ある老人の回想3
「で、君が玲子の?」
「は、ハイ! 水無月 清次郎と申します!!」
緊張から若干声が上擦る。
口の中が妙に乾いて、表情筋やら舌やらが上手く動かない。
玲子さんとの結婚を決めてから翌週の土曜日、私は彼女の実家へと来ていた。玄関を開けた瞬間、和装をビシッと着こなした仁王立ちのゴツい中年男性、おそらくは玲子さんの父親が鋭い眼光を携え待ち構えていた。玲子さんの実家は地元で長く愛されている地方企業を経営しているのだと聞いたが、目の前にいる男性の風貌はどう見てもヤ○ザだった。
睨みを効かせる玲子さんの父親と緊張で動けない私の間で沈黙が流れる。すると、奥の方から着物姿の女性が現れた。おそらくは玲子さんの母親だろう。全体的な雰囲気は玲子さんに似ている。笑顔と目尻に浮かぶシワがこちらまで和ませそうな癒しオーラを放っていた。こちらの緊張ムードなどまるで感じていないかのように、玲子さんの母親はマイペースに手を振りながらこちらへやって来た。
「あら、玲子おかえりなさい。この方が?」
「うん、私と婚約した水無月 清次郎くん」
「清次郎さんいらっしゃい。私は玲子の母の清子と言います。こちらは夫の憲司です。ここまで遠かったでしょう? ほらこんなところで立ち話もなんだし早く上がって。憲司さんもホラ、お茶の用意をするから手伝ってくれる?」
「……はい」
「お、お邪魔します……」
そのやり取りから私は何となく違和感を覚えた。
案内された居間で玲子さんと共に座りながらしばらく待っていると、お茶とお茶請けを持った清子さんと憲司さんが現れた。そして正面に清子さん、その半歩ほど後ろに憲司さんが座る。
「さて、清次郎さん。もし玲子と本当に結婚なさるというのなら私の方から幾つか質問をしなければなりません。よろしいですか?」
正面に座った清子さんが切り出した。
私はすぐに察した。この家で1番強いのはヤ○ザのような風貌をした父親の憲司さんではなく母親の清子さんの方だ。表面上はあの優しい笑顔で癒しオーラを放っているが、その奥にある迫力……のようなものを感じずにはいられなかった。これはあれだ。玲子さんと同じで「逆らってはいけない」人に違いない。玲子さんのそれが清子さんから受け継がれたものだとすれば合点がいく。
「は、はい」
「まず、玲子とはどうやって知り合ったのかしら? 元々のご関係は?」
「同じ会社の先輩と後輩でした。私が後輩で、玲子さんが先輩です」
「そうですか。交際期間は?」
「えと……7日ほどです。先週の金曜日から」
それを聞いた瞬間、清子さんの目がほんの少し細まった気がした。
だけど、笑顔は一切崩れない。それがむしろ怖い。清子さんはこちらではなく隣にいる玲子さんに目をやった。
「玲子」
「はい」
「まさか、こちらに戻って来るのが嫌で清次郎さんを巻き込んだ訳ではありませんか?」
「清子、それは……」
「それは違います!」
清子さんの鋭い問い詰めに対して憲司さんと私が反応する。
しかし、清子さんは全く調子を崩すことなく「私は玲子に質問しているのです」と言い放ち、こちらは何も言えなくなってしまう。
「違います」
玲子さんが清子さんの目を真っ直ぐに見ながら答える。
この場にいるだけでヒリヒリとした緊張感が伝わってくる。ふと憲司さんの方を見ると、明らかに私より緊張しているのが伝わって来た。顔が真っ青で冷や汗の量が尋常ではなかった。
「ぼ、僕は新しいお茶を入れてくるよ……」
憲司さんはそう言って居間から出て行ってしまった。
あれは……たぶん、いや、絶対緊張感に耐えかねて逃げたんだ! しかも憲司さんあの見た目で一人称「僕」なのか……。だいたいこの家の中での力関係が見えて来たような気がする。私もお茶入れを手伝いに行くテイで逃げればよかっ……いやダメだ。挨拶に来たのはこちらなのにこの場から逃げ出すわけには。その時、清子さんが「ふふ」と笑った。
「そうですか、良い人を見つけましたね。清次郎さん、玲子は私たちの大切な娘です。どうかよろしくお願いします」
「は、はい! こちらこそよろしくお願いします!」
「さて、ではお食事にしましょうか。憲司さん!」
「はーい、すぐに用意するよー」
奥のキッチンから憲司さんの声が聞こえる。
離れていても何かを感じ取ったのか、その声はさっきよりも緊張感が緩んでいたように思える。既に用意が済んでいたのか、憲司さんはすぐに居間へと料理を運んで来た。
◆◆◆◆◆◆◆
食事を終えたあと、私はお母さんと共に皿洗いをしていた。
水無月くんは先にお風呂に入ってもらっている。お父さんは居間の片付けをしていた。私は訊くなら今しかないと思い切り出した。
「ねぇお母さん」
「なぁに??」
「なんであれで納得してくれたの? 自分で言うのも何だけど、私たちからお母さんが納得できる話、そんなにしてないと思うんだけど」
「んー、本当は色々訊こうと思ってたのよ。こちらでも彼について色々調べていたし、少しでも嘘をつかないかだったり確認しなきゃいけないから。でも……」
「でも?」
お母さんは「ふふっ」と笑い出した。
「あの時の清次郎さんの姿がまるで昔の憲司さんみたいでね。あの人も婿養子に来る時はああやって追い詰められたハムスターみたいに震えてたのよ。それを見たら大丈夫だと思っちゃったのよ」
「あー、確かに似てるかも……」
「決断力があったり誠実だったり色んなことが結婚には大切だけど、やっぱり安心感があるのが1番だと思うのよ。ほら、これからずーっと一緒にいるわけだし。その点、清次郎は大丈夫でしょう?」
お母さんは楽しそうに笑う。
こんなに上機嫌なお母さんはなかなか見ない。
お母さんの笑顔を見ながら、私は自分で納得していた。なぜあの時水無月くんのプロポーズを受けようと思ったのか。正直、彼のことを今までそういう対象として見たことはなかった。いままで他の男性との交際経験があるわけでもなかったし、慣れている人とは違って「付き合ってみてから考えよう」という考え方ができるわけでもない。それでもプロポーズを受けることができたのは、きっと彼と結婚した自分の姿が想像できたからだ。自分でも意識しないうちに、彼がお父さんと似ていると感じていたのかもしれない。だから、自然と想像ができた。
「うん、大丈夫だと思う」
私は答えた。
その言葉と一緒にこれからのことへの不安も消えて行った。彼と結婚をする決断をしたとはいえ、不安がないわけではなかった。交際経験の無い自分でも大丈夫なのか。一緒になった後で彼が後悔することはないか。そんな風に心の中で渦巻いていた不安が霧のように消えて行った。
うん、彼とならきっと大丈夫だ。
次回は12/18(金)に更新する予定です。