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朝になり、僕を乗せた荷車が動きはじめた。キャラバンがゆっくりと荒野の横断を再開し始めたのだ。目を覚ますと、隣のおばさんは既に起きていて、お互いにおはようと挨拶を交わした。
あれからおばさんとよく会話するようになった。おばさんは1人洗濯していたところを人攫いに攫われたらしい。夫と息子を残してきたらしく、そればかりが心配だと嘆いていた。ただ、嘆いている割には悲壮感が感じられず、僕は不思議だと感じた。周りの人たちは僕と話すことをあまり快くは思っていないみたいだ。おばさんのことを変な人を見る目で見ている。ただ、おばさんは全く気にしていないようだ。強い。
それにしても、ここまで嫌われた理由がたかが鳥一匹とは驚きである。一体なぜここまでこの鳥を恐れるのだろう。手元の鳥は今日も今日とてジッと僕を見つめていた。
疑問に思ったが、そんなことよりも今はどうやって逃げるかの方が大事である。僕は町についたらどのように逃げるのかを考えることにした。荷物はない。というより、捕まった時に裸にひっぺがされた。売られる前の奴隷に服は必要ないようである。とにかく逃げる時、最初に必要なのは服だ。最悪、身に纏えるだけの布1枚でもいい。荒野の夜は冷える。飛んでくる砂からも身を守らなくてはならない。なによりすっぽんぽんでは落ち着かない。
次に水、食料、そしてそれらを入れるための鞄。逃げ出した先で手に入るのかわからない。ある程度の量を盗むつもりだ。幸い商人達が食事の為に後ろの馬車から食べ物を取り出すが見えた。そこから盗みだせるだろう。
とにかくそれらを持って逃げだそうと思う。しかし、問題はどうやって逃げるかだ。僕の両手は縄で括られており、身動きがとれないようにされている。縄抜けをどうすればできるか、これが逃げるときの1番の問題である。
こちらをジッと静かに観察してくるベリタカを見つめ返した。縄をほどき、食事をくすね、布を見つけだし、逃げる。そうすればきっとうまく逃げられるはずだ。僕の逃走計画はそんな浅はかなものであった。
○
その日の朝、何故かベリタカは顔を見せなかった。僕は不思議に思いながらも「まぁ、そんな日もあるだろう」と考えていた。
事件が起きたのはそんな時である。僕は馬車が止まっていることに気がついた。馬が騒がしい。男たちの大きな声が響く。なにが起こったかわからない。馬がいななき、悲鳴が轟く。一人の女性が、悲鳴をあげて逃げだしたのが見えた。周りの馬車から人が飛び出したのが見えた。
馬車の戸が開かれた。
「助けにきたぞ!」
後からわかったことだが、助けにきた人たちは「原住民」と言われる人たちだったようだ。「開拓者」に住む地を追われた彼らは度々攫われ、奴隷とさせられることがあるようだ。ただ、原住民達もやられてばかりではない。こうしてキャラバンに襲いかかり、奪還することもしばしばあった。
後ろで縛られた縄をナイフで切ってもらった。久方ぶりの自由である。僕はなんて幸運なのだろうか!おばさんと僕は喜びを分かち合った。
外に出ると、商人たちが刺股のようなもので刺されているのが見えた。響く重低音、唸る怒声。気持ち悪くなったが、スカッとするようであった。
しかし、そんな晴れやかな気持ちも長くは続かなかった。ザワザワと、僕の周りは騒がしくなる。
「肌の色の違うコイツのせいだ!俺たちはコイツに巻き込まれたんだ!」
そんな叫びが響いた。もしかして、僕のことだろうか。ベリタカが僕の肩にとまった。
「見ろ!コイツはベリタカの寵愛を受けているぞ!なによりの証拠だ!」
魔女裁判のようであった。おばさんが僕に「逃げなさい」と叫んだ。多くの手が、僕の体を掴もうとしてきた。僕は逃げ出した。
布や食べ物を探す余裕なんてなかった。とにかく走る。捕まったらなにされるかわからない。とにかく遠くに、捕まらないところに、走る、はしる、ハシル……。
○
……気がつくと、僕は馬車の見えないところまで走っていた。足が痛い。見ると、赤い血がにじんでいた。
大変なことになった。ピンチである。まず、僕は今なにも持っていない。素っ裸だ。食べ物も布きれも持ち出せなかった。そして町がどこか、僕には検討もつかない。
とにかく、追っ手が来るかもしれないという恐怖にかられ、僕は歩こうとした。足がえぐれる。とてもまともに歩けない。それでも、少しずつ少しずつ、僕は足を前に置いた。
夕方ごろになるまで、僕は歩き続けた。だけど町も食べ物も布きれも、なにもなかった。あるのは一面の荒野とポツポツとある葉が厚い木、そしてベリタカ。もう限界。疲れた。お腹空いた。喉かわいた。
ついてきたベリタカを見る。もしかしたら、食べれるかもしれない。思えば1週間飲まず食わずである。そしたらベリタカは見通すように僕から距離をとった。ちっ、勘のいいやつ。
僕は腰を下ろした。足下にあった石をおもいっきりベリタカに向けて投げる。なにか物にあたりたい気分だった。石はただ地面を跳ねただけに終わった。
虚しい。脚を両手で抱きしめた。体がヒリヒリする。もう、どうにもならないんだ。僕はこのまま、飢え死にか、凍死だろう。なんでこんな目に遭うのだろう。なにか悪いことしてきたのだろうか。アレがダメだったのだろうか。コレがいけなかったんだろうか。きっと、なにかの罰なのかも……。
音がした。砂を踏みしめる足音だ。そちらを見る。男がいた。そこそこ体格がいい男だ。恐らく僕より少し年上。そいつはこちらの方へと歩いてくる。僕はその男に見覚えがあった。僕が捕まってたキャラバンで見た気がする。そうだ、たしか、商人たちの中の1人だ。僕を捕まえに来たのだろうか。
僕はなんだかどうでもよくなってしまい、その場から動くことができなくなってしまった。ここで捕まってしまってもいいかもしれない。どうせどこにも逃げられない。死の不安に押しつぶされそうだ。無償の施しが欲しい。男は少しずつこちらへとやってきて、ついに僕の隣にやってきた。じっと僕を見つめる。なにかを確認すると、男の目線は僕と同じくらいになった。おい、なんで僕の隣に座る。
「なあ、あんた奴隷だよな」
男は僕にそう話かけてきた。なんだか癪に触った。
「いや、違うよ。僕は奴隷じゃない」
僕は思わずそう答えた。
「キャラバンの馬車の中でお前を見た覚えがある。奴隷運搬用の馬車だ。リストでも一度確認した。なにより首元に商品番号がある。うちの商品である証拠だ」
商品番号は捕まった時に押されたスタンプのことだろう。馬車の中でいくら掻きむしっても落ちなかった。
「いや、買われる前に逃亡したんだ。だから僕は奴隷じゃない。なる一歩手前までいったけれど」
「契約が果たされてない場合、お前はまだ商品の扱いだ。売り渡されていない以上、所有権はキャラバンにある。つまり、お前はまだ奴隷だ」
「人権侵害反対」
「お前は人ではなく奴隷だろうに」
僕はカッとなった。どうにかしてコイツを無茶苦茶にしてやりたいという衝動に駆られた。僕はバッと立ち上がり、そいつの胸元を締め上げようとした。どすんと地面に倒れ込む。押し倒す形になったがまあいい。
「やい、僕はこれからお前の身包みを全て剥いでやるぞ。服も食べ物も町への行き方も、何もかもだ。大人しく差し出せ。さもなければこれでぶつぞ」
僕は手元にあった手ごろな石ころを手に取り、掲げてみせた。これで殴ればこいつはひとたまりもないだろう。
「そうか」といって男は懐から何かを取り出した。黒く、そして手に収まる形状をしていた。夕日に照らされて輝いている。拳銃だ。僕は驚き、つい後ろにのけぞり、距離が離れた。身の危険を感じだのだ。しまった、ここからでは石を投げつけるしかできない。距離をとったのは迂闊だった。頭に冷水を浴びせられたような気がした。全能感は消え去り、僕はただ動きを止めるしかできなくなってしまった。男はスッと立ち上がり、拳銃をこちらに向けて言った。
「その手にある物を足下に置け。ゆっくりとだ。さもなければ射殺する。」
コイツにはなんとしても従いたくなかった。今すぐこの手にある石を投げつけ、コイツに殴りかかりたい。いける、いけるはず、いけるはずだ。殴りかかり、勝利する。コイツは泣きそうになりながら僕に許しを乞う。そしたら万々歳だ。僕は手をなんとしても上に振りかぶろうとした。
でも、できない、怖い。僕の手から石が離れていってしまった。命がひたすらに惜しかった。僕は両手を上に挙げて許しを乞うた。屈辱だった。
2022.12.18 内容の修正