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第十一話 潜む罠



 タクミさんが作った石鹸は、近所でまたたく間に評判になって、工房の定番商品として置いてほしいとも言ってもらえた。


 今日も朝のお洗濯の時間に、居合わせた近所の奥様たちが、最初に話題にしたのはタクミさんのことだった。


「ロコナさん、どこでそんなにいい職人さんを見つけてきたの?」

「前に一緒にお買い物をしてるところを見たけど、物静かで優しそうな人だったわね。やっぱりロコナさんの『いい人』なの?」


 タクミさんが石鹸を作ってくれたからということもあるけれど、彼のことを悪く言う人はいない。


 ただ、私の旦那様だと思ってしまう人が多くて……。タクミさんが困ってしまうのでちゃんと否定しないといけないけれど、私自身は慌てて『違う』と言う気になれなくて、そういう自分に驚いてもいた。


「いえ、タクミさんは住み込みの職人さんですが、旦那様では……」

「そうなの? ロコナちゃんが前にメイドをしてた先で知り合って、それで一緒に里帰りしたのかと思ってたわ」

「職人さんが来たのって、ロコナちゃんが帰ってきてからしばらく後じゃなかった? ああ、でもロコナちゃんの後を追って……っていうこともあるものね」


 近所の奥様たちはそういった話が大好きで、想像をどんどん膨らませてしまう。


 前に私が働いていたお屋敷では、毎日お仕事で頑張っているだけで充実していて、男の人を見て何か思ったりということはなかった。


 私はエルフだから、同じエルフの男の人にしか興味を持てないんじゃないかと仕事場の人に言われたこともあった。それは違うと強く言えなくて、そうかもしれません、と答えてしまうこともあった。


 でも、種族は関係なくて。私が今まで男の人に興味がなかったのは、何も変なことじゃなかったんだと思える。


 タクミさんに会って、彼に助けられて、自然に思った。


 この人と一緒に居られたら、毎日がきっと楽しい。


 この工房に、居てほしい。


 出会ったばかりの人にそんなことを思う私は、周りから見たら少し変わってるのかもしれない。


 でも、私自身はそうは思わない。


「ロコナちゃん、あきらかに生活に張りが出てるものね。羨ましいわ、私も新婚の頃はそうだったんだけどねえ、最近は……」

「ロコナちゃんのところはまだだから、旦那様って呼ぶのはちゃんとしてからね。あまりずるずるしてちゃだめよ。しっかり首根っこ掴んでおきなさい」

「は、はい……いえ、そんなひどいことはしないですけど。タクミさんとは仲良くしたいなって思ってます」


 私がそう言うと、奥様たちの目が潤んでしまう。


 そして、マドレーヌさんと同じように、おすそ分けと言って食材を分けてくれた。


「これね、うちで余ってるものだから。よかったらロコナちゃん使って」

「男の人はお肉が好きでしょう。お腹いっぱい食べさせてあげたら、ぐっと距離も近づくわよ。胃袋を掴めっていうのは真理だから」

「は、はい……ありがとうございます。でも、私じゃなくてタクミさんが主にお料理をしてくれているんです」

「まあ……職人さんなのに、お料理もしてくれるの?」

「うちの人もたまにやってくれたらいいんだけど。ロコナちゃん、本当にいい人を見つけたわねえ」


 タクミさんがお料理をしてくれているのは本当のことだけど、奥様たちにとってはそれがすごく羨ましいみたいで、マドレーヌさんもそう言っていた。


 私もタクミさんにばかり甘えていないで自分も作ろうと思うけれど、タクミさんは『よかったら任せておいてください』と言って早起きをして朝食を作ってくれるし、お腹がすいてくると『何か作りましょうか』と聞いてくれる。


 昨日は何も聞かなくても作ってくれて、私が食べるところを嬉しそうに見てくれていた。


「あら? あらあら……ロコナちゃんったら」

「彼と上手くいくといいわね。心配しなくても大丈夫そうだけど」

「えっ……あ、ああっ……す、すみません、お気遣いをいただいて。私、そろそろ家に戻りますっ」


 彼というのはタクミさんのことで、上手くいくというのは、仲良くするということだと思うけれど――マドレーヌさんにそう言われて、急に恥ずかしくなった。


 自分でもよく分からない。タクミさんはいい人で、私を助けてくれて――これからも工房にいてほしい。タクミさんも工房にいたいと思ってくれているなら、すごく嬉しい。


 なのに、それだけじゃない。タクミさんが優しいのはどうしてなのか、もっと理由を聞きたくなっている私がいる。


 私はマドレーヌさんに挨拶をして、いっぱいになった頭でタクミさんのことを考えながら工房に戻る。


 裏口から入るようにしていれば、危ない思いはしない。


 いつも、そうだったのに。


 私はどこかから見られている気がして、後ろを振り返る。


 そこには、誰もいない。


 気のせいだったのだろうか。


 そのまま裏口から工房に入り施錠をする。


 タクミさんはすでに起きてきていて、少し眠そうに目をこすっているけど、私を見ると笑ってくれた。


「おはようございます、ロコナさん。洗濯、お疲れさまです」

「おはようございます。ふふっ……」

「ど、どうしました? 何か俺、変ですかね」


 私は座っているタクミさんの後ろに回る。そして、彼の髪に手を伸ばして触れながら言った。


「タクミさん、寝ぐせがついちゃってます。ここのところに、ぴょこって。可愛い」

「か、可愛いって……すみません、だらしないところを」

「そんなことないです、タクミさんは昨夜も遅くまでお仕事をしていらっしゃったじゃないですか」

「あ……す、すみません。うるさかったですか?」

「いいえ。私が物陰からこっそり見ていたんです」

「そ、そうだったんですか……ロコナさんには油断ができないな」


 タクミさんは笑って許してくれる。


 本当はこっそり見ていたんじゃなくて、声をかけようとしてかけられなかっただけ。



 彼は私の知らないところでも、この工房のことを真剣に考えてくれている。

 そして、私をバルトロ一家から守ることも――。



 彼のスキルは私が今まで見たどんな魔法とも違っていて、とても凄いものだと思う。


 勇者様の候補として召喚されたタクミさんは、特別な力を持っている。


 でも、彼が言う通り、レベル3だと戦う力はそれほど強くない。ステータスの値を教えてもらったら、私の方が高いものも少なくはなかった。


 そういう事情もあって、私がタクミさんを守らないといけないと思う。彼は身体もがっしりしていて頼れる人だけど、私の方がレベルが高いのだから。


 きっとコツが分かったらタクミさんはどんどん成長して、私なんかよりずっと強くなってしまうと思う。


 今だってすごく勇気があって、優しくて、何を言っても包み込むように笑ってくれて――彼のことを追い出したパーティの人は、彼の何を見ていたんだろうと思ったりもする。


「……はい。タクミさん、かっこよくなりましたよ」

「ロ、ロコナさん……それはちょっと言い過ぎですよ。俺は全然、そういうのとは無縁の人間ですから」


 私がここで「そんなことないです」と言うと、彼はもっと遠慮してしまう。そういうことも、私は分かってきている。


 まだ短い間しか一緒に過ごしていないけれど、少しでもたくさん分かりたい。


 違う世界から来た彼のことを全部分かるなんてことがおこがましくても、少しでも知りたい。


 タクミさんの考えていること、したいこと、その他でも何でもいい。


 たとえ一日に分かることが少しずつでも、今の私はそれを楽しみにして、毎日を頑張れる。


「さて……味噌と醤油を作ってから、毎日和風の料理ばかりでしたから、今日は洋風にしましょうか」


 『和風』はタクミさんの故郷の料理のことで、『洋風』は私たちの世界のお料理に似ているものということは以前に教えてもらった。


 私は『和風』がすごく好きだけど、タクミさんは少し思うところがあるみたいだった。


 彼は、いろいろな食材を少しずつ食べるのがいいと言って、私の身体のことを気遣ってくれる。


 おみそとおしょうゆがあればそれだけで生きていけそうです、と言ったら、きっとタクミさんを困らせてしまうのだろう。


「私もお手伝いします。よろしくお願いしますね、料理長」

「技術もなにもない男の料理で恐縮ですが……でも、スキルがそれを埋めてくれてるのかもしれないですね」

「スキルを使っているのはタクミさんです。だから、すごいのはタクミさんですよ」


 本当に思ったことを言っただけなのに、遠慮がちに微笑むタクミさんの笑顔を見て、それがまた嬉しくなる。


「今日は『ポークジンジャー』を作りましょうか。ロコナさんの貰ってきてくれた肉が使えそうなので」

「はい、楽しみです! ……いえ、頑張ってお手伝いします!」


 腹ペコな人というように思われるのは恥ずかしいけど、タクミさんのお料理はとても美味しいので仕方ないと思う。


 そう思っているのは私だけじゃなくて、最近は朝から来客があることも珍しくない。


 ドアベルが鳴って出てみると、そこにはミリティアさんの姿があった。


「おはようございます、ミリティアさん。朝ご飯、食べていかれますか?」

「う、うん……ちゃんとお代は払うから。タクミくんのお料理ってステータスも上がるし、毎日食べられたらすごくありがたいっていうかね?」


 ミリティアさんはタクミさんのお料理を気に入っているけれど、そう思われるのは恥ずかしいみたいで、でも私にもタクミさんにもよく分かっていた。


 エプロンを身につけたタクミさんが、台所に向かいながらミリティアさんに挨拶をする。


「ミリティアさん、今日の料理はお気に召すか分かりませんが……」

「その挑戦、受けて立たせてもらうわ」

「ミリティアさん、勝負ごとみたいになってませんか? ご飯は美味しく食べないと」

「それは分かってるんだけど、つい力が入っちゃって……あっ、あたしにも手伝うことある?」


 冒険者にとって、ステータスが上がるタクミさんの食事はとてもありがたいものだとミリティアさんは言っていた。けれどそれ以上にタクミさんのお料理が好きだっていうことは、彼女の表情を見ていれば分かる。


 私もミリティアさんと同じ気持ちなので、二人でタクミさんのお手伝いをさせてもらうことにした。



     ◆ ◇ ◆



 朝食の『ポークジンジャー』には体力と攻撃力を上げる効果があって、ミリティアさんはすごく元気が出たみたいだった。


 出かけていった彼女を見送ったあとで、タクミさんは工房にこもって、私は工房の中のお掃除をしたり、タクミさんにお茶を淹れたり、書き物をしたりしながら過ごす。


 そうして一連の作業が一段落した頃、私は裏口の扉の下の隙間に、何か挟まれているのを見つける。


 こんなふうに手紙を送ってくる人は、知り合いにはいない。


 配達人の人が届けてくれるなら、表のドアベルを鳴らすはずだ。


 鼓動が少しずつ早まる。


 けれど、見ないわけにはいかない。


 それを拾って、何が書いてあるのかを確かめないといけない。


 ドアの下に挟まれていたのは封筒だった。小さなナイフを使って開けると、中には紙が一枚入れられている。



――――――――――――――――――――

  親愛なるクラウディール工房殿


 このたび、新しい商品を取り扱うことになったということでお喜び申し上げます。

 しかしながら、このクラウドバークにおいて、この種の商品を許可を得ず販売することは許されておりません。

 件の商品をすでに購入し、使用した家についても然るべき対応を行うことになります。

 改めて許可を出させていただくかどうかは、面談の後に決定させていただきます。

 近日中にご返答をおうかがいに上がります。


                      クラウドバーク商人組合所属 バルトロ商会

――――――――――――――――――――



 丁寧な文章で書かれているけれど、その内容は私と工房に対する脅かしだった。


 この街の商人組合に、確かに『バルトロ商会』は入っている。けれど他の商人と違って、彼らが何を売っているかは知られていないし、この街でものを売ることに許可を出すのは、本当は組合長さんということになっている。


 組合長さんがバルトロ一家のことを恐れている。


 この手紙に書いてあるのはそういうことだった。


 手紙だけ見れば、私が街の商人のルールを破ってしまって、商人組合を代表してバルトロ商会が咎めているというように見える。


 工房で作った石鹸を売ってはいけないなんて、それではどの店も独自の商品を作って売ることができなくなってしまう。


 けれど、似たような話を以前に聞いたことはあった。


 バルトロ一家が新商品を作った店に目をつけて、その新商品を自分たちの商品にしようとして、たまりかねた店の人が、街から出ていってしまったそうだ。


 私はクラウディール工房を続けたい。


 でも私がいれば、きっとこれからもタクミさんがどれだけ素敵なものを作っても邪魔をされてしまう。


 この状況を変えないといけない。


 けれど、その方法は、私には上手く思いつかない。


「……ロコナさん?」


 後ろからタクミさんの声がする。


 私は手紙をポケットに入れて、振り返った。


「すみません、お掃除の途中でちょっと考えごとをしてしまって」

「そうだったんですか。俺もふと工房から出てきただけなんですが……ロコナさんがいなかったので、つい探してしまいました」


 『しまいました』なんて、そんなふうに思うことはないのに。


 タクミさんが私のことを気にかけてくれるのはとても嬉しく思う。そう考えただけで、心の中にあることを全部言ってしまいそうになる。


 バルトロ一家の人たちが、石鹸を使った人に言いがかりをつけようとしている。石鹸を売った私たちにも。


 でもそれを言ったら、きっとタクミさんはなんとかしようとするだろう。


 私はずっと彼に頼ってきた。


 彼が居てくれたから、帰る家がちゃんとあるんだと思えた。


「タクミさんは、心配性なんですね。大丈夫ですよ、急にどこかに行ったりしません」

「台所が、お湯を沸かしたままでそのままになってましたが……」

「あぁっ……す、すみません、すぐに戻るつもりだったんですが、つい……っ」


 私は慌てて台所に戻ると、すでにタクミさんが火を止めてくれていたようで、お湯は吹きこぼれていなかった。


 この『やかん』という道具は、壊れたお鍋を材料にしてタクミさんが作ったもので、お湯を沸かすときにすごく便利だった。


 持ち手が熱くならないようにすることもできるそうだけど、ミトンを使えば熱くない。そのミトンも、手袋などを材料にしてタクミさんが作ってくれたものだった。


「ロコナさんの淹れてくれるお茶は美味しいですからね。それで、待ち遠しかったのかもしれません」


 ちょっと他人事みたいに言うのは、タクミさんも照れているからだと思う。


 彼のそういうところが、やっぱり可愛いと思う。本人はそんなことないと言うけれど、それでも言いたくなってしまう。


「ふふっ……すみません、お待たせしてしまって。では、すぐに用意して持っていきますね」


 あまり困らせてもいけないので、言いたくても我慢することもある。


 そういうことが、二人で暮らすために大事なことだと思うから。



     ◆ ◇ ◆



 夜になり風呂から上がったあと、自室に戻ってしばらくしてから眠気がきて、そのまま意識が途切れてしまった。


 俺は、この工房での暮らしを守るために何ができるのか。


 ロコナさんの姿が少し見えなくなっただけで、彼女のことを探してしまう。


 この年で依存しているのか――いや、そうじゃない。


 彼女が居てこそ、この工房だという思いがある。


 彼女がこの工房を守りたいと思ったから、俺はここにいる。


 全ては、ロコナさんを中心に動いている。



「…………」


 ふと、意識が浮上する。


 目を開けることはできない。けれど、誰かが近くにいることは分かる。


「……もし、私が……」


 小さな声。それははっきりとは聞こえなくて、けれど俺に話しかけていることは理解できた。


 胸にかけた毛布の上に、俺の手が出ている。


 その手がそっと取られて、手の甲にかすかな感触があったかと思うと、すぐに戻された。


 毛布が肩までかけ直されたあと、気配が離れていく。


 そしてドアを出ていく前に、こう言った。


「……おやすみなさい」


 それがとても寂しい声のように思えて、俺は薄く目を開ける。


 ようやく開けることを許された、そんな気がした。


「……ロコナさん」


 今からでも部屋を出て――出たとして、それでどうするのか。


 夜分に彼女の部屋を尋ねて、何を言えるのか。


 そうすることの意味を分かっていて、不安に駆られたからと言い訳ができるのか。


 彼女は俺が起きることを望まなかった。


 だから、このままでいい。


 そう自分に言い聞かせなければ、胸に湧いた不安を抑えることができなかった。



     ◆ ◇ ◆



 翌朝。


 タクミさんが起きてくる前に、私は市場の食材を見に行った。


 彼はいつも頑張ってくれるので、元気の出るような食材を用意してあげたい。


 タクミさんは『使えそうな』材料を見つけると新しいメニューを思いつくと言っていたので、本当は二人でお買い物をするのがいいと分かっている。


 でも今日は――あの手紙を見て、何も無かったことになんてできなくて――。


「最近、随分と景気がいいらしいじゃねえか。ロコナさんよ」


 市場のある通り。


 私が歩くその先に、見たことのある男性が現れて、道を塞ぐ。


 後ろをうかがうと、そこにも見たことのある人がいる。


 お店の人たちや、いつも買い物をしている人たちが心配そうに私の方を見ている。


 何もこんなときに来なくてもいいのにと思っても、きっと通じない。


 バルトロ一家の人たちは、わざとらしく私に話しかけてきた。


「あの商品をどうやって作った? あんなもんをこっそり売られちゃ、これまで使われてたもんが売り物にならなくなる。商売上がったりで泣く人間がいるってことだよ」

「……私たちは、何も間違ったことはしていません」

「話はうちで聞かせてもらおうか。どうやってあれを作ったかもな」

「借金の利息の話もあったな。金貨五十枚、今のあんたなら払えるんじゃねえか?」

「っ……あなたたちは……っ!」


 利息の金額が上がっていることに怒ったわけじゃない。


 ただ、許せなかった。


 私だけじゃなく、私の大切な人たちのことまで脅かそうとするこの人たちが。


「おっと……妙な動きはするなよ? 魔法を使おうともするな。あんたの動き次第で、不幸になる人間もいる……分かってるはずだ」

「……っ」


 彼らが言っているのは、石鹸を買ってくれた人たちのことだ。


 本当に喜んでくれていた。


 タクミさんが作ってくれたものを、皆が褒めてくれた。


 私も嬉しかった。


 クラウディール工房は、これからも続けていけるんだと思った。


 ミリティアさんにレイピアを買ってもらえたときもだ。タクミさんがいなかったら、きっとミリティアさんが工房に通ってくれることはなかっただろう。


 全部、全部彼のおかげなのに――私は、何もできないまま。バルトロ一家の言うことを聞いて、私の大切な人たちに危害を加えないように、ただお願いすることしかできない。


「……工房には……彼と、私の大切な人たちにも、絶対に……」

「そうするかはこれからの話次第だと言ってる……おい」


 後ろにいた人が何かをして――目に映るものすべてがぼやけて、私は立っていられなくなる。


 きっと魔道具か何かを使ったのだろう。


 何人かの人が大きな声を上げている。


 聞こえていたマドレーヌさんの声が小さくなっていく。


 うまく逃げられたみたいでよかった。


「チッ、これくらいのことで騒ぎやがって……」

「放っとけ、こいつさえ手に入れば何も問題ねえんだ。行くぞ」


 遠のく意識の中で、最後に思ったのは――ミリティアさんと、そしてタクミさんのこと。



 私は彼にもらった腕輪に振れる。全てが暗くなっていっても、冷たい石でできているはずの腕輪が、私にはとても温かいと思えた。





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