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この列車が止まるまで  作者: ねこまみれ。
2/11

ある老人の回想2

 入社してから2年が経ち、あの頃とは逆転して私は新人の教育係を任されるようになっていた。随分と仕事には慣れたつもりだった。だけど、仕事に慣れたことと新人の教育係が務まることは全くの別物だと、私はすぐに思い知ることになった。


「はぁああああああ……」


 休憩室で誰もいないことを確認してため息をつく。

 正直なところ、私が教育係を続ける自信は既に折られていた。

 私が教育することになった福田 龍司という新人は、わかりやすく生意気だったり著しく仕事ができないというわけじゃない。ただ、あまりコミュニケーションに積極的ではなかった。何を言っても小さく「はい」と返すだけで暖簾に腕押しというか、私と彼に信頼関係があるとは到底思えなかった。教育係だというのに昼時間に1人で休憩室に篭っているのが何よりの証拠だった。


「水無月くん、お疲れ様」

「あぁ、先輩……お疲れ様です…………」

「何か悩みがあるみたいだけど、どうしたの?」

「えっと……」


 玲子さんに相談することはできる。だけど、ここで簡単に彼女の手を借りていたらいつまで経っても私は「玲子さんに教えられる新人のまま」に甘んじてしまう気がした。それに、玲子さんはいま新しいプロジェクトを任されて忙しいと聞いた。その邪魔をしたくない。


「いえ、大丈夫です」

「そう? 新人の教育で悩んでるんだったら真っ先に解決しとかなきゃダメよ? 会社のためにも新人のためにもならないから」


 そう言いながら玲子さんは「ちぅー」と音を立てながらオレンジジュースのパックを飲み干して、中身がなくなって真ん中がキュッと凹んだパックを自販機の側にあったゴミ箱に捨てた。


「相変わらず、オブラートに包まないですね」

「オブラート? そんなことしたってあんまり意味ないでしょ? お互いにストレス溜めるだけだし、何にも解決しないじゃない」


 玲子さんは何でもないことのように爽やかに笑いながら言った。

 それが彼女の世界では当たり前のことなのだ。私は少し悩んで、それから深呼吸をした。たぶん、彼女はわかって私に訊いている。どこまで把握しているかはわからない。私の表情を見て感じ取ったのかもしれないし、私のことを見ていた誰かが彼女に伝えたのかもしれない。

 どれが"そう"なのかはわからないけど、結局「彼女に逆らうことはできないらしい」というのだけは確からしい。なぜなら、彼女の中で「後輩の悩みを解決する」というのは既に決定事項だったからだ。私は「解決するまで逃がしてくれる気もないのだろう」と察して観念した。


「…………そう……ですね。新人のことで悩んでいて……少し……その、コミュニケーションがあまり上手くいってなくて」

「上手くいってないって、どんな風に?」

「何というか、何を言っても軽く相槌を打つだけで伝わっている感じがしないんです。それで……」

「ちゃんと伝わっているかわからなくて不安……ってこと?」

「まぁ、そんな感じです」


 私がそう言うと玲子さんは「そっか……」とだけ返して、それから腕を組み顎に手を当てて、少し考え始めたようだった。そして考えがまとまったのか、「それなら……」と口を開いた。


「しっかり後ろで見守ってるだけで良いんじゃない? その新人くん、たしか福田くん? も、本当にわからなかったり困ったりしたら訊くだろうし。教育係の水無月くんが不安がってたら相談しようにも相談しにくいでしょ? それに水無月くんにも仕事はあるんだし。あなたが正しい方向へ進んでいるって伝われば、必要な時に頼られるものよ」

「必要な時に頼られる……ですか?」

「そう。頼れない人を頼ったりはしないでしょ?」


 それはそうだと思った。

 けど、それはつまり暗に「水無月くんは頼れない」と言われているのと変わりなくて悔しくもあった。


「そんなに頼りがいないですかね……」

「ふふ、そりゃあ、新人とのコミュニケーションで躓いて昼時間に休憩室でため息ついてる教育係に頼りがいがあるわけないでしょ?」


 そう笑顔で言われてしまい、私は言い返すことができなかった。

 ただ、言い返せなかったのは「図星を突かれたから」じゃない。真っ直ぐに、爽やかに、自分の言いたいことを言ってしまえる彼女を私は「かっこいい」と思ってしまった。自分ができないことを、いとも簡単にできてしまう彼女への憧れ。


「そうですね。また少し頑張ってみます」

「また悩んだらいつでも相談に乗るから」


 そう言って笑う玲子さんに、私は見惚れていた。

 今はまだ"ただの後輩"でしかない。せいぜいが"歳の近い弟分"だとでも思っているに違いなかった。だから……


「いえ、次は"佐藤さん"にも頼られるようになってますよ」

「ふふ、それは楽しみにしてる。じゃあ、がんばって」


 玲子さんは先に休憩室を後にした。

 絶対に隣に並び立てるようになってみせる。

 そのとき、後ろでガチャリと音がして休憩室の扉が開いた。


「福田くん? どうしたの?」

「あ、水無月先輩、ちょっと仕事で訊きたいことがあって……」

「わかった、すぐ戻るよ」



◆◆◆◆◆◆◆



「で? どうだったの?」

「どうって……そんな意地悪言います?」

「ふふ、ごめんて。落ち込んでるのがおもしろくて」


 結局、あの後福田くんに訊かれたことを1人では解決できず、私は玲子さんに頼ったのだった。そして、週末の仕事終わりにこうして居酒屋の席で正面に座る玲子さんにそのことを笑われていた。


「まだまだ私に"頼られる"には遠そうね」

「ま、まだまだこれからなんで……」

「ふふ、そうね……」


 その瞬間、玲子さんの表情が憂いを帯びた気がした。


「でも、もう次はないかなぁ……」

「え……? ど、どういうことですか?」


 私は思わず訊き返していた。

 次がない、ってなんだ?


「私、今度仕事辞めることになったのよ」

「なんでですか!? だって、先輩……佐藤さんほど優秀な人が……」

「まぁ落ち着いてって。クビになったとは言ってないでしょ? ちょっと実家の事情でね。帰って来いって言われちゃって……」

「帰って来いって、どうして……」

「んー、実は私地方のちょっとした名家の生まれなのよ。それで25歳までに結婚するって条件で実家を出たんだけど……ね。中学からずっと女子校女子大と進んで来たからあんまり恋愛とかもよくわからなくて」


 そのあと、酔った勢いもあるのか玲子さんは私に色々なことを教えてくれた。25歳までに結婚できなければ実家に戻りお見合いをさせられる約束だったことや、それが嫌で26歳になる今までこちらでの生活を引き伸ばして来たこと。私は慣れない酒を飲んでふわふわとした頭の中で、玲子さんの言葉を反芻していた。次はない。そうだ、次はないんだ。私がいずれ彼女に頼られたいと思っていようと、憧れていようと、彼女が帰ってしまえばもう"次はない"んだ。


「そ、その結婚て、わた……俺じゃダメですか!?」


 口をついて出た言葉だった。

 酔った勢いもあったと思う。それでも本心なのは変わりなかった。ここで黙って見送れば彼女は見合いをして自分の知らない誰かのものになってしまう。そうなれば、もう彼女に頼られることはできなくなる。


 いつもは社会人らしくしようと"私"で統一していた一人称も、少しでも男らしさを見せられないかと思ったのか"俺"になっていた。週末の仕事終わりの居酒屋で、雰囲気も何もあったもんじゃない。それでも、ともすれば酔っ払いの戯言と一蹴されてもおかしくない私のプロポーズを受けて、玲子さんは顔を真っ赤に染めていた。


「え、えと、ダメだよ。そんな大切なこと勢いで決めるものじゃないし、それにただ同情しただけならやめて?」

「同情じゃないです。同情なんかでこんなこと言いません」

「でも、私、誰かと付き合った経験もないし……」


 どんなことでもストレートに言ってしまえる玲子さんらしくない。

 歯切れが悪い言葉も、俯きがちな目も、どれもあの格好良かったいつもの玲子さんとは全く違っていた。その姿から玲子さんの迷いが伝わってきた。ただ、玲子さんはどんなことでも嫌なら嫌と言う。


「嫌なら嫌と言ってください。ただ、そうでないなら俺がさと……玲子さんに"頼られる"ようになるまで一緒にいてください!」


 玲子さんはぽかんとしていた。

 私自身も、自分が微妙に締まらないことを言ったと気付いて顔が赤くなる。なんだ「"頼られる"ようになるまで」って。もっと格好のつく言葉はなかったのか。少し冷静になって周囲を見ると、いつの間にか自分たちが注目を集めてしまっていることに気がついた。


「お、お会計して出ようか」

「は、はい……」


 玲子さんに言われて店員を呼ぶ。

 あれだけ締まらなかったのだからせめて会計でくらい格好をつけようと思い「お金は私が……」と言ったが、彼女は「今日は元々水無月くんを励ますための会でしょ?」と言って払わせてはくれなかった。

 2人で店を出たあと、私と玲子さんはしばらく歩いて静かな公園のベンチに座った。何も言えず黙っていると、玲子さんが笑い出した。


「ふふ、もしかして、さっきの思い出して恥ずかしくなってるの?」

「うっ……」

「やっぱりね。だって、さっきのはさすがにかっこ悪かったし」

「俺だってあれがかっこいい口説き文句だなんて思ってませんよ……」

「俺を頼ってください! ならまだしも、"頼られる"ようになるまで一緒にいてください! だもんね。思い出すだけでおもしろくって。ふふ」


 玲子さんは楽しそうに笑っているが、私としては思い出すだけで頭を抱えたくなる。彼女が教育係をしていた期間やこれまでも、格好の悪いところを見られたことは幾らでもある。それでも、こんな時くらいは格好をつけたかった。こんな時でも私は頼りがいがない自分のままだ。

 玲子さんは遂に堪え切れなくなったのか、思いっきり笑い出した。


「あはははははは、はぁ……久しぶりにこんなに笑ったかも」

「笑いすぎですよ……」

「ごめんね。でも……」


 玲子さんはそこで言葉を止めて一度深呼吸をした。

 そして空に浮かぶ月を眺めながら、何かを考えているようだった。

 悩んでいるというよりは、何かの覚悟を決めているような……


「水無月くん、幾つか約束して?」

「はい……、え? 約束?」

「私、浮気はするのもされるのも嫌いだから」

「え、は、はい」

「あと、子供は28を過ぎてからでいい? やっぱりまだ仕事続けたいし、あの仕事気に入ってるの。それに、君が一人前になるまで見ないと安心できないし……」

「子供? 仕事を続ける?」

「それと、料理はまだ勉強中だから不味くても文句言わないでね。さすがにご飯炊くのとか簡単なのはできるけど、難しいのは無理だから」

「あ、あの……先輩……?」

「そうだ呼び方も。仕事中は先輩か佐藤さんで統一してね。その代わり、プライベートのときはなんて呼んでも構わないから」


 矢継ぎ早に繰り出される"約束"に狼狽えていると、玲子さんがこちらを見て「はぁ……」とため息をついた。もちろん、ここまで言われて何も気付けないほど鈍感でも間抜けでもない。ただ、さっきまでの様子とは違いすぎてびっくりしてしまった。彼女は何か吹っ切れたようで、もう悩んではいない様子だった。


「私と結婚してくれるんでしょ?」

「は、はい!」

「ん、じゃあよろしく……」


 彼女は手を差し出して来ていた。

 ただ、その手にはまだ彼女の覚悟の下に隠れた緊張がありありと見て取れた。かすかに震えるその手を見ながらこちらも緊張しながら握り返すと、手を通して彼女の体の熱が伝わってくるような気がした。

次回は12/11(金)ごろ投稿予定です。

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