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邂逅

つかさの人生は後悔でできていると言っても過言ではない。

あの時こうしていれば。もしも自分がこうだったら。

そんな考えが脳内を渦巻き、後悔ばかりの人生だ。

現に今も彼女は後悔していた。今自分がここにいることを。


彼女が居るのは、最近話題となっているらしい飲食店。暖色系の照明に照らされた店内はがやがやと騒がしい。さらに目の前で繰り広げられる複数の男女の会話に耳を塞ぎたくなる。


そう。つかさは今、来たくもない合コンに来ていた。

きっかけは数少ない旧友からの誘いだ。本当は人付き合いなど一番苦手なことなのに、それを断りきれずに今に至るのだ。


あぁ、あの時この合コンを断っていれば…。もしくは自分が男嫌いじゃなかったなら…。そう後悔しながら、隣に座る幹事につかさは引き攣った笑みを浮かべ耳打ちする。


「ねぇ。私途中で迎えが来るかもだから、そしたら悪いけど抜けるね。」


「え?なんで?迎えって…アンタ彼氏いないんでしょ?」


意味がわからないといった様子でこちらを見てくる幹事に一瞬言葉が詰まる。

現に、つかさに彼氏はいない。この合コンを断れなかった最大の理由だ。



もしも、彼氏という大義名分があったなら。



この誘いを断れたというのに。


とはいえ、つかさの脳はそろそろ限界に達しようとしており、酒など一滴も飲んでいないのに先刻からガンガンと鈍い痛みが頭に響いていた。


「彼氏はいないんだけど、幼馴染が迎えに来ると思うから。」


そう素直に言えば、やはり意味不明だと言いたげな瞳がつかさを捉える。が、彼女はそれを無視してウーロン茶を口に含んだ。


「えー、なになに? つかさちゃん帰っちゃうの??」


目の前に座っていた男が、2人の会話を聞いていたらしい。

男は隣に椅子を移動させ、つかさに体を近づけた。


「ちょっと、近いんですけど。」


あからさまに嫌な態度を示してみせたが、名前も覚えていない男はそれを意にも介さない。

それどころかつかさの肩に腕を回してきた。逃げられないようでもするつもりだろうか。思わず手が出そうになるつかさだったが、ここが店内である事を思い出しなんとかその腕を振り払うだけに踏みとどまる。


しかし男は振り払われた腕を再度つかさの肩に回した。



嫌悪感から舌打ちが出そうになる。

ここが人目のない場所だったなら、こんなヒョロイ男なんて背負い投げしているところだ。と、つかさは思った。

実際、つかさにとってそれは現実的に難しいことではなかった。


「帰るなんていわないでさ、もっと楽しもうよ〜! つかさちゃんそれウーロン茶? せっかくなんだからお酒飲んでさぁ!ほら! なににする?」


そう言いながらズイッとドリンクのメニューを手渡されるが、彼女にとっては迷惑でしかない。


「いや、さっきも言ったと思いますけど、私お酒飲めないんで。」


「大丈夫だよ! なんかあっても俺が責任とって介抱するから!」


鳥肌が立つのを止められず、手にグッと力が篭る。

つかさは中学生の頃から、身を守るためありとあらゆる格闘技を習ってきた。

その上男嫌いなため、今までも不躾に男に体を触られたりなどすればすぐに手をひねってやっていた。

しかし、流石にここではダメだ。ここでは手をあげれば周りの客にも迷惑がかかる。

そう自分に言い聞かせながらこの場をどう切り抜けようか思考していた最中、聞き慣れた低い声が聞こえた。


「つかさ〜、お前ぇこんな奥のテーブルにいたのか。」


「あ、マサ。」


思わず顔が緩んだ気がしたつかさは、キッと隣の男を睨んで言った。


「じゃあ、迎え来たんで。帰ります。」


「え?……いや、え?」


男は困惑していた。と同時に、若干の恐怖を感じているようだ。


無理もない。つかさを迎えに来たという男"マサーー本名「正之助」ーー"のTシャツからは、首から左手の甲まで巻き付くように黒い龍の刺青が施されている。かき上げ風にセットされた前髪にはやたらと目立つ金のメッシュが入っており、側頭部は綺麗に刈り上げられていた。

スラリとした長身のせいもあって、その挑発的な風貌に誰もが目を奪われる。


先ほどまでされていた会話の応酬は止み、その場の空気がわずかに冷えた。


正之助が堅気の人間らしからぬ風貌をしているからだろう。

極め付けはその目つき。獲物を狙うようなギラリとした眼光がつかさの横を陣取る男に向けられた。


「……っ!!」


つかさは隣の男が息を呑んだのを感じる。正之助は捕食者の目をしたまま男に近づく。その度にザッ、ザッ、とスニーカーの音が鳴る。そしてそのまま怯える男の肩に腕を回し、これでもかというほど顔を近づける。


「なぁ、お前。なにつかさにべったりくっついてんだ? 食べてたもん全部吐き出されてぇの??」


「ひっ!! いやっ、俺はただっ…!!」


男はいつの間にかつかさから手を離し、両手を膝の上に乗せて縮こまっていた。そして決して正之助と目を合わせないように視線を下にやっている。少し可哀想になったつかさは声をあげた。


「マサ、帰ろう。お迎えありがと。」


「ん? おー。」


正之助は視線だけつかさにやり答えると、再び男へと視線を戻した。

そうしてキスでも出来そうな距離のまま、極悪面でニヤリと笑った。


「おいお前、鼻の骨が折れなくて良かったな? 次はコイツに近づくなよ。」


「はっ、はい!!」


つかさは鞄から財布を取り出し、その中から多めの金額を掴み取った。謝罪の言葉と共にそれを幹事に手渡す。やや放心状態の幹事から適当な返事を聞いたところで、席を立った。


店内を出ると夏の夜の空気がベッタリと肌にまとわりつく。しかし先ほどまでの賑やかな場と比べれば、よっぽど肩の力を抜くことができた。


隣を歩く正之助をチラリと見ればカジュアルなパンツのポケットに手を入れてやや猫背で歩いている。


こちらの視線に気づいた彼はチラリとこちらへ視線をやると、すぐに前へ戻した。が、その口からはつかさを気遣う言葉がこぼれ落ちる。


「お前、頭大丈夫かよ。」


「……ふ、言い方。」


思わずつかさは笑った。もちろんそれが自分の頭痛に対して言われた言葉だと理解している。だが捉え方次第では失礼な言葉にも聞こえる。


うるせぇ、と言いながら歩幅を狭めてくれる正之助につかさは心底安心した。

男嫌いのつかさだが、彼女にとってこの場所は一番落ち着く場所だ。


正之助の隣。それがこの世で一番安全だし、一番安らぐ。


しかしそこに居ることに対し、つかさはいつも引け目を感じていた。


なぜならば自分が正之助のヒモ状態であるからだ。正確には週に2〜3回、短時間のアルバイトをしているが、その半分の額を正之助に渡し家事を全て引き受けている。収入の半分を渡しているといっても家賃の半分をまかなえるかどうかといったところだ。つまり、食費や光熱費等は正之助の稼ぎでやっている。完全に食べさせてもらっている状態だ。


その状態の自分を卑下する意味も込め、つかさは自身をヒモ女だと結論付けている。


他人からすれば、それは同棲ではないのか?という疑問が湧くだろう。だが、これは断じて同棲ではない。なぜなら2人は付き合っていないからだ。


良く言えばルームシェア、といったところだろうか。


2人が付き合わないのには理由がある。それはーーーー



「ーーい。おい、つかさ。」


正之助の声によってつかさの意識が現実へ引き戻される。


「あっ。ごめん、何?」


「お前、ホントに大丈夫かよ。」


「あー…、ちょっと今日は頭痛酷いかも。帰ってお風呂入って寝る。」


「おー、そうしろ。」


2人は今日も一緒の家へ帰る。

お互いの気持ちを見て見ぬふりしながら。






あの無意味な合コンから数日が経った。

彫金師をしている正之助が夜に職場から帰ってくると、彼はつかさにあるチケットを渡した。


「何、これ?」


つかさはそのチケットを見つめる。どうやらクルーズ船のチケットらしい。2人分ある。


「もうすぐお前がここに住み出して2年経つだろ。だから、たまにはそういうのも良いんじゃねぇかと思って。貸し切りにしといたしな。」


貸し切り。

それは人混みに行けばたちまち頭痛や吐き気に襲われるほど、人が苦手なつかさへの気遣いだった。


「ありがとう…! すごい嬉しい。けど高かったんじゃない?」


「気にすんな。まぁ当分は遠出できねぇが。」


2人はもともと、遠出をほとんどしない。だから何ら問題はなかった。家で過ごすのが1番快適だからだ。

外出すれば大抵つかさが人疲れするか、たまに正之助が喧嘩をふっかけられるかのどちらかが起こる。

つまり、お出かけしたとしても途中で予定がおじゃんになるのだ。

そんなこんなで家にいることが多くなった。


ちなみにつかさは子供の頃から今の今まで、正之助が喧嘩に負けるところを見たことがない。

大人になってからというもの自分から喧嘩をふっかけることは決してないが、売られた喧嘩は買う主義の正之助。

むしろ喧嘩をしている時の方がいつもより活き活きしているようにさえ見える。

25歳にもなって人が苦しむ表情に喜ぶのは如何なものか、とつかさは思うが、そんな正之助も嫌いではないのだから彼女も余程の重症だろう。


とはいえ貸し切りのクルーズ船なら喧嘩に勃発することも、つかさが人酔いすることもないはずだ。

つまり思う存分船の上の旅を楽しめることになる。

つかさは久しぶりの外出に胸が高鳴るのを感じた。





そして、当日。

夜からの貸し切りクルージングに、つかさは朝から上機嫌だ。


「服何着て行こう。」


そんな事を考えながら、いつもの掃除や洗濯をこなしていればあっという間に夕方になった。

つかさはメイクを直し、ショートの髪の毛を軽く巻いた。そうしてから頭の中で散々考えたコーディネートを何パターンか体に当てる。


「う〜ん、夜だし黒の服はやめよ。白とかの方が良いかな。」


とりあえず2つのコーディネートに絞ったら、バッグに財布やハンカチを入れはじめる。

すると、正之助がいつもより早く仕事を切り上げて帰ってきた。


「おかえり!」


「おぉー。」


つかさの意気揚々とした声に、正之助はいつも通りの気怠げな声を返す。

しかしそんなことは気にせずに、つかさは正之助に自分のコーディネートを披露してみせた。


「ねぇ。今着てるのと、こっち。どっちが良いかな?」


「……。」


正之助は無表情でじっとその姿を見つめ、数秒後につかさが手に持っているワンピースを指差した。


「強いて言うなら、そっちじゃね。」


「オッケー、着替えてくる!」


正之助は、珍しくテンションの高いつかさを瞳で追った。

つかさがハイテンションになることは基本的にない。

いつも淡々と自分のやることをこなし、顔を向き合わせる時に少しだけ笑う、という程度だ。


こんなに喜ばれるならもっと早く誘っても良かったか、と正之助は思った。




そしてついに現地へ到着した2人。

正之助が今更ながら思ったことだが、これはまるでデートだ。

つかさの方はいつもよりテンションが上がってその事に気づいていないらしいが、彼はどうにもむず痒い気持ちになった。


クルーズ船はそんなに大きなものではないが、料理や酒も付いていて何より船のスピーカーからは雰囲気のいいBGMが流れている。


それはどう考えてもカップルが過ごすための空間だった。


チョイスをミスったか、と正之助は逡巡しながらも料理を口元へと豪快に運んだ。

つかさの方を見れば、彼女は酒の入ったグラスを片手に持ちながら、クルーズ船から見える夜景に顔を綻ばせていた。


思わずその横顔に見惚れる正之助。

つかさ昔からそうだった。ふとした時の表情が正之助の心を鷲掴みにするのだ。

もちろん、普段表情をあまり変えない正之助がそんな風に自分を見ているとはつかさは気づいてもいないが。


「おい、つかさ。」


声をかければ、綻ばせたまま正之助の方を見るつかさ。

そんな彼女に正之助は料理をすすめる。


「これ食え。うめぇから。」


飲んでばかりじゃ酔いが早くまわる。つかさもせっかくならほろ酔い程度でこの時間を過ごしたいだろうと考えた正之助の気遣いだった。


「うわ、ホントに美味しい。」


正之助が進めたのはメインの肉料理だった。テーブルの上にはまだまだサラダなどが残ってるいる。しかし温かい肉料理が冷めてしまってはもったいないと思ったのだ。


つかさはゆっくりと、柔らかい牛肉を口元へ運ぶ。それを何度か繰り返し一皿を食べ終えるまで、正之助はつかさを見つめる。


「お前、食うの綺麗だよな。」


つかさが牛肉を食べ終わった直後、そんな言葉が思わず口からついて出た。


「え、そう? まぁ、たしかに今日みたいな場所だと気を遣って食べるけど。」


「へぇ。」


自分からふった話題のくせに、正之助は大して興味のなさそうな反応になる。

良く考えりゃあ、綺麗と思ったのは食べ方じゃなくてつかさ自身か。などと彼が考えていたことを、つかさは知らない。


そうこうしているうちに、料理を全て食べ終え酒も程よくまわってきた2人。

そろそろ船の上の旅も終わりに近づいてきていた。


しかしその時。クルーズ船に突風が襲いかかった。


「うわ!」

「!?」


ゴウという音とともに、クルーズ船は大きく揺れた。

揺れに伴いつかさの体がバランスを崩す。

それを見た正之助は揺れる船体の中、テーブルの向かいにいるつかさに近づきその体を抱きとめた。


先ほどまで使っていた食器やグラスが音を立てて床に落ち、ことごとく割れる。

揺れが収まるまで数十秒ほどかかっただろうか。

2人が体勢を整えられた頃には、辺り一面が霧に覆われていた。

正之助はゆっくりとつかさから体を離しながら、どうなってんだ、と呟く。

つかさもまた現状に困惑しているようだが、特別取り乱す様子はない。2人とも怪我などはしていないようだった。


「なんか、すごい風だったね。お皿割れちゃったけど……大丈夫かな?」


「俺らのせいじゃねぇから大丈夫だろ。」


そんなことを話していると、船の運転手がこちらへやってきた。


「申し訳ございません。霧がすごくて進路を決められないので、少しこのままでお待ちください。」


無闇に進むのは危険、ということだろう。

2人は大人しく雑談などを交わしながら、霧が晴れるのを待った。

しかし、一向に霧が晴れる気配はない。


「おいおい。いつになったらこの霧は晴れるんだぁ?」


正之助がさして興味もなさそうに不満を垂れた。が、心の中では"やはりクルージングのチョイスは失敗だったか"と考えていた。


「まぁいいじゃない。こういうのも非日常って感じで。」


つかさはヘラリと笑って正之助を見た。

その笑顔に虚勢は微塵も感じられず、つかさの肝っ玉の座り具合を正之助は再確認した。


「ハッ、お前は危機感ねぇのかよ。」


「マサが一緒なら大抵のことは大丈夫でしょ。」


思いもよらない嬉しい一言に正之助の口角が上がる。


「そうかよ。」


彼はぶっきらぼうに答えた。


そうこうしていると、そのうちにゆっくりと霧が晴れてきた。

ついにこの船の上の旅も終わりに差し掛かろうとしていた。

思ったよりあっという間だったな、などと交わされる2人の会話。

すると、再び船のスタッフがこちらへ駆けつけて顔面蒼白で言う。


「申し訳ございません。どうやら、遭難したようです。」


「はぁ?」


思わず怪訝な顔をしてしまう2人。

確かに霧は濃かったが、船は進路を決めるまで止まっていたはずだ。それなのに遭難するなどありえるのだろうか。


「遭難……て、船は動かしてなかったんですよね?」


つかさが努めて冷静に、普段通りの素振りでスタッフに話しかける。


「えぇ。そのはずなんですが、霧が晴れた途端全く知らない場所に…。」


その言葉を訝しんで、2人はクルーズ船の外に出てみる。

そして改めて景色を見る。するとどうだろう。

先ほどまでの夜景は一切見当たらなかった。

代わりに目の前に広がるのは、マングローブのような木々に囲われた光景だった。

マングローブと言っても、実際はそれより大きいだろう。

人1人分ほどの太さの根が水面へ入り組んでいる。 

そして何よりその水面からは、かの有名な洞窟のように青い光が照っていた。

水面の光がマングローブに反射して木々をキラキラと照らしている。


「綺麗……。」


つかさは思わずポツリと呟いた。

正之助は船のスタッフにこれからどうするかを尋ねている。

マングローブ林は船体の左右に生茂っており、ここから後ろへ方向転換するのは難しいとのことだった。

したがって、前に進むしかない。

どこか船を停めれる場所を探して、現地の人に場所を聞くしかないのだ。


クルージングのスタッフが何やら焦った声をあげる。

2人は耳をそば立ててその声を聞いた。


「何で圏外なんだ……!? これじゃあ事務所に電話も出来ねぇぞ……!!」


どうやら外と連絡もつかないらしい。

それを聞いた2人も自身のスマートフォンを確認したが、確かに圏外だった。


その場にいる全員が、思っていたよりも悪い状況だということを認めるしかなかった。

それから正之助は何かを考えているような顔をし、ほとんど喋らなくなった。もっとも彼の表情の微々たる差を見分けられるのはつかさくらいで、他の者から見ればそれはただの無表情なわけだが。


流石のつかさも不安が全くないわけではなかった。

運良く人に会えるかどうかも分からないのだから。

その上、連絡が取れないとなればクルージング会社の人間に助けを求めることもできない。


このマングローブ林のように、まさに八方塞がり。

いや実際のところマングローブ林は、一方通行の道があるだけまだマシと言ったところか。


つかさは、この状況で1番可哀想なのはクルージングのスタッフだ、と思った。

2人の命を乗せてこの状況を切り抜けなければならないという責任感に押し潰されていることだろう。


そんな事を考えていた時だった。


「おーーーい!」


人の声が聞こえる。

2人は外へ出てその声の方向を見た。


「おーーい! 何してんだー!? そんなところでぇ!」


船の数メートル先に、袴姿の男が見えた。


「すみません! ここはどこですか!? クルージング中に迷ってしまい…ひっ!?」


スタッフが袴姿の男に早速ここの位置を聞こうとする途中で、何やら小さな悲鳴をあげた。

不思議に思い2人がスタッフを見てみれば、袴の男を見たまま固まって怯えているようだ。

怪訝に思ったつかさと正之助は同じタイミングで袴の男を見る。


確かにこのご時世に袴姿は見慣れない。何より上の着物には特有の袖がなく随分と着崩している。

はだけた胸元や晒された腕を見るに、かなり体格が良いようだ。

そして胸元から腕にかけて、和彫りの刺青がびっしりと施されていた。鯉と桜の刺青だ。


一般人があれだけ立派な刺青を見れば確かに少しはたじろいでしまうかもしれないが、あそこまで怯えるだろうか。

そう思い、つかさがまじまじと袴の男の顔を見た時、スタッフの反応に納得した。


男の額から大きな角が3本生えているではないか。


その風貌は、まるでーー鬼。


ちらりと隣の正之助を見れば、僅かながら驚きの表情を示していた。そしてつかさを自身の後ろへと隠し、声を張り上げた。


「さっきすげぇ風に襲われて、気づいたらここに居た!

 オッサン何か知ってっか!?」


鬼のような男はマングローブの根をつたいこちらへ近づいてくる。

距離が近づくにつれて、船の上の緊張感は高まっていった。

警戒する正之助に対し、男は人懐こい笑みを浮かべて船を見下ろした。


「ほぇ〜。お前さん達、人間かぁ!! こりゃ珍しいもん見たなぁ〜!!」


まるで子供のように嬉しそうに笑っている。

少々あっけにとられる正之助。スタッフは未だ鬼の男に怯えているようだ。


「で? ここはどこだ。ついでにオッサンは何者だ?」


少し毒気を抜かれたらしい正之助が、直球で思っていることを尋ねる。


「ここは鬼ヶ島で、ワシは秀(ひで)いうジジイだ!

さぁさ!こっち来て上がってくれ!話はそっからだ!」


「鬼ヶ島だぁ? そんなもん信じるわけねぇだろ。こっちは、ここがどこで、どの方向へ行けば元の場所に戻れるか聞きたいだけだ。」


呆れた声で言う正之助に、鬼の男はキョトンとした顔をする。

少しの沈黙が流れた。


「わはははは!!それもそうか!だが今すぐ元の場所には帰れんからな。まぁとにかく、帰れるまで上がるといい!

 安心せぇ、お前さんらに酷いことをする奴はここには居らんよ。」


豪快に笑う秀という男は、こちらの警戒心など気にもしていないようだ。そしてそのまま言葉を続ける。


「とりあえず町に行って、組長の所にアンタらを連れていけば何とかしてくれる。さぁさ!」


そう言って手を伸ばす秀だったが、正之助、つかさ、スタッフの3人は"組長"と言う言葉に体が固まる。

いかつい和彫りの男から"組長"などと言われれば、誰もが思い浮かべるだろう。ヤのつく職業の方達を。

意を唱えたのはもちろん正之助だった。


「お前ぇ、いま組長っつったか? どこの組に連れてかれるか知らねぇが、何の見返りもなく俺達を逃がしてくれるってのか?

やっぱ信用できねぇな。」


「…?? 組っちゅうのは、区切られたそれぞれの町を仕切ってくれてる人らの所だ。今から行くのはの五十嵐区(いがらしく)の五十嵐組。何か勘違いしとるみたいだが、自警団みたいな感じの気のいい人らだ。」


秀は頭の上に疑問符を浮かべたような表情で言う。

つかさは思わず彼に問いかけた。


「自警団…? つまり、酷い事をするような人達ではないって事?」


「まぁ、犯罪者以外には優しい奴らさ。町の皆も迷い込んだ人間には優しいし、アンタらが暴れて酷いことせん限りは……心配ないと思うけどなぁ……。」


秀はさも当然といった感じでつかさに答えた。

彼の言葉が本当なら下手に暴れたり嘘をついたりすれば不利になるかもしれない、とつかさは考える。

チラリと正之助に視線をやれば、彼も丁度こちらを向いた所だった。お互い、同じ結論に達したようだ。


この秀という男の言っていることが嘘だとしても、どちらにせよ今の正之助達には彼の言葉を信用する他なかった。


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