第十三話 クラウドバークの鬼人 その1
クラウドバークに古くから暮らす住民は、この街を『旧市街』と『新市街』の二つに分けて呼ぶ。
旧市街には石壁で作られた均一な造りの家がいくつも並んでいるが、その一般市民が暮らす家の中に紛れるようにして、ダジル・バルトロの本拠地がある。
バルトロ一家はクラウドバークの裏社会を牛耳る組織である。その頭目は世襲ではなく、前代の頭目から直接指名を受けて決定される。
当代のダジルはバルトロ一家において武闘派集団を率いてきた男である。少年の頃からバルトロ一家に入り、その戦闘に向いたクラスと恵まれた体躯から、敵対組織との衝突などにおいてすぐに頭角を現した。
その冷酷さと戦闘における強さから『クラウドバークの鬼人』と呼ばれているダジルだが、敵対組織を壊滅させクラウドバークから追放した後、敵対組織が持っていた『商売』のルートをそのまま手に入れ運用するという賢い側面も持ち合わせていた。
そんな『商売』の中には、亜人を対象にした奴隷売買のルートもあった。
王国民の八割が人間であり、残りの二割である亜人は住む場所を制限され差別を受けている。そして、王国が禁止する奴隷売買においては、取り扱われるのは主に亜人であり、希少な種族ほど高額で売却されていた。
「……そんなわけだ、ロコナ・クラウディール。あんたの家はエルフなんて種族でいながら、この町で実に長い間上手くやってきた」
バルトロ一家のアジト、その二階。
バルトロの部屋に作られた牢の中にロコナは入れられていた。
後ろ手に縛られているが、それ以外の拘束は受けていない。
彼女は鉄格子の外から話しかけてきたバルトロに、毅然とした視線を向ける。
「……こんなことを、私たちの森に住まう方……大精霊様は絶対に……」
「その大精霊とやらだったか。それを神のように崇めているのが、あんたたち純血のエルフだ。俺は学がないが、この商売を始めるにあたってエルフについては情報を仕入れた。あんたたちの種族は死ぬ時に魂が森に帰り、大精霊と一体化して、もう一度生まれてくるなんて仕組みになっているらしいな。カハハ……俺たち人間も、それくらい救いのある教義に浸りたいもんだ」
「仕組みではありません。そのような言い方をするのは、許されることでは……」
ロコナは言葉を止める。
ダジルの視線が、明らかに温度を低くしたからだった。
「許すかどうかを決めるのはこっちだ。まだ自分の立場が分かってないようだな」
そう言いながら、ダジルは古びた証文を取り出した。
そこにはある人物の名前があり、バルトロ一家に金を借りるという一筆書きと、共同保証人の名前も記してある。
だがそれは、名前の人物――ジェラルド・クラウディールの筆跡ではなかった。
両方とも同じペンと筆跡で書かれている。
「この、文字は……お祖父様の書いたものでは……」
「おっと……さすが孫娘だ、分かるもんなんだな。このフィリップって男は、うちの前の頭目から金を借りててなあ。共同保証人として名前を書き込んだのが、あんたの祖父さんだったってわけだ」
「こんな……こんなサインでは、何も……っ」
「いいや、何も意味がないってことはない。なぜなら、この血判は本物だからだよ。フィリップは親友だったあんたの爺さんと酒でも飲んで、血判を押させたってわけだ。だが年がいった男のエルフってのは、市場でもそこまでの値がつかない。商品として価値があるのは、あんた……そして、あんたの母さんだったってわけだ」
「っ……まさか、お母様に何か……っ」
「どうなるかはあんた次第だ。俺たちもクラウドバークの外にいるエルフを追っていったりはしないが、行方を辿れないわけじゃない。あんたが大人しくしていれば、多少は考えてやってもいい。考えるだけかもしれないがな……カハハッ!」
「……私を売ってお金にするために、いわれのない利息を取り立てようとして……あなたたちは、どこまで酷いことを……っ」
ロコナが気丈に言葉をぶつけても、ダジルは薄く笑みを浮かべたままだ。
「言ったろう、価値があるのはあんたの母さんも同じだとな。エルフは成人を迎えると、長い間年を取らない。娘のあんたを見りゃわかる、あんたの母親も、さぞ美人なんだろう?」
ダジルの視線が向けられている先に気づき、ロコナは身体を震わせた。
相手を道具か、搾取する対象としか見ていない。ダジルや彼の仲間たちにとってロコナもその母も、そのようにしか見えていない――それを自覚させられると、怯えずにいられなかった。
「……タクミ……さん……助けて……」
蒼白になったロコナは、小さな声で呟くことしかできない。
ダジルにはその声は聞こえず、低い声で笑う。
「エルフの母娘なんてそうそう出回るもんじゃねえ。金貨三十枚なんてみみっちい額がどうでもよくなるくらいの値がつくだろうさ。あんたも自分の価値を確かめて驚くといいぜ、人間ってのがいかにくだらない欲望に大枚をはたくのか、馬鹿にしてくれて構わねえよ」
「……お願いです……母は関係ありません。私だけで……」
「駄目だ。実を言うと、もう王都にいるクラウディールさん宛に手紙も書いてある。あんたの娘にはちょっとうちで働いてもらってる。返してほしかったらそれなりの誠意ってもんを見せてもらおうってな……カハハハハッ、これがその手紙だ。よく書けてるだろ?」
「っ……そんなもの……っ」
ダジルが差し出した手紙に、ロコナは鉄格子の隙間から手を伸ばす。
しかしダジルはその手首を掴み、引き寄せた。
「くぅっ……うぅ……」
「このまま売り飛ばしてやるだけでも感謝してくれよ。それとも今あんたをこの牢から出したら、どうなるか……試してみるか?」
「……お願い……です……母だけは……」
「ここに来た時からあんたは『商品』にすぎない。おとなしくしておけば、あんたの母親は丁重に扱ってやるよ……カハハハハハハハッ!」
哄笑するダジルを前に、ロコナの顔は青ざめ、絶望しきっているかのように見えた。しかし――
「……森の精霊よ。我が呼び声に答え、ひとときその力を……」
「っ……てめぇ……!」
ロコナが身につけている護身用の魔法。
スキルではなく、エルフの身に備わった、生まれた森の力を借りる魔術。
それが完全に発現する前にダジルはロコナから手を引き、牢から離れる、
彼の足元には魔力が生じさせた稲光が走っていた。
「精霊魔法……エルフは大人になりゃ誰でも使えるって話だが……俺に何をしようとした!」
「っ……絶対に母のことも、誰のことも傷つけさせない……っ、あの人がきっと、あなたたちのことなんて……っ!」
ダジルは足元に目を向ける。ロコナの手を離したときに、弾みで彼女の腕輪の紐が切れて、辺りに魔石の欠片が散らばっている。
それを集めようと手を伸ばし、それでも届かずに涙を流すロコナを見ながら、ダジルは口角を釣り上げ、獣のように笑った。
「そういや、工房に新しい職人が入ったんだったか。そいつが助けに来るとでも思ってるのか? 俺たちのことを知っていてここに来ようって考えるほどの馬鹿はそういないだろう。勇者候補なんて名乗ってる連中だって、金にならない面倒には手を出しやしねえ」
「……タクミさんは、とても勇気がある人です。レベルなんて関係なくて、いつも私なんかよりずっと立派で、勇気があって……あなたたちなんかより、ずっと強い人なんですから……っ!」
初めは受け流すような顔をしていたダジルは、ロコナの言葉を聞き終える前に表情を変える。
凍てつくような、温度の低い瞳でロコナを眇めると、ダジルは牢の鍵を取り出す。
「何を……私は、あなたの言うことなんて絶対に……っ」
「工房に戻ってくるまでは『メイド』だったんだろ? それもまた、奴隷を買う連中にとっては価値のあるクラスだ。どれくらいのものか確かめておいても罰は当たらねえだろう。売り飛ばすまでは、ロコナ……お前は俺の所有物なんだからな」
「……っ」
ダジルはいつでも、この牢を開けることができた。
そしてバルトロ一家の誰よりも、ロコナに対して執着に近いものを向けている。
それがどのような種類のものか、彼女が知るのにそう時間はかからなかった。
「タクミさんは、絶対に……あなたたちなんかに……っ!」
気丈に声を張っても、ダジルの動きは止まることがない。
牢の鍵を開け、鉄格子を開く。
そしてロコナに手を伸ばそうとした瞬間――
『うぉぉっ……な、なんだこりゃっ……』
『敵襲か……っ、やべえ、煙が一気に広がって……い、息がっ……』
『吸い込むな、息を止めろっ! こいつは……吸い、こんだら……』
――建物の一階から、男たちの悲鳴じみた声が聞こえてくる。
そして、その後に訪れたのは不気味なほどの静寂だった。
「……おい、グレッグ、ゴドウィン! 何があった!? 返事をしろ!」
建物の中に張り巡らされた伝声管。その一つにダジルが声をかける。
するともう一つの管から声が返ってきた。
『あんたがバルトロ一家のボスだな。俺はタクミ・フカボリ。ロコナさんには手を出すな』
「……タクミさん……っ」
ロコナにもその声は聞こえていた。
ダジルは挑発を受け、こめかみに血管を浮き上がらせて歯を食いしばりながらも、凶暴な笑みと共に叫ぶ。
「エルフの女にたらしこまれたのか、たかが職人ふぜいが……そうだ、俺がダジル・バルトロだ。死にたければ上がってこい、最後に女の顔くらいは見られるかもな!」
激昂したダジルが伝声管に声を叩きつけた瞬間だった。
部屋の扉が勢いよく開く。
白い煙と共に部屋の中に入ってきたのは、レイピアを構えたミリティアだった。
◆ ◇ ◆
ミリティアさんは、バルトロ一家のアジトに侵入するとき『裏口から一人ずつ倒していく』と提案してきた。
『バルトロ一家は、頭目のダジル以外にはそれほどレベルの高い連中はいないって聞いたことがある。ただ力任せなだけの連中なら、あたしなら無傷で倒せるから』
『ミリティアさん、俺からも一つ提案があります。ミリティアさんの体力や魔力は、バルトロのところにたどり着くまでは温存しておきたい。二階にロコナさんがいるんだったら、一階にいる人間を無力化するいい方法があります』
そう言って俺は『スリープスモーク』を取り出してミリティアさんに見せ、効果は実験済みであること、一階の隅々まで煙を行き渡らせる必要があること、そして俺たちが煙を吸ってしまうという事故を防ぐ必要があることを説明し、予め持っておいた『安らぎのマスク』を渡した。
街中に生えていて放置されている植物や、市場で手に入る薬草などを原料にして作った『解毒のポーション』。これを『麻布の端切れ』『パピルマ紙』から作った『麻のマスク』と合成すると、状態異常を防止する効果のあるマスクができる。
いわば、異世界版のガスマスクだ。
『ちょっと着けたときの見た目が気になるけど、つけてるだけでいい匂いがするわね……』
『それを着けていれば少しくらい煙を吸い込んでも大丈夫だと思います』
『分かったわ。じゃあタクミくん、お願いね』
そしてミリティアさんはアジトの裏口から飛び込み、近くにいて襲ってきた男を上手く打撃で昏倒させる。
ミリティアさんの後に続いて踏み込んだ俺は、『スリープスモーク』を思い切り床に叩きつけた。
そのままでは煙の広がりが悪かったので、ミリティアさんが風の魔法を使って一階に眠りの煙を充満させ、一気に二階まで駆け抜け、バルトロの部屋に突入した。
部屋の扉が勢いよく開く。
白い煙と共に部屋の中に入るミリティアさん。
彼女は間髪入れずにレイピアを構えた。
「――はぁぁぁぁぁっ!」
『魔刃のレイピア』に合成された魔力結晶が、ミリティアさんの魔力に反応して輝く。
そして彼女は、部屋の中にいた男に向かって突進しながら猛烈な突きを繰り出す。
「あんたがダジル・バルトロね……っ、ロコナさんを返してもらうわよ!」
「舐めてくれたもんだ。その程度の技でこの俺を……」
「そうやって甘く見てくれたほうが、こっちは都合がいいのよね……っ!」
ミリティアさんの繰り出したレイピアが、一突きごとに幾つもの剣閃を生み出す。
魔力結晶によって『+10』に強化されたミリティアさんのレイピアは、一度の攻撃でも魔力を込めることによって、数回攻撃回数が増えるようになっていた。
攻撃回数は機敏さに比例して増えていくというが、『魔刃のレイピア』による攻撃回数の上昇は、およそ8レベルで可能な範囲ではない。
その手数は『ソードマスター』の遼樹を凌ぐほどで、目にも留まらぬ早業とはこのことだった。
「うぉぉぉっ……おぉぉ……!」
一撃ごとに、五つの魔力の刃がダジルに叩き込まれる。
ただの『二段突き』と判断して、曲剣で受けようとしたダジルは、合計で十の斬撃をその身体の中心近くに叩き込まれた。
「入った……でも何なの、この手応え……っ」
「ミリティアさんっ、反撃が来ます!」
「タクミくん、あたしのことはいいから! ロコナさんをお願いっ!」
ミリティアさんは俺に前に出ないように制する。俺は部屋を見回し、ダジルの後方にある鉄格子を見つける。
「タクミさん!」
「ロコナさんっ……必ず助けます!」
「……殴り込みとは、舐めた真似しやがって……!」
ミリティアさんの攻撃をまともに受けてもたった一歩しか後退することなく、ダジルがすかさず反撃する。
おそらくダジルはミリティアさんよりレベルが高い。そのために、有効打を与えられていないのだ。
「くっ……!」
ミリティアさんは後ろに飛んで回避する。振り下ろされた曲剣が木床に叩きつけられ、斬撃の跡がついた。
俺とミリティアさんは『スリープスモーク』の効果が自分に及ぶことを防ぐために、口元を布で覆っている。ダジルはそれを見て苛立ちを隠さない――自分が煙を吸うことのリスクに気がついたのだろう。
「毒か何か知らねえが、効く前に終わらせりゃいい……こいつは名案だ」
ダジルはにぃ、と凶暴な笑みを見せると、ミリティアさんの攻撃でぼろぼろになった自身の外套を掴みしめ、一気に剥ぎ取った。
「……外套の下に鋼鉄の鎧を着込んでるなんて。意外と臆病じゃない、バルトロ一家の頭目も」
「大した武器だ……この街じゃそうそう手に入らない上物。女、どこでそれを手に入れた?」
「ロコナさんを返してくれたら教えてあげるけどね。そんなつもり、さらさらないでしょう」
『魔刃のレイピア』による多段攻撃は、ミリティアさんにとって奥の手といえるようなものではないはずだ。
その威力は決して弱くないことを考えると、ミリティアさんの攻撃でダジルの防御力を上回ることは難しいように思える。
突くべき隙があるとしたら、ダジルが俺の存在を見くびっていることだ。今のところ全く歯牙にもかけられていない。
俺のことを工房の新しい職人だと知っているかは分からないが、見ただけでも戦闘に特化していないというのは判断できたのだろう。
「言っておくが、俺のレベルは10だ。今のうちに引いてもらえりゃ、無駄な殺しはしなくて済むんだがな」
レベル10――ミリティアさんのレベルは8であり、俺は3のまま。
ダジルのレベルは俺たちより高くても、冒険者の高レベルに及ぶものではない。それでもダジルは自信に溢れている――自分より強い冒険者が来ないと分かっているかのように。
「そんなレベルじゃ、いずれ賞金がかかったらすぐ倒されるような小悪党じゃない」
「ところがそうはならねえんだ。勇者候補生って奴らは、ギルドからの依頼しか見えてないからな」
冒険者ギルドにも裏金を払っていると隠しもせずにバルトロは言う。
彼らの癒着に対して罰する者がいない以上、レベル13の遼樹がバルトロ一家を壊滅させるような任務を受けることはない。
「そして俺のクラスは悪事を積むほどに経験が入る。本格的に奴隷商売を始めれば、じきにこの街どころか、この国全体でも俺に刃向かえる人間はいなくなるって寸法だ」
「悪事でレベルが上がる……まるで、それじゃ……」
まだ見たことのないが、魔王軍よりも、よほど周辺の人々にとって脅威となりそうだ。
「神は全ての人間にクラスを与える。その中に『無法者』なんてクラスがあるなら、この世界に善と悪なんてのは初めから存在しない。王国が善で、その法を破る者が悪なんてのは、所詮は人間の決めた価値観だ。何が正しいかは自分で決めていい……おまえらの神はそう言ってるんだよ」
『無法者』――秩序を重んじるクラス、中立のクラスとは違う、法に背くクラス。
人は与えられたクラスに強く影響されて生き方を選ぶ。俺もレベルを上げる方法が分からず、分かるまでは少しの先も見えない霧の中にいるようだった。
ダジルの言葉には、与えられたクラスに宿命を定められたことへの憎しみ、そして神という存在への嘲りが込められていた。
それでも、それしか生き方を選べなくても、俺たちは相容れない。
「『無法者』が人を苦しめなければ生きていけないんだとは思わない。あんたが他人から奪うことを正しいと思うなら、俺は俺の正しいと思うことをする」
ダジルは何も言わない。
だが、曲剣を握る手は明らかな殺意を持って、その力を増している。




