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1.初ログイン
「あら、これは……凄いわねぇ」
噴水の前で、一人の女性が驚嘆の声を漏らした。ざあああ、と音を響かせる噴水から水が跳ね、肌に掛かる。微かに彼女の身体が震えた。抜けるような青空、肌を焼く日射しの感覚、そして、吹き抜ける風、何処からか漂って来る香ばしい匂い、街の喧騒。全てが、五感に訴えて来る。
(昔、映画で見た公園みたいねぇ。でも、もっと素敵……予想以上、だわ)
うっとり眺め入る女性に近付く影があった。とんとん、とその肩を叩く。
「キミ、ご新規さんだろ? よかったらオレが案内しよっか?」
女性が振り向く前に、柔らかな声が優しい言葉を紡いだ。女性はゆったりと振り返る。その顔は笑顔だ。「あら、まぁ、ご親切に」と返事をする前に舌打ちの音がした。
「って、ナンだよ、ババアかよ!」
吐き捨てるように言うと、肩を叩いた人物は、さっさと踵を返して余所へと行ってしまう。
「あらあら、まぁまぁ……」
唇に利き手を当てて首を傾げる。
どうやらナンパだったらしい。幾ら意に沿わなかったとは言え、女性に対しては酷い暴言である。普通なら腹を立てる所だが。
(申し訳無い事をしたわ……)
彼女はぼんやりと思う。
だって、実際、自分は『ババア』だ。若い女性だと思って声を掛けたら『ババア』だったなんて、それは大層がっかりする事だろう。
(でも、これでも、大分、サバを読んでいるのだけれど……)
脳裏に浮かんだのは、ここに来る前に確認した自分の姿。実際の年齢より、遥かに若い姿になっていたのだが。
(やっぱり、私みたいなお婆ちゃんがこう言うゲームをするのは、駄目なのかしら? )
彼女の内なる疑問に答える者は、居なかった。
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国民の多くが仮想現実世界ヴァーチャルリアリティに慣れ親しんでいるこの時代に、話題となったMMORPG大規模多人数同時参加型オンラインロールプレイングゲームがある。『自由世界』と言う、何とも安直な名前を付けられたそのゲームは、しかし、映像の美しさ、再現性の高さや現実感もだが、何より自由度の高さで発売から半年たった現在も、販売数、人気度共にランキングの上位に位置していた。
吉岡紗和が、ゲームを始めた切っ掛けは、右目の失明だった。失明の原因は加齢、と言われた。医療が進んだこの時代でも、未だこの最強の敵には打ち勝てていないらしい。
紗和の一番の趣味は、キルティングだ。もう数十年来の趣味になる。だが、失明の影響で、その趣味が儘ならなくなってしまった。片目で出来ない事は無いが、図案と照らし合わせるのも時間が掛かり、なおかつ、思い通り縫う為には、手を止め何度も確認をする等の無駄な作業が多くなる。年齢もあり、短時間でも集中する事が辛くなっていた事もあり、思い切って抱え込んでいた布、端切れや刺繍糸、刺繍針、その他諸々を処分したのは、きっぱり諦める為だった。
そんな彼女に、息子が持って来たのがゲーム専用VR機器と、この『自由世界』だ。曰く「これなら母さんも思いっ切りキルトが出来るよ」との事。機械にやたら詳しい息子が言うには、視力がゼロでもVR機と言うものは直接脳波に云々かんぬん(この辺は細かい原理の説明をされたが、ちんぷんかんぷんだった)で問題なく『視る』事が出来るようだ。大方、気の利く嫁が気を利かせて勧めてくれたのだろう。相変わらず、息子には勿体ないくらいの出来た嫁だ。それに引き換え、「認知症予防にもなるらしいし」と良い笑顔で余計な一言を続けた息子には、脳天にチョップをお見舞いしておいたのは蛇足だ。
息子とのやり取りを思い返していた所で、とんとん、と肩を叩かれる。先程の件があったので恐る恐る振り返ると、背の高い女性の姿が在った。女性である事に一息を吐いて、けれど、はて、と唇に手を当てて首を傾げる。
「えーっと、ちょっと失礼な事をお聞きしますが、ばあちゃん、ですかね?」
女性は右手を頬に添え首を傾げた。
何だか見慣れた仕草だ。顔も何処となく見覚えがあるし、声も聞き覚えがあるような……もしかして。
「紗理奈ちゃん?」
孫の名前を口にすると、背の高い女性からは苦笑いが返って来た。
「ココでは、サリ、でお願いします」
どうやら、今度は問題なく待ち人に逢えたらしい。「初期設定が面倒らしいから、チュートリアルも含めて色々と手伝ってやれ」と気の利く嫁が、以前からこのゲームをしていた孫娘を寄越したのだ。
それにしても。
(大きいわねえ……実際も、このぐらいだったかしら?)
実際に顔を合わせたのは、半年程前だったので記憶が曖昧だったが、孫娘の実際の身長はどうだっただろうか。
「って、ばあちゃん、何その名前!?」
「え?」
唐突に指摘され首が傾く。何かおかしかっただろうか。ちゃんと入力出来ていた筈だが。
「イヤイヤ、『サトルの嫁』って……じいちゃんはタケルでしょ!?」
「あら、嫁、だから、智さんで良いのよ。貴方のひいお祖父様ね。尊さんだったら妻にしないと」
返事をしながら、孫だと確証が得られ安心するが、同時に疑問が浮かぶ。何故、相手には自分の名前が見えているのだろう。自分には彼女の名乗った『サリ』と言う名前も本名も、何も見えないのだが。
「あー、なるほど。でも、何でその名前? 普通に自分の名前とか何か入れれば良かったのに」
「色々入力してみたんだけど、駄目だったの。“既に使われている名前です”、ばっかりだし、“文字数を増やして下さい”、ってアナウンスがしつこいから」
「はは、しつこいって。ま、ココはユーザーが多いからね。識別番号もあんのに、カブりは撥ねられちゃうんだよなぁ」
再び苦笑を漏らした孫は、しかしすぐに笑顔になり、身体を屈めて来る。
「じゃあ、店でも入って初期設定とかしようか?」
「お店? ここじゃ駄目なの?」
「折角だから色々説明しときたいし、設定自体、時間が掛かるかもしれないし」
では、そこでこちらも色々と質問をしよう、と思いつつ頷くと、孫は周りを見回した。
「あ、あそこにしよう」
「ええー!?」
示された先を見て、思わず息を飲んだ。次いで口から悲鳴にも似た叫びが出てしまう。何と、硝子があったのだ。店の造りは南欧風の景観なのに、窓も扉も木ではなく硝子だ。息子に説明を受けた時に、「時代設定は中世らしい」と聞いたのだが、違ったのだろうか。
「紗理奈ちゃん! 硝子よ、硝子だわ!」
「サリ、だって。ばあちゃんが何に興奮してんのかよく分かんないんだけど、とりあえず中に入ろう、奢るから」
「まあ! 紗理奈ちゃんがおばあちゃんに奢ってくれるの? 嬉しいわ!」
「だから、サリ……もう、良いから、入るよ!!」
孫の成長を感じさせる発言に更に興奮していると、逆に相手は何だかご機嫌斜めらしく、ぐいぐい身体を押された。喫茶店と思わしき店に入り掛けた所で、店の前のテラスが見える。それに興奮して、紗和の足は止まった。そして、慌ててそちらに孫の手を引っ張り返す。
「紗理奈ちゃん! テラス! テラスにしましょ!!」
「あーもー、好きにしてください……」
「素敵! こっち! こっちよ!」
テラスでお茶をするなんて、本当に、映画の中での出来事みたいだ。何て素敵なんだろう!
彼女の顔には、再び柔らかい笑顔が浮かんでいた。
個人状態
名前 サトルの嫁
位階 1
職業 未定
技能 未定
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※中世の南欧では、ガラス(ステンドグラス)は教会が独占しており、また、一般的には窓ガラスは普及しておらず、鎧戸が一般的だったとされています。詳しく知りたい方は、調べてみてください。