第二話 不遇職ふたり
クラウディール工房の台所は、元は一家で暮らしていたからということか、料理の設備は充実していた――だが、鍋を一つ焦がしてしまったため、残りが一つになってしまった。すぐ洗ってどうにかできるような焦げ付き方ではない。
「…………」
ロコナさんはかなり落ち込んでおり、途方に暮れているようだった。
「……私、お昼はいかがですかなんて言おうとしていたのに、こんな……自分が情けないです。本当はあまりお料理もできないのに、格好をつけて……」
「い、いやっ、鍋のことは仕方ないですよ。それどころじゃなかったですし……材料は残ってるみたいですから、他に何か作れるか考えましょうか」
「は、はい……でも、もう一度、煮込みスープを作るには材料が……」
クラウドバークで人気がある料理の一つが、俺の世界で言うクリームシチューのようなものだ。野菜を煮込んで乳を加え、まろやかなミルク風味のスープ仕立てにする。
ダシを取るための野菜はほぼ使ってしまっているということらしく、野菜が入れてあったものらしきカゴはほとんどカラになっている――残っているのは、カブや人参の葉の部分だ。牛乳も残っていて、鳥の卵もある。
「ん……これは、小麦粉の生地ですか?」
「は、はい。お団子を作って、スープに入れようと思っていて……」
俺は特に料理が得意なわけじゃない。自炊ができないこともない、それくらいのものだった――そのはずが。
厨房に残されている材料。その全てを目に映したとき、俺はロコナさんに尋ねていた。
「ロコナさん、『ここにある材料は全て、料理に使ってもいいんでしょうか』」
「はい、でも、残った材料だけでは……」
――スキル『合成』に必要な『レシピ』を作成
頭の中に、不思議な閃きが生まれる。
そして確信する――ここにある材料で十分に何かが作れると。
「あ、あの……タクミさん、この材料ではお料理はできないので、外のお店に……」
「いえ、大丈夫そうです。急にこんなことを言って不安になるかもしれませんが、俺に任せてみてもらえませんか。ここにある材料を使ってよければ、何か作れると思います」
「ここにある材料……これで、作れるんですか? あっ、卵を茹でたりするとか……」
「ちょっと違いますが、昼食にはちょうどいいものが作れると思います」
自分でもそこまで自信を持って言っていいのかと思いはするが――頭に浮かんだ『レシピ』に従えば、ここにある材料で料理が作れるという確信がある。
「……で、では……お願いします。私では、この材料でタクミさんにお出しするようなお料理はできませんから」
「ありがとうございます。すみません、火の使い方だけ教えてもらってもいいですか」
「はい、私が助手をしますので、何でも申し付けてください」
異世界の住人も、料理をするときはエプロンをして、三角巾をつける――髪を束ねて三角巾をつけたロコナさんの姿は、思わず見とれてしまうような魅力があった。
「? どうしましたか、タクミさん」
「あっ、いえ……じゃ、じゃあ、始めさせてもらいますね」
小麦粉の生地を棒で伸ばし、平打ち麺を作る。鍋に湯を張って麺を茹でつつ、熱したフライパンに油を引き、根菜の葉部分を炒めて塩で味をつける。ベーコンを使いたいところだが、エルフは肉類を食べることが少ないとのことで、普段料理に使うことはないとのことだ。
「タクミさん、お野菜炒めを麺に載せるのでしょうか?」
「それでも食べられますが、せっかく牛乳と卵黄があるので使わせてもらいます」
「は、はい……そういったお料理は、見たことがありませんが……」
俺が作ろうとしている麺料理は、比較的近代になって出てきたものらしく、魔法や魔道具といった特異な文化があるものの文明レベルが中世くらいのこの世界においては、まだ一般的になっていないか、作られたことがないようだ。
醤油や味噌を使った和食が恋しいと思ったりしたことはあったが、懐かしい味は和食に限ったことではない――異世界の材料でどれだけ再現できるのか、自分でも楽しみではある。
茹で上がった麺をフライパンに移す。ここで麺を取るためのトングも菜箸すらもないので、料理用の長いフォークを使った。
麺を茹でるために使っていた火はロコナさんに消してもらう――魔道具のコンロだったので彼女に頼んだ。
「あっ……タ、タクミさん……」
麺のあとに牛乳を入れようとしたところで、ロコナさんが声を上げる。材料があるということは、これと似た料理があってもおかしくないと思うのだが、やはりそうでもないようだ。
「驚くかもしれませんが。俺がいた世界では、結構人気のある料理なんですよ」
ロコナさんは驚きつつも、目が離せないという様子だ。自分の料理を誰かに見ていてもらうなんて、調理実習の授業以来か――と、考えつつ手を動かす。
「ロコナさん、ボウル……いや、何か卵を入れる器のようなものはありますか? できれば、二つほどあると助かります。小さいものでいいので」
「はい、この木の器はいかがでしょうか……んしょっ、と」
ロコナさんは背伸びをして、高い戸棚にある器を取る。
ちょっとバランスが危うい、と思った瞬間。ロコナさんが器を取り落しそうになる。
(危なっ……!)
「きゃっ!」
宙を舞ったボウルを何とかキャッチし、倒れそうになったロコナさんを受け止める。
「ご、ごめんなさい……私、タクミさんのお手伝いも上手くできなくて……」
「いや、無事で良かったですよ。ボウルもこの通り……」
咄嗟のことで、抱きとめたロコナさんの状態がどうなっているか、気がつくのが遅かった。
胸板に、凄く柔らかいものが当たっている。それも二つ――エルフは弓を使うので、誤解を恐れずに言うならば起伏の小さな体型をしているというのが、俺が事前に持っていたイメージだった。ゲームに登場するエルフをモデリングするときも、その辺りが指定書にしっかり書かれていたために、忠実に再現していた。
だが、こうして異世界に来て、この目と胸板で確かめてしまった。エルフの体型は、スレンダーというだけが全てではない。むしろロコナさんは――。
「あ、あの……タクミさん、私、もう大丈夫ですので……」
「っ……す、すみません。ええと、卵をこうやって黄身だけ分けてですね……」
ロコナさんはそっと俺から離れ、そのまま距離を取られるかと思ったが、俺が卵黄を選り分けるところを興味深そうに見ている。頬が赤いのは無理もない、おそらく俺もお互い様だろう。
ボウルに卵を割って、黄身と白身を指で切り、黄身だけを崩れないように選り分ける。フォークを使って黄身を混ぜ、牛乳と一緒に鍋に入れる。
味見をすると俺としてはちょうどいいように思うが、スプーンを借りてロコナさんに差し出す。
「もう少しで完成なんですが、味を見てもらってもいいですか」
「は、はい……では、失礼します……」
(えっ……い、いや、ロコナさん……っ)
スプーンをロコナさんが手に取ってくれると思ったのだが、彼女はそろそろと俺の差し出したスプーンに口を近づけて、直接味見をする。
「ん……」
「ど、どうですか……?」
なるべく動揺を悟られないように聞く。ロコナさんの長い睫毛までが見える距離――彼女は薄く目を開くと、恍惚とした様子で俺を見た。
「……美味しい……卵と牛乳で、こんな味になるなんて……」
「良かった……勝手に作って、口に合わなかったらどうしようかと……すみません、考えなしで」
ロコナさんは微笑み――今度は俺が何も指示しなくても、盛り付けるための皿を出してくれる。俺も卵黄が固まりすぎないうちに火から降ろし、見よう見まねで魔道具の火力を落とした。
――レシピ『カルボナーラ風パスタ』合成成功 完成度B
――スキル使用経験を取得
工房のダイニングルームには六人掛けのテーブルが置かれていて、ロコナさんたち家族が食事していたときの光景を想像させた。
ロコナさんはエプロンと三角巾を外してきて、俺の向かいに座る。テーブルに置かれた皿からは、ほかほかと湯気が立ち上っている――心なしか、ロコナさんの目が輝いている。
「これは俺が元々いた世界の料理で、カルボナーラというんです。材料は少しアレンジしてますが」
「カルボナーラ……変わった響きのお料理ですね……」
元々俺の得意料理だったとか、そういうことではない。
ロコナさんに『材料を使っていいか』を確認したとき、頭にレシピが浮かんできた。レベルが2に上がったことで『合成』というスキルを覚え、それに伴って必要なレシピを作れるようになった――ということらしい。
材料の一部が欠けているために完成度は最高にならないようだが、失敗作ということはない。
根菜の葉を使ったカルボナーラ。パスタ用の生地を使い、葉野菜を使い、ベーコンと黒胡椒があれば、完成度はおそらくもっと上がる――完成度Bの味がどれくらいかは、味見をした段階である程度分かっている。
「……あ……」
今度は小さく、ロコナさんのお腹が鳴った。彼女も食事の時間が遅くなったのは同じだ。
「じゃあ……いただきます」
「……いただきます」
顔を赤らめつつ、ロコナさんはフォークで平打ち麺を巻き取り、口に運ぶ――すると。
「……ああ……どうしましょう。美味しくて、頬が緩んでしまいます……」
誰かに料理を作って食べてもらう――そして、喜んでもらう。
おそらく俺は、初めの目的としてはそういうことのために呼び出されたわけではないだろう。
だが、そんなことは今となっては些細な問題だった。
「……んっ……んむ。タクミさん、召し上がらないのですか?」
俺の手が止まっていることに気づき、ロコナさんが心配そうな顔をする。
(なんて、感慨に浸りすぎか。だけど、素直に嬉しいな)
俺もカルボナーラを口に運ぶ。知っている味とは違うが、それでも初めて作ったにしては十分な出来だと思った。
「タクミさんは、日頃からお料理をされていたのですか? 初めて使う台所で、こんなに手際よく作ってしまうなんて……」
「この世界に来てからは、やってなかったんですが……来る前も、たまに自分で作ることがあるくらいでした。仕事で家に戻ることが少なかったので」
「忙しくされていたのですね……勇者候補生の方々は、皆さん元の世界で学校に通われていたり、お仕事をなさっていたと聞きました」
三ヶ月経っても、元の世界のことを思い出すことはまだある。今だってそうだ。
しかし、帰れないことを辛いとか、焦ったりとか、そういうことは無い。それは、遼樹と一条さん、漆原さんが、元の世界のことを極力話さないようになっていったからでもある。
理想を言うなら、彼らとパーティを継続して、勇者の役目を果たして帰る道を模索したかった。
それができなかったことへの無念が、少なからず俺の心を縛っていた。パーティに貢献できなかった俺が、何をしたってさほど上手く行かないかもしれない。
「あ、ああ……すみません、また考え事をしてしまって。食事時に、良くないですよね」
自分で気がついて、空気を変えようとする。しかし、ロコナさんも同じように手を止めていた。
「……私は、この工房を守るために頑張らなければいけないと思いながら、何もできないでいます。もう大人ですから、家族に心配をかけないように、しっかりしないといけないのに」
彼女が一人で、お祖父さんが亡くなったあともこの工房に残っているのは何故なのか。
いたずらに深入りしてはいけないと思った。だが、これで何も聞かなければ、それは見て見ぬ振りをするということだ。
俺がどうしたいのか。そんなことは、この工房に来たときにはもう決まっていた。
「ロコナさん、その……もし良ければ、お話を聞かせてもらえませんか。この工房が今どんな状態なのか、彼らの言っていた借金はどれくらいのものなのか」
「それは……」
彼女は迷っている様子だった。そこまで会ったばかりの俺に話していいのか、と思うのは当然だろう。
こんなとき、どんな言葉をかければ信用してもらえるのか。年下の遼樹の方が、こういうことは抜群に上手かった――実力に裏打ちされた自信もあったのだろうが、この世界に来る前もクラスの中心に居ただろうことは見ていれば分かった。
俺には人の心を動かす力なんてないが、それならせめて、思っていることをそのまま伝える。
「俺はロコナさんを連れて行こうとした人たちに、その……正直を言うと、怒ってます。証文があるにしたって、無理やり連れて行こうとするのは違うと思う。残った利息を返すことさえできれば文句がないなら、待つという選択肢もあるはずなのに」
「……利息の金額は、金貨三十枚です。私が街の飲食店などで働いて用立てられるのは、頑張っても一ヶ月で金貨十枚くらいです」
「ロコナさんは、頑張ってお金を何とかしようとしたんですね。でも相手は、理不尽なことをあなたに強要している。従う必要はないはずです」
証文が向こうにあるうちは、勝手に利子を増やされてしまう可能性がある。それは契約違反だと言ったところで、役所が信じてくれるかは難しいところだ。信じてくれるようなら、ロコナさんはこんなに悩んでいない。
「……でも、今のようにまた押しかけてこられたら、あなたの身が危ない。とりあえず、一回分の利息については何とかできるようにしましょう」
「タ、タクミさん、それは……っ」
「いや、あくまで保険という意味です。払えるように用意しておきますが、他にも方法を考えるべきです。俺も金貨三十枚かそれ以上なんて、何度も払えないですし……何より、払ってしまったら彼らもますます増長するでしょうから」
俺が持っている金貨五十枚で利息を返し、解決する――それで済むと思うほど、俺も楽観的ではない。
遼樹たちならレベル10以上なので、あのごろつきを正面からねじ伏せることもできるだろう。世理奈の『テイマー』としての能力も成長していて、人間相手にでも行動を止めたり、ある程度言うことを聞かせたりすることができる。
勇者パーティの一員として、ここに来られていたら。まだクラウドバークにいるだろう遼樹たちに、力を貸してもらえれば――。
(いや……彼らに頼ることは考えちゃいけない。俺は、もうパーティを抜けたんだ)
あのごろつきは、バルトロ一家の人間だと言っていた。街でも悪名が広まっているが、ロコナさんにしていることは悪質な高利貸しそのものだ。
考えられる対策は、過剰な利息を要求されてもビクともしないほどに金を稼ぐこと。もしくは腕ずくで押し切られないように、もっとレベルを上げて、ごろつきに対抗できるような有用な技能を得られることに期待する――いずれにしても言えることは、やってみなければ上手く行くかは分からないということか。
「……タクミさん、あなたには、もう十分なくらい助けていただきました。これ以上、ご迷惑をおかけすることはできません」
「いや……迷惑とは、全く思っていないです。むしろ、俺の方がお礼を言いたいと思っているくらいですから」
「え……?」
自分でも、でたらめなことを言っていると思う。しかし本音だから仕方がない。
「この世界に来てから、俺は……情けない話ですが、戦いでは役に立てなくて、ずっと雑用をしてたんです。冒険で手に入れたものを換金したり、ずっとそういうことをやっていました。でも、ギルドで依頼を受けて、仲間たちが依頼主に感謝されているところを見ると、誰かのために何かができるっていうのは、凄いことだと思いました」
俺の身の上なんて話されても、ロコナさんは困ってしまうかもしれない。それでも、自分の情けない部分を隠したら、どんな言葉も意味を無くす気がした。
「ロコナさんのことを見かけたのは偶然でした。あの時は放っておけなくても、これ以上深入りするべきじゃないとも考えました……でも、俺がいたら、一人で悩むことはしなくて済みます。あの男たちがもう一度来た時に、あなたをこの工房で一人にしておくことはしたくない」
「……タクミさん」
いくら俺が彼女を助けたいと思っても、ロコナさんがそれを望まないかもしれない。
しかし、俺が言っていることが的外れだとは思わない。
今まで彼女を見ていて、誰にも助けを求められないでいること、このままではいけないと思っていることも、十分に伝わっている。
「……そうだ。俺のことを、この工房で雇ってもらえませんか」
「この、工房で……? 今は工房として営業をすることができていないのに……」
「俺が勇者候補生として召喚されたときに与えられたクラスは、どうも戦闘よりは、物を作ったりすることに向いてるんじゃないかと思うんです。それも、可能性の話ではあるんですが……何しろ、まだレベル2で、ものの形を変えることと、今みたいな料理しかできませんから」
「ものの形を、変える……やはりタクミさんが、家の壁を使って、あの影を作ったのですね……」
ロコナさんは、俺がしたことをそこまで分かっていた――あの時は何とかしようと必死で、格好悪い姿だっただろうと思うが、彼女の目にはそう映らなかったようだった。
「……あなたは、私にとって恩人です。その、あなたがいてくれるのなら……本当は……」
ロコナさんはそれ以上言えなくなってしまう。何を言おうとしてくれているのか――自分に期待のできない俺でも分かる。
「一緒に、どうしたらいいか考えさせてください。雇って欲しいとは言いましたが、もし給料をもらうとしても、工房の経営を立て直せてからで大丈夫です」
「……っ……」
ロコナさんが顔を覆う。
肩を震わせて、泣いているのだと分かって、俺は――何を言うべきかと考えて。
「……食事が冷めますから、続きは食べてから話しましょう。食べればきっと元気が出ますよ」
「……はい……ありがとうございます、タクミさん……ありがとう……」
俺たちは食事の続きを始める。
子供の頃、泣いたあとはやたらとお腹が空いて、食事が美味しく感じたことを思い出した。
「……美味しい。本当に……」
カルボナーラは少し冷めてしまったが、ロコナさんはゆっくりと味わいながら口に運ぶ。
俺も食べてみるが、やはり腹が減っているので、少し急いで食べてしまう――気がつくとロコナさんが俺を見ていて、赤らんだ目を恥じらいながら笑ってくれた。
――『ロコナ』の魔力が『カルボナーラ』の効果で小回復 守備力が小上昇
――『タクミ』の魔力が『カルボナーラ』の効果で小回復 守備力が小上昇