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プロローグ・1



 異世界行きの切符を手にしたらどうするか。


 俺の場合、冗談程度に『チートは一個は欲しい』『転生担当はおっさんじゃなくて美女がいい』なんてことを考えることはあった。


 そもそも死ぬことを恐れている俺が、異世界転生をするなんて到底無理な話だ。


 ――では、死なずに今の自分のままで異世界に飛ばされたら?


 それは唐突に、俺にとって現実のものとなった。


 気がつくと真っ暗なだだっ広い空間に放り出されており、状況が飲み込めないままで起き上がった。


「……どこだ、ここは?」


 何日か会社に泊まり込んで久しぶりに帰宅したはずなのだが、泥のように疲れていたのにベッドに飛び込んで寝た記憶がない。周囲が急に明るくなり、急に意識が途切れたような気はするが、はっきりと覚えていない。


 モヤがかかったような頭が次第にはっきりしてくる。


 そして自分の状況を自覚すると、急に恐ろしくなってきた。


「……まさか……いや、死んでないよな……?」


 もしかして過労だろうか?


 いや、死んではいないと思いたい。


 だが万が一、死んでしまったのならどうすればいいのか。


 もし死んだのならパソコンの外付けドライブに入っている色んなデータを誰かに見られてしまうかもしれないとか、そんなことも多少は考えるが、悩んでもしようがない。別に特殊な性的嗜好は持ってないし、パスワードを割られてまで中身を見られることもないだろう。


 ないと思いたい。


 というかそもそも、パソコンのデータのことなんて気にしてる場合じゃない。


 今いる場所は、俺の知っている現実においてはありえないような空間だ。


 辺り一面が黒に塗られたような空間の中で、俺だけに色がついている。光源は見当たらないのに視界は確保されていて、不自然に感じて仕方がない。


 これが死後の世界でなければ、俺は悪い夢でも見ているのかという話になるが、悔しいかな、頬を抓ってみてもしっかり痛く、目が覚める気配はない。


「…………異世界って、こんな暗くないよな?」

「――おめでとうございます」

「うわっ!?」


 不意に声がして振り返ると、そこには忽然と人が立っていた。


 誰もいないと思っていたのに急に出てこられると、心臓に悪いことこの上ない。


 独り言だと思っていたのに他人に聞かれていたら、誰でも同じくらいに驚くだろう。俺が人一倍臆病だというわけじゃない。


 淡い光を帯びていて、見るからに神々しい女性――背中に羽根まで生えているし、これはもしかしなくても天使ってやつだろうか。


 天使と形容したのは、立っていた人物が絵に描いたような美女だったからということもある。二十歳前後というところだろうか、だとしたら俺よりも年下なのだが、女の子という感じでもない。


 白人のような特徴を備えているが、彫りが深すぎるということもなく、俺の感覚に親しみやすい美人だった。


「あなたは100番目の勇者候補生です。今回の勇者召喚で対象になった最後の一名ですよ」


 ぱち、ぱち、と、いかにも気のない拍手をしながら天使のような姿の女性が言う。


 流れる光のような金色の髪に、いかにも神聖な服装という感じがする、ファンタジー世界の司祭のような装い。穏やかな瞳に淑やかな雰囲気で、あまり見てはいけないがプロポーションも均整が取れており、世の男性を魅了する要素を完全に備えている――そのはずなのに、不思議と心が浮つくようなことがない。


 もちろん、俺が大きな胸が嫌いだからということではない。


 彼女の目の奥は、全く笑っていない。


 俺の価値を値踏みするような視線のように思える――大学に居た頃、一度だけ顔を出させられた合コンで浴びた視線にも似ている。天使だなどと思いながら、彼女のことを俗に見すぎている気がしなくもない。


「あの、一方的に『勇者召喚』なんて言われても困るんですが……俺を誘拐でもしたんですか? 何のために?」

「誘拐というわけではありません、お招きしたのです。あなたは元いた世界で、忙しく仕事に追われる日々に疲れ、ある感情を抱いた。それが召喚基準を満たしていると判断されました。おめでとうございます」


 彼女はどうしても『おめでとう』と言いたいらしい。


 何かごり押しをされているようで、早くも不信感を抱いてしまう――そして、遅れて話の内容が頭に入ってきて、とんでもないことを言われたことに気がつく。


「ある感情って……ま、まさか、『こんな生活から抜け出したい』とか思ってたくらいで召喚されたってことですか!?」


 彼女は何も言わず、笑顔を崩さない。そんなに驚くようなことなのかと言わんばかりだ。


 俺はゾッとする――これは理不尽なやつだ。こちらの事情など何も考えず、勝手に呼んでおいて、彼女はそれをおめでたいことと思っているのだ。


「あ、ありえない……大して珍しい考えでもないはずですよ。五月病とか、学校の授業が退屈だとか、結構な頻度で今の生活から逃げたいと考えると思うんですが」

「今回の召喚条件がそうであったというだけです。自分の世界を愛し、人生を謳歌している人。あるいは、そうでない人……どちらからも、勇者となりうる可能性がある人物が無作為に選ばれているはずです」

「そんな、他人事みたいな…………」

「召喚対象を選ぶ基準は、私が決めているわけではありません。召喚魔法は神の力を借りて行うもので、私は行使の助力をしただけですので」


 今度は『神』なんて言葉が出てきた――天使のような存在にそう言われれば多少は信憑性を感じざるを得ないが、全然話についていけていないし、納得もできない。


「夢にしては手が込んでますね……まあ、夢だと気付けばいずれは覚めそうですが」

「なぜ否定するのですか? 私たちの世界に来たことで、あなたの希望を叶えることができるかもしれませんよ」

「希望って言われても、俺には大した望みなんてないですよ」

「人は誰しも、潜在的な願望を持っています。それをコントロールすることも、勇者に求められる資質のひとつです。あなたはよく自己を抑制できていますよ。体力などは平均的ですが、精神力は比較的評価に値するでしょう」


 体力、精神力――そういうものが明確に測れる世界なのだろうか。


 『比較的』という言い方は、それほど優れているというようには感じないのだが。


 会社に自分から尽くしていて、そのブラックさ加減に文句の一つも言わなかったことを『自己を抑制できている』などと言われても、俺の何が分かるのかと言いたくもなる。


 俺のそんな考えを、彼女が見透かしたように笑う。


 くすくすと笑う姿は天使でも聖女でもなく、無礼を恐れずに言うなら――いかにも悪女らしかった。


「召喚しておいてなんですが、あなたが正式な勇者として実際に認められるかどうかには、私は責任を持ちません。すべては神の思し召しですから」

「……勇者候補生ってことは、百人召喚して、競わせて勇者を決めるってことですか?」

「察しが良くて何よりです。中には、百人で仲良く勇者を目指そうと考える方もいらっしゃるものですから……」


 含みのある言い方しかしないので、この『勇者召喚』が生易しいものではなさそうだというのはよくわかった。


 同じように召喚された九十九人と競わされるらしく、その中には俺より勇者向きな人材も多くいるということだろう。


「その候補から脱落するようなことはあるんですか?」

「ご心配なく。もしそのようなことがあっても、罰せられるわけではありません。課せられた使命を果たしたあとは自由になれますし、私たちの世界に適応して生きていくことも許されています。可能性は無限大ですよ」


 それが本当のことなのかどうかも今は確かめようがない。


 勇者候補生ということなら、丸腰で異世界に放り出されはしないだろうし、最初の指針くらいは示してもらえるだろう。


「使命を果たすことができるなら、その時点で何かを強制されるような立場にはありません。私も真の勇者を相手にして、命令ができるほどの力はありませんので……そう言われると、やる気が出てきませんか?」

「いや、乗せようとしても駄目ですよ。簡単なことじゃないに決まってますし、俺は別にあなたより強くなりたいとは思ってない。強いとか弱いとかが価値観の全てじゃない世界で生きてきましたから」

「他者と戦って勝つことのできる種類の強さは確実に評価されます。強いということが正義という考え方が普遍的とは思いませんが、月並みな言い方をすれば、歴史は勝者が作るもの。人間はどの世界においても、勝者と敗者を決めたがるものです……違いますか?」

「……それは、そうかもしれませんが」


 だからといって、敗者が何の発言権も持たないとは思わない。勝者は後世に記録を残すうえで有利だが、それは敗者の言葉を全て塗りつぶして無かったことにできるというわけじゃない――と、今そこまで考えるのは大それているか。


 生きていくためには、強さが評価されるという異世界のルールを理解するしかない。


 『勇者召喚』をされた人間が強くなければどうなってしまうのか。


 『勇者』は何と戦って『勝者』にならなくてはならないのか。


 あまり聞きたくはなかったが、避けて通ることもできない。


「今更聞くのもなんですが、そっちの世界には、『勇者召喚』をして倒さなきゃいけない魔王みたいなのがいるんですか? それとも邪神とか……?」

「お察しの通り、私たちの世界で脅威となっているのは魔王の軍勢です。闇を喰らい、他者の血を啜って生きる彼らはすでに人間の王国に入り込み、砦を作って領地を削り取っています」

「それって……勇者候補生が上手くやらなかったら、人間の王国ってやつが滅びそうに聞こえるんですが」

「その通りです。しかし王国の勇壮な戦士たちも、魔王の軍勢に対抗するために戦っています。そのため、真の勇者たる人物が頭角をあらわすまでの時間は残されています」


 またもや他人事のように言う彼女――いや、本当に他人事なのかもしれない。


「俺はただのサラリーマンで、戦う力なんて持ってないですよ」

「それは問題ありません、私たちの世界では、どのような人物も固有の『クラス』を与えられます。経験を積むことで、その『クラス』に応じた能力を身につけていきます」


 勇者候補というなら初めから強力な魔法とか技とかをくれてもいいと思うのだが、そこは地道にやれということらしい。異世界でやっていくための最低限の基礎的な要素は貰えても、それを活かせるかどうかは俺次第ということか。


「ご心配なさらずとも、全ての『クラス』には平等の可能性があると私たちは考えています。『ハズレ』と見なされるようなものは存在しないはずですよ」


 断定しないあたりも、非常に胡散臭い。


 使えないクラスがあったりしたらどうするのか――危険を察する本能なんて特に持っているとは思わないが、俺は今回召喚されたことを『貧乏くじ』あるいは『落雷に打たれるくらいの不運』だと、すでに肌で感じ取っていた。


「……はぁ。まあ、あまり悲観的に考えてもしょうがないので、その『クラス』をもらってみてから考えたほうが良さそうですね」

「『クラス』はこちらの世界において大きな価値を持っています。『クラス』に合わせて肉体の強さなども変わりますので。召喚される前の身体能力を基礎としていますが」


 つまり運動神経が優れていたり、武道をやっていたらその時点で有利なわけだ。


 そういった長所のない俺を召喚する意味はさほど無かったんじゃないのか――と、恨み言を言っても仕方がない。


 何も言わずにいることが意思表示と受け取られたのか、真っ暗だった空間の少し先に、光る模様のようなものが浮かび上がる。


「あのゲートをくぐることで、あなたは異世界に降り立ちます。その時にクラスも与えられますので、それからのことは後ほど説明いたしましょう」


 恭しい態度で、彼女は『ゲート』に進むようにと促す。


「あの……この期に及んで時間を取らせて済みませんが、名前を聞かせてもらってもいいですか」

「これは失礼いたしました。私はマグダレーナ、神から上級天使の座を与えられた者です。あなたの名前は深掘匠フカボリタクミ様ですね」


 名乗らなくても知られている、と驚くこともない。天使なら何でも有りだろう。


 それにしても――。


「本当に天使だったんですね……羽根が生えているから、そうなのかもしれないと思ってましたが」

「神の使いに対して、いずれの世界でも人々が求める姿は似ているということでしょう」

「なるほど……ありがとうございます、質問に答えてくれて」

「何でもお聞きいただいて構いません……と言いたいところですが、今後私がタクミ様の前に姿を現す機会は限られてくるでしょう。勇者候補生として長く活動されること、そして願わくば、あなたが勇者になられることを願っております」


 美人でも油断できない――そんな考えは、さらに決定的なものに変わる。


「そうすれば、この縁も切れずに続くことでしょう」


 聖衣の胸元に手を当てて、じっとこちらを見つめてくるマグダレーナ。


 そんな態度を取られれば、彼女に認められればあるいは――と、妙な期待をしてしまう人もいるのではないだろうか。


「……あなたは、期待してくださらないのですか?」

「俺の考えてることが分かるんですか? だとしたら、頭の中を覗かれてるようで落ち着かないんですが」

「本当は、そこまではお教えしないのですが。あなたは私の説明を全て鵜呑みにせず、私のことを信用しきっていません。神の教えを人々に伝える者として、それは由々しきことです」


 俺の疑り深さは、マグダレーナにはもうバレている。


 ならば、面倒なことを言う奴だと思われるのだろうが、思っていることを言っておく。


 それは、流されるままではいたくないという反骨心の発露だった。


「俺の世界では、美人が初対面の相手に優しいことを言う場合、そんな都合のいい話には裏があると思うのが常なんです。美人局つつもたせっていうものがありまして」


 素直に人を信じるのはいいことだが、それだけでも済まないというくらいには、俺も世間擦れしている。


 マグダレーナは『くすっ』と笑う。


 その笑顔は何も考えずに見れば魅力的に見えるのだろうが、俺には乾いたもののように思えた。


「面白い方ですね。あなたのような方がどんなふうに変わっていくのか、興味があります。個人的に観察させていただいてもよろしいですか?」

「俺は平凡で、凡人そのものですから。きっと見ていても面白いことはないですよ」

「謙遜されることはありません。私たち天使の姿を見ると、男女問わず、すぐに信用するものなのですが。そうでなかった方は久しぶりですよ」


 その声は甘く、聞いているだけで思考にもやがかかる。全ての仕草が俺を誘惑しているようで――これが天使の本気なのかと思う。


「もう少し、ここでお話して行かれませんか……?」


 その言葉が意味することは何なのか。早く異世界に行った方がいいのだろうが、その声はそんな事情を無視するほどに甘く、理性を揺さぶる。


 勇者召喚の代償に、天使が俺を誘っている――なんて、衝動的に流れに身を任せてしまいたいと思うくらいは俺も若く、刹那的な部分は無くもない。


 だが、そうしてしまったら負けだと思えた。


 司祭の服の襟元を開こうとしている彼女は、そんな俺の意思を感じ取ったのか――手を止めて、妖しく微笑んだ。


「これ以上ここにいると、行くのが嫌になるかもしれません。マグダレーナさんは抑制できてると言ってくれましたが、あまり意志は強くないんです」


 俺は天使を振り切るように、召喚陣に向かう。


 これ以上その声を聞いていると、抗えなくなるような予感があった。


 召喚陣は空中に不思議な模様のホログラフで映し出された。厚みのない扉のようなものだった。


 どうやって通ればいいのか――と手を伸ばしてみると、俺の手が光に変わって、召喚陣に吸い込まれていく。


 驚いても手を引き抜くことはできず、身体全体が陣に吸い込まれていく。


 そして完全に吸い込まれる前に、俺は後ろから響く声を聞いた。


「私が興味を持つような候補生は、本当に稀なのですよ? 惜しいことをなさいましたね」


 マグダレーナの言葉を受け入れていれば、優遇でもされたのか?


 そうだとしたら確かに惜しいが、考えないことにしておく。


 俺の異世界召喚(というやつだと思われる)にはおそらく特典チートは無いのだろうが、美女に惑わされてスタートしてもそれはそれで先が思いやられる。だから、これで間違ってはいないはずだ。


(……天使のわりに、挑発するようなことを言ってたけど。待遇が悪くなったりはしないよな)


 転移していく奇妙な感覚の中で、意識に直接情報が流れ込んでくる。どうやら「ステータスオープン」と言わずとも、自分のことが分かるようになっているみたいだった。


 ◆ステータス◆

 タクミ・フカボリ 勇者候補生100番 男性 二十八歳

 クラス:合成師

 レベル:1

 体力:10 魔力:5 攻撃力:10 守備力:10 機敏さ:10 精神力:15

 勇者適性値:判定不能





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