鬼塚
"鬼塚" という島長に会うには、ここ五十嵐区から親衛組が治める親衛区まで歩いて行かねばならない。
幸いにも五十嵐区と親衛区は隣同士のため、1時間ほど歩けばたどり着く事が出来る距離らしい。
そこへ行くまでの面子は五十嵐、伊吹、つかさ、正之助の4人だ。
伊吹は親衛区に着くまでの付き添いである。
道中、つかさと正之助は町並みや景色を楽しむこともなく黙々と歩いた。
つかさは過去のフラッシュバックのせいで道のりを楽しむ気にはなれないし、正之助は別れを決意したために明るい気持ちになれない。
そんな2人を知ってか知らずか、五十嵐は親衛区に着くまで明るく話題を振ったりしている。
伊吹は昨日から2人の様子が暗いことに気付き、余計な事は口走らないよう気を付けていた。
45分ほど歩いた時、伊吹が2人に声をかけた。
「すぐそこが親衛区です。ほら。」
そう言って彼が指差した方を見れば、親衛区の入口である大きな門があった。
そこに門番が何人か立っている。
そのうちの2人が門を通る人々の通行許可証を確認していた。
少しの間、列に並ぶ。
順番が来ると、五十嵐は門番らに島長直筆の手紙を見せたようだ。
そして問題なく門を通り抜けると、町並みの向こうに大きな城が見える。
「さあ、もうすぐ鬼尊城だ。あと少し頑張ってくれ。」
体力に自信のある2人は1時間歩いたくらいでは疲れなかったが、五十嵐は彼らを気遣った。
「鬼尊城……、あの大きな城のことですか?」
つかさの問いに五十嵐は大きく頷く。
「いかにも。あの城は先祖が残した島の宝だ。今からあそこで鬼塚様に謁見する。」
つかさはその言葉に少し身を固くした。
そのまましばらく歩いていれば、城門が目に入る。
再び門番に手紙を見せる五十嵐。
すると、城の方から1人の女鬼が現れた。
「お久しぶりです、五十嵐さん。」
ゆるくウェーブしている金色の無造作ヘアが特徴的な女は、五十嵐の知り合いらしかった。
「おぉ、紬か。久しいな! ここには馴染んだか?」
「おかげさまで。」
紬と呼ばれた女は柔らかく微笑んで会釈した。
「さ、案内します。こちらへ。」
そうして城の中へ案内され、たどり着いたのは広い大きな部屋だった。
「こちらが謁見の間になります。」
"謁見の間"と言うらしいこの部屋には、玉座のような椅子以外は物が一つもない。
「我々組長には、毎月組長会議というものがあってな。その集まりにはいつもここが使われている。」
五十嵐はそう説明しながらその場にドカリと胡座をかく。
それに続いて、正之助とつかさも床に座った。
数分経っただろうか。
正座をしたつかさは、足が痺れてきたのを感じていた。
すると。
「待たせたな。」
バタンと扉を開ける音を鳴らしながら謁見の間に入ってきたのは、天女のような女だった。
絹糸にすら見える赤い髪をなびかせながら、玉座のような椅子へと颯爽と歩く。
そして豪快に足を開きながら、どっかりとそこへ腰掛けた。
そして膝に肘を置き、前のめりな体制でつかさを見た。
「私が島長の鬼塚だ。よろしく頼む。」
その声は女性のものにしては低く、謁見の間を包み込むような威厳があった。
「……!」
「……女ぁ?」
つかさと正之助は驚きを隠せない。
五十嵐が言っていた島長と、目の前にいる人物とが同一人物なのか疑わしいからだ。
2人の想像ではもっとイカつい男が出てくるものだと思っていたのに。
まさか絶世の美女が現れるとは想像だにしていなかった。
そんな彼らの驚きを尻目に鬼塚は話出す。
「今日来てもらったのはほかでもない。人間の客人に礼をしたいと思ってな。」
つかさはやや緊張していた。
島長が彼女に礼をしたいと言っていることは聞いていたが、鬼を殺してしまったことに後ろめたさがあったからだ。
そのつかさを気遣ってか、鬼塚は彼女を見ながら丹精に微笑んだ。
「そう畏まるな。もっとリラックスしていい。」
「……は、はい。」
「お前、名は。」
「龍崎つかさです。」
「つかさ、か。良い名だな。」
「ありがとうございます。」
「今回、通り魔をやったのはお前で間違いないな?」
「は、はい。」
「良いだろう。つかさ、お前に提案がある。現在、五十嵐組の一番隊隊長の席がさきの通り魔の被害により空いていてな。その席に、つかさ、お前が就いてみないか。」
「なっ、なんですと…!?」
五十嵐も初めて聞いた話らしく、驚きを隠しきれていない。
「……はい? あの、すみません。隊長…ですか?」
思わず聞き返すつかさに、鬼塚は微笑んで答える。
「そうだ。私はかねてより人間の部下が欲しいと思っていてな。特にお前のような強い女は好きだ。なに、今すぐ決めろとは言わん。人間階層での暮らしもあるだろうしな。あちらの暮らしと、こちらでの成功、天秤にかけてどちらが有意義か決めてくれ。」
「……いえ、あの。私は、向いてないと思います。隊長ということは、人の上に立つ仕事ですよね?」
その言葉にしばし考える素振りを見せる鬼塚は、五十嵐に向き直って聞く。
「……。五十嵐、今の一番隊の隊員数は?」
「……100人程度ですが……。」
それを聞いて再びつかさに視線をやった。
「100人の隊士の上に立つ仕事だ。確かに生半可な覚悟では務まらん。だが、お前が誰よりも強くあろうとするなら、下のものはお前に付いてくるだろう。」
"誰よりも強く"。
その言葉につかさがピクリと反応するのを正之助は見逃さなかった。
「おいおい鬼塚さんよぉ。こいつは血ぃ見るとトラウマを思い出すような普通の女なんだわ。悪いがこいつは日本に帰らせてもらうぜ。」
「……なんだ貴様は?」
鬼塚はつかさに向ける表情とは打って変わり、厳しいそれを正之助に向けた。
もっとも、その威嚇は正之助には通じないが。
「谷正之助。マサでいいぜ。そんなに人間の手下が欲しいなら俺がなってやろうか? 腕ならつかさより立つんで心配すんな。」
ニヤリと笑いながら息巻く正之助を忌々しそうに見つめる鬼塚。
少しの静寂を、つかさの声が遮った。
「ちょ、ちょっと何言ってんの。マサも一緒に帰るんだから。」
「それは俺が決めることだ。」
「はぁ?」
先ほどはつかさを日本に帰すと勝手に答えておいて、自分のことは自分で決めるという。
いつもと違う身勝手な振る舞いに、つかさは違和感を覚えた。
「つかさが普通の女かどうかを决めるのはつかさ自身と、私だ。貴様には聞いていない。トラウマは克服できるものだしな、瑣末な問題だ。」
鬼塚が正之助に言い返し、つかさに向き直る。
そしてそのまま彼女に話しかけた。
「つかさ、悪い話ではないだろう。熟考してくれるか?」
「……考えては、みます……。」
「助かる。もし帰るにしても、お前には今後の滞在中は最高の待遇を約束しよう。」
「いえ、そんな悪いです。ただでさえ良くして貰っているのに。」
「気にするな。こちらも好きでやっている。」
「……。」
満足気な鬼塚の手前、つかさは何も言えなくなってしまう。
つかさをこれ以上危険な目に合わせたくない正之助は至極不機嫌だ。
「今日は泊まっていくと良い。つかさ、また夜にでも話をしよう。日本のことを聞かせてくれ。」
「え、はい。それは構いませんが……泊まってしまって良いのですか?」
おずおずと言った様子で聞き返すつかさに、鬼塚はまたも微笑んだ。
「言っただろう。最高の待遇を約束する、と。何も気にすることはない。お前は私たちの仇を討ってくれたのだから。」
そう言った後、鬼塚は五十嵐に真顔で向き直る。
「五十嵐! お前とお前の部下も今日はここへ泊まっていけ。部屋まで案内させる。紬、いるか!」
「はい。」
呼ばれたのは先ほど、この謁見の間まで案内した紬という女鬼。
「客間まで案内してやれ。つかさにはデカい部屋を用意しろ。」
「はい、分かりました。それでは参りましょう。」
案内されたのは、それぞれの1人部屋だった。
途中、外で待機していた伊吹も合流し彼も1人部屋へ入って行った。
大きな城ということもあって客間は余っているらしい。
部屋の内装は和風だが畳ではなく木の床だった。
座布団と小さな机が置いてあり、夜に使う布団が既に用意されていた。
つかさはだだっ広い部屋ですることもなく、隊長に就くかどうかについて考えようとしている。
しかし思い出されるのは隊長の話でも、昨日殺した男の顔でもなく、13年前の事件のこと。
肉塊になった正之助の父親が、頭から離れないでいる。
居ても立っても居られなくなり、つかさは隣の正之助の部屋に行くことにした。
一旦部屋の外に出て、少し廊下を歩けば正之助の部屋がある。
つかさは襖越しの正之助に声をかけた。
「マサ、入っていい?」
「……おぉ。」
若干の間があったが、正之助はそれに応じた。
つかさが部屋に入ると、正之助は彼女の顔色をチラリと観察する。
それはとても良いとは言えないものだった。
なぜそうなのか、だいたいの予想はつく。
つかさは正之助を見るが、彼は既に視線を戻した後だった。
正之助は窓に寄りかかり外の景色を見ながら煙草をふかしている。
つかさは主人の居ない座布団の上へと座った。
しばしの沈黙が部屋を包み込む。
先に口を開いたのは正之助だった。
「……俺はここに残る。お前、日本に帰れ。」
「……。残るって……そんなの、ここの人達が受け入れてくれるか分からないじゃん。」
「さっき五十嵐のオッサンに聞いた。隊長になるかどうかはともかく、隊士として雇うくらいは出来るらしい。隊士になりゃ1人で生きてく分の金くれぇは貰えるんだと。」
「そ、それなら私だってここにーー」
「やめとけ。お前には無理だ。日本に帰って、良い男でも捕まえろよ。」
突き放すようなその言葉に、戸惑いを隠しきれないつかさ。
「なんで……そんなこと言うの…。」
「なんでもこうもねぇよ。思いの外ここが気に入っただけだ。だから、お前は帰れ。」
話しながら、つかさと正之助の視線は一度も交わることはなかった。
「……っ!」
つかさは思わず駆け出して襖を荒々しく開ける。
そしてそれを閉めることなく、自分の部屋へと駆け込んだ。
強く強く、自身の部屋の襖を閉める。
そして、崩れ落ちた。
正之助の言葉はつかさを拒絶するそれだった。
もうお前とは一緒に生きないと、明確に別れを告げる言葉だった。
つかさは静かな部屋で1人涙を流す。
何分そうしていただろうか。
襖にもたれかかったままの体制で、背中が少し痛み出していた。
涙は止まり、やや腫れぼったい瞳を上に向けて窓を見る。
茜色の夕日が部屋を照らしていた。
その時、襖越しにつかさを呼ぶ声が聞こえた。
「つかさ様。鬼塚が貴方様とお話をしたいとのことです。ご用意して頂けますでしょうか?」
おそらくその声色からして先程の紬という女鬼だろう、とつかさは思った。
「はい、すぐ出られます。」
何事もなかったかのように立ち上がり、襖を開けた。
「ありがとうございます。ご案内致します。」
紬に着いて歩いて行き、木造のレトロなエレベーターに乗り込む。
紬がバーを上に上げると、エレベーターはゆっくりと上へ動き出した。
ポーン。という特徴的な音と共にエレベーターの扉が開く。
数メートル前方に大きな扉が見えた。
その扉に向かって歩き出し、紬が部屋をノックする。
「つかさ様をお連れしました。」
「入れ。」
その声を聞き、紬が美しい所作で重々しい扉を開けた。
つかさが部屋に一歩入る。
中にはキングサイズほどの大きなベッドが1つと、小さめのテーブルが1つ。
そして箪笥がいくつかならべられていた。
鬼塚はテーブルを囲む3つの椅子のうち1つに座っている。
「紬。茶を。」
「はい。」
紬はつかさを通り過ぎて奥の給湯室のような場所へ消えて行った。
扉の近くで突っ立っているつかさに、鬼塚は声をかける。
「こっちへ来い。」
そう言って自身の隣の椅子へ招く。
つかさはそれに従いテーブルへ近づき、椅子へと腰掛けた。
「日本には警察という機関があるらしいな。どういう連中だ?」
唐突な質問に戸惑いながらも、つかさは答える。
「市民の安全を守ってくれています。」
「我々鬼ヶ島では、その区の組長率いる隊士達が治安を守っている。日本と比べて、治安は悪いか?」
「そんな事はないと思います。むしろ、隊士さん達と町の人々の距離が近いように感じます。」
鬼塚はその後もいろいろな質問を投げて寄越した。
主に日本についての質問だった。
話が一区切りついた頃、鬼塚はつかさに視線をやった。
「それで? お前は何故そんな顔をしている。隊長就任の件はそんなに荷が重たかったか?」
つかさはすぐに、自身の腫れた目のことを言われていると気づいた。
じっとつかさを見つめて問う鬼塚に、しどろもどろになるつかさ。
「えっ……と。……隊長の件は確かに荷が重いんですが……この目はそのせいではないんです…!」
「ん? では何のせいなのだ。」
「あの……、マサと少し……ありまして。」
「何? あの無礼な男か。全くこれだから男というやつは。」
そう言いながら忌々しそうに舌打ちをする鬼塚は、つかさに向き直ると優しい笑みを浮かべて再び話し出す。
「何を言われたか知らんが、そう気にするな。男の戯言など話半分で聞いておけばいいのだ。」
「……はい。」
頷くも、全く表情の晴れないつかさに痺れを切らした鬼塚は、椅子にふんぞり返ってつかさに問う。
「全く。一体何を言われたのだ。私に話してみろ、ん?」
「……。実は……ーー」
つかさは思わず正之助との間にあったことを話してしまった。
鬼塚に突っ込まれて過去にあった出来事もすべてを曝け出した。
話終わった途端、言い知れない羞恥心がつかさを襲った。
「ふむ……。まぁ、あの男の言い分も分からなくはない。つまりはお前を守りたいのだろう。だから危険な仕事もある隊長などに就かせたくないのだ。」
「だからって……私を遠ざけようとしなくてもいいのに……。」
「ま、その辺は奴にしか分からん領域だろう。もう一度しっかり話をしてこい。」
「……はい。」
「お前が過去に囚われているのは、あの男を傷つけたくないという恐れが原因だろうな。」
「恐れ…ですか?」
「そうだ。その恐れを克服すればお前は過去から解放される。つかさ、過去をーーもう起きてしまったことを恐れるな。お前には、それを乗り越えるだけの力があるはずだ。」
「私に……乗り越えられるでしょうか……。」
「神だの運命だのと言われる奴らは、その者が乗り越えられる試練しか与えないらしい。もっとも、私は神も運命も信じてはいないがな。」
クスリと笑いながら言う鬼塚の言葉に、つかさは胸がスッと軽くなるのを感じた。
「もう一度、マサと話してみます。」
「そうしろ。」
そうして一息ついたと思いきや、鬼塚が大きな声を上げた。
「おぉ! 良いことを思いついた!」
「……??」
突然のことに驚くつかさを見やる鬼塚。
「あの男とお前、2人で隊長をやるのはどうだ!!」
「……は、はい?」
「お前たちはどうせ想いあっているのだろう? それならば、2人で鬼ヶ島に住めば良いではないか! 日本でずっと生きづらい思いをしてきたらしいが、ここでは頭痛や吐き気には襲われなかったろう?」
目を爛々と輝かせながら言う彼女に、つかさは若干引いている。
が、確かにつかさは鬼ヶ島ではそれらの症状を感じなかった。
「確かに…、人混みにいても、大丈夫でした。」
「こちらの階層の方が肌に合っている人間というのが稀にいるのだ。そういう奴らは人間階層では苦労する。お前のようにな。あの男もこちら側へ来れたという事はこの階層ともそこそこ相性が良いと見た。それならば、いっそ2人でこちらに移住すれば良かろう。」
意気揚々に話を広げていく鬼塚にの様を、慣れた様子で紬が指摘した。
「鬼塚様、話が飛躍しすぎています。」
「ん? そうか。良い案だと思ったんだが。」
しかしつかさは一瞬引いてしまったものの、その提案がなかなか良いものに思えてきた。
「あの……、その2人で隊長をやるという案、保留にしておいてはもらえませんか。」
「……!」
その時鬼塚は、今日1番良い顔のつかさを見たのだった。