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暗澹

昔の俺、救いようがないほど馬鹿だった。


愛情があれば全てうまくいくと思っていた。甘かった。どうしようもなく甘チャンだった。そのことに気づいた のはことねが嬉しそうにスカウトされたことを語った時だった。


ことねは誰よりも美しい存在だった。俺は何ももっていない存在だった。釣り合いがとれていなかった。俺が もっていたのは恋心だけだった。それなのに、俺を好きになってくれたことねに俺は報いたかった。


ことねは故郷を離れることになった。俺は駆け足で追いかけた。


血眼になって職場を探した。えらくなりたかった。だが、俺のちんけな脳みそは役立たずだった。劣等 感にさいなまれた。さいなまれない日などなかった。俺はいつだって俺の首を絞め続けていた。


ことねにとって段々と不要な存在になっていく俺、絶望と焦燥、俺は死にかけていた。


恋人に何も出来ず、迷惑だけを与えるならくたばりたかった。くたばって灰になりたかった。そんな時に俺を救ってくれた 俺の師、ことねをスカウトした最初のマネージャーだった。


俺の師は誰よりも邪悪な存在だった。全ての人間を物だと思っていた。全ての人間を自分の所有物だと 思っていた。全ての人間の生殺与奪を握っていた。


師の教えは拷問だった。俺の善良を破壊し、邪悪を生み出し、現在の俺を組み立てていった。俺は壊されながら にして生み出されていた。


「総一、俺みたいになりてぇのか」


師の言葉、俺は頷いた。俺は師に泣きすがった。俺はことねを愛しているのだと言った。俺はどうなっても 構わないと言った。役立たずな俺を笑ってくれと言った。


「じゃあ、テメェは俺になるんだ。俺と同じ思考回路を持て。全てを利用しろ。全てを自分のエゴのために 動かせ。全てはお前の物になると同時にお前は何もかもを失くせ」


師の言葉――神聖なるものだった。神聖なる悪魔の言葉だった。俺は悪魔に魂を売り飛ばした。


後悔 はなかった。地獄に落ちても構わなかった。彼女が微笑んでくれるなら俺はいつくたばっても 構わなかった。俺は彼女の傍にただ居るだけでも幸せだった。


























携帯電話のコール――大月美枝子、三十過ぎのババアから。ことねのマンションから車庫に向かう 途中だった。


「総一君、今週の日曜日は暇?」


「大月さんのためならば喜んで空けますよ」


ベテラン芸能人――喉から手が出るほど欲しいコネクションを持っている。手に入れる必要がある。 手に入れなければならない。


「あら、嬉しい。よければデートしなくて?」


翻訳――キャリアの旦那が相手をしてくれないから相手をしろ。セックスレスになる理由、お互いの 傲慢なプライド、譲歩のない言葉の応酬、頭は良いが自分のことしか考えないエリート達の結婚、笑って やりたかった。


「喜んで。ところで、大月さん、またお願いできますか?」


「ゲストでそっちの子使って欲しいって言うんでしょ。プロデューサーに言っておくわ。結構、いろんなと ころに顔、利くのよ私」


「いえ……俺は大月さんに可愛い格好をして欲しいと思っただけですよ」


本音と建前、すりかえる。純朴で恋焦がれ、性欲にまみれた青年のふりをする。ババアの熱いため息。耳が 腐り落ちそうだった。


「また、私にエッチな格好させちゃうのね。まったくしょうがないわねぇ」


満更でもない声――女の性癖、一度か二度抱けばわかる。何を望んでいるかわかる。何をし、何をすべ きかもわかる。


女のことを知るために百人近い女を抱いた。女を抱くことはもう俺にとって疲れる作業にすぎない。青臭い馬鹿なガキだった俺は もういない。俺は俺の心も体も利用することができる。


「それでは、今週の日曜日に会いましょう大月さん」


「美枝子でいいのに」


「気恥かしいですから……」


「可愛いわねぇ……まあ、またお姉さんからの電話を待っててね」


切れた。携帯電話――地面に叩きつけようとして手を止めた。俺は空を見上げた。青い空を見た。俺は 空に手を伸ばして――ゆっくりと手を下ろした。


























社長室、アンティーク机の向こう長い艶やかな黒髪を持つ三十代後半の女がいた。眼鏡越しに俺を射抜いている。俺を吟味 している。俺について考えている。


「総一君。私が指定した時間に大幅に遅刻しているけど何か弁解すべき言葉はある?」


「申し訳ありません矢崎社長。私の自分自身の管理能力の甘さがありました」


「定時報告だけはしっかりして頂戴。でもまあ、許しましょう。貴方のことだから色々と手を回していた んでしょうから」


矢崎令子、このプロダクションの社長。なんでもこなすキャリア、以前は売れっ子のタレントだった。だが、 何かの拍子で辞めた。そして、現在に至る。


氷の仮面、氷の女、俺の師の暗黒に比べれば雑魚にすぎない。だが、まだ俺の至れない場所にいる。


「岡本さんから電話があったわ。また貴方と競馬に行きたいって話だったけど」


岡本――ギャンブル好きの脚本家。競馬、競輪、地下カジノ、野球賭博、どんなことだってやって いた。ギャンブルに熱くなったふりはできた。馬の血統、気性、体重、筋力、大抵の有名馬なら頭に叩き こんである。


また上手におだて、誘導しなければならない。


「また俺から電話します」


「総一君――貴方、俳優になる?」


突然のわけのわからない言葉、冷静に返す。


「何故ですか、マネージャーとして至らないところがあるのならば矯正しますが」


「そうじゃなくて……適材適所よ。渡辺君より才能あるんじゃないの」


渡辺――エイジの苗字。才能、あるはずがなかった。ただ俺は誰よりも冷たいだけだった。


「申し訳ありません。光栄な話なのですが………」


「そう、ことねも調子出てきたし、そろそろ彼女だけの専属マネージャーになりたい?」


願ってもない話――甘い話――罠。


社長は俺のことねへの執着度を測っている。測った上で俺の資質を問うている。感情の度合いを見ている。百戦錬磨 の女、まだ俺は舐められている。


「まだ彼女の営業成績は一定の基準に達していません。私も彼女一人だけしかマネイジメントできないほど無能では ありません」


「うまくかわすこと。二年前の貴方なら飛びついてきたでしょうのに」


残忍な氷の微笑、頭にきた。だが、俺も冷たい視線を送った。かまのかけ合い、心理戦、欲望と打算、俺は 既にスペシャリストに変質している。


「まあいいわ。それより、貴方にもう一人任せたい娘がいるの」


「社長、いくら私でも四人は容量オーバーです」


「あら、三人よ。渡辺君は辞めてもらったわ」


冷酷な微笑――何かがあった。


「なぜです。アイツは馬鹿ですがルックスも能力も悪くはありませんでした」


「ついさっき私好みのケーキを持ってきてくれたんだけど、ダメね。私が嫌いのは知っていたけど、嫌悪感を 隠せないようじゃ役者失格だわ。それに媚を売るにしてもお粗末。もうあの子いらないわ」


エイジ――ドジを踏んだ。渡りきれるかもしれなかった縄から落ちた。栄光からもっとも遠い場所に追いやられ た。奈落に落ちた。


同情はなかった。ただ、頭の中でエイジのために立てていたプランが消し飛んだだけだった。


「そうですか……では、新人の詳細を教えてください」


「水城美絵、っていう可愛い娘よ、ちょっと味見しようと思ってるんだけど、総一君も参加する?」


氷の顔が欲望で歪んだ。社長は女でありながら女を抱きたがっていた。腰にベニバンをつけて女の純潔を 奪うことが最上の快楽としていた。女の苦痛と悲鳴に酔いしれていた。サディスティックな性癖、ついていけなかった。


だが、ついていかなければならなかった。俺は口元をゆがめた。笑った。


「生娘ですか。面白そうですね」


「そうでしょう?アイドルに憧れて夢や希望に溢れた可愛い娘よ。明日、一緒に楽しみましょうね」


「是非とも」


変態女――エイジの台詞、エイジは馬鹿だったが本質を知っていた。本質を知って恐怖と嫌悪を抱いた。 人間として当然の感情、俺にはほとんど残っていなかった。


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