ある老人の回想4
「ーーーッおぎゃあ! おぎゃあ!! おぎゃあ!!」
「佐藤さん、産まれましたよ!」
玲子と結婚してから2年と半年が経った日の夕方、私たちの子供が産まれた。分娩室の外まで力強く響く声と、呼びに来てくれた助産師さんの明るい表情から、全ては上手くいったのだと知ることができた。
「玲子!!」
「あ、清次郎くん。ほら見て? 元気な男の子」
出産というものの壮絶さを物語るように、玲子のいつも艶やかに整えられていた髪も今日だけは汗でぺたりと張り付き、頬は真っ赤に上気して肩で息をしていた。予定日より1週間も早く産まれそうだと仕事中に電話が掛かって来たときはどうなるかと思ったが、その心配は杞憂だったらしい。助産師さん達はこちらへ軽く会釈すると、「また少ししたら来ますので」と言って分娩室から出て行った。
「ごめん、間に合わなくて。無事でよかった……」
「もう、心配しすぎよ? お母さんが来てる時でタイミングもよかったし、そうじゃなくても1人でここには来れるようにしてあったから」
「それでもよかった……ありがとう……」
私はそう言いながら玲子を抱き寄せた。本当に無事でよかった。そして玲子から離れ、隣にいた玲子の母、清子さんにも頭を下げた。
「お義母さんも、ありがとうございます」
「いいのよ清次郎さん。ちょうど私がこっちに来てる時でよかったわ。それに今は家族水入らずが良いだろうし、あとで憲司さんも来るだろうから、私はそれまで席を外すわね? ついでに今のうちに家から毛布とかも持ってくるから」
「ありがとうお母さん」
そう言って清子さんも分娩室から出て行った。
産まれた瞬間は外まで響くような声で泣いていた私たちの子供も、今は玲子の腕の中で静かに眠っていた。その小さい手が呼吸に合わせて小さく開いたり閉じたりしている様子を見ているだけで、自分が本当にこの小さな命の親になったのだと実感が湧いてくるような気がした。
「そうだ、名前も決めないと。清次郎くんあれ持ってきた?」
「あ、うん。ほら」
私がカバンの中から1冊のノートを取り出す。
中には名前に使いたい漢字やら名前候補やらがみっちり書き込んである、2人の子供の名前ノートだ。
「清次郎くんはどれがいい?」
「えーっと、色々考えたんだけど……やっぱりこれがなって……」
「優太? うん、良いわね」
「え? でも、前は龍之介とか……」
「産まれてくる前はね。でも見て? この目元とか、清次郎くんに似て優しそうでしょ? この子の顔見たら、あなたの決めた名前にしようって思ちゃったのよ。それにシンプルだけど良い名前じゃない? きっとあなたみたいに優しい人に育ってくれるわ。ねぇ、優太?」
玲子がそう言いながら愛おしそうに子供に……優太に顔を近づけた。
それを見ていた私はいつの間にか……
「あれ?……泣いてる?」
「いや、泣いてないです……」
「なんで強がるの!?」
「違うんです……これは……」
いつの間にか、涙が止まらなくなっていた。
涙が溢れ続けて止まらない。今までにこんな気持ちになったことはなかったかもしれない。愛する人と結ばれて、その人が自分の子供を産んでくれて、そして何よりも愛おしそうに子供を抱く姿を見られることがこんなにも幸せだなんて思わなかった。自分の一生をかけてこの2人を絶対に幸せにしたい。私はその時心の底からそう思った。
次は12/25(金)に投稿します。