第五話 醤油の味 その1
今まで、遼樹たちとの冒険で手に入れた使えない武器防具は、二束三文の価値しかつかなかった。ガラクタの山を売って銅貨数枚とか、それくらいの価値しかつけられたことがない。
それを『合成』で新しい武器に加工したら、価値が跳ね上がった。
しかし、ミリティアさんがこのレイピアに価値を見出してくれたからといって、他の人が高い価値をつけてくれるかはまだ分からない。
「あたしの目を疑ってるの? 確かに駆け出しでまだ8級の冒険者だけど、7級の依頼で相手にするような魔物を討伐したこともあるのよ」
「い、いえ。その……なにぶん、初めて作った武器なもので。これが実戦でどれくらい使えるのか、全く想像がつかないんです。品質が良いっていうのは、作った時に分かったんですが」
「ふぅん……? ごくたまにスキルを使うと『天の声』みたいなものが聞こえるっていう人がいるみたいだけど、タクミくんもそういうタイプなのかな」
ミリティアさんの言う通り、スキルを使うときに自分が何をしているかを客観的に見ている誰かがいて、何か囁かれているような、そんな感覚になる。
俺たちを召喚した上級天使マグダレーナの声に似ているような気もするが――彼女がずっと監視しているなんていうのは落ち着かないので、現状は深く考えずにおくことにする。
「タクミさん、『天の声』が聞こえるんですか? 凄いですね、まるで神様の使いのようです」
「ああ、いや、そんな大それたことでもないんですが」
「ふふっ……今日働き始めたばかりっていうけど、二人とも仲がいいわね。ジェラルドさんのことでロコナさんが心配だったけど、タクミくんがいてくれるなら安心できそうだわ」
「は、はい……あっ、い、いえっ、いけませんそんな、タクミさんに頼り切りになってしまうようなことは。私だって大人ですから、一人で住んでいるときも、心細いなんてことは……」
ロコナさんは気丈に言おうとするが、さっきのことを思い出してしまったみたいで、言葉が続かなくなる。
それは当たり前だ、あんなことをされたら誰だって怖くなる。
今日からこの家で世話になるのだから、彼女を守らなくてはいけない。戦闘に向いているクラスではないが、覚悟を決めてしまえばできることはあるはずだ。
「俺は腕っぷしは強くないですが、ロコナさんのことは絶対に守りますよ」
「タクミさん……」
「……ロコナさん、タクミくんのことは信頼していいと思う。ロコナさんみたいな素敵な人と一緒にいるのに、全然浮ついてないもの。ちょっと意識してはいるみたいだけど」
「ちょっ……い、いや、何というかその……」
思わずしどろもどろになってしまう。十歳も離れた相手に対して意識しているとか、ロコナさんにそう思われたら気まずくなってしまわないだろうか。
「……そう、なんですか?」
「えっ……」
俺の心配をよそに、ロコナさんの反応からは嫌悪などは一切感じられない。
これが一条さんだったら、『パーティを組んでいる相手に仲間意識以外の感情を抱くなんて、あなたって本当に駄目ね』と言われてしまうところだ。
それくらいは平気で言うだろう。思い出すと頭が痛くなってくる。
「だ、大丈夫? タクミくん、顔色が青くなってない?」
「大変っ……タクミさん、具合が良くないんですか? お医者さんに行きますか?」
そう言いながらロコナさんが寄り添ってくる。なるべく意識しないように努力していたのに、ロコナさんがあまりに無警戒で、腕に胸が押し付けられる。
男という生き物は、なぜこうも本能に正直なのだろう。そんな場合ではないと分かっているし、そっと離れなければならないのに、実行に移すことができない。
「……タクミさん、大丈夫です。私が傍にいますから」
――スキル『安らぎの手』を発動
――『タクミ』の精神疲労が回復
ロコナさんが俺の背中に手を当てさすってくれただけで、驚くほど心が軽くなる。
さっき魔力を分けるときに使ってくれた『心の支え』といい、彼女は色々な癒しのスキルを持っているようだ。
『メイド』という職業がそういうスキルを使うものなのか、それとも彼女の資質によるものなのか、それは分からないが。
「よかった……タクミくん、顔色が良くなったね」
「ええ、おかげさまで。本当に、ロコナさんには助けられてばかりです」
「私の方こそ、タクミさんに助けていただいて……」
「はーい、これ以上長居すると惚気にあてられちゃいそうだから、あたしはもう行くわね。これから西の森に出るっていう魔物を倒しに行くところだから、このレイピアを使ってみる。それで、いい結果が出たら正当な代価を支払わせてね」
「いえ、お代は頂いた金貨三枚で……って、俺が決めちゃだめですね。ロコナさん、どうします?」
ロコナさんは腕を組み片手を頬に当てる。
大きな胸を支えるために出る自然な仕草なのだろう――と、変なスイッチが入りっぱなしなので頭を振る。
「そうですね……ミリティアさん、今度来られるときはゆっくりしていってください。私、冒険者さんのお話を聞きたいって思っていたんです」
レイピアの代金の話なので、ちょっとロコナさんの返事は飛躍しているのだが――ミリティアさんも初めは驚いていたものの、そのうち楽しそうに笑い始めた。
「あはは……もう、ロコナさんったら。代金のことよりあたしと話がしたいっていうこと?」
「は、はいっ……その、できたら、タクミさんのお給金をお支払いしたいので、彼が欲しい金額が分かるといいなって……お、おいくらならこの工房にいていただけますか?」
飛躍しているというより――ロコナさんはおっとりしているように見えて、頭の中では色々なことを同時に考えているようだ。
俺の給料のことまで考えてくれていたのは、感激というほかない。
この工房に就職したということになれば、給料が出るとありがたい。
だが、俺は給料のことが全く頭から抜けていた。
というより、ロコナさんからお金を貰うという状況が想像できなかった。
「俺はまだ見習いなので、食事が出て寝る場所があるだけでも十分すぎるくらいですよ」
「……えっ?」
ミリティアさんが目を見開く。
そして俺も、誤解されそうな発言をしたことに遅れて気づく。
「あ、いや、その……空き部屋を借りて住まわせてもらうことになりましたが、本当に今日俺はここに来たばかりで、やましいことは一切ありません。本当です」
「……やましいこと、ですか?」
「は、はい。その、職人見習いの本分を逸脱しないというか……」
「……本当にそれでいいの? タクミくん、無理してない?」
ミリティアさんにじっとりと見つめられる。
疑われるのは無理もないが、本当に変なことは何も考えていない――そんなふうに自分に言い聞かせている時点で、自覚はしている。
ロコナさんは美人だ。そして視線を絶対に向けられないが、とても胸が大きい。しかし純粋なロコナさんを見ていると、そういった雑念を抑えなくてはと強く思う。
「別の意味で心配になってきたけど……これからちょくちょく顔を出したほうがよさそうね。タクミくんは誠実な人だと思うけど、男の人は満月の夜に狼になるっていうし」
「そ、そうなんですか? タクミさんは人狼で、勇者候補生だったんですか?」
「いえ、正真正銘ただの人間です……ミリティアさん、ロコナさんは純真なんですから、お手柔らかにお願いします」
「あはは……はぁ、二人といるといつまでも話していたくなっちゃう。ロコナさん、お茶会のお誘いありがとう。久しぶりだから……ううん、誘ってくれて嬉しかった」
「はい、ぜひご一緒させてください。お気をつけて」
ミリティアさんは『魔刃のレイピア+10』を持って工房をあとにする。
これから魔物と戦うと言っていたので、きっとこの後メンバーと合流するのだろう。
「ミリティアさんのパーティの人にも、何か買ってもらえる商品を作れればいいんですが」
「たしか、ミリティアさんは単独で冒険者をされているはずです。彼女は剣と魔法の両方を使うことができる職業なので」
「それは凄いな……彼女こそ『勇者』みたいな職業ですね」
「勇者候補生の方だけでなく、魔王の軍勢と戦おうとしていらっしゃる方はいます。ミリティアさんの戦っている魔物も魔王の軍勢に属しているかもしれません……級が上がるほど、その可能性は高くなるそうです」
その話は、俺もギルドの受付嬢に教えられた。
六級に上がると、討伐依頼の対象となる魔物は高い知性を持っている場合がある――魔王の命令を受けて動いている者もいるということだ。
「……俺も勇者候補生でしたが、どうも自分では勇者にはなれなさそうなので、魔王軍と戦う人を助けるようなことができればと思うんですが……自分が戦わないで人に頼むっていうのは、都合がよすぎますかね」
「いいえ……私、嬉しいです」
「え……う、嬉しいって、どうしてですか?」
「おわかりになりませんか?」
質問に質問を返されてしまう。
すぐに察することのできない俺は、もしかしなくても鈍いんだろうか。
「お料理をしてくださったあともそうでしたが……あのレイピアをミリティアさんが高く評価をしてくれてから、タクミさんの目が生き生きしています」
「……それは……」
「この工房でのお仕事が、タクミさんにとってやりがいがあるのなら、すごく嬉しいです。それに、勇者候補生の方たちのこともタクミさんは考えていて……とても立派だと思います」
ふわりとロコナさんが微笑む。彼女の言葉には衒いも何もない。
これ以上彼女の話を聞いていたら、その言葉は俺の心の柔らかいところに染み込んで、どうにもならなくなってしまう。
俺は自嘲するようなことを言った自分を情けなく思うのに、彼女はそれすら受け止めてしまう。
まだ会ってから数時間も経っていないのに、間違いなく俺は今まで経験することがなかったくらいに心を許している。
「あっ……り、立派だなんて、偉ぶった言い方をしてしまいました」
「いえ。ロコナさんなら少しくらい偉ぶっても、俺は可愛いと思……って何言ってんだ俺っ」
心の鍵がゆるゆるになり、思わず口を滑らせてしまいそうになる。
美人と思ってみたり、可愛いと言ってみたり、これではミリティアさんに惚気ていると言われても仕方がない。
「…………」
ロコナさんは黙って俺を見ている。
やはり急に何を言い出すのかと思われてしまっただろうか。
「す、すみません。工房主として、従業員の俺に対しては、遠慮のない扱いをしてもらっても大丈夫ということで……」
「……で、ではっ。タクミさんに、お願いしたいことがあります」
止まっていたロコナさんは再起動して、こほんと咳払いをする。そんな仕草ですら可愛らしいので、俺がつい口を滑らせても無罪にしておいてほしい。
「今日、ミリティアさんからいただいた金貨三枚。こちらが、クラウディール工房の本日の売り上げになります」
「は、はい。いつも俺がガラクタを売っていたときは、そんな金額には到底ならなくて、よくて銀貨一、ニ枚くらいでしたね。それから考えると、本当に破格の値段をつけてもらえました」
「そうです、タクミさんは工房に来てくれて一日目で、工房主の私よりも凄い成果を出してしまいました。そんなタクミさんにお願いするのは心苦しいのですが……」
「何でも言ってください、粉骨砕身で働く覚悟です」
ロコナさんは真っ直ぐに俺を見る。その澄んだ瞳に映されてしまうと、それだけで浄化されてしまいそうだ――と考えていると、彼女はくすっと笑った。
「タクミさん。夕ご飯のお献立を、一緒に考えていただけますか?」
「なるほど、夕ご飯の……それは大仕事ですね。勿論仰せつかりました」
「ふふっ……私が『メイド』なのに、タクミさんが執事さんみたいです」
この世界には『執事』という職業もあるようだ。
それより何より、何でもないようなことでロコナさんが笑ってくれたことが嬉しかった。