第十四話 エルフの恩返し
バルトロ一家の家に踏み込んでから、一週間後。
多数の住民の証言によってロコナさんの誘拐事件を重く受け止めた王国は、即座に奴隷の売買をしていたバルトロ一家に捕縛命令を出し、その成果が現れていた。これもロコナさんが常連だった店の人たちが、熱心に国に陳情してくれたおかげである。
バルトロを倒したミリティアさんには賞金が支払われた。しかし金貨三千枚という額はギルドでも即金で出せるものではなく、まず金貨千枚を受け取ることになった。
ミリティアさんは、それを全て俺たちの工房に投資すると言い出した。
ロコナさんも俺も懸命に辞退したが、ミリティアさんに『この工房に投資するのは、あたしにとっても必要なことだから。タクミくんを専属の職人にできるし、ロコナさんとお茶もできるしね』と言われて押し切られてしまった。
遠慮するロコナさんを横目に、金貨の詰まった袋を彼女の前に置いていくミリティアさん。百枚入りが十袋、かなりの重みだ。
この投資は工房の発展に生かさなくてはいけない。
また、バルトロ一家の不当な利息請求で泣きを見ていた多く被害者についても救済措置がとられた。具体的には、元金の返済はしなくてはならないが、利息は全て支払わなくてよくなったのだ。
一方のバルトロ一家は、不当な利息の請求をした分だけ罪が重くなることになった。つまり、彼らがすぐに牢の外に出てくるということはなくなったということだ。
バルトロ一家の一件後、マドレーヌさんは毎日工房を訪問してくれた。
彼女はロコナさんの無事を確認すると安堵のあまり涙をこぼしていた。ロコナさんももらい泣きをしていたので、俺もホロリとなるところだったが、そうそう涙は見せられない。
そしてロコナさんは市場の人たちにも無事を祝ってもらい、一週間の間毎日市場に行くたびに何かをもらって帰ってきた。新鮮な食材や果実などがいっぱいで、早めに使わないといけない状態にある。まさに嬉しい悲鳴だ。
とりあえず果実を使って何かを作れないかと思ったのだが――『合成』を使うと、発酵過程のあるようなものでも時間をかけずに作ることができる。
味噌と醤油を作った経験から、『それ』が作れるだろうということは、もう想像がついていた。
「タクミさん、先にお風呂をいただきました」
「はい、湯加減はどうでした?」
「ふふっ……タクミさんがちょうどよくしてくださったので、とても入りやすかったです。でも、いいんでしょうか……」
「遠慮しないで先に入ってください、俺は後のほうがいいので……って、変な意味ではないですよ」
「変な意味……ですか?」
「い、いや、何でもありません」
正直を言うと、まだ全く同居に慣れていない。
悪い意味ではなくて、初期の緊張がそのまま残っている場面があるというか。
そもそも、ロコナさんのような人と一緒に生活することなど考えられない。
俺は家に帰ってもすぐにベッドに倒れ込むような社畜生活を送っていたし、家は寝るための場所で、誰かと会話をしたりする空間ではなかったからだ。
だから、こんなことをしようと考える機会もなかった。
マドレーヌさんが差し入れてくれた、葡萄のような果実――『ロゼブラン』を使った、透明に近い薄桃色の酒。
炭酸を吹き込むやり方など知らなかったが、瓶に入れたあとで二次発酵させるというのも『合成』の過程に含まれており、完成した段階でシャンパンのような仕上がりになっていた。
「タクミさん、その瓶は……何かお作りになったんですか?」
「す、すみません。さっきもらった果物なんですが……そのまま食べても美味しいんですが、できれば加工を試してみたくて……」
「私は、タクミさんが作りたいと思ったものは全部見てみたいです。だから、心配しなくても大丈夫ですよ」
そう言ってロコナさんが微笑む。
現在、ロコナさんは濡れた髪をタオルでまとめており、彼女からはとても良い香りが漂っていた。
ちなみに風呂場で使っている石鹸は、洗濯用とは違う配合で合成したものだ。
これについてはロコナさんの意見を聞きながら新たに作らせてもらった。
「タクミさんのスキルで作ったものを見るのは、いつもわくわくします。食べ物のときは特に……いえ、食い意地が張っているわけじゃないんですよ?」
ロコナさんが美味しそうに食べるところは俺も見ていて幸せな気分になるので、食い意地が張っているなんて思ったことはない――なんて言ったら、彼女はまたきょとんとしてしまうだろうか。
「今回は、好みに合うかどうか本当に分からないんですが……俺の世界にあったお酒に似たものが作れたので、せっかくなので飲んでもらいたくて」
「エルフはあまりお酒で酔わないのですが、父や祖父はとても好きでした。私も、祝いごとの席では飲んだことがあります……あ、おみそで酔ってしまったのは別ですからね!」
そう恥ずかしそうに言いながら髪を乾かしに行くロコナさん。
この世界では、お酒の年齢制限などは定められていない。
しかし、自分で作って勧めるというのは有りや無しやと今さら考えもするが、当のロコナさんは特に何も思うところはないようなので、俺の考えすぎなのかもしれないな。
程なく、ロコナさんが戻ってくる。
彼女は髪を乾かす際に、風の精霊魔法を使う。
エルフは精霊の力を生活に役立てているため、家事だけでなく身の回りのことにしばしば魔法を使う場面があった。
「お待たせしました……あら、これは?」
「普通の木のコップだと、せっかくの酒の色が分からないので……シャンパングラスというやつなんですが、それを作ってみました」
簡単に手に入る材料から、『ガラス』が作れる。そう気づいたのは、くず石の中にガラス質の石が混じっていたのを見つけたときだった。
ガラス質の石、『金剛石英』を集めて『合成』すると、元の石には戻らないのだが、ガラスを作ることができる。それを慎重に『形成』し、記憶の中にあるシャンパングラスの形を再現してみた。
この家では、夜は明かりがついている場所がほとんどなく、今は居間のランタンが灯っているくらいだ。
その暖色の淡い明かりの中で、二つのグラスが光を照り返す光景は、なかなか風情のあるものだった――と、ロコナさんが思ってくれるかが肝心なのだが。
「……私に内緒で、こんな準備をしてくれていたんですか?」
「な、内緒というか……その、スキルを使ってできることは色々と試してみたくて。すみません、秘密にしていて」
ロコナさんは首を振り、顔を覆ってしまう。
そして俺に背中を向けて、しばらく経ってから振り向いた。
「……タクミさんって、こういった雰囲気も大切にされる方なんですね」
「い、いや……本当に慣れなくて、格好をつけすぎてないかと思うんですが……」
ロコナさんは微笑むと、瓶を手に取り俺のグラスに酒を注ぐ。
この世界にシャンパンがあるのかは分からないが、その注ぎ方はとても絵になっていた。
「タクミさんにこうしてお注ぎするのは初めてですね。『メイド』としては、初めのほうに習うことなのに……」
「俺は、この工房の職人ですから。本当は、俺の方が工房主のロコナさんにお酌をしたいところです」
ロコナさんは俺の希望を汲んで、自分のグラスを持ってくれる。
俺が彼女のグラスに酒を注ぐと、グラスの底から綺麗に一筋の泡が立つ。
「……考えてみたら、これも初めてですが。『乾杯』をしませんか」
この世界にも、元の世界と同じ文化は幾つもある。
その一つが『乾杯』だ。
遼樹たちと一緒にいるときは酒を飲むこともなかったし、乾杯をするほど貢献することもできなかった。
今は、気分が高揚したままでいることを許してもらいたい。
それを言わなくてもロコナさんは俺とグラスを合わせて、同じようにシャンパンを口にして――そして嬉しそうにはにかんだ。
俺が酒に強いかというと、決してそんなことはなく。
バルトロ一家の件が収束へと向かっている安堵と、自分で作ったものながら『ロゼブラン』のシャンパンが飲みやすかったことから、つい注がれるままに酒を楽しんでしまうのだった。
◆ ◇ ◆
何となく、最後の記憶は残っている。
辛うじて自室に戻り、自分のベッドに入って――その後に、ドアが開いたような気がする。
「……すー……」
すぐ近くで、誰かが寝息を立てている。
俺は夢を見ているのだろうか。
誰かと一緒のベッドで寝ているなんて、そんなことがあるわけ――。
「……タクミ……さん……」
カーテン越しに、朝の光が差し込んでいる。このカーテンも麻製なのだが、少し光を通しすぎるので、違う材質も試してみたい――と、それは現実逃避だ。
俺はベッドに仰向けに寝ていた。
パンツは辛うじて穿いているが、後は何も着ていない状態で。
そのとなりでは、俺の腕を枕にして、ロコナさんが眠っている。
毛布をめくっても寝間着の襟が見えずに緊張がピークを迎えるが、肩にかかっている紐を見て、いつもの寝間着とは違うネグリジェのようなものを着ているのだと理解する。
外からは鳥の声が聞こえてくる。
異世界でも朝を告げる鳥はいて、チュンチュンと鳴いている。
「……ロ、ロコナ……さん……」
腕枕を外してもらわないと動くこともできない。
起こしてしまうことを申し訳なく思い、同時に再び極限の緊張を味わいながら、スピードを際限なく早める脈拍に自分は死ぬのではないかと思いつつ、彼女の名前を呼ぶ。
「ん……タクミさん……」
「……お、おはようございます」
間近で見るロコナさんは、朝の起き抜けでも関係なく、抜群の美人のままだった。
睫毛が長く、肌も透き通るようだ。
少しだけ寝癖がついていて愛嬌が増している。
「……おはようございま……ふぁぁ。すみません、まだ少し眠くて……タクミさんのベッドが、とても寝心地が良かったもので……くー」
「……って、ロ、ロコナさん……」
また寝るんですか、と強くは言えない。
しかしロコナさんの冗談だったようで、彼女の目が再び薄く開いた。
「……そ、その……俺、昨晩何か……」
「……タクミさんは、とても優しかったです。私、すごく安心できて……」
これは――男として責任を取るべき事態なのか。
いや、逃げるつもりなど全くないのだが、記憶に全く残っていないというのが、酒は恐ろしいというか、俺は酒を飲むと記憶が飛ぶのかとか、とりとめのない考えが頭の中でぐるぐると回る。
そんな中でロコナさんはもぞもぞと身体を起こす。
そして俺の胸にかかった毛布の上に手を置き、撫でるように手を動かしながら言った。
「私が、一人で心細いなんてわがままを言って……タクミさん、暑いって言ってらっしゃったのに、ベッドに入れてくださったんです。それで、私はお酒を飲んでもそんなに火照っていなかったので……ひんやりして、ちょうどいいっておっしゃって……」
だんだんロコナさんの顔が赤くなってくる。
もう見ていられないのだが、その流れなら、俺はロコナさんに対して申し訳ないことというか、手を出したりはしていないのではないかと考えられなくもない。
「あ、あの……俺、寝てるうちに、ロコナさんに何か……」
「……そ、それは……」
この言葉の濁し方はアウトだ。
俺が何もしていないということはない、何か確実にしてしまった。
幸いなことは、ロコナさんが怒っていないこと。
やっぱり男を一つ屋根の下に住まわせるなんて、という考えには向かっていないことだ。
「すみません、次からは自分でセーブして、ロコナさんにご迷惑をかけないように……」
「……こういう迷惑なら、もっとかけてもらってもいいです」
「え……?」
いつかと同じように、また短い疑問の言葉を向けて。
ロコナさんが長い髪をかきあげながら、俺に顔を近づけてくる。
そして、額にかかる髪を分けられて――柔らかい感触が触れて、離れていく。
「……あっ……え、ええと、あの……タ、タクミさんっ」
「は、はいっ……!」
額にキスをされた。
してくれたロコナさんも慌てていて、俺も動転していて。
どちらともなく、笑い合う。
ロコナさんは耳まで赤くなっているけれど、あえて何も言わない。
俺も同じくらい照れているという自覚はある。
「……今日も一日、一緒に頑張りましょう」
工房主による、朝の挨拶。
それを受けて、雇用者であるところの俺は期待に応えるべく、全身全霊で、職人としての仕事をしようと誓う。
「はい。今日もよろしくお願いします」




