第九話 停滞する勇者パーティ、マイペースな彼女
クラウドバークの中心部近くにある『冒険者ギルド・クラウドバーク支部』は、王国全体からすると、それほど難度の高い依頼が入ってくることはない。
クラウドバーク周辺の魔物の強さなどを示す『危険度』は『ただちに脅威はない』という評価がされている。
これらの意味することは、魔王軍の拠点が近くに作られたり魔王軍の魔物が集団で行動しているところを発見したりといった、具体的な危険は無いということだ。
それは急激にレベルを上げて頭角を現してきた遼樹のパーティにとっては、強敵と戦って経験を積んだり、さらに上の級に昇格する機会を得られないということでもあった。
冒険者ギルドの掲示板をひと通り見たあと、遼樹は世里奈と藍乃を見やる。
世里奈は目を閉じて首を振り、藍乃も小さく首を振った。
「今日も難度の低い依頼ばかりか。そろそろ、この街に留まるのも潮時ということかな」
「ええ、そうね……仮にも私たちは『勇者候補生』なんだから、レベルに応じて別の街に移るように指示を出したりとか、そういうことはないのかしら」
「……私たちを召喚した天使みたいな人は、具体的なことは何も言ってなかった。魔王の軍勢を倒したら、元の世界に帰れるかもしれないっていうだけ」
藍乃の言葉に、遼樹はいつも笑みを浮かべ、閉じられたままのように見える目を薄く開いた。
「……そのことは、漆原さんも聞かされていたのか」
「私たちは一応、同じ条件を与えられているんでしょう。深掘……深掘さんみたいに、勇者候補として上手くいかない人もいるけれど、百人も召喚する理由は、ふるいにかける必要があるからなんでしょうね。選別されるなんていい気分はしないけれど」
世里奈は匠に対して遠慮などなく、常に厳しい態度で当たっていたし、自分の方が格上であって、格下の匠に言うことを聞かせるのは当然という振る舞いをしていた。
しかし遼樹は、世里奈が一分の情もなく匠を追い出したわけではないと考えていた。
元の世界に戻るため、勇者候補生として上に行くため、レベルの上がらない匠をパーティから外すのは当然のこと――彼女にはそういった『論理的な答えを選択した自分』を演じているような部分がある。
藍乃については、世里奈よりも匠に対してフラットな見方をしているように見えたが、匠を追放することが決まっても反論はしなかった。
遼樹はそれを『自分たちと行くことを選んだ』と楽観的に捉えてはいない。藍乃の感情が見えないところは、彼女が正しいと思う選択が、いつか遼樹と違うものになる可能性を含んでもいる。
彼は二人が優秀なメンバーであると思っているが、『最終メンバー』たりえるかまでは別の問題だと考えていた。
同じように掲示板を見る冒険者の中に、優秀な冒険者はいないか。勇者候補生の他のパーティも含めて、遼樹は情報を得る手段を探していた。
そのうちの一つが、冒険者ギルドの人間と親しくなるということだ。
「いい仕事が無くて景気が悪いって顔だな。この平和な街じゃ、あんたらの実力に見合う仕事はそうそう入ってこないぜ」
その男はカーチスという名前で、冒険者ギルドの職員の一人だった。
遼樹たちが急激に頭角を現しているため、そのうち『特別な仕事』を回すかもしれないと言っている人物だが、まだ遼樹は彼のことを信用しきってはいなかった。都合のいい話には裏があるものだという考えがあるからだ。
「僕らにとって『いい仕事』であっても、街にとっては脅威になるんでしょうから。平和なのはいいことだと思ってますよ」
「そうは言っても、少しでも早く上に行っていい稼ぎになる仕事をしたいってのは、勇者候補生でも変わらないだろ?」
カーチスは含みをもたせて言うと、遼樹にだけ聞こえる声で言う。
「そのうちいい仕事があったら優先的に教える」
「ええ。そうしてもらえると僕らも助かります」
はっきりと言いはしないが、カーチスが見返りを求めていることは暗黙の了解として遼樹には受け取られていた。
冒険者ギルドには、決して清廉潔白な人物が揃っているわけではない。冒険者と非公式なやりとりをして便宜を図ったり、『裏仕事』と呼ばれる、犯罪に加担するような行為を仕事として冒険者に回すような人物もいる。
召喚を受ける前は、遼樹はそういった行為に反感を覚え、悪事は裁かれるべきだと考えていた。
しかし今、彼の考えは変化していた。
必要であれば、カーチスのような人物でも利用する。
綺麗事を並べていては彼の目標は達成できない。勇者と認められ結果を出さなければ、本当の意味での自由をこの世界で得ることはできない。
「おっ……あんた、最近調子いいんだって? 7級に上がったんだってな」
カーチスが別の冒険者に目を留め、駆け寄って声をかける。銀色の髪をした、若い女性の冒険者――その美貌はギルドに出入りする人間の中でも際立っていて、周囲の注目を集めている。
「ありがとう。昇格条件を満たせる依頼が入ってくれたし、調子もよかったから。色々運がよかったってことね」
しかし当の本人は、その容貌から想像ができないほど人懐っこい受け答えをする。カーチスもそれに気を良くしているようだった。
「いや、俺はあんたならチャンスさえあればすぐに上に行けると思ってた。それでと言っちゃ何だが、俺の担当受け持ちに枠が空いててな」
「ふーん? そうなんだ」
銀髪の女性冒険者は笑顔で答えるが、それがカーチスの意図を外れていることは明らかで、周囲の冒険者が苦笑する。
「またカーチスのやつ、他の職員から担当を横取りするつもりじゃないのか?」
「一人で結果を出したあの子に今さらすり寄るなんて、都合のいい野郎だぜ」
一人――耳に届いたその言葉に、遼樹は反応する。
「遼樹、前衛ができる人を探したいっていう話だったけど……あの人はどうかしら」
世里奈が聞いても、遼樹はすぐに返事をしない。しかし、銀髪の冒険者から視線を外さずに見ている。
「…………」
藍乃は何かを言いたそうにするが、言葉にはしないままだった。遼樹と同じように、銀髪の冒険者とカーチスのやり取りを遠目に見る。
「よかったら、あんたのこともこれから俺が……」
「あたしの担当はずっとセルエさんに頼んでるから。急に変えたりしても落ち着かないし、その話は他の有望な人に振ってあげて」
「っ……お、おい……っ」
心配そうに遠くから見ているギルド職員の女性(名札にセルエとある)は、カーチスの誘いを断った銀髪の女性冒険者と笑い合う。
それを見ていたカーチスは舌打ちをし、ギルドから出ていった。
「担当が一緒だったら、パーティに勧誘しやすかったでしょうけど。どうするの?」
「一人で活動しているということは、彼女は純粋な前衛じゃない。前衛のスキル以外のものを持っている……僕たちの仲間になってくれたらバランスは取れるだろうね」
「そう……深掘も、私たちのパーティの穴を埋めてくれるようなクラスだったらよかったのにね。分かったわ、彼女を勧誘できるように動きましょう」
「ははは……僕が自分の都合のいいようにしかパーティメンバーを評価しないとか、そういうことを考えてはいないのかい?」
「それはお互い様でしょう。でも、レベルが10にもなれば何らかの形で役に立って当然という気もするけれど。深掘も今頃必死になって、レベル2くらいにはなってるかしら。あの人じゃ無理ね、きっと」
匠のことを最も気にしているのは世里奈だ――とは、遼樹は言わない。
彼よりも、あの銀色の髪の冒険者を加えたほうがパーティは明らかに強くなる。パーティを組まずに一人だというのも好都合だった。
「この街に滞在する目的がもう一つできた。今日のところは、資金稼ぎに簡単な依頼を受けておこうか」
「ええ、魔獣の食事代も馬鹿にならないしね。藍乃、行きましょう」
「……分かった」
三人は近隣の森での魔物討伐依頼を受ける。
推奨レベルは8。匠がパーティに残っていた当時も、これくらいの難度の依頼は受けていた。
レベル1のままで同行していれば、匠はいずれ命を落としていた。だから、彼を追放したことにはやはり間違いはなかった。
「しかし……あの、彼女が持っていた剣。あんなものがこの街で手に入るなんて、僕たちの知らない入手経路があるのかな」
「そんなにいいものだったの? 魔物が希少なものを持っていることがあるっていうから、深掘にいつも持ち帰らせていたけど……彼は最後まで、良いものなんて見つけてくれなかったわね」
「……『目利き』は『合成師』のスキルじゃないから、無理は言えない」
『ソードマスター』である遼樹は、少しでも強い剣を必要としている。しかし現状装備しているものは、『鋼鉄のブロードソード+2』という、街の武器屋でも時折入荷しているようなありふれたものだった。
魔法の力が宿った武器は需要が高く、現状では他の冒険者が持っているところを目にする以外にはない。
遼樹たちが匠に毎回武具を持ち帰らせていたのは、魔法の武具がガラクタに紛れていることもあると聞いたからだった。
現に世里奈の靴とベルト、藍乃の杖については、初歩のものとはいえ魔法のかかったものが見つかっている。
「交渉すれば、あの剣の入手先を教えてもらうことはできるかもしれないわね」
「冒険者にとって、強い武具の入手先は企業秘密だからね。彼女が教えてくれればいいけど、僕らと利害が一致しなければ難しいだろう」
「それこそ、私たちのパーティに参加してくれれば……ということね。名前を教えてもらっておく?」
「彼女もこの街からすぐに離れるということはないだろう。下手に探りを入れるよりは、機会を待つことにしようか……漆原さん、彼女のことはどう思う?」
「……剣を使うだけじゃなくて、魔法も使えるみたい。バランスはいいと思う」
魔法が扱えるクラスであることもあり、藍乃は見ただけでその人物が魔法を使えるかをある程度判断することができる。
「……藍乃。深掘のあのスキルも、魔法の一種ではあるのよね?」
「……魔力を使って現象を起こしていたけど、私の使う魔法とは全く原理が違う」
「そう……それなら、レベルが上がれば身体能力は向上するし、魔法を使いながら戦うっていうこともできたかもしれないわね」
「そうかもしれない。でも、これだけスタートダッシュが遅れた匠さんが僕らに追いつくっていうのは難しい……十分に待って、そう判断したはずだよ」
世里奈は頷きを返し、藍乃も遼樹の言葉を否定はしない。遼樹はそれ以上言葉を続けずに、二人を伴ってギルドを出た。
その後ろ姿を、ギルド職員のセルエに同行すると見せておいて、密かにロビーに戻ってきていた銀髪の女冒険者――ミリティアが見ていた。
「セルエさん、あの三人がタクミくんとパーティを組んでたの?」
「そうです、つい数日前までは。フカボリさんの登録を外してほしいと言いに来たのは、あのクゼさんでした。ミリティアさんもご存知かと思いますが、現時点でクラウドバークでは最もレベルの高い剣士です」
「6級になると他の街に移っちゃうから、分からなくはないけど……それでも成長の速さは並外れてるわね。他の二人もあたしより強いんじゃない?」
「ミリティアさんは冒険者として登録されてから、基本的に一人で活動されてるじゃないですか。レベル以上に冒険者としての資質があると上司が言ってましたよ」
「ありがとう。これだっていう人が見つかったら、組みたいと思ってるんだけどね」
ミリティアの言葉に、セルエは眼鏡の奥の瞳を見開く。そしてにこっと裏表なく笑うと、ミリティアの肩に触れつつしみじみと言う。
「あのミリティアさんも、ようやくパーティを組むときが来たんですね。これでお姉さんも安心ですよ」
「お姉さんて……あたしより二つ上なだけじゃない」
「気持ちの上では、ということです。お姉さんはですね、カーチスさんに担当を引き継がれちゃったらどうしようかって本当に心配しました。やっぱりミリティアさんは最高です!」
「はいはい……調子がいいんだから。あたしの方がセルエさんを放っておけないわよ」
そうしてじゃれつくミリティアとセルエの姿を、遠巻きに見ている女性冒険者が何人かいる。
ミリティアは男性にもそうだが、女性冒険者の後輩から絶大な支持を受けているのだ。
「お姉さまがパーティを……わ、私、立候補したい……!」
「駄目よ、まだレベル5の私たちじゃお姉さまの足を引っ張ってしまうわ」
「レベルの問題じゃなくて、こういうのは情熱がものを言うんだよ。あたい、挑戦する前から諦めたりなんてしない!」
三人パーティの女性冒険者がそんなことを話していると気づき、ミリティアとセルエは同時にこほん、と咳払いをして個室になっている談話室へと向かう。
「ミリティアさん、今日も大人気ですね。彼女たちと組んでみるというのは? 彼女たちも私が担当していますから、ご紹介できますよ」
「あはは……慕ってくれるのは嬉しいんだけど、あたしもまだ気分は駆け出しだからね」
「分かりました。ミリティアさんが素敵な仲間を見つけてくるのを楽しみにお待ちしてますね」
目を輝かせるセルエに、ミリティアは苦笑する。彼女も思いつきで言ってみただけで、まだ具体的に誰とパーティを組みたいという考えは無いからだ。
「……あの人のレベルが上がるのは、楽しみかなって思うけど。それに、彼女も」
「なるほど……今後に見込みのある方に会ったということですね」
「ううん、あたしがちょっと思っただけだから。それより、おすすめの依頼とかあったりしない?」
「そうですねえ……これは、あまり女性の方にはお勧めしない依頼ではあるんですけど。ミリティアさん、金貨二百枚を用立てたいということでしたよね」
「えっ……まさか『あれ』が出たの?」
「はい、『あれ』が出ちゃいました。それもつい先ほど入ってきた依頼です」
ミリティアは天を仰ぐ。
しかし彼女はぐっと拳を握って、覚悟を感じさせる表情でセルエを見た。
「『あれ』にはレベルが低い頃にさんざんな目に遭わされたから、今度こそ上手くやってみせるわ」
「その意気です、ミリティアさん。泥んこスライムなんて、7級になったミリティアさんの敵じゃないです!」
「っ……そ、その名前は言わないで。あたしが何の依頼を受けたか分かっちゃうじゃない」
ミリティアは慌てて談話室の中にセルエを押していく。
だが、それを聞いていた冒険者たちは、ミリティアがこれから戦う相手と、戦闘中の光景を想像してしまうのだった。




