わないんだ。俺はそれだけで充分なんだ。いつか俺を捨てて くれ。いつか俺を破滅させてくれ。


君にはもっと相応しい男ができる。君は君の相応しい道を歩んでくれ。


言いたかった言葉は口から出なかった。ガキの頃と変わらない俺の欲望が俺の首を絞め続けている。


俺の股間は熱くなっていた。昔を思い出してしまっていた。俺は薄ら馬鹿な俺に戻りたくなかった。


「安津見君……私だけをずっと見てて」


俺の欲望がことねの小さな口に含まれた。水っ気のある音が鳴り響く。熱くなった股間がぬめり気のある柔らかい 舌で包まれる。


ことねの目――俺を愛している目、俺にしがみつき、離さないようにしている子供のような目、 正視できなかった。だが、見るしかなかった。


俺は清らかな彼女を汚していた。俺は俺という存在が呪わしくて仕方がなかった。俺の涙は止まらなかった。


























無音の空間、車内、エンジンストップ、肌寒い季節だが仕方がない。聴覚を研ぎ澄ましたまま目をつむった。


睡眠――取らなければならない。だが、今夜は眠るつもりにならなかった。


ことねは目の前のマンションに帰らせた。寂しそう な笑み、俺の脳裏に染み込んでいる。


昼間――ことねの部屋にあった盗撮カメラ、警察には既に通報してある。だが、大した行動は期待できない。警察はコトが 起こった時にしか動かない。だから、ガードマンという職業が成り立つ。


睡眠欲、襲いかかってくる。音楽、かけるわけにはいかない。気を紛らわすものが必要だった。


「……」


師の拷問を思い出した。俺の師、暴虐の知性を持つ男。賢い者が全て物静かで理知的とは限らない。俺の師は 自分の欲望に忠実だった。


教えという拷問――本しかない空間に閉じ込められたこともあった。意味もなく殴られ、蹴られ、痛め つけられたこともあった。


毎日のように狂った価値観を植えつけられた。師は人間の心を読むことができていた。ことねとは種類の違う読み方 だった。


「俺はたまに人間の脳みそが見えるんだよ。うそをついてみろよ総一。なんでもいい。何気なくでもいい。忘れた頃に でもいい。くだらないでも言ってみろよ」


質問――質問――全て正解だった。師は歪んだ笑い声をあげた。人間の全てを知っていると 言っていた。嘘だとは思えなかった。師は異端の才覚を持っていた。


師の顔を思い出せばいつだって震えが止まらない。いつだって俺は怯えている。恐怖をすり込まれている。


と。


かすかに足音が聞こえた。ジャンパーとジーンズ、若い男がことねのマンションの前を通ろうとしてた。足が 止まった。


年齢――俺と同じくらい。顔、暗闇で見えない。ドアを開けて外気を浴びた。男にゆっくり近づいた。


「こんばんわ」


「……どうも」


暗闇から顔が見えた。頬が一瞬、痙攣した。驚き――それ以外の何かがあるかどうかはわからない。


動揺させろ――反応を引き出せ、それから食い殺せ、師の教え。


「ここにアイドルが住んでるらしいんですよね」


数コンマの動揺――知っている者の目、唇が痙攣した。だが、すぐに落ち着きを取り戻す。


「へぇ、そうなんですか……僕、夜食買う途中でよくここ通るんですけど」


灰色――だが、黒に近い。


「それは知らなかったな。どんな人です?」


「さぁ、あそこに歩いてる娘がそうじゃないですか」


視線を逸らした。男は振り返って視線をやった。腰を落として男のわき腹に拳を叩き込んだ。


男の悲痛なうめき声、体が折れ曲がった。足を振り上げた。男の頭に叩き落とした。アスファルトに転がった。男の頭を足でふみつけ た。


「あがががっ……」


ジャンパーから財布を抜き出した。学生書、レンタルビデオカード、キャッシュカード、紙幣、自動車免許――名前、住所、年齢、頭に叩き込んだ。


「戸口マサル君ね……大学生か。おおっ、なかなか偏差値の高い大学じゃないか」


「か、金なら――」


「俺の妹がこのマンションに住んでてね。近くに変な男がうろついてるって言ってたんだ。君は変質者 かな?」


冷酷な声、くだらない作り話、それでも、人は窮地に立たされれば思考は止まる。


「ちっ、違うっ!俺はただ――」


「ただ?何かな。妹が泣いててね。君にも家族はいるんだろ?親父かお袋はいるんだろう?俺がどういう 人種か理解できるかな?お前の親父をゴミみたいに泣かせてやろうか?」


ヤクザの威圧、真似た。人の弱みをつかんだら食いちぎる。弱いところを徹底的に叩き、生き血をすする暴力のエキ スパート。


男――血走った目、恐怖にすくんだ目、勘違いした目。


「違いますっ!俺はただのアイドルの追っかけなんですっ!」


「なんだ。ハズレか。しかし、困ったな。君を勘違いして殴ってしまった」


「忘れますっ!俺は何もされてませんっ!何も見てませんっ!勘弁してくださいっ!」


「勘弁してください?何か君が悪いことをしたみたいじゃないか。そうか、君は俺に悪いことをしたんだね」


声にならない男の悲鳴、何を言っても揚げ足を取られ、責めたてられ、狂わされ、奈落に落とされる。生きながら して煉獄に叩き落した。


「だとしたら償ってもらわないといけないな。これは人として当然の義務だと思わないかい?」


「はい……」


「君はアイドルを追っかけてたんだってね?小遣い稼ぎでもしてたのかい?」


「いえ……ただ、趣味で。写真とか撮ったり、私生活をのぞいたり……知りたくて……」


弱々しい声、屈服した者の声、奴隷の声。殺すのも生かすのも俺の自由だった。


ことねに馬鹿な真似してただで済むと思っているのか――灼熱のような怒り、だが、冷静になれ。


「そうか、まあ気持ちはわからないでもないな。だが、君のような前途ある若者がそういう真似をしては いけないな」


言葉を切った。男、うつろな目で態度を軟化させた俺を見ている。


「どうだね。もう二度とこのマンションの前に現われない。このマンションのアイドルにおかしな真似を しないと約束してくれないか?俺はそういうのが見過ごせないタチでね」


「はい……わかりました」


強烈なムチを与えた後は――。


「確か、そのアイドルは清川という苗字ではなかったか。妹の知り合いでね。サインの一枚でももらって来て やろうか」


「ほっ、本当ですかっ!」


「もちろんだとも。だが、次にそういう意地汚い真似を君がしていると俺が知ったときは――」


獣の目、狼の目、悪魔の目、恐怖を構成する眼光、師の目――俺の目となっている。


「わっ、わかっていますっ!も、もう、二度と、馬鹿な真似はしませんっ!」


男の意地汚い目、光り輝いている。俺に心の底から感謝している。暴力を振るわれたことなど忘れている。麻痺 しきった感情、人間を壊し、操る術、手に入れたい。


まだ――俺には力が足りない。だからこんな奴の愚行を見逃した。反省すべきだった。


師匠――俺の暗黒の王、なぜ、俺の前から消えた。なぜ、俺を完全なる機械にしてくれなかった。なぜ、 俺を出来損ないのままにした。


俺はアンタにまだ追いつけていない。アンタのようになりたい。アンタのように無敵の存在なりたいんだ。


暗黒への憧れ――俺は俺の師に出会った時からトチ狂っていた。


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