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百済王と天智天皇

作者: 沢藤南湘

            百済王と天智天皇

 中大兄皇子と中臣鎌足たちは、昨日の打ち合わせ通りに大極殿の外に身をひそめていた。

「殿下、お考えは変わりませんか」

鎌足が、中大兄に念を押した。

「入鹿を斬るしかない、後世なんと言われようと、今日斬る。渡来人にこの国を牛耳られてたまるものか」

入鹿が、剣を携えて、大極殿に入ろうとした時、入口の警備の者が、

「入鹿様、今日はお上の命令で、剣を持った人間は中には入れるなと命ぜられています。入鹿様の剣、お預かりします」

「儂を誰だと思っている、お上は儂が剣を持って入っても許すに違いない」

「そうは言っても、お上の命です。それに従わなければ、私は腹を切らねばなりません」

 と、腹を切るまねをし、苦渋の顔をした。

「分かった、お前に預ける」

 入鹿が、席についてしばらくすると、皇極が供を連れて、大極殿に入ってきた。

 皆が、平伏し、皇極は、玉座に腰を下ろした。

 儀式は始まった。

 儀式の進行を見据えていた中大兄は、衛門府を呼び、十二ある門すべてを閉門し、一人たりとも出入りをさせぬように命じた。

 だれも、中大兄の行動に不信を持つ者はいなかった。

 倉山田石川麻呂が、皇極の前に進み出でて、上表文を代読し始めた。

 鎌足は、大極殿の傍らに弓矢を持って、佐伯子麻呂と葛城網田とともに、潜んでいた。

 そして、持ってきた箱を空けて、二人に剣と槍を授けて言った。

「佐伯殿、葛城殿。油断せずに、不意を突いて斬りつけるのだ」

 佐伯は、今朝の飯は、恐怖のためほとんど吐いてしまい、顔色が悪い。また、葛城は、緊張のあまり、体の震えが止まらない。

「しっかりしろ」

 鎌足は、弓矢を置き、二人の背を推した。


 倉山田石川麻呂は、全身汗だくになり、声が乱れ、身体が震えだしたが、何とか読み終えた。

 近くに座していた入鹿が、不審そうな顔をして尋ねた。

「どうされたのか」

「お上のおそばに近いことが畏れ多く、不覚にも・・・・・」

(佐伯たちは何をやっているのだ、早くしないと入鹿に悟られてしまう)中大兄は、焦った。

「やあっ」

佐伯と葛城が現れ、中大兄の前を通り過ぎようとした時、葛城が槍に足が絡んで転倒した。

その瞬間、中大兄は、笏を懐に収めるや否や、槍を拾い上げ、

「私が、やる、どけ」

 と、素早く走り出で、呆然と立ちすくんでいた佐伯をどけ、入鹿の前に立ちはだかった。

「入鹿、覚悟!」

「中大兄皇子、一体・・」

 入鹿は、恐怖で顔から血の気が引いていた。

「しらばくれるな、お上の地位を奪わんとしていること、知れているぞ」

「畏れ多くも、この私が、お上の地位を奪うなどと。助けて下され」

 入鹿は、笏を片手に持ちながら、後ずさりして、皇極の前まで、助けを求めて行こうとした時、

「ヤーッ」

「ギャッ~。・・・気がふれたか、皇子」

 葛城が、剣を抜いて、猛然とやって来て、背を刺した。

 続いて、佐伯が片足を斬った。

 入鹿の足から血が吹き出し、板の間に飛び散った。

 中大兄たちも、返り血を衣冠束帯に浴びた。

 入鹿は、這って皇極の前になんとか辿り着いた。

「お上・・、皇位に坐すべきは、天の御子です。私に一体何の罪があるというのでしょうか。無念です。よくお調べください」

 中大兄は、さらに入鹿にとどめを刺そうと剣を抜いた。

「皇子、もうやめよ。なぜこのようのむごいことを」

 中大兄は、床に伏して、

「入鹿や一部の蘇我一族は、ことごとく大王家を滅ぼして、皇位を傾けようとしました。どうして、天孫を渡来人の入鹿たちに代えられるでしょうか」

「よしなに」

 皇極は、席を蹴った。

 周りにいる群臣たちは、壁際で震えながら、皇極を見送った。

「騒がないで下さい。また、この部屋から一歩たりとも出ることを禁じます。わかりましたか」

 鎌足が、群臣たちに向かって言った。

 わずかにどよめいたが、反論する者はだれ一人いなかった。

 霧雨が舞っている中、近習の者が、筵を運んできた。

「上がって、入鹿を運べ」

 葛城が、自分を奮い立たせるように怒鳴った。

 中大兄は、佐伯と葛城達に官吏たちの見張り役として残し、門外に待たせておいた兵を率いて、飛鳥寺に入った。

「殿下、古人大兄皇子様は、既に館に戻って、門を閉め、戦の準備をしているようです」

 鎌足が、報告に来た。

「いつの間に。しばらく、様子を見るように」

 と伝え、すぐにを呼び、入鹿の死骸を蝦夷の館に送りつけるよう命じた。

 鎌足たちは、既に寺を砦として防備を固め終わった。

「殿下、大極殿にいた官吏たちが、我々の援軍として、兵を伴ってこちらに向かっているそうです」

 身に甲冑をつけた中大兄が、戦闘態勢に入るよう下知した。

 古人大兄は、息を切って屋敷に戻っていた。

 すぐに、門を兵で固めるよう近習に命じた。

 妻が、白湯を持ってきた。

「皇子、どうされたのですか」

 古人大兄は、甲冑を身に着け終わったところだった。

「あの百済人石川麻呂の奴が、入鹿を殺した。蘇我の内部対立を中大兄が、煽っている。悲しいことだ」

「中大兄様が、なぜですか」

「政を牛耳っている帰化人たちを排除して、皇位に就くのが目的であろう。我々も危ない。女どもにも、準備させよ」

 古人大兄の屋敷内は、戦闘態勢に入った。


 一方、蝦夷は、配下のと呼ばれる渡来一族全員を集め、陣を張らせていた。

 お互いに、相手の出方をしばらくの間見守っていた。

「殿下、敵は怯んできたようです。この機を逃さず、敵に降伏するよう使者を送ってはいかがでしょうか」と鎌足が、具申した。

巨勢臣徳太こせのおみとくたを呼べ」

 中大兄は、巨勢に使者を命じた。


巨勢臣は、蝦夷の館前に松明を持った兵で、取り囲み、叫んだ。

「誰か、おらんか。拙者、巨勢臣徳太。無駄な抵抗せずに、門を開けよ。天地開闢より、お上に逆らうは、賊である。この戦、抗戦の挙に出ても、勝てる見込みはない。武器を捨て、門を開けよ。そうすれば、命だけは助けてやる」

しばらくして、門が開き、一人の男が出てきた。

「拙者、大臣の臣下のと申す。我々の命を救うことに偽りはないな」

「しかと」

「分かった、しばらく待て」

 高向国押は、門の中に戻り、兵たちを集めて言った。

「この戦、たとえ徹底抗戦しても勝ち目はない。俺は、戦わないでここから去る。去る者は、敵は見逃すと言っている。皆のもの好きにしろ」

「蝦夷様は、如何申されているのだ」

「蝦夷様には、言ってはおらん」

 と言って、高向国押は剣を置いて、門に向かった。漢直たちも続々と後に続いた。

 それを知った蝦夷は、もうこれまでと、翌日、館に火を放って、自決した。

 蝦夷の死により、蘇我大臣家宗家は滅亡した。


中大兄は、皇極に呼ばれた。

「このようなことが起こったのは、残念です。これから、あなたが皇位を継承するのが必然です。頼みます」

 中大兄は予想もしなかったので、返答に詰まった。

「お上、しばらく考えさせてください」

 中大兄は、次第に嬉しさがこみあがってきたが、それを押さえながら大極殿を退去した。

 朝堂の元大臣の部屋に戻って、この度功労のあった重臣たちを集めた。

 そして、皇極から皇位の譲位の話があったことを伝えた。皆喜んでいた中で、鎌足の顔が険しいのに中大兄が気付いた。

 皆が帰った後、中大兄は、鎌足に本意を聞いた。

「殿下、古人大兄様は、殿下の兄上、軽皇子様は、殿下の叔父君であられます。古人大兄様がいらっしゃるのに殿下が大王に着かれたら、人の弟としての謙遜の心に反することになりましょう。しばらくは、叔父君を立てるのが良いと思います。いかがですか。反旧勢力から、今回の改新が個人的な権勢力欲かと見られるのは、今は避けねばなりません。当分は、計画してきた改新政治に専念するために、軽皇子様に継承させられたら良いでしょう」

 中大兄は、考えた。

「お上が引退したら、‘皇祖母尊’という称号を贈り、殿下は、皇太子になられるのがよろしいかと」

中大兄は、鎌足の具申を受け入れ、皇極に奏上しに大極殿に上った。

「お上、天位に着かれるのにふさわしい人は、軽皇子様でございます。私ではございません」

 中大兄は、皇極に軽皇子を推挙した。


 翌日、皇極は軽皇子、中大兄そして、古人大兄を呼び、軽皇子に皇位を継承するよう求めた。

しかし、軽皇子は、再三固辞し、言った。

「古人大兄皇子は、先の大王の御子であられます。また、年長者です。よって、古人大兄皇子が、天意に着くのがふさわしいと思います」

 中大兄は、古人大兄を凝視した。

 すると、古人大兄が、座を降りた。

「お上の勅旨に従いましょう。どうして、私に譲ることがありましょうか。私は、出家いたします、そして、仏道を極める所存です」

 と言って、剣を床に置いて、部屋を出て行った。

(これでよい。古人大兄も恐れをなしたか)

中大兄は、生前の入鹿が推挙していた古人大兄を、何としても朝廷から遠ざけておかなければ、自分が計画した改革が思う通り運ぶことができないと危惧していた。


 翌日、軽皇子は、大極殿の壇に上った。

壇の右左には、金の襷をかけた大伴連馬養、君が立った。

百官の臣、連、国造、伴造そして、百八十部たちは、列を作って、軽皇子即ち、大王に即位した孝徳大王を拝んだ。

式典が終わるや否や、中大兄は、中臣鎌足を伴って、今まで練ってきた新体制を孝徳に上伸した。

孝徳は、今回の蘇我一族を打倒した立役者である中大兄に従わざるを得なかった。

十九日、中大兄は、敵対する反対派を抑え込むために、大極殿の庭に群臣たちを集め、大王に従順することを約束させた。

そして、皆に告げた。

「帝道は、一つである。しかしながら、末代には人の情けが崩れ、君臣は秩序を失った。天は、我の手を借りて暴虐の徒を誅滅した。今ここに誠心を持って共に誓う。今後、君は二政を行わず、臣は二心を持たない。もしこの盟約に背けば、鬼神や人が誅滅する」

 大化元年の幕開けであった。

 皇極は、中大兄の妹、間人皇女を皇后とし、別に妃二人を娶った。

新政府は中大兄が、政策立案機関と政務執行機関の両方を統轄して走り始めた。

 中大兄と鎌足は、二人の国博士の助言を得ながら、政策を次々と立案し、左右大臣に執行させたが、立案した政策が民衆にいきわたらないことに焦りを感じていた。

反対派と孝徳が、それを阻んでいるとの噂が中大兄の耳に入った。

 鎌足を呼んで、いかにしたらよいかを尋ねた。

「殿下、右大臣の倉山田石川麻呂殿に、お上の橋渡しをしてもらったらいかがでしょうか」

「よかろう、頼む」

 また、孝徳と左大臣の阿部内麻呂のラインを政略的に朝政の前面に押し立てることにして、鎌足は、その実行に腐心した。

 それでも、鎌足は不安であった。

「殿下、まだまだ、新政府は盤石でありません。反政府派や地方豪族を一日も早く押し込む必要があります」

「名案はあるか」

「はい、一石二鳥の策があります。名門の大夫を選んで東国のに任命したらいかがでしょうか。これで、宮廷の臣や連たちは改新派になびくでしょう」

「そうだな、東国には、屯倉、子代や名代が多いから早く手を打った方が良いな。早く我々の基盤を磐石にしなければならん」

 

 朝堂に僧を呼んで、今後のことについて相談した。まずは、地方にいる反対派を抑えるために孝徳に国宰への詔を発することにして、その案を僧旻に命じた。

 翌日、

「古より、大王の御世ごとに、名代の民を置いて、御世にその名を伝えた。臣、連、国造たちは、自分の民を置いて欲しいままに使ってきた。また、山海、林野、池、田を自分の財産としてきた。今後は、臣、連、国造たちは、まず自らの分を収め取り、それから民に分けることにする。今後は、『上を敬い、下を益す制度を守り、民を傷つけないこと。今なお、貧しい人民に、勢力のあるものは、田畑を貸し与え、搾取してはならない。そして、勝手に主人となって、人民を支配してはならない』以上、くれぐれもこのことを守るべし」と書かれた大王の詔を持って、諸国に使者が走った。

 諸国の民たちは、喜んだ。

「さすが、今度のお上は今までと違う」

「いや、中大兄皇子様だ、蘇我氏を滅ぼしただけの御器量があるのさ」

 明日は、正月元日という切羽詰まった年の暮れ、中大兄の館では、朝から鎌足、左大臣の阿倍仲麻呂、右大臣の蘇我倉山田石川麻呂、国博士の旻法師そして、が集まって、明日発する詔について、打ち合せていた。

 外が闇に包まれ始めた。

「私が、お上に奏上したのちに、右大臣にこの詔を読み上げていただきたい」

「殿下、承知いたしました」

 

翌日、大化二年(六四六)正月元日。

朝廷では、恙なく賀正の礼を終えると、直ちに昨日完成した改新の詔を群臣たちの前で、石川麻呂が読み上げた。

「改新の詔でございます。一、屯倉や臣・連・国造の所有している田を廃止する。二、一定の調や仕丁の徴発、三、官人の給与の改革 以上」

 引き続き、大極殿に孝徳は中大兄及び大臣たちを集めていった。

「詔を発する。一、屯倉を国家のものとする。二、首長による古墳の築造を禁ずる。三、朕及び首長らの支配下の部民を国家の民として、部民制を廃止する。皆の者、地方の豪族たちまで徹底するように」

皆、ひれ伏した。


時は過ぎ、白雉三年(六五二)の夏。

 難波の地に、雨が降り続き、川は氾濫し、田は水浸し、崖は崩れ、家々はつぶされ、多くの人や馬が死んで行った。

 このような時期に、中大兄は、孝徳に戸籍法を上申した。

「お上、この法は、五十戸を里とし、里ごとに長一人を置きます。戸主にはすべて家長をあてます。戸はすべて五家でを作り、一人を長として互いに見張らすのです。これによって、安定した国が作れます。」

「皇子、国宰に使者を使わそう。下がってよい」

 孝徳は、腹が立ってきた。

(私は、中大兄皇子の言いなりではないか)

 一方、中大兄は、大化の詔から七年、やっと苦労が実ったと喜んでいた。

 その後も、中大兄は、独断で政を推し進めて行った。

 

 白雉五年(六五四)、孝徳は心身の苦労のため、難波で寂しく息を引き取った。

 中大兄は、孝徳の死を知り、皇極に再度皇位についてもらうよう上申した。

 皇極は、中大兄が皇位を継承するのが順当であると固辞していたが、再三にわたる中大兄の説得で、皇極は、名を代え斉明として即位した。

 半年後、飛鳥の岡本に宮殿が完成し、斉明はそこに移った。

 斉明は、これをはじめにいろいろな土木工事に手を出した。

 まずは、香具山から石上山まで溝を掘らせ、それに水を通し、舟二百隻に石上山の石を運ばせて、岡本宮の石垣を造らせた。

 石垣の完成から間もなく、斉明の岡本宮が炎上した。

「誰が火付したのか、皇子、徹底的に探しなさい」

「お上、承知しました」

(改新の詔の意味が無くなってしまう)

 中大兄は、斉明が自分の気持ちを察してくれないことを苦々しく思っていたところ。

「皇子、新しく吉野に宮を作るから手配をしてください」

 またしても、斉明がわがままを言ってきた。

 中大兄が斉明に関する国内問題に振り回されている間、中国、朝鮮半島情勢は激動していた。

斉明が遣唐使を派遣したところ、唐は東征の準備に入っており、遣唐使たちは

長安に抑留されてしまった。

百済は、唐と新羅の軍によって、挟撃された。

百済の使者が、斉明に支援を求めに宮殿を訪れた。

その時、中大兄は水時計(漏刻と呼ばれていた)を造っていた。

「殿下、帝がお呼びです」

 近習の者が、息切れぎれにやってきた。

 大極殿に中大兄は急いだ。

 斉明が、朝鮮半島の情勢を説明して、

「皇子、出兵します。準備しなさい」と、中大兄に命じた。

「お上、承知いたしました」

 中大兄は、大規模な動員に一年余り準備を要し、そして、斉明と伴に、筑紫の朝倉宮に軍を進めた。

 しかし、斉明は、旅の疲れから病を患い、床に臥せってしまった。

「皇子、私はもうだめです。後を頼みます」

 斉明の顔は、やつれて生気を失っていた。

「気をしっかりお持ちください。ごゆっくりお休みになればお元気になります」

 中大兄は、斉明の命がもう長くはないことを悟った。

それから毎日、祈祷師が、斉明の平癒を祈り続けたが、その甲斐も空しく、五日後、斉明は崩御した。

中大兄は、皇位を選ばずまた自身は、称制という形で実権を握って政治を代行することにし、まず、博多湾岸にを造営し、そこで大本営として指揮を執った。

「比羅夫、頼んだぞ」

「唐と新羅の軍を蹴散らして見せます」

中大兄は、を大将軍に命じ、百七十隻の大軍を朝鮮半島に送るとともに、日本に人質として来ていたを再建した百済の王に任命した。

 二人が帰った後、中大兄が鎌足にいった。

「鎌足、これで安心じゃ」

「お上、まだ油断は禁物でございます」


 六六一年正月、中大兄は皇位についてと名のった。

 天智天皇の誕生である。

 三月、朝鮮半島では、百済は新羅軍に攻められ苦戦をし、日本に援軍を求めてきた。

 天智から将軍に任命された阿倍比羅夫は、二万七千人の兵を率いて出発した。

 百済では、豊璋が福信と対立しこれを斬る事件を起こしたものの、日本国の援軍を得た百済復興軍は、百済南部に侵入した新羅軍を駆逐することに成功した。

百済の再起に対して唐は増援の水軍七千の兵を派遣した。

唐・新羅連合軍は、水陸併進して、日本国・百済連合軍を一挙に撃滅することに決めた。 

百七十隻の水軍は、熊津江に沿って下り、陸上部隊と会合して日本国軍を挟撃した。

阿曇比羅夫は、天智に援軍を要請するために使者を日本に送った。

「比羅夫は一体何をやっているのだ」

「唐と新羅が手を組んでいるので、手強い相手になっています。早く、援軍を送らないと彼らは全滅してしまうでしょう」

「鎌足、援軍はどうする」

「海に強いを大将として送り込んだらいかがですか」

「わかった」

使いの者に書状をもたせて廬原君の所へやった。

 天智は、駿河湾を手中に収めていた豪族の廬原君を将軍として、一万の兵を送った。

日本国と百済連合軍は、白村江への到着が十日遅れたが、皆相手をのんでかかっていた。

唐軍は、既に船軍の配置を終えていた。

その状況を知っていたにもかかわらず、

「我等先を争はば、敵自づから退くべし」と比羅夫は、号令を発し、

唐・新羅連合軍のいる白村江河口に対して突撃した。

しかし、日本国軍は三軍編成をとり四度攻撃したが、干潮の時間差などにより、六六三年、唐と新羅水軍に大敗した。

百済復興勢力は崩壊した。白村江に集結した千隻余りの日本国船のうち四百隻余りが炎上した。

九州の豪族であるも唐軍に捕らえられた。

白村江で大敗北した日本国水軍は、各地で転戦中の日本国軍および亡命を望む百済遺民を船に乗せ、唐水軍に追われる中、やっとのことで帰国した。 

 天智は、白村江の敗戦を聞いて愕然とした。

「奴らは、勢いに乗って、攻めて来る。何とか、防がなければ、皆殺しに会うぞ。鎌足、どうしたらよいか」

「帝、ここは敵が上陸してきそうな所に城を築き、防戦態勢を万全にしなければなりません」

「わかった、そうせよ、細かいことはお前に任せる」

鎌足は、北部九州の大宰府のや瀬戸内海を主とする西日本各地に古代山城などの防衛砦を築かせた。また、北部九州沿岸には、多くのを配備した。

次々と、百済から兵士や亡命の民が、瀕死の状態で舟に乗り込んでやって来た。

 各地で転戦中の倭国軍の兵士や亡命を希望する百済遺民を船に乗せ、唐水軍に追われる中、百済から王族が倭国に亡命し、日向の国に漂着した。

 王族の一行は二艘の船に乗って瀬戸内海に入り、安芸の国(広島)の宮島に着いたが、追っ手を恐れて筑紫(福岡)に向かった。船はあらしに遭って流され、一艘は日向の金ケ浜、一艘は高鍋の蚊口浜に漂着した。

 金ケ浜が禎嘉王一行、蚊口浜がその子・福留王の一行であった。

 禎嘉王ていかおうらは、すぐに向かうべき土地を占ったところ、西方七、八里によい土地があると出たので、そこへ向かい、神門という地に、一方、福留王らは、西方の比木という土地に着いた。

 日向の神門や此木の人々は、うわさでは聞いたことがある朝鮮半島の人間に恐怖感を持った。

「見知らぬ人間がこちらにやって来たぞ」

「この辺の人間じゃなさそうだ」

「朝鮮半島の百済という国から逃げてきたと言っている」

「そう言えば、朝鮮半島の百済に援軍を出した我が国は、唐という国に戦争で負けたそうだ」

 時がたつにつれて、百済王たちと村人たちはお互いに文化や文明を吸収しようとしていた時、新羅の軍勢が日向の浜辺に上陸したとの知らせが、漁師から村長に届いた。

「なんだって、新羅が攻めてきたって、大変だ。禎嘉王にすぐ伝えなきゃ」

 村長はすぐに禎嘉王の所に走った。

「よく知らせてくれた。我々は新羅の軍勢と戦わなければならぬ。おまえたちは、その間どこかに隠れるのだ」

 次に村長は、豪族の益見太郎に知らせた。

「分かった」

 益見太郎は、大宰府に使者を飛ばした。

 平和に暮らしていた村人たちは、どうしたらよいのか右往左往した。


 大宰府からの文を読んだ中臣鎌足は緊急事態に驚き、すぐに天智に報告した。

「帝、日向に百済王を新羅の追っ手が上陸したそうです」

「なに日向だと」

 天智は慌てた。天智と鎌足は日向に敵が攻め入ることを全く想定していなかったのだ。

「大宰帥に至急、防人を日向へ出陣させて、追っ手のひとりたりとも生かして返してはならぬと命じろ。鎌足、日向を支配している豪族は誰だ?」

「益見太郎です」

「至急、益見太郎にも追っ手を殲滅させるよう命ずる文を送れ」

 天智の声が、震えていた。

「帝、王たちはいかがいたしましょうか?」

「敵に分からぬように、何処かに隠れてもらうか。いや、負けた責任を取って処刑するか」

「それはいかがなものでしょうか。そうすれば、我が国の兵たちだけでなく我々も処刑しなければなりませぬ。また、王たちを処刑するだけでは、唐は黙っているはずがありません。この機会を利用して、唐新羅軍は我が国を攻めてくるでしょう。帝、ここは唐新羅軍と一戦を交える覚悟を持たなければなりません。王たちから敵の唐新羅軍について、くわしくお聞きになってはいかがでしょうか?」

「わかった。王たちをここに連れてくるよう手はずしてくれ」

 

 この時すでに戦は始まっていた。 

 比木にいた福留王は、急を知って小丸川に沿って渡川から鬼神野を経て神門に入り、父禎嘉王を助けて戦い、苦戦したが、天智の命令で土地の豪族益見太郎が食料や援軍を出したり、村人たちも味方になって戦ってくれたおかげで、追っ手を撃退することができた。

 しかし、禎嘉王は敵の矢に打たれて戦死してしまった。

 嘆き悲しむ福留王は村人たちの力を借りて、塚の原に禎嘉王を埋葬した。

 村人たちが新羅軍に勝った福留王たちを労い、飲めや踊れやの宴が催されていた時、太宰府から防人が到着した。

「しかし、このような山奥まで新羅軍が攻めてきたとは驚きだ。侮れぬ相手だ」

 防人の頭が、部下に言った。

 頭は、村人に益見太郎の所に案内してもらった。

「遅かったな。まずは飲め」

 益見太郎が、盃を頭に渡した。

「この度の益見太郎殿の活躍は、大宰帥に報告いたします」

「俺は朝廷の命令で、ただ福留王たちを応援しただけだ。これからおまえたちはどうするんだ」

「飛鳥岡本宮に連れていくように命じられている」

 益見太郎は防人の頭を伴って、すぐに福留王の所に行って、その話をした。

 福留王は頷いた。

 数日後。

「みなには、大変世話になった」

「みんないっちゃうのか。寂しくなるな」

 福留王たちは益見太郎と村人たちに別れを告げて、村を後にした。

 村人たちは、福留王たちが見えなくなるまで手を振っていた。

 その後、神門の村人たちは、神門神社に禎嘉王を祀り、福留王も比木の人々に崇敬され、比木神社に祀られた。

 百済王たちは防人たちに守られて、無事飛鳥に着き、後年、彼らの活躍により、朝廷は彼らを重んじるようになった。

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