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階層

次の日。


つかさと正之助は、伊吹が部屋へ朝食を届けるまで熟睡していた。


「無理もありません。慣れない土地に迷い込んだのですから、疲れていて当然です。」


そう言う伊吹は夜通し仕事をしていらしく、眠っていないようだった。話を聞くと、クルージングスタッフの捜索隊に入っていたようだ。


「それで、見つかりましたか?」


つかさが朝食の箸を止めて伊吹に問う。

すると彼は難しい表情になった。


「そのことですが……。実は"ある島"の近くで、血痕の付着した船が沈没しているのを発見しました。恐らく、3人目の人間は……。」


その先の言葉は、彼の表情を見るにたやすく想像できた。

おそらくクルージングスタッフは亡くなったのだろう。

つかさと正之助の表情も固くなる。

しかし本当に彼が死んだとすれば、余りに謎が多い。


記憶にある限り昨日は晴天だったはずだ。

嵐でもないのに何故船は沈没した?

血痕が付着していたのは何故か?

伊吹の言っている"ある島"とは?


2人の納得がいかない顔を察してか、伊吹が声をかけた。


「詳しいことは、このあと組長室で話しましょう。組長室の場所は覚えていますか?」


「あぁ。昨日、五十嵐のオッサンが糞丁寧に部屋まで案内してくれたからな。」


「お、おっさ……。」


正之助の失礼な物言いに、伊吹が信じられないと言った様子でたじろいだ。

そこに苛立ちなどは決して含まれない。

しかし昨日の様子から察するに、伊吹は五十嵐を慕っているように見えた。自分の尊敬する人物をオッサン呼ばわりされて驚くのも無理はないだろう。

それでも怒りを露わにしないところが、伊吹の性根の良さを感じさせた。


「ごめんなさい。もともと口が悪いだけで、悪意は全くなくて…。」


「あん?」


申し訳なくなって謝るつかさだったが、正之助にはその理由がよく分からないらしかった。


「い、いえ。大丈夫です。それでは、朝食を食べ終わったら組長室までお越し下さい。食器類はそのままで。後で部下に片付けさせます。」


「悪ぃな、何から何まで。」


「とんでもございません。それでは後ほど。」


伊吹はそう言うと、昨日のように美しい所作で部屋を後にした。

つかさと正之助はしばらく無言で朝食を食べる。

お互いにこの先の事を考えているのだろう。

船が沈没したとなれば帰る足がなくなってしまったということ。

状況は絶望的だった。

仮に五十嵐のはからいで船を準備してもらえたとしても、彼らにそこまでする義理があるのか甚だ疑問だ。





朝食を終えた2人は組長室に来ていた。

五十嵐は昨日のように大きな身体で机の前に座っている。

伊吹は彼の2人分程離れた場所で待機しており、その横には巻物や書物が積まれていた。


「さて。それでは話そうか。今後についてと、この場所について。心の準備は良いかな?」


そう穏やかに言った五十嵐に、つかさが答える。


「お願いします。」


「うむ。まず、初めに階層の話をしておこうか。」


「階層?」


五十嵐の言葉に正之助が眉をひそめながら問う。


「そうだ。この地球には、無数の階層が存在している。天階層、霊階層、精霊階層、魔階層、深階層などだ。それぞれの階層に様々な生物や霊的存在が生息している。人間階層もそのうちの1つ。

そしてここ、獣人階層に君達は迷い込んだ。自然発生したポータルを通って。」


ポータル。昨日も聞いた単語をつかさは繰り返した。

五十嵐は分かっていると言わんばかりに頷き、言葉を続けた。


「ポータルというのは、階層同士を繋げる出入り口のようなものだ。月に1度か2度、決まった場所に自然に発生する。

君達は運悪く、そのポータルが開いていた日にこちら側へ来てしまったわけだ。

ここまでの説明で、何か分からないことは?」


間髪入れずに正之助が答える。


「まず、その階層ってのが分からねぇな。

お前ぇらだけがそのことを知っていて俺たちはそんな話聞いた事もない……つまり、信じるに値する情報かどうかも疑わしいぜ。

だいたい、地球って限られた場所の中で、どうやってそんな色々な存在が共生できる?」


「そうだ、君の言う通り、共生は難しい。だから階層というものに分けられた。」


「分けられた…? そんな事ができる奴がいたってのか? いつ、どの時代だ?」


「階層が分けられたのは、はるか昔だ。君達や我々の先祖が、同じ姿形だったかも分からないほど、な。実際にそれをしたのは天階層の者だと言い伝えられている。」


「……。」


正之助は、あまりに現実離れした話に頭が痛くなるのを感じた。

それでも情報が必要な以上、2人は黙って話を聞くしかない。

五十嵐は再び、穏やかな表情で話し始めた。


「階層のいうのは、基本的にお互い干渉することは出来ない。

今回のようにたまたま迷い込んでしまわない限りはな。

それには上下関係もなく、ただそれぞれの層が存在しているだけだ。」


つかさと正之助にとって、今までの常識では考えられない事だ。

難しい顔をして話についていくのがやっとだった。

それを察してか、五十嵐が努めてゆっくりと説明をする。


「それぞれが、それぞれの(まく)の上で生きていると言えば少しは分かり易いだろうか。地球に、いくつもの膜が存在し、その上で我々は生きている。」


ぽつりと正之助が呟く。


「……。そして、自分のいる膜以外は認知できない。ってわけか?」


「あぁ、その通りだ。

先程、君は階層の事を知らないと言ったな?

詳しいことは分からんが、人間階層の権力者がそれを隠している可能性はある。もしくは、本当に忘れ去られてしまったかのどちらかだろう。」


話に一区切り付いたところで、少しの沈黙が流れた。

そこで伊吹が思い出したように言う。


「あの、人間階層には、幽霊が見える人や妖精が見える人などはいませんか?」


唐突な質問に、一旦思考を止めたつかさが答えた。


「母が、いろいろ見たり感じたりするタイプの人です。私はそういうのは全くありませんが。」


「幸か不幸か、彼らのような人達は違う階層を認知できてしまう能力が備わっているのです。つまり、幽霊が見える人は霊階層を見ており、妖精が見える人は精霊階層が見えてしまっているわけですね。」


伊吹の説明に、ふと思い付いた事を問う正之助。


「この階層が見える奴らはいんのか。」


それに答えたのは五十嵐だった。


「それがまさしく、君達だ。そもそも、この階層を認知出来ない人間であれば迷い込むこともないだろう。エネルギーが違いすぎて、近寄れないからな。ただ我々の階層は人間階層と性質がよく似ているため、認知できる者が"見える"を通り越して"迷い込む"という結果になってしまうんだ。」


「なんだそりゃ。何で急に"迷い込む"にぶっ飛ぶんだよ。」


「うーむ。そう聞かれても、そういうもの……としか説明ができんなぁ。」


少々困った様子で声を絞り出す五十嵐。

つかさは自分達の置かれている状況を理解しはじめていた。

驚くことばかりではあるが、受け入れるしかないことを察する。


「まさか、鬼ヶ島が本当に存在した島だったなんて…。」


ぽつりと呟いたつかさに、五十嵐が思い出したように声を上げる。


「そういえば昨日、君たちの国に鬼ヶ島の物語があると言ったな。

恐らくこの階層に迷い込んだ人間が作った物語なのだろう。

他にも幽霊や天使、魔法使い、人魚……君達の階層で空想上の生き物とされてきた存在が、地球には実在している。それらは、その階層に迷い込んだ人間や、見えてしまった人間が言い伝えてきたのだろうなぁ。」


なるほど、と妙に納得するつかさ。

それと同時に、わずかに高揚した。

自分の知らない世界がこの地球上にはまだまだたくさん存在するのだと。

自分の価値観や固定概念が、どれだけ小さく脆いものだったのかを思い知る。

その上で、つかさは今後の話をしなくては、と考えた。

やや下にやっていた視線を五十嵐に戻し、言葉を発する。


「階層についてはなんとなく分かりました。とにかく、ここが獣人階層で、次にポータルが自然発生するまで帰れない。

ですが先程、伊吹さんから船が沈没していた事を聞きました。私たちには、もう帰るための手段がありません。」


「そこは心配いらない。一ヶ月後に我々の船で責任を持って君たちを送り届ける。」


つかさの申し出に、五十嵐は当然というように答えた。

が、正之助がそこに食ってかかる。


「何故そこまでする?」


正之助は最悪の状況を考えていた。

五十嵐らからの支援がなくなれば、2人にとって生きるか死ぬかの問題になってくるからだ。

だからこそ、何故彼らがそこまで援助してくれるのか裏付けが欲しかった。


「それが規則だからだ。……まぁ、それは半分建前だが。」


五十嵐は一度言葉を区切ると、再び話し始めた。


「要は、私たち鬼人(きじん)は人間が好きなのだ。人間も鬼人も姿形が似ているだろう? だから、人間と鬼人・獣人は同じ祖先から生まれたと信じている者も多い。鬼人が昔、獣人と懐をわかつ前は日本と国交もしていたしな。」


「え、国交……?」


思わず聞き返すつかさ。

五十嵐はそれに大きく頷き話を続ける。


「鬼の話が日本に浸透しているのはそのせいだろう。鬼人と、獣人の狐族は特に日本との交流が多かったのだ。1200年ほど前だったか。」


「たしかに、狐が人間に化ける伝承もある……。1200年前っていうと、平安時代のあたりかな…?」


そう呟くつかさに、そのばすだ、と返す五十嵐の話を聞き、ある程度納得した正之助。彼は次に気になっていた事を問うた。


「なぁ、ここは獣人階層なんだよな? でもアンタらは鬼人だろ? 鬼人の階層ってのはないのかよ。」


「もっともな質問だ。

実は、鬼人も元々は獣人の一種だったのだ。

昔は鬼の獣人とされており、ルタルガ王国に鬼族(おにぞく)の里もあった。

しかし今から1000年ほど前、王国と対立してしまった鬼族は里を追われてこの鬼ヶ島にたどり着いた。そして、いつしか我々は"鬼族"という名を捨て、"鬼人"として生きるようになる。まるで"獣人"とは違う生き物であるかのように。」


正之助はその答えに、へぇ、と呟く。

自分で聞いておいて、興味のなさそうな返事をするのが彼の癖だった。

そして正之助はそのまま次の質問を問う。


「だいたいの事は分かった。それで、船で勝手に出て行った奴が死んだってのは、確かなのか?」


「うむ。伊吹、地図を。」


伊吹が無駄のない所作で、自身の横においてあった巻物を机へ広げた。

五十嵐がその地図に載っている、ある島を指差す。


「ここが鬼ヶ島だ。その周りにいくつか小さな島があるだろう? 君たちの船が見つかったのはこの島、鬼ヶ島から1番近い島の辺りだ。」


五十嵐の言う通り、鬼族の周りには6つの小さな島が点在していた。そのうちの1つを五十嵐が指で指し示す。


「この島が何なんだ。」


「少し昔話に戻るが……。ルタルガ王国と対立した際、我々の先祖は鬼ヶ島へ流れ着いた、と言ったな。その時、鬼ヶ島ではなく他の島々にたどり着いた者達もいたのだ。彼らはその小さな島の中に文明を築く事ができず退化してしまった……、人の血に飢える"化け物"へと。」


「!」


"化け物"という単語に正之助の眉がピクリと動いた。

つかさは話を頭の中でまとめ、一つの答えを導き出す。


「つまり、その島にはまだ退化した鬼人が生きている…と?」


その問いに、五十嵐が声を低くして答えた。


「この島だけではない。鬼ヶ島の周りにある6つの島、全てに奴らは居る。退化した鬼人の末裔、"野良鬼"だ。」


その深刻な顔つきを見て、つかさは自分が"野良鬼"に遭遇せず良かったと心底思った。

そして無意識に声のトーンを落としながら、クルージングスタッフについて問う。


「じゃあ船と、乗っていた彼は……その野良鬼に……?」


「そう考えるのが妥当だろう。沈没船を見つけた後も捜索は続けたが、島を捜索した際にこちらも野良鬼によって大きな被害を受け、それ以上の島の中は捜索困難だと判断した。もし3人目の人間が生きてあの島に上陸していたとしても、手負いの状態では……まず生き残れんだろう。」


つかさは、昨日の伊吹の意味深な発言を思い出した。

ーー鬼ヶ島の(・・・・)鬼達は、人間に友好的ですので。ーー

そういうことだったのか、と1人で納得する。

五十嵐が申し訳なさそうに頭を下げた。


「すまない。死体を返してやることもできず。」


「いや、もともと俺らは奴と親しい間柄って訳じゃねぇ。

 奴に道連れにされなくて良かったと心底思ってるぜ。」


ややドライな正之助の物言いは、五十嵐を気遣ってのことだった。

もっとも、それに気づいたのはつかさだけだったが。


「そうだったか。」


そう言って頭を上げた五十嵐に、つかさも詫びの言葉を入れる。


「こちらこそすみませんでした。私たちがしっかり見ていれば、そちらも被害を被らずに済んだのに。」


「いや、気にしないでくれ。不足の事態というのは、起きる時には起きるのだ。仕方がない。せめて君達だけは、必ず日本に返すと約束しよう。次のポータルが開く1ヶ月後まで、この隊舎で過ごして貰うことになる。不便があったら言ってくれ。」


とりあえず自分達の身の安全は確保された2人。

つかさは深々と五十嵐に頭を下げた。


「何から何まで、ありがとうございます。」


正之助はたった一言。


「悪ぃな。」


悪気なく態度がデカくなってしまうのが正之助という男だった。

しかし五十嵐や伊吹は嫌な顔をひとつもしていない。

それどころか、わずかに微笑んでさえいる。

つかさは、本当にいい人達に出会えた…と安心した。


すると五十嵐が思い出したように声を出す。


「あぁ、そうだ。3人目の人間が死んでしまった為、私は罰として隊舎で1週間の謹慎処分になったのだ。何か分からないことや不便があれば、この1週間はいつでも居るのですぐ頼ってくれ。」


「え…そうなんですか…!?」


驚いたつかさに、五十嵐が言葉を続ける。


「そう言う決まりなのだ。昨日も言ったが、この地に一度でも入り込んだ人間に何かあれば、組長責任となって罰が下る。」


「随分と厳しい決まりがあるんだな。」


呆れたように正之助が言ったが、五十嵐は当然だといった態度をとる。


「そうでもないさ。最近はルタルガの方で人間階層と獣人階層を繋げようとする動きも出てきている。もしそれが現実とれば、その時までに我々は人間と友好的な関係であることを示しておく必要がある。」


「繋げるって…そんな事可能なんですか…? というか、そしたら階層を分けた意味がないんじゃ……。」


つかさが疑問に思ったことを問えば、大きく頷いて答える五十嵐。


「まぁ、ごもっともな意見だ。危険因子が色々とあるため、すぐに繋がることはないだろうが、互いの階層にとってメリットもある。まぁ、今すぐにという話しではないから気にしないでくれ。」





話を終えた後、2人は伊吹に五十嵐区の案内をしてもらうことになった。

五十嵐区から出ることは出来ないが、付き添いがあれば区内を自由に歩いて良いそうだ。

これから1ヶ月ずっと隊舎に篭りっぱなしなのは流石に気が滅入るため、2人には大変有難い申し出だった。



町へ出てみれば、昨日の夜の景色とはまた違った雰囲気が漂っていた。それでも町の鬼達の活気は昨日と変わらない。

歩いて町並みや鬼達を見ていれば、1つ気づくことがあった。

町の鬼達はほとんどの人が刺青をしていたが、たまに刺青を入れてない人も通りがかることだ。


そこで、そういえば伊吹も刺青を入れてなかったな…と思ったつかさは昨日のことを思い出す。

門で秀さんを迎えた時に羽織を羽織る際、袖なしの浴衣からチラリと彼の肌が見えたのだ。

彼は、確かに刺青を入れていなかった。

今は芥子色の羽織に隠されているその腕を、つかさは見やる。


そしてそのまま伊吹に問うた。


「あの。そういえば、伊吹さんも刺青を入れていなかったですよね。」


伊吹はふとつかさを振り返りキョトンとした顔をすると、あぁ、と声を上げた。


「そうですね。気になりましたか?」


「はい。さっき2人ほど刺青の無い方が通りかかったので。」


「鬼ヶ島では、成人すると男も女も刺青を入れるしきたりがあるのです。私ももう少しで成人なので、ようやく入れられます。」


嬉しそうに言う伊吹に、つかさと正之助は顔を見合わせる。

伊吹は中性的な顔立ちで若く見えるものの、決して成人していないようには見えなかったからだ。

伊吹はどう見ても、20代の顔立ちのそれだった。


「伊吹さん……大人っぽく見えるって言われません?」

「お前、老け顔って言われるだろ。」


2人の声が重なった。


「えっ?」


伊吹は豆鉄砲を食らったような顔をした後、笑い出した。


「あはは! なるほど、確かに人間は寿命が短いですからね。

鬼人や獣人の寿命は300〜500歳ほどです。鬼が大人として認められるのは100歳になってからなんですよ。」


「100…!?」


「………お前、今いくつだよ……。」


「99歳です! あと半年で私もついに大人の仲間入りです…!」


ガッツポーズを取りながら目を輝かせる伊吹。

その姿を見ると余計に99歳には見えない。


「私が大人っぽいだなんて言ってくれるのは、あなた方だけですよ……。」


今度は喜びからなのか涙を溜めながら笑う99歳に、大きなカルチャーショックを受ける2人だったのである。


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