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ことね

腕時計の時刻――四時三十五分、限度いっぱい飛ばしても五分ほど遅刻する。赤信号、ブレーキを 踏んだ。携帯をプッシュした。耳にあてた。


「もしもし?」


「ことね、そこから左斜め七メートルのところにカフェテリアがある。お勧めはロイヤルミルクティーだ」


「ええっと……」


「それと、暇だからってあまりにも動き回るのはよしてくれ。タクシーを使ってまで遠出する必要はない。休日 は希望の日にちを教えてくれ。調整する。ついで言うとその黒いグラサンは似合わない。美観を多大に損ねる」


「なんで……黒いサングラスかけてるってわかるの?」


「ジョークだ。四十分後にカフェテリアで会おう」


青信号――アクセルを踏み込んだ。携帯を胸ポケットにすべらせた。ハンドルを切って右折した。


助手席の怜菜、煙草を吸っていた。


「銘柄は?」


「キャスターマイルド、吸う?」


「あまり吸わないでくれ。車ににおいがつく」


「止められないの。それにしても……安津見君って一流のストーカーになれそうだよね」


「追尾する者としての意味ならばもうなってる。GPSを君の携帯にも既に埋め込んである。社長の了解も 取ってある。一週間前後の過去ならどこで何をしたか大体予想がつくが」


「うわぁ……プライバシー侵害で訴えてやろうかな」


「百万程度の金が欲しいならそうしろ。但し、君が築いた全ては砂塵と化す」


「クールだねぇ。でも、恋人さんにさっきみたいな態度とってよかったの?」


艶やかな笑み、軽い動揺が走った。俺がことねと付き合っていることは誰にも知られていないはずだった。少なく とも社長以外は。


これはカマかけだ落ち着け――冷静に返す。


「なんの話だ。俺にそんな魅惑的な存在はいないが」


「清川ちゃんから聞いたよ」


もれそうになる舌打ち――誤魔化せ、騙せ、丸め込め、シラをきれ、笑え。


「何言ってるんだよ怜菜、わけがわかんねぇよ」


「引っかからないねぇ。そうだと思ってたのに。私の勘違いかな」


「大事な人材に手を出すわけねぇだろ」


「まあ、それならそれでいいかな。でも、私に手を出してる癖によくまわる口だこと」


出したくて出してるわけじゃねぇよ売女が――本音と建前、怒気と冷気、裏返した。


「君とのセックスはストレス発散になる。後腐れもない。怜菜、またその気になったら言ってくれ」


「もっとオブラートに包んだ言葉で言ってよ。雰囲気がわかってない」


「怜菜みたいな極上の女を抱けて俺は幸せだよ」


よどみなく流れ出る嘘――俺は薄く微笑み続けた。俺は俺自身さえも騙すことができた。俺は俺に さえも冷酷だった。


好色そうな瞳で俺の横顔をみる怜菜――商品は大事に扱う。だが、期限が切れたらゴミクズになる。 知ったことじゃなかった。誰もかもが地獄に落ちれば良いと思っていた。誰もかもが俺と同じ世界に落ちれば良いと 思っていた。


ただ一人だけをのぞいては。


























ふくれっ面のことね――機嫌を取らなければならなかった。言い争いは面倒だった。労力の消費、 明日の仕事に響く。俺は良い。だが、ことねは良くない。


「クールダウンしてくれ」


アイスティーを差し出した。ジッと目を見られた。何かを見透かそうとするかのようだった。人の心理を読む ことができたことね――今は俺のほうが格段に人間の心理を読める人間になっていた。


皮肉だった。だが、役回りとしては悪くなかった。俺は傷つかない。傷つくことなどない。俺に鋼で構成 されている。


「らぶらぶ度の向上を進言しますっ」


偏頭痛――俺もアイスティーを一口飲んだ。サングラスをかけていることね、見事に美観を損ねて いた。見た瞬間、笑いそうになった。笑った。機嫌はさらに悪化した。


頭の中の予定――後二十分後には事務所に戻りたい。やるべきことはまだまだある。だが、目の前の 彼女はそれを赦してくれないだろう。


「安津見君冷たいよぉ……最近、素っ気無いし」


「仕事が忙しいんだ。わかってくれ」


「仕事辞めちゃえば?」


ふざけるな――叫びそうになった。押しとどめた。ことねは知らないだけだ。無邪気なだけだ。俺を 気遣っているだけだ。


俺以外がことねのマネージャーになる。ばかばかしい話だった。ことねをこのクソッタレな世界から護れる 奴など少ない。居たとしても譲りたくなかった。もっていたいエゴだった。


深呼吸――心を落ち着かせた。微笑んだ。


「俺もそうしたいんだが、やりがいがあって辞められないんだ」


嘘だった――辞められるなら今すぐにでも辞めたかった。俺はことねの代わりにありとあらゆる 地獄と魔物どもを見てきた。ことねを抱きたいという奴など山ほどいた。それはプロデューサーだったり、 スポンサーだったり、同じ業界人だったりした。


すかした、丸め込んだ、騙した、必要があれば破滅させた。気がつけば俺は誰よりも悪党になっていた。それ でも、ことねが微笑んでくれるならば俺のことなどどうでも良かった。


それだけが――俺の救いであり、光だった。他には何もいらなかった。


「うーん、私の収入だけで食べていけるよ」


「俺をヒモにする気か」


「ヒモになっちゃおうよ。昔みたいにぐーたらな安津見君をたまにはみたいな」


「忘れてくれ。まるで俺がダメ人間みたいだ」


「あはは……でも、なんだか今は張りつめてるね。私のせいだよね。ごめんね」


表情に影が落ちた――加速する思考回路。


「違う――腹が減ってて気が立ってるんだよ。たまには手料理ご馳走してくれ」


「あっ、いいね。そうしよっか。じゃあ、これから買い物行こうよ」


嬉しそうな笑み、俺は頷いた。


























奇妙な違和感、俺の思考にノイズを走らせる。過去の映像と照合した。照合結果、違和感の正体を掴んだ。


回転する思考回路――知識を引き出した。迷った。伝えるべきか、伝えないべきか。


「ことね……ちょっと、いいか」


フォークを動かす手が止まった。俺を不思議そうに見ていた。テーブルの正面、座布団に座りながら談笑している 途中にこんなことを言うのはためらいがあったが、仕方がない。


「どうしたの?」


「二つ質問に答えてくれ」


「うん」


「君は独り言が多いほうか?」


「うーん……どうだろ。でも、なんでそんなこと訊くの?」


不思議そうな目、無視した。


「君はあのベッドの上のファンシーな目覚まし時計が気にいってるか?」


「少しね。ちょっと前にリサイクルショップで見つけたんだ。良いでしょ?」


「そっか――じゃあ後で別の可愛いの見つけるよ」


立ち上がった。目覚まし時計をつかんだ。手に持ったまま床に叩きつけた。プラスチックが砕けた。電池が飛び出た。小気味の 良い音がした。

ことねは目を白黒させていた。俺は構わず目覚まし時計を解体していった。通信型CCDカメラと盗聴器を見つけた。お粗末 な仕掛け、素人がどこかの電気街で買ってきたものだった。いや、通販だろうか。


プロの仕業ではない――どこかの薄ら馬鹿の仕業。叩き潰す必要があった。周波数、距離、人物像、 推測がいくつも浮かぶ。


「ええっとその……あーあ……壊れちゃった」


「市販品以外は買うな。ファンからのプレゼントも俺がチェックしてから渡す。それが以外はボールペン一本 だろうが俺がチェックしてからにしてくれ」


「うぅう……なんかものすっごい厳しいマネージャーさんがここに……」


「この部屋をチェックする。一時間ほど家捜しさせてもらうぞ」


「下着とかには触らないよね?」


笑った。笑った後に両手を広げて呆れたというポーズを作った。ことねはガクッと首を落とした。


























部屋に侵入した形跡はない――安堵、だが、時間の問題だ。欲望はエスカレートする。誰もが 何かとコジつけて欲望を暴走させる。


2LDKのそれほど大きくない部屋とはいえ肩が凝る作業だった。差し出された紅茶を飲んだ。


「お疲れ様」


「ありがとう……しかし、君は少しアイドルとしての自覚が足りないらしい」


すねた目――言い直す。


「ことねはアイドルとしての自覚が少しばかり足りないらしい」


「なんか他人行儀ですねぇ……」


「俺はことねが好きだよ」


「嬉しいですけど……いまいち気持ちが伝わらないよぉ~」


ゆっくりと距離を詰めてくる。隣にまで寄ってくる。やわらかい体が密着する。甘い吐息が頬にかかる。俺の 冷徹な思考にもやがかかる。

感情に左右されるんじゃねぇよ――俺に全ての暗黒を教えてくれた師の台詞がフラッシュバック する。それは楔となって俺の心に打ち込まれている。


「久しぶりにらぶらぶしようよ」


甘い声、俺を誘惑する声、愛してくれと言っている声、抗いがたかった。抗わなければならなかった。


「九時にレッスンの時間がある。明日はアクションがあるドラマ撮影、俺に抱かれれば疲労する」


「昔みたいな安津見君になってよ……」


過去の俺と現在の俺。既に別人になっている。何もかもを捨てた。捨てなければ今ここにいることができなかった。悲しかった。 どうしようなく悲しかったが、耐えなければならなかった。


ことねは俺の唇に口付けした。甘い香りがした。ことねは目をつむっていた。俺は目を開けていた。俺は 灼熱を持ちながらも冷静でなければならなかった。


長いキス――抱き寄せた。情動がこみあげてきた。手が自然とことねの乳房に向かった。目の前の女を抱きたくてしょうがなかった。気が狂い そうだった。


俺は機械で出来ている――聖句を唱えた。手が止まった。ことねがかすかに震えた。


「んっ……私、わがままかな」


「休日を合わせるよ。その時は俺は昔の俺に戻る」


嘘をついた――戻れるわけがなかった。だが、戻ったふりをすることはできた。ことねは微笑んだ。


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