信じて欲しい
昨日の続きです。
『あの男』というのが、誰のことを示しているのかなんて、話の流れからすぐにわかった。
「貴方、最初からそれが目的だったのか?」
「うん? それって?」
「惚けるな! 誰に雇われた」
「王妃ちゃんの話、難しくって私にはわかんないやぁ〜」
そのまま踵を返そうとしたランタナの腕を今度は私が掴む。
「待て、このまま返すと思うか」
「なら、どうするつもり? 言いたくないけど、王妃ちゃんの言葉ひとつでユリー様が私を罰するとは思えなぁい」
「──ッ!」
ランタナの堂々とした態度と図星をつかれたことによって、思わず手を離してしまった。
「うふふっ、賢い王妃ちゃんなら、絶対わかってくれるって思ってたよぉ! じゃあね」
にっこり笑うと何事もなかったように颯爽と書庫から出て行ったのだった。
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ランタナが王宮に来てから二ヶ月が経とうとしていた。あの発言を受けて、私は彼女に監視を付けて他国に雇われた暗殺者であるという証拠を見つけようとした。だが、上がってくる報告は特に怪しいことなどなかった。
彼女は陛下に用意された自分の部屋と私の執務室、陛下の部屋、それから書庫を行ったり来たりしている生活をしているようだった。私からすれば、書庫に入り浸っていること自体が怪しいが、それを陛下に報告したところで特に問題にはならないだろう。
あの女、軽率そうでいて中々用心深いようだ。
この二ヶ月間の調査で気になることといえば、陛下へ料理を振る舞うと言って包丁で手を切ってしまったことくらいだ。
あの時は本当に大騒ぎだった。
会議中にも関わらずランタナの怪我の報告を受けて、陛下は飛び出して行ったのだ。その場に残された私が、臣下たちの好奇な目に晒されながら何とか会議を終わらせた。
結局、陛下が帰ってくることはなかった。
その一件のせいで、私に『側室でもない女に寵愛を奪われた王妃』という不名誉な肩書きが加わってしまったのは、ある意味当然のことだろうと思う。
だが、今そんなことはどうでもいい。
ランタナが間者という証拠はないが、あの発言から陛下が狙われることは決まっているのだ。
だが、陛下がいつ狙われるのかはわからない。今この瞬間に狙われる可能性だってある。
もう時間がない。
証拠がないだなんて言っていられない。
「ラルーシィ、陛下に先触を出してくれ」
この件を報告しないという選択肢は、私にはなかった。例え陛下が信じてくれないとしても‥‥‥。
「お前のために態々時間を取ってやったんだ。余程重要な話なのだろうな?」
そうでなければ許さない。
陛下の態度は、そう語っていた。
背筋を伸ばして陛下を見据える。
「人払いまでありがとうございます。重要な話ですので、急ぎ陛下に伝えようと思い時間をいただきました」
「要件だけ端的に述べよ」
「わかりました。では、端的に述べます。ランタナの件ですが、本当に信頼出来るのでしょうか?」
「なに?」
あからさまに嫌悪感を示されたが、ここで負けてはいけない。
「矢張り聖女鑑定を拒否するのはおかしいです。何か後ろ暗いことがあるのでは?」
「ランタが聖女であると偽っていると? 何を言うかと思えばくだらない。彼女は我を救った恩人なのだぞ。鑑定など受けなくても、聖女であることは明白だろう」
「はい、私も彼女の力を疑っているわけではありません。瀕死の陛下を救ったのですから。私が言いたいのは、彼女がその力を利用して陛下に取り入り、命を狙っているのではないかということです」
瞬間、バンと大きな音を立てて陛下が机を叩いた。その衝撃で机上のインクが溢れたが、それを気にする様子はない。
「己が何を言っているのかわかっているのか!」
「訳もわからず、このようなこと言いません」
「そこまで言うのなら、証拠は揃っているのだろうな」
「‥‥…以前二人きりで話した時に言われたのです。一緒に陛下を殺そうと」
「真逆、そんな‥‥‥」
手で顔を押さえた陛下に信じてくれたのだろうかと、淡い期待をする。しかし、その期待は次の瞬間には裏切られた。
「お前が嫉妬で、虚偽の報告をするなんてな。そこまで落ちたか」
「陛下は、嫉妬で私がこんな馬鹿げた嘘をつくと、本気でそう思っているのですか?」
「ならなんだ。お前のその話を信じて、ランタナを死刑にでもしろと? それこそ馬鹿げている」
「そんなこと言っていません。私はただ、陛下に警戒心を持って欲しいのです」
「なるほど、そうやって、我とランタナの間に不信感を抱かせて、関心を己に向けさせるつもりだな。浅はかで愚かな女だ。話がそれだけなら、下がれ。不愉快だ」
陛下が怒号した時、部屋の扉が勢いよく開いた。人払いしていて、誰も入れないようにと言っておいたはずなのに突然入ってきた人影に驚く。それは部屋を警備していた近衛騎士もそうだったらしく、慌てた様子で許可もなく入ってきた女‥‥‥ランタナを引き止めていた。
「すみません、陛下。止めたのですが‥‥‥」
「よい、お前はもう下がれ」
陛下の感情の無い言葉に、近衛騎士は一礼すると下がって行った。残ったランタナは何時ものように無遠慮に近づき、私と陛下の間に入ってくる。
「ユリーさまぁ、王妃ちゃんをあんまり虐めないでよぉ〜」
「‥‥‥君が庇うような奴ではない」
「そんなこと言うなんてぇ〜、ユリー様、酷い〜」
「酷いのはこの女だ。君のことを侮辱した」
陛下は再び私の方を冷たい目で睨んだ。
「私は必要な報告をしただけです」
「まだ言うか!」
「‥‥‥陛下ぁ、侮辱って何のことぉ〜?」
腕を組んで首を傾げたランタナは、とても可憐だった。自分の美しさをわかっている人の見せ方だ。
「アメリアが‥‥‥君が暗殺者ではないかと、そう言ったんだ」
「暗殺者ぁ〜?」
「我は全く信じていないがな」
「なぁんだ、そんなことかぁ。それなら、私のせいだね王妃ちゃん。ユリー様、私が王妃ちゃんに紛らわしいこと言っちゃったんだぁ」
「紛らわしいこと?」
陛下の眉がピクッと動く。私は、ランタナの予想外の言葉に黙って続きを聞く。
「そう、殺したいほど憎い男が昔居たって言う話をしたんだぁ。聖なる力を持つ私が、こんな感情持っちゃいけないよねぇって、相談に乗ってもらったの。王妃ちゃん、その男をユリー様
と勘違いしちゃったんだねぇ。でも、私の話をそんなに真剣に考えていてくれたなんてぇ、嬉しい!」
「どうやら、アメリアが早計だっただけのようだな」
「陛下、どうしてランタナの話は無条件に信用するのですか? この者は嘘をついています」
「まだ言うか! 呆れた。お前はその髪と同じように中身まで醜いのだな。ランタナはお前のことを思って聖女鑑定を辞退したと言うのに」
「ユリー様、そのことは‥‥‥」
「ランタナ、君は黙っていろ。二度と馬鹿なことを言わぬように、このことはアメリアにも伝えておいた方がいい」
陛下の軽蔑したような顔とランタナの仕方ないような笑みを交互に見て、どうしようもなく嫌な予感がした。
「何の話ですか?」
「本当に何も知らないのだな。聖女鑑定を拒んだランタナが怪しいと、さっきお前は言ったが、ランタナはお前のためを思って辞退したのだぞ」
「私のため?」
「正式な聖女と認められれば、お前が王妃の座を降りることとなる。ランタナはそれを憂いて、辞退したのだ。しかも、それを知ればアメリアが気にするからと、このことを公表しないようにと我に懇願までした」
咄嗟にランタナを見つめた。彼女の顔は苦笑いのような照れ臭いような、そんな表情を浮かべていた。
女の目的がはっきりした。
この女は矢張り陛下の命を奪うつもりだ。
暗殺者としては、実行が遅いと思っていたが、なるほど、陛下の信頼を得て油断させてから殺すつもりか。
恋は盲目とはよく言ったものだ。いつもの陛下なら、こんな簡単なこと直ぐに気がつくのに。
「それが、ランタナの作戦だと、何故気がつかないのですか?」
「この期に及んで、まだ疑うというのか」
「陛下‥‥‥」
「話にならん、出て行け」
心底軽蔑したというような陛下の態度に、これ以上話しても逆効果だと私は部屋を出たのだった。
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どっと疲れた気持ちで侍女たちと歩いていると、後ろからトコトコと騒がしい音がする。
「王妃ちゃーん、送って行くよ」
そう言って、ランタナは私の直ぐ隣へ来て腕を絡めた。それを見ていたラルーシィが眉を顰める。
「王妃殿下に無礼ですよ!」
「ええっ〜、でもぉ、ユリー様は私の好きに接して良いって言ってくれたよぉ」
「──ッ!」
陛下という言葉にラルーシィの言葉が詰まる。ラルーシィが私を優先したくても、王宮に仕える者は陛下に逆らえないのだ。
「ラルーシィ、もう良い。私は気にしてない」
「‥‥‥出過ぎた真似をいたしました」
そう言うとラルーシィは静かに後ろへ控えた。
「満足か」
「うん?」
「何もかも自分の思い通りに動いて、満足かと聞いている。今回の陛下のことだって、貴方の望み通りになったろう」
暗に陛下を殺しやすくなったと伝えれば、ランタナはきょとんとした。次いで楽しそうに笑い、腕の力を強めた。
豊満な胸が腕に当たり不愉快だった。
「やっぱり何か勘違いしてるよ、王妃ちゃん。私の目的はね、王妃ちゃんが考えているようなことじゃないよ。もっと、ずっと、その先のことが目的なんだよ」
「その先‥‥‥?」
「ふふっ、ねぇ、この前の話、改めて考えておいてね」
いつの間にか自分の部屋の前に戻ってきていた。ランタナはそれを見計らったように颯爽と去って行ったのだった。
ランタナは常に笑ってる女です。