迷い込んだ先
正之助が先陣を切って、秀の手につかまりマングローブの根の上に引き上げてもらう。
つかさは正之助に、スタッフの彼は秀に引き上げてもらい、皆が船から下りることが出来た。
「さ、こっちだ。」
こちらの警戒心など気にしないと言わんばかりの澄んだ瞳で、秀は3人を案内した。
マングローブの根の生い茂った中を歩くのはなかなか難しい。
つかさは格闘技で鍛えた体がこんな所で役に立つとは、と思った。
ふと前を見れば、正之助が手で自分の方へ来いと合図している所だ。
つかさは言われた通り正之助のいる所まで体を近づける
すると小声で耳打ちされた。
「できるだけ近くに居ろ。なんかあったらすぐズラかるぞ。」
その言葉に"了解"と返しつつも、つかさは内心、目の前の秀という男をそれほど疑ってはいなかった。
あの人懐こい笑みに裏があるとはどうしても思えなかったのだ。
とはいえ不可解な点はいくつもある。
鬼ヶ島とはなんなのか。
ここは地図上のどこなのか。
そもそもなぜ遭難したのか。
目の前の男は人間なのか。
それとも本当に鬼なのか。
つかさは前を歩く秀の容姿を観察した。
額の3本の角は真ん中のそれが1番太く長い。髪は肩の辺りまで伸びており後ろで一つに結ばれている。
身長は正之助よりも少し高いだろうか。
しかしそれだけではなく横にもでかい。一目見て、その存在感が立派に発達した筋肉によるものだと分かった。
首は頭よりも太く、腕なんてつかさの太ももより太いだろう。
よく見れば、腕の刺青は鯉と桜の模様をしていた。
なかなか凝ったデザインで、まさにヤクザがしているそれと変わらないように見える。
そんな事を考えていると、ふと秀が正之助の方を振り返った。
「そういや、兄ちゃん。なかなか、イカした刺青してんなぁ。青葉区の奴らはそういうのしてんのをよく見るな。」
"青葉区"。
先ほど言っていた区切られた町の名前だろうか。
察するにこの鬼ヶ島にはいくつも町があるらしく、その町は東京のように"〇〇区"と言う表現をするようだ。
「そりゃどうも。」
良いとは言えない態度で返事をする正之助に、秀は臆することなく話しかける。
「まぁそう心配しなさんな。五十嵐組長は懐のでかい人だからのう。」
なにやら先程から"五十嵐"という単語がやけに出てくる気がしたつかさは率直に疑問を投げかけた。
「組長の名前も五十嵐なんですね…。」
「どこの区もそうじゃあ。五十嵐区をまとめるのは五十嵐組。青葉区をまとめるのは青葉組。竜区は竜組。普通ワシらには苗字がないが、組長に昇格した人らはその組の名を苗字として貰う決まりなんだ。」
「へぇ。…分かりやすい仕組みですね。」
「そうだなぁ。島長が今の長、鬼塚様に変わってからというもの、いろんな仕組みが変わって町同士のいざこざも減ってなぁ。獣人族との戦争も休戦状態で、平和になったもんだぁ。」
「は、え…? 獣人族?」
新たに出てきた信じられない言葉に、思わず聞き返すつかさ。
「そうさぁ、俺らは鬼族。そんで海を挟んだ国、ルタルガ王国に住むのが獣人族だ。お前さん達、迷い込んだのがここで良かったよ。
獣人の国じゃあ未だに人間を差別する奴もおるらしいからなぁ。」
どうやら本当にとんでもない所に迷い込んでしまったらしい。
つかさは隣の正之助からピリピリとした雰囲気を感じる。
終始怯えきっているクルージングスタッフも可哀想だったが、つかさはついにそれどころではなくなった。
「あの、ここはどこで、私たちはいったいどうすれば元の場所に帰れる……っ!?」
言い終わる前に、つかさは口を閉じた。
眼前に眩い光が広がったからだ。
一瞬目を閉じ、再び開ける。
するとそこには、活気溢れる鬼達の町が広がっていた。
マングローブを歩き終わったのだ。
頭上には数えきれないほどの提灯が吊るされており、夜にも関わらず鬼達の顔を明るく照らしている。
その表情はどれもが笑顔ばかり。
その中には子供もいた。走り回っている子供、いや、子鬼に通りすがりの大人鬼達が声をかける。
「家まで気を付けて帰るんだよ。」
「転ぶんじゃあないよ〜!」
「また明日も、おいでな。」
彼らはみんな袴を履いていた。
どうやらそれが彼らの民族衣装のようだ。
男性は秀のように袖なしの着流しに袴を合わせている人が多い。
女性は袖があったりなかったり、可愛い柄のものを着ていたり、男性よりもバリエーションが豊富なようだった。
「……鬼が…、いっぱい。」
あまりの光景に思わず言葉が漏れるつかさ。
正之助も茫然とその町並みを眺めていた。
「はっは。そりゃあ鬼ヶ島だからなぁ! さぁさ、こっちこっち。」
ここに来て初めて、ここが鬼ヶ島だとういう信憑性が増してしまった。
秀を追いかけて賑やかな通りを歩いていると、あちらこちらから声がかかる。
「あら秀さん、そちら人間の方達じゃないか!」
「どうしたんだい秀さん、人間なんか連れて羨ましい。」
「可愛いお嬢さんだねぇ、私も昔はこれくらい綺麗だったよ。」
「兄ちゃん人間のくせに良い刺青してんじゃねぇか!」
そして、あっという間に鬼達に囲まれた。
彼らの額の角は、3本の鬼もいれば2本の鬼もいるようだ。
囲まれて気づいたが、ここの鬼達はほとんどの人が和彫りの刺青をしている。
女性もたくさんの人が首や腕に大胆かつ美しい模様を入れていた。
「はいはい! みんな散った散った! お客さんがたが困るだろう!」
困ったように笑いながら、秀が周りの人をかき分けて前へ進む。
この秀という男、どうやら町の人間からの信頼が厚いようだった。
皆が口々に"秀さん、秀さん"と彼を呼ぶ。
なんとか人ごみを抜けると、"五十嵐組"と書かれた大きな木造の看板が目に入った。
「ここだよ。今の時間帯なら、五十嵐組長もまだいるはずだ。さ、行こうか。」
目の前には屋敷のような建物の門がそびえ立っている。まるで時代劇のセットのようだ。
その門を、秀が躊躇なく叩いた。
「ごめんくださーい!」
何度か門を叩くと、中から扉が空く。
「はいはい。今開ける……って、秀さんじゃないか。どうしたんだいこんな時間に。」
中から出てきたのは、中性的な顔立ちでおかっぱ頭の角2本の青年だった。
秀より細身で、パッと見るにまだ若いらしい。彼も袖のない着物に袴を履いており、今まさに芥子色の羽織を羽織る最中だった。
その際にチラリと見えたが、彼は体に墨を入れてはいないようだった。入れている人とそうでない人との違いは何か有るのだろうか。
「やぁ、今日の門番は伊吹くんか。人間の迷い人を御三方、連れてきたよ。五十嵐組長に通してくれるかい?」
秀のその言葉に、伊吹と呼ばれた青年は怪訝な顔をした。
「……。秀さん。それは良いんだけど、人間の方達は2人しかいないみたいだよ?」
ハッとしてつかさと正之助が後ろを見ると、クルージングスタッフ
が消えていた。
「あの馬鹿どこ行きやがった…?」
正之助がいつもよりさらに低い声で言う。
「もしかして、ここに来るまでの人混みではぐれた?」
つかさの言った事がおおむね当たっていそうだ、と正之助も秀も思った。
「あれまぁ、ワシも気が緩んどった。ちょいと探してくるから、伊吹くんは2人を頼むよ。」
秀はそう言うやいなや、人混みの方へむかって駆け出す。
「あ、おい!」
正之助の声は既に聞こえなかったらしく、彼はあっという間に鬼達に紛れて見えなくなった。
頼みの綱である秀がいなくて大丈夫なのだろうか。
そんな2人の思いとは裏腹に、伊吹はさわやかに声をかけた。
「では行きましょうか。安心して下さい。鬼ヶ島の鬼達は、人間に友好的ですので。」
その含みのある言い方に、つかさと正之助は眉を顰めた。
*
だだっ広い屋敷の奥へとずんずん案内された2人は、もはや門までの帰り方を覚えてはいなかった。
正之助は、あまりの広さに驚きを通り越して呆れてすらいる。
もう何度目かの角かどを曲がると、左手に一際綺麗に手入れされた庭が見えた。
青々とした松の木が月明かりに照らされながらたたずんでいる。
伊吹が右手にある襖の奥へ向かって声をかけた。
「組長! 迷い込んだ人間を保護しました! 開けて宜しいでしょうか。」
「おぉ、入ってくれ。」
襖の奥から、低く優しげな声が聞こえた。
伊吹が襖を開けると、部屋の中で秀よりもガタイのいい男が笑みを浮かべて座っていた。
男は伊吹と同じ芥子色の羽織を羽織っている。
案内されて入った部屋は、思っていたほど広くはない。
それどころか、よくある簡素な和室だ。
組長と呼ばれているからには豪華な部屋に居るのかと思っていたつかさ達だったが、少々拍子抜けする。
しかも男の手前にある机が男の体格と相まって、とても小さく見えた。
組長なら、もっと大きな机にしたらどうだろうか。
「君たちが迷い込んだ子達か。その辺に適当に座ってくれ。伊吹、お客さんに茶を。」
「は!」
活き活きとした顔で伊吹は襖を閉め、どこかへ行ってしまった。
恐らくお茶を入れに行ったに違いない。
この空間には"組長"と、正之助と、つかさの3人になった。
「私は五十嵐組・組長の五十嵐嵐だ。君達の名前は?」
五十嵐嵐。
早口言葉みてぇな名前だな。と正之助は思った。
自身を五十嵐と名乗った"組長"は、大きな体に牡丹の刺青をしている。迫力はあるが、想像していたよりずっと優しい目付きの男だった。
つかさはそれに少しの安堵を覚え、自己紹介をする。
「龍崎つかさです。」
「谷正之助。マサでいい。」
正之助は本名で呼ばれる名が嫌いだった。長ったらしくてダサいと思っているからだ。
しかし、まさかこの場でもそれを通すとは思わずつかさは内心焦る。
だが五十嵐はそんなことは気にせず2人に話かけた。
「ふむ、つかさくんとマサくんか!
それで、どうしてここに来てしまったか、2人は知らないんだな? ここがどこなのかも。」
「信じがたいですが、ここが鬼ヶ島だということは聞きました。私たちは、すぐにでも帰れればと思っているのですが。」
つかさは正直に自分達の気持ちを打ち明ける。
すると五十嵐は壁にかかっているカレンダーのようなものを見つめ、ペラリと1枚めくった。
ふむ、と呟くと、申し訳なさそうに2人に向き直る。
「すまんな、2人とも。次にポータルが開くのは一ヶ月後だ。それまでここで過ごしてもらうことになる。」
「一ヶ月? おいおい、電波のねぇとこに一ヶ月もいなきゃなんねぇのか? こっちは仕事があんだ。ポータルだか何だか知らねぇが、もっと早く帰らせてもらう。」
「マサ。」
苛立ちを隠そうともしない正之助を、つかさは控えめに咎めた。
が、当の本人はそれを気にせず話し続ける。
「そもそも、アイツが見つかんねぇと足がねぇのと同じだ。奴がどっかで野垂れ死ななきゃいいがな。」
吐き捨てられた正之助の言葉に、不思議そうな顔をする五十嵐。
「…? そのアイツ、とは?」
「……。私たちは船でここまで来たんです。その運転手がはぐれてしまって…。」
「では、迷い込んだ人間というのは3人だった訳か。」
その時、襖の向こう側から声がかかった。
「茶が入りました!」
先程お茶を入れに行った伊吹が戻ってきたらしい。
“入ってくれ"と言う五十嵐の声に、スッと襖が開いた。
「どうぞ。」
美しい所作で畳へお茶を置く伊吹。
2人はそれに礼を言う。
「ありがとうございます。」
「サンキュ。」
伊吹はその言葉に薄く微笑むと、すぐに表情を固くした。
そして2人の隣に並び五十嵐に向き直る。
「組長、報告があるのですが。」
「何だ?」
「実は、今しがた秀さんからの知らせで、彼らと共に来ていた3人目の人間が1人で海へ出てしまったようで…。」
五十嵐は途端に厳しい表情をした。
「はぁ?」
正之助が思わずと言った様子で声を上げる。その声色には苛立ちが多分に含まれていた。
「それはいかんな。ポータルが開かんことには、無闇に海を彷徨うだけだ。すぐに救助隊を出せ!」
「は!」
五十嵐の命令を受けた伊吹は、即座に部屋から出ていった。
伊吹を見送ると、五十嵐は再び2人の方を向く。
その表情は既に柔らかいものだった。
「ここは夜勤の隊員たちの仮眠室がたくさん用意されていてな。2人にもそれぞれ一部屋ずつ用意しよう。3人目の人間のことは夜勤の隊員に任せてくれ。見つかるまで捜索させよう。」
「助かるぜ。…あぁ、だが部屋は1部屋でいい。俺とコイツは一緒に住んでっから。」
「そうだったか…! では、そのように準備しよう!」
正之助の言葉に一瞬目を丸くした五十嵐だっが、すぐに優しい笑みを返した。
*
つかさと正之助は、五十嵐によって8畳ほどの部屋に案内された。
そこには既に2組の布団が敷かれている。布団の上には恐らく着替用の着物と袴まで用意されていた。
「隊舎の風呂を案内しよう。見張りを付けておくから、つかさくんから入るといい。さ、着替えを持つんだ。」
五十嵐は依然、風呂場までの案内をしてくれるらしい。
疑問に思った正之助が問う。
「なぁ。アンタこの区で1番偉い人なんだろ? その割には随分優しいじゃねぇか。部屋や着替えまで用意させて、そのうえ自分から隊舎の案内役を買って出るなんてお偉いさんがやることか? 俺たちはそんなに良くされても何も返せねぇぜ。」
「そう身構えなくて良い。これは鬼ヶ島の規則なのだ。」
穏やかに返答する五十嵐。
つかさは気になった所をもう一度問う。
「規則、ですか?」
「そうだ。鬼ヶ島法令・第11条"迷い込んだ人間を見つけた者は速やかに保護せよ"。……そういう決まりなのだ。そこに見返りは求めていない。我々の長が決めたことに、我々は従うのみだ。」
真っ直ぐな瞳の五十嵐。
つかさは取り敢えずの身の安全が確保されたらしいことを悟った。
しかし問題はまだある。
正之助がそれに切り込んだ。
「決まり、ねぇ。そもそもだ。ここは何なんだ? 鬼ヶ島なんて物語の中でしか聞いたことねぇ島だ。本当に帰る手段があるんだろうな?」
少々凄みながら言う正之助。彼もこんな事態でいつもの余裕がないのだろう。つかさも正之助の態度を咎める気力がなくなってきていた。
「帰る手段はある。約束しよう。だが一ヶ月は待ってくれ。」
「なんで一ヶ月なんだ? さっき言ってたポータルとかいうのは何だ。」
「ふむ、説明しなければいけない事は山程あるなぁ。」
五十嵐は顎に手を当てながら何かを思案しているようだ。
空を仰ぎながら、うーむ…と唸ったところで、2人を見やる。
「よし、2人とも。説明は明日、まとめてするのはどうだろうか。話すと長くなる。2人も疲れているだろうから、今日は風呂に入ってゆっくり休むのはどうだ。」
正之助はつかさをちらりと見え、彼女の疲労を危惧しその申し出を受け入れた。
「……とんずらこくなよ。」
「心配するな。丁重にもてなすのが、鬼ヶ島流だ。」
五十嵐は笑顔で胸を張り、言葉を続ける。
「3人目の捜索も任せてくれ。夜勤の隊員で捜索するので、今晩中か……遅くても朝には見つかるだろう。」
「あの、そのことなんですが。私達も何かできることはないでしょうか…。3人目の彼が街に戻ってる可能性もあるし、地上の捜索とか、なにか手伝えたら…。」
つかさの申し出に、五十嵐は困ったように答える。
「君たちは五十嵐の地で保護した人間達だ。原則として、五十嵐区の我々が責任を持って守らねばならない。万が一君たちに何かあれば私は罰を受けることになる。もう夜も遅いから、今晩はここで知らせを待ってはくれないか。」
「そういうことなら…。わかりました。大人しくお風呂に入ります。」
「助かるよ。さ、今度こそ風呂場へ案内しよう。」
*
案内された風呂場は、銭湯のようにいくつかのシャワーが備え付いていた。
大浴場はなく、代わりに外に大きな露天風呂がある。
五十嵐が言うには天然温泉らしい。
シャワーを浴びたつかさは早速、露天風呂がある外へと足を踏み入れた。
露天風呂の周囲には木々が生い茂っている。
その向こう側には背の高い竹でてきた目隠しがされており、安心して浸かることができそうだった。
つかさは湯に浸かりながら、緊張の糸が少しづつほぐれていくのを感じる。
こんな見ず知らずの土地でも安心して風呂に入っていられるのは正之助と一緒だからだろう。
彼は先程つかさが風呂に入る際も、見張りの者に睨みを効かせていた。
"覗きでもしたらぶっ殺す"とでも言わんばかりの瞳だった。
そういうふとした行動に、つかさは自身が守られている事を実感する。もちろんつかさだけでも、そこら辺の鍛えてない男に襲われたら返り討ちにするくらい訳ない。
それでも正之助のあのような行動が、精神的につかさを支えてくれていた。
と、同時に申し訳なさも感じる。
正之助だって知らない土地で余裕がないだろうに、つかさを気遣いながら身の振り方を考えているのだ。
疲れないわけがないだろう。
現につかさはすぐ人酔いするため、今までも何度も正之助に気を遣わせていた。
せっかく格闘技の教室に通い詰めて体を鍛えた割に、心の方は正之助に守られてばかりなのだ。
そこでふと、つかさは疑問に思う。
「……そういえば、ここに来るまでに囲まれた時は人酔いしなかったな。」
鬼ヶ島に着いてすぐ、秀さんに連れられて行く途中の事だ。
知らない土地で鬼の集団に囲まれて、それをかき分けながら進んだにも関わらず。
普段のつかさなら絶対に頭痛や吐き気に見舞われただろう。
だが、それが無かった。
つかさは"神経を張り詰めすぎていて、気付かなかっただけかもしれない"、という結論に至る。
そこまで考えて、つかさはありとあらゆる事に関する思考をやめた。
明日話を聞いて、それから考えよう。
今はただ、この夏の夜の風を感じていたかった。
*
部屋に戻ると、正之助が風呂場へ向かった。
つかさは布団の上で着慣れない着物の襟を整えた。
いや、正確には着物ではなく浴衣だった。
思い出してみれば、町の鬼達も中に襦袢などは着ていないようだったし、これがこの島流の着方なのだろう。
それとも冬になれば中に襦袢を着込むのだろうか。
そもそもここに四季があるのかさえ怪しいが。
風呂上がりの脱衣所で、赤い浴衣の上からなんとか白の袴を着用することができた。
ーー昔、弓道の体験教室で袴を着た時の記憶を辿ったのだ。ーー
ふと、つかさは思う。
そういえば、正之助は袴を履くことができるだろうか。
……いや、できないかもしれない。
しかし着れなければ見張りの人にでも聞いてどうにかするだろう。
そう思って布団の上でゴロゴロとしていること10数分……。
スパァンという小気味良い音を立てて襖が開いた。
正之助が浴衣を適当に着ただけの格好で、袴片手に"わからん、着せろ"と言ってきたのだった。
「いや、お風呂早くない?」
「別に。お前が長ぇんだろ。」
正之助としては、つかさを1人にする時間を出来るだけ短くしたくて急いで風呂から出たのだが……。
しかしそれを、恩着せがましくわざわざつかさに言う事でもないと思ったのだった。
つかさはその気遣いに気づき、"フフ"と笑う。
何だよ、と不満気に返す正之助。
別に、と返すつかさ。
「何だよ、言いたい事あるなら言えよ。」
「別に、ないって。」
「ま、あれだ。いま考えても仕方ねぇことは明日考えようぜ。今日はもう寝る。いいな?」
その言葉につかさは子供のような返事をした。
「はーい。」
そうして2人は並んだ布団に入り、眠りに落ちるのだった。