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第七話 メイドの労り

第七話 メイドの労り


 沸かしたお湯を運んで風呂桶に入れ、井戸水で温度を調節。それが終わって、風呂に入る準備が整った。


 服を脱ぎつつ、俺は思う。


 他人の家の風呂に入った経験はあまりないが、初めは微妙に緊張する。


 あとでロコナさんが入るときは新しい湯を張ったほうがいいのではないかと思ったが、彼女はあまり気にしないと言っていた。


 彼女が気にしなくても俺が気にするのだが、ちゃんと身体を洗ってから入れば問題ないだろうか。衛生面と同じくらい、省エネも大切だ。


 風呂のある宿は宿賃が高いため、家を持たない冒険者は主に町の公衆浴場を利用する。


 召喚された勇者候補生たちは毎日風呂に入れない環境に耐えられないので、冒険で得た報酬を一定額は入浴のために費やすのだとアレクトラさんから最初に教えられた。ちなみに俺のいたパーティも、まず最初の報酬を得て考えたことは宿、食事、そして風呂だった。


 ありがたいことにクラウディール工房には浴室がある。バスタブに自分で湯を張らなければならず、一人で使える湯の量も限られているが、それでも一人で入れるというだけで感動ものだ。


(この気分を、一条さんは定期的に味わっていたわけか……)


 一条さんは時々、一人で高級宿に泊まっていた。召喚される前の彼女の暮らしぶりからすると、銭湯にあたる公衆浴場しか利用できない状況はとても受け入れがたいものらしく、個別に使える風呂にどうしても入りたかったようだ。


 召喚された勇者候補生が異世界の暮らしに順応できるかどうかを、この世界の神という存在は全く考慮していない。


 だから資質のある人材が召喚できた場合も、すぐに魔王軍と戦わせたりといった無茶なことはしない。王国騎士団からは『当面は候補生の自主性に委ね、経験を積むこと』とお達しがあるだけだ。


(こんなに悠長にしてて、魔王軍が攻めてくるようなことがあったら……どうなるんだ?)


 魔王軍との戦いについては、俺が今心配しても仕方がない。


 現状俺ができることは、日々の暮らしを少しでも豊かにすること。


 そして『合成師』について理解を深め、できることを把握し、増やし、クラウディール工房の経営に貢献することだ。


 ロコナさんの安全を確保できるように動くこと、それも早急に解決すべき問題だ。


 この町の守備隊がバルトロ一家の無法に対して積極的に介入してくれない以上、冒険者ギルドに依頼を持ち込むか? 可能かどうか分からないが、試してみる価値はあるだろう。


「ふぅ……」


 風呂に貯めた湯を桶ですくい、かぶる。


 この家で使われている金属製品はすべてロコナさんのお祖父さんとお父さんが作ったものだそうだが、この金属で補強してある木桶についても頑強なつくりだ。


 俺は鍛冶屋としては代わりにはなれないので、こういう加工も『合成師』の技能でうまく代替できるといいのだが。


「この家も、ハーブとシャボニの汁で身体を洗うんだな……」


 ハーブを浸出させて作ったシャンプーと、石鹸の代わりに使う『シャボニ』という植物の汁。公衆浴場にはこれらが備えつけられておらず持参しなければならないのだが、常に店で売っているわけではないのが難点だ。


「母が綺麗好きだったもので、身体を洗うために必要なものは多めに常備してあるんです」

「なるほど、お母さんが……って……」


 シャンプーの入った瓶に手を伸ばそうとしたところで、後ろから声がすると同時に白い手が伸びてきて瓶が手渡された。


 その一連の出来事が普通でないことに気づき、言葉に詰まる。


 俺は一人で風呂に入れることに感動して、長々と考えごとをしていたはずなのだが。


「お風呂にあるものは、遠慮なく使っていただいて大丈夫ですよ」

「っ……そ、それはすごくありがたいんですが、ロコナさん、ここまで入ってくるのは……っ」

「……どうしてですか?」


 どうしても何もないはずなのだが、ロコナさんは本当に不思議そうに聞いてきている。


 ドアが開く音がしなかったのは彼女が静かに開けたからであり、それはつまり俺に気づかれないようにするためということで――なぜそんなことをするのか、頭をフル回転させても答えが出ない。


「タクミさんは私のことをいっぱい助けてくれました。今日一日で、私はお役に立てないことばかりで、大人のつもりだったのに、全然しっかりしていなくて……」


 そんなことは全くない。俺の方こそ召喚されてからこの方、大人として不甲斐ないことばかりだ。


「私がお鍋を焦がしても、タクミさんは全然怒らずに、あんなに美味しいお料理を作ってくれて……『かるぼなーら』だけでもすごく感動したのに、その後に作ったお料理はもっと……私、あんなに美味しいものを食べたのは生まれて初めてです。お世辞でも何でもなくて、本当です」

「あれは俺も、自分でできるとは思ってなくて、スキル頼みでですね……」

「タクミさんは、いつもお風呂に入るときはどこから洗われますか?」

「えっ!? ……ええと、頭からですね。上から洗っていったほうが無駄がないというか……」

「それでは、目を閉じていただいて……」

「い、いやっ、今のはその順番で洗ってくれということではなくてですね、自分で洗えますので、ロコナさんにしてもらうのは恐れ多いというかですね……」


 なぜかサラリーマン時代のような口調に戻ってしまう。


 それを見てもロコナさんはちょっと不思議そうにするだけで、再び俺の髪を洗う準備を再開する。


「ご遠慮されなくても大丈夫ですよ? 初めてお風呂を使うので、分からないこともあると思いますし。私が教えてあげますね」

「そ、そういうものですかね……」

「はい。そういうものだと思います」


 ロコナさんが優しいのは間違いないが、彼女は意外に押しが強い――いや、俺が押されると弱いのか。女性からこんな申し出を受けたのは初めてで、思わず焦ってしまった。


「では、失礼します。ハーブ水が目に入ってしまうといけませんから、目を閉じていてくださいね」


 そう言いながら、ロコナさんは俺の髪にシャンプーをつけて洗い始める。


 この世界には理髪店はあるが洗髪のサービスはしていないため、誰かに頭を洗ってもらうこと自体が久しぶりだ。


(洗い方自体も上手いが……それ以上に、リラックスするというか……)



 ――スキル『労りの心』を発動

 ――タクミの体力・精神力の疲労度が減少



「ロコナさん、これは……」

「メイドの役目の一つです。まごころを込めておもてなしすることで、お客様の疲れを取ってさしあげるんです。こんなふうに男性の方の髪を洗うのは初めてですし、タクミさんはお客様ではなくて、住み込みの職人さん……ということになりますが……」


 あまりに心地よくて身を任せているうちに洗い終わり、頭を流される。


 これだけでも十分と言うつもりだったのだが、ロコナさんはすぐに俺の背中を洗い始めた。


「タクミさん、荷物をいっぱい持っていらっしゃいましたから、お疲れでしょう」

「っ……あ、ありがとうございます……」


 ロコナさんが背中の筋肉の張っているところに触れる。指圧をするような感じでもないのだが、それだけでこりがほぐれ、思わず変な声が出そうになってしまった。


(ま、まずい……心地良すぎる! 彼女が『メイド』だからなのか? それとも元から上手いのか……!?)


 メイドという職業は主人に仕えるものだと思うのだが、これまでどんな職場で働いていたのだろうか。いや、こうやって髪や身体を洗ったりするのは俺が初めてだというし……駄目だ、頭がぼーっとして回らなくなってきた。


「スキル以外にも、生活魔法で汚れを落としたりできるんです。こうしてお湯を『浄化ピュリファイ』したりすると、お湯を節約できます」


 俺の雑念なども『浄化』できないだろうかと思うが、そんなことを言ってしまったらこの状況に雑念を抱いていると自白するようなもので、やはり一つ屋根の下にいい年をした男を置いておくなんて、とロコナさんを不安にさせてしまいそうだ。


(落ち着け、こういうときは……とりあえず羊を数えて……って、さすがにそれはベタすぎるか……と、とにかく数字を……!)


 そう思い至り、ひたすら数を数える。


 数はいい、数えるだけで無心になれる気がしてくる。


 八十八、八十九、九十――いや九十って、グラビアアイドルじゃないんだから。だがそれくらいはあってもおかしくない、それくらいの迫力は感じる。


 ロコナさんの服は乳袋というやつになってしまっているが、あれは特注の服なのだろうか。俺の技能で服とかも作れたりしたら――いや、メイド服を作りたいとかそんなことは余計なお世話というやつで、過干渉はよくない。


 着たいものを着る、それが一番いいというか――もう全然雑念が抑えられていないな。


「タクミさん、そんなに頑張ってじっとしていなくてもいいのに。ふふっ、いい子ですね……」

「っ……ロ、ロコナさん、俺もいい年だから、いい子っていうのはちょっと……」


 さすがに放っておけずに後ろを向く。


 俺の中の常識としては、ロコナさんは当然服を着ていると思っていたのだが――などという言い訳はさすがに苦しかったかもしれない。


(タ、タオルを巻いてるだけとか……タオルというかこの世界だと単なる布だが……うわっ……!)


「すみません、素直にじっとしているタクミさんが可愛いなと思ってしまって……」


 見られても全く動じていない。それどころか、ロコナさんの頬は上気していて、瞳は熱っぽく、湯気の中で動いていたからか肌はうっすらと汗ばんでいる。


 その汗によって布が肌に張りついていて――一瞬でも見てはいけないと思い、俺は理性に鞭を打ってロコナさんに背を向けた。


「……こんな気持ちになるのは初めてです。私はエルフの中ではまだ小さな子どもみたいなものですから、男の人に関心を持ったりするのはもっと先だと母には言われていたんですが……」


 これはもう、好意を伝えてもらっていると思っていいんじゃないだろうか。


 こんなに大胆な格好で風呂場に入ってきて、あまつさえ、背中に寄り添ってきてくれているのだから。


 そう、現在ロコナさんが俺の背中に寄り添っているのだ。


 あの服の上からでも存在を主張していた、地母神のごとく豊穣を象徴するようなその部分が、俺の背中に当たっている。


 柔らかい。


 思わず意識が遠くに行ってしまいそうになる。


 煩悩を捨てるためにはすべての神経を背中から切り離し、幽体離脱したような気分にでもなるしかない。


 だが、気分は気分でしかない。


 そこにいるロコナさんは現実であり、身体を覆う布が取れてしまわなかったことが、ギリギリのところで俺の自制心を支えている。


(これは新手のドッキリか何かか? それはそれで寂しいが、こんなに都合のいいことがあるわけがない。ちょっと美味しいものが作れたくらいでこんなに好意を寄せてもらえるなら、料理人はものすごく魅力的な職業ということになる。実際シェフというとモテるイメージがあるが……しかし柔らかい……)


 理性が僥倖に負けた瞬間であった。


 ここまでしてもらって男として応えないのは間違っている。


 ロコナさんが何を望んでいるのかはこれから確かめるとして、今寄り添ってくれている理由を聞かなくては。


「こうしていると、安心します……温かくて……ひっく」

「……ロコナさん、今のはしゃっくりですか?」

「……うーん……私、さっきから何だかいい気持ちなんです……ふわふわーってして、ぽーっとして……これってやっぱり、タクミさんが……ひっく。可愛いからなんれしょ~か……」


 それが答えだというのなら、俺は神に感謝し――そして一抹の残念さは胸に閉じ込める。


「……ロコナさん、もしかして酔ってますか?」

「酔ってなんてないれすよ~、エルフは普通のお酒ではあんまり酔わないんです。エルフが酔っ払うのは、樹液で作ったお酒なんれす。とーっても貴重なので、お祖父ちゃんはいつも独り占めして飲んでたんれすよぉ~」


 もはや完全に管を巻いている酔っぱらいだ。


 惜しみなく背中に胸を押し付けられつつ、俺は一つの推論を導き出す。


(樹液で作った酒ということは……植物性のものを発酵させたものともいえる。まさかロコナさん……というか、この世界のエルフは味噌と醤油で酔っ払うのでは……?)


「はわぁ……なんだか目がぐるぐるしてきました~……タクミさん、不甲斐ない私をお許しください~。私はもうだめれす~……ひっく」


「うわっ……ロコナさん、も、もうちょっとだけ頑張ってください! そうじゃないと大変なことに……っ」

「ふにゃぁ……タクミさんがいっぱいです~……美味しいお料理もたくさん……」


 どんな楽しい幻が見えているのだろう。俺がいっぱいというのは、自分で言うのも何だがちょっと怖い。料理についてはロコナさんがご所望ならいくらでも作ってあげたいが。


 そんなことはいいとして、まいったな――上手いこと身体に引っかかっているタオルをそのままに、彼女を浴室から運び出すのは骨が折れそうだ。


 彼女が脱いだ服をそのまま着せていいのかも迷うところだが、非常時の措置ということで大目に見てもらいたい。


「……しかし……でかいな……」

「ええ……おっきいです……タクミさんの背中……」


 会話が微妙に成立している気がするが、大いなる気のせいということにして、俺は家主が風邪を引かないようにと行動を開始したのだった。


     ◆ ◇ ◆


 翌日の朝。


 自室から出てきたロコナさんと顔を合わせると、彼女は最初慌てて物陰に隠れてしまった。


「わ、私、タクミさんに大変なご迷惑を……っ、どうしてあんなふうになってしまったのか、自分でも全然分からなくて……うろ覚えなんですけど、タクミさんに、か、可愛いとか、とても失礼なことを……っ」


 記憶はあいまいだが、昨日俺の背中を流してくれたことは覚えていると、そういうことらしい。


「……あ、あの、タクミさん……もし、怒っていらっしゃったら……」

「そんなこと、絶対ありませんよ。俺の方こそすみません、昨日作った調味料なんですが、もしかするとエルフが食べると酔ってしまうのかもしれなくて……」

「あっ……そ、そうだったんですね。私も不思議だなと思っていたんです、お夕飯のあとに身体がぽかぽかしてきて、すごく機嫌が良くなって……で、でも、それだけじゃないんです。タクミさんに何かお礼がしたいなって思っていたのは本当なんです……っ!」


 酔っていたせいというだけじゃないというのを、ロコナさんは必死で伝えてくれている。


 俺が心配していたのは、どうやって介抱されたかを彼女が考えて気まずくならないかということだったのだが――どうやら、それについては大丈夫そうだ。


「ロコナさんのスキルは凄いですね、昨日一日の疲れが全部取れました。今日からもバリバリ働けそうです」

「ああ……よかった、よく覚えていないんですけど、スキルを使ったことはうっすらと記憶にあります。タクミさんがよかったら、これからも毎日使ってさしあげますね」


 毎日――毎日風呂に入ってくるのか? それはもはや新婚夫婦的な何かではないだろうか。


「……あ、ああっ……ち、違うんです。あの、『労りの心』というスキルは、タクミさんに対しておもてなしするようなことをすると、なんでも効果があるんです。こうやって肩をお揉みしたりするだけでもですね……っ」

「わ、分かってます、ちゃんと分かってますから……心配しないでください、ロコナさん」


 耳まで真っ赤になって慌てるロコナさんを、何とかなだめようとする。


 はぁはぁと息を荒げつつも、彼女はようやく落ち着いてきた。


「俺は簡単に勘違いをしたりしないですから。自分で言うのもなんですが」

「……それは、何というか……あまりそういった感じというのも、その、私としては……」

「え……?」


 ロコナさんは何か言いたげにしていたが、俺の顔を見ると最初はむっとした顔をしようとして――それは幾らも続かずに、頬を赤らめて微笑む。


「何でもないです。ところでタクミさん、今日の朝食はどうしましょうか」

「そうですね……さっき届けてもらった卵もありますし、朝市を見て決めましょうか。何かまた思いつくかもしれません」

「はい。それじゃ、出かける支度をしてきますね。タクミさんも髪を梳いてさしあげます」

「あ……ロコナさん、一ついいですか。ロコナさんは俺の雇い主であって家主でもあるので、俺に対してそこまで畏まることはないですよ」

「……はい。出かける前に、タクミさんの髪を梳いてあげますね」


 出かける時に寝癖を直してもらうような関係――そんな関係の相手ができたのは、人生の中でも初めてである。


 本当の意味で気兼ねなく接してもらうには、日々の積み重ねが大事だ。


 工房の職人として働くことと併せて、ロコナさんと食事の準備をすることは、これからの欠かせない日課になりそうだった。





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[一言] くっ、鈍感系主人公のラッキーすけべ付き同居物語っぽい! 一刻も早く結婚してどうぞ。
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