破滅
社長に全てを話した。ヤクザとも付き合いのある矢崎。少しは使えるかもしれない。
「総一君……了司を敵に回すなんてやってくれたわね」
「情報を下さい社長。新堂了司に関する全てを教えてください」
矢崎――氷の目で俺を見ていた。矢崎の思考回路、俺を既に切り捨てている。
「死にたくなければ明日一番で警察に出頭しなさい。貴方と了司、私は了司を取るわ。あの人の強さは貴方も身にしみるほど 知っているでしょう」
「知ってますよ――だから、俺はこうするしかない」
リヴォルバー――矢崎の顔にポイントした。ぴくりっと眉が跳ね上がっただけだった。
「無意味な行動ね。今、私を殺したら貴方は確実に捕まるわよ。それで苛立った了司はことねを陵辱 して終わり。まあ、どっちにしろそういうオチがつくけど」
「いえ、大丈夫です。そのときは師は期限をまもらないで俺を殺しに来てくれます。この行動も、銃を手に入れた ことさえ師は知っているでしょう」
社長室の壁の絵画――埋め込まれた小さなカメラ、今気づいた。了司、最高に抜け目の無い男。情報を操る男。
「そこまでわかっていながら――戦うというの?」
「ええ、始末します。社長――俺は打算的な悪党ですよ。勝てない戦いはしません」
嘘っぱちだった――俺は確実に了司に負ける。これは仕組まれている。これは勝てない戦いだった。
「しょうがないわね……私も、死にたくないし。いいわ。少しだけ協力してあげる」
矢崎――蛇の目、了司と同じ目。何かが引っかかった。思考回路は際限なく加速する。
機械の心臓、機械の脳、機械の肉体――了司、打倒してやる。勝てないが、打倒してやる。
明らかな矛盾、俺はトチ狂っていた。
震える手、イカれる頭、良くなってきた。俺の具合が良くなってきている。
段々と奈落の底に落ちてゆく感触、手に取るようにわかる。俺の感覚を刺激している。
「ちょっと、いいかね?」
声――振り返った。黒いフォーマルスーツを着た中年の男がいた。ことねのマンションは数メートル先にある。
声が聞きたかった。歌ってほしかった。俺に最後の鎮魂歌を歌ってほしかった。俺はすっとぼけた顔を作った。
「ええ、なんでしょうか」
猟犬のにおい――猟犬の目。理解した。だが、早すぎる。
「こういうもんだけど、いくつか質問させてくれないか?」
桜の大紋――警察手帳、思考回路のスパーク、早すぎた理由、理解した。俺の失策だった。
「以前、不審な男が居ると通報してくれた……安津見君だったっけ?」
「ええ、よくわかりましたね。俺のこと」
「なんとなくさ。間違ってたら謝ろうと思ってた」
「それで、不審な男は見つけてくれましたか?ここに俺の恋人が住んでて、心配でしょうがないんです。できる ことがあるなら俺も協力を惜しみません」
青臭いガキの顔、台詞――作り上げた。
「それなんだけど……見つけたよ。一度、尋問したんだ。だが、決定的じゃなくてね。どう しようもできない。すまんね」
「いえ……仕方ありませんよ」
「だが――」
目が光った。ここから先が本当に言いたかったことだろう。
「その男の母親が教育ママってやつでね。息子が一日でも帰ってこなかったらすぐ警察に電話するババアなんだ。だから、少しは私も仕事をしないといけないんだ」
「大変ですね」
「そうなんだ……だから、少しだけ君の恋人に質問させてもらったよ」
ことねの部屋に向かって今すぐ駆けたかった――抑え付けた。
「アイドルが恋人とは実に羨ましいね。私も会った時は柄にもなくあがってしまったよ。しかし、彼女も警察は初めてなのかな。あがってしまって いた」
「そうですか……えっと」
「真田だよ。安津見君」
殺しちまうか――迷った。俺は真剣な目を作った。
「何かわかったら電話しますよ真田さん。その男についてわかったら」
「助かるよ。これが俺の携帯番号だ」
メモを渡された。メモなどいらなかった。だが、受け取って電話番号を頭に叩き込んだ。
「では、失礼しますね」
「ああ、ちょっと待ってくれないか安津見君」
真田は笑ってポケットから携帯電話を取り出した。投げ捨てたはずの俺の携帯電話だった。
「これ、君のじゃないか?ダメだね。落としたりしちゃ」
「ありがとうございます。うっかりしてました」
「いいんだよ。しかし、妬けるね。その携帯の裏に小さく貼り付けたプリクラ、君と君の恋人の顔。幸せそうでいいね」
目を細めた真田――俺の輝いていた頃を見た。俺もあの頃に戻りたかった。戻ること などできなかった。
「嘘だったんだよね……全部」
座り込んで、震える声で言う――幻想は瓦解している。ならば、次を作るだけの話だ。
「悪かった。どうしても、あの男を赦せなくて……起きた時にぶん殴って、頭にきちまって。すまねぇ。 今、ゴミ捨て場で転がってる」
「嘘だよ……全部、全部、私のための嘘なんだよね」
肯定したかった――しなかった。俺はずっと騙し続ける。知らないということは幸せだという ことは誰よりも知っている。
飢餓と貧困にあえぐ人々がいる事を知っている。戦争で苦しむ人々がいる事を知っている。病魔に狂わされた 人々がいる事を知っている。
この世の全ては一皮むけば絶望で構成されていることを知っている。
神の造った美しい世界、唯一、俺達、人間だけが醜い。ロシアの著名な文学家が言っていた台詞。正しかった。
「あの人……息してなかった。私が、私が殺しちゃったんだよね……」
「違う。俺が殺した。俺が以前、アイツの頭を蹴り飛ばした。ふみつけた。その時のショックだ」
「どこまで……ホントなの、安津見君。わからないよ。全然、私、わからないの」
壊れそうな笑み、引きつった笑み、俺はひざまずいた。ことねを抱きしめた。俺の顔、機械の顔、機械の心、もうこれしきのことで は揺るがない。
「安心してくれ……大丈夫だ。俺が君を護ってやる」
「嘘だよ……ずっと、安津見君はウソツキだってわかってるもん」
声質の変化――怒りの波動。
「ずっと、私以外の女の子に触れてたでしょ……前に、怜菜さんが教えてくれたもん。貴女には渡さない、って 言われちゃったよぉ……なんでなの、わからないよ。私、そんなにつまらない?」
気づかれていた――構わなかった。だが、今このときのタイミングは最良でありながら、 最悪のパターンだった。
ああ――本当に来てしまった。
俺は全てを捨てる時が来てしまった。最後まで――最後まで了司は正しい。全て了司は正しい。 ことねにとって俺は邪魔な存在だった。それに気づいていながら、俺は這いずりまわっていた。
なんと俺は悪しき存在なのだろうか。なんと俺は愚かな存在なのだろうか。俺は彼女に会ってはならなかった。
「俺のことが嫌いになったか……すまない。俺はずっと君を裏切っていた」
抱きしめるのをやめた。もう俺は彼女に触れてはいけなかった。俺はもう完全なる機械だった。
「なんで、そんなことしたの……私のため?」
「俺は俺の正しいと思う事をしてたんだ。後悔はない。これからも、俺はそうやって生きていく」
決意の声――ことねは絶望していた。
「私……安津見君がいればよかったのに。どうして」
「俺は君の輝く姿が見たかった。そのためなら、どんな代償を払っても良かった」
「ごめんね……私、ずっと、今まで、知らなかったんだ。ただ、安津見君が喜んでくれるから、私も、 私にできることしてたの」
知っていたよ――俺のエゴだった。全ては俺の欺瞞だった。彼女の小さな夢と俺の欲望を混ぜあわせた 結果に過ぎない。
俺達は交じり合ってはいけなかった。俺が全て悪かった。
「悪かったな。俺は君に償いすらできそうにない」
「いやです……そんなこと言わないで。安津見君、私を見放しちゃうつもりなんだ……」
「ああ、そうするよ。大丈夫だ。俺が居たから君はそんな風になっちまった。俺が居なくなれば全て解決 する。時間をかけてゆっくりその傷を修復してくれ」
「いやですよ……なんで、どうして、ちゃんと謝ってくれないの。私、赦してあげられるかもしれないのに」
「赦さないでくれ。俺を呪っていてくれ。俺を呪っていれば君は強くなれる。そして、いつか俺のことな んてどうでもいいと思えるようになる」
「できないよ……そんなこと」
「できるさ――信じてる――じゃあな、ことね、俺は君の傍にいられて幸せだった」
立ち上がった。ドアの向こうに駆けた――後は決着だ。全てを決着させよう。
破滅への疾走――昔から、俺はそこに向かって走っていた。