第6話 1年目「4月6日」(後編)
恵美と未来は午後を目いっぱい使って美術部に始まり、科学部、書道部、歴史研究会など文化部を中心に見学していった。どの部活の先輩方も優しく接してくれて魅力的ではあったが、恵美の意思に沿うような部活は見つからなかった。こうしていろいろな部活を見学しているうちに、気づけば日も少し傾いていた。
「そろそろ部活も終わる時間になるし、ラストに文芸部に行こっか?」
奇術研究会のマジックを見て一通りはしゃいだ後の未来は、教室から出た直後に、結局時間を置けば置くほどにさらに緊張してしまい、マジックどころではなかった恵美に提案をした。
「そ、そうだね。もう夕方だし最後に行こっか」
まだ文芸部はやっているだろうか?もしかしたら、今日はもう活動が終わっているかもしれない。それだったら見学は明日でもいいかな……。
自分のやりたいことであっても、いざ目の前にすると緊張が勝ってしまい、どうにも後回しにしてしまう性格の恵美は、そのどきどきと格闘しながら、未来とともに文芸部のある部室棟へと足を運んでいった。
「えみちゃん大丈夫?なんか、すっごく緊張している感じだけど……」
「うん、ちょっとだけね……やっぱり入りたい部活だとどんな先輩がいるのか不安で」
どんな先輩がいるかというより、むしろとある先輩にどのような態度で接しようかで緊張してしまっている恵美であったが、うわの空で話してしまうほどの緊張でも、本音を隠すのは忘れていなかった。未来もその緊張に中てられて、会話をそれ以上続けることなく、ずんずんと部室棟へ近づいていく。
奇術研究会の教室からこの部室棟に行くにはそれなりの時間がかかる上に、会話がないにも関わらず、恵美の体感的にはあっという間に着いてしまった。
「着いたねぇ……まだ部活やってるかな?」
日が傾いているものの、部活動案内書に書いてあった活動時間からするとまだ活動終了の三十分ほど前である。
「そだね、部室、イコッカ」
「行こう行こう!」
恵美はもはや会話が成立していないばかりか、ロボットのように片言になってしまっている。未来はそんな状態の恵美を見て、中てられた緊張もほぐれてしまい、恵美の手を引っ張って部室へと進んでいく。部室の扉が見えてきて、文芸部室というプレートが目に入った恵美はハッと我に返って急に止まった。
「いや、やっぱり明日にしようかなー。今日もうやってないかもしれないし、こんな最後に行くのは迷惑かもしれないし」
「電気ついてるから大丈夫だよ!ほら行こう?」
駄々をこねる子供を何とかして連れて行こうとしている母親のように、未来は恵美の手をぐいぐい引っ張ってずるずると部室へと運んでいった。扉まで行くと未来は恵美を引っ張っていない方の手でいきなりガラガラと扉を開いた。
「ちょ」
「失礼しますー!まだ見学させていただいても大丈夫ですか?」
「お、新入生だね!ちょうど君たちで千人目の新入生だよ!おめでとう!」
未来の挨拶に対して間髪を入れずに元気すぎる声が部室に響いた。その声の主は飛び上がるように椅子から立ち上がると、新入生二人の方へと駆け寄ってきた。すると、さらに奥からため息が聞こえてきた。
「はぁ……はしゃぎすぎ。それと誇張しすぎ」
その女性の声はいかにもクールな雰囲気を醸し出していた。一方で、扉で隠れるようにしていた恵美は駆け寄ってきた人を見て息をのんだ。
間違いない!この人がずっと会いたいと思っていたあの人だ!
恵美は喜びの余り、顔を伏せてわなわなと震える。その様子に気づいた憧れの女性が恵美に話しかける。
「そっちの隠れてる子も出ておいでー?美優は怖いかもしれないけど、私は怖くないよー?」
「だから一言多いってば」
そんなやり取りを見ていた未来はそっと恵美の手を引き、後押しをする。
「ほら?先輩方も歓迎してくださるみたいだよ?とりあえず、部屋に入ろ?」
そんな声かけもあってか、恵美はゆっくりと部屋の中に入り、憧れの女性の前に立った。
「あの、あの……」
「ん?どうしたんだい子猫ちゃん?」
恵美の憧れの女性は新入生が来てくれた嬉しさを隠す気もなく、悪戯っぽく微笑みかける。
「ずっとファンです!」
恵美の予定ではこんな告白をするはずではなかったから、未来に本心を隠していたのに、そんなことも忘れてしまい、まるで好きな人に付き合ってくれと言わんばかりのテンションで大胆な告白をしてしまった。
「だ、大胆な告白だね……でも、私たち女の子同士だし、そもそも今知り合ったばかりだし……」
「いや違うでしょ。普通にあんたの小説のファンってことでしょ」
クールな女性の方がすかさずツッコミを入れる。
「でも、こういう時の『ファンです!』って好きってことじゃないの?」
「それはアニメの見過ぎ。普通は違うの」
告白の後に固まってしまった恵美とこれまでの流れが全く分からず、頭にはてなをたくさん浮かべている未来に対してクールな女性が優しく呼びかける。
「訳分かんない奴でごめんね。とりあえずこっちに来て座ってくれるかしら?」
「あっはい!わかりました!ほら、えみちゃん行くよ?」
未来がぼけっとしている恵美の背中を押して奥へ進んでいく。そして、二人はクールな女性に机を挟んで対面するような形で椅子に座った。その二人の様子を、目をキラキラさせて眺めながら恵美の憧れの女性の方もクールな女性の隣に陣取った。
「それじゃ、とりあえず私たちの紹介をするわね。私は森野美優。二年生で、一応この部の副部長をしているわ。それでこっちが同じく二年で、部長の」
「よろしくね!」
美優の話を遮って、部長は二人に対してにこやかに挨拶をする。その表情を見て、固まっていた恵美も溶けだして、言葉を発する。
「いつも拝見させていただいています、先生!」
「うーん、先生っていうのはちょっとこそばゆいから、部長って呼んで?」
「分かりました、部長!」
その呼び方がよほどお気に召したのか、隣の美優の耳元で『えへへ、私が部長だってー!くふふ』と囁くが、美優はその頭を押しやって『うるさい』と言ってあしらっていた。さらに状況がよくわからなくなっていた未来は首をかしげながら、美優に尋ねた。
「あのー?これはいったいどういうことなんでしょうか?」
「あら、あなたは知らないのね。じゃあ、部活の紹介と一緒に話しましょうか。っと、その前にあなたたちの名前を聞かせてもらってもいいかな?」
「あ、すみません!私は七瀬未来と言います!よろしくお願いします!」
かしげた首を元に戻して、未来はペコリと頭を下げた。それに続くように心の乱れが落ち着いてきた恵美も自己紹介をする。
「はじめまして!一年生の夏目恵美です。今のところ、入部したいなって思ってます。よろしくお願いします」
入部希望ということを聞いて、身を乗り出してさらに詳しく問いただそうとした部長を、今度は美優が遮るようにして話を次に進めていく。
「自己紹介ありがとう。それで、未来さんに説明すると、この部長さんは一応プロの作家として本を出してるの。それで、おそらく恵美さんがファンだってことかしらね」
「えっ!そうだったんですね!えみちゃん、だからあんなに緊張してたのかー」
「そういうことになるわね」
美優の話が一段落すると、今度こそ話すために臨戦態勢になった部長が手を挙げて立ち上がった。
「はい!そんなことより、部活について紹介します!」
そんな状態の部長を一瞥した美優は、その根気に負けたといわんばかりに首を横に振り、まるでラノベの無気力系主人公のようにため息を吐く。
「この部活では、なんでもいいから楽しいことを文章化してもっと楽しい日々を送るということをモットーに活動しています!ただの人間にしか興味ありません!とにかく楽しいことを一緒にしませんか!」
どこかから引っぱってきた表現とその勢いが相まって、ただの怪しい宗教勧誘のような紹介であった。それを聞いて少し身を引く未来に対して、恵美は意気投合したように目を輝かせた。
「それです!日々をもっと楽しくしたいという気持ちが、やはり創作の意欲を掻き立てるということですね!」
「よくわかんないけど、そういうことにしておこう!」
二人してワイワイはしゃぎ合っているのと見ている残りの二人は、そのテンションの差についていけず、目を見合わせた。
「ごめんね、うちの馬鹿がこんなんで」
「い、いやぁ……今のえみちゃんも大概なので……」
テンションの高い二人は、すでに入部の手続きのための書類を探し始めていた。
「未来さんと恵美さんは中学からの友達なの?」
「いいえ、今日あったばかりの友人ですよ」
部長は『どこだー!どこだー!』と言いながら、引き出しを開けて探している。
「あら、そうなの?それじゃあ、これからももっと親睦を深めていけるといいわね」
「そうですね!えみちゃんすっごい良い子だから、親友になれる気がします!」
どうやら書類が見つかったようで、部長が『もし今日で部活を決めてくれるのなら、ぜひこれに名前と学年とクラスを書いてほしい!』というと、恵美は『分かりました!部長についていきたいと思います!』といって、筆記用具を取り出した。
「未来さんもとっても良い子なのね。どう?文芸部に入ってみない?三年生がこの春で一応引退になったから今はあのポンコツと二人なのよねー。あのポンコツに喝を入れる人が、もう一人くらいほしいって思ってたから」
「そうですね……雰囲気的にはすごい和気藹々としていて好きです!でも、まだ入りたい部活に見学に行ってない時点では決められないので、考えておきます!」
恵美が名前を書類に書き、それを見た部長は『めぐみって書いてえみなんだ~。じゃあ、あだ名はなつめぐちゃんに決定だね!』と、もうすでにあだ名までつける始末だ。テンションが上がりすぎて混乱している恵美も『了解でしゅ』と噛みながら肯定するカオスな空間が出来上がっていた。
「わかったわ。さっきの意味不明な紹介はともかく、文芸部では読むだけの人もいたから気軽に考えてね。あと、兼部もオッケーだから、未来さんならとりあえず入るって感じでも大丈夫よ。かくいう私も兼部してるから」
「分かりました!」
テンションが異常な二人とは対照的に、いたって普通に交流を深めていた。
「もうちょっと時間があるときならもっといろいろ部活のこと話してあげられるから、また来てね。そうだ、この高校のことでも分からないことがあってもいつでも聞いてね」
「何から何までありがとうございます!それと……連絡先、教えていただいても構わないでしょうか?」
「ええ、大丈夫よ」
二人はスマートフォンを出して連絡先を交換した。そして、時計の針と残りの二人の状況を見て、再び目を見合わせて、お互いに困ったように笑い合った。
「もうそろそろ下校時刻になるから、あの二人を連れて帰りましょうか」
「そうですねぇ……」
未来にはあまり理解が追いつかない楽しさを語る部長と、今度はテンションが上がりすぎてぽわぽわとうわの空のまま、その部長のことを肯定する恵美を二人掛かりで引き離して、『もう帰るわよ』『えみちゃん帰るよ!』と呼びかけた。その必死な説得のおかげか、暴走をやめた二人はその指示に従った。荷物の整理が終わる頃には、すっかり二人とも元のテンションに戻っていた。
「私たちはこの部室の鍵とか返さないといけないから、なつめぐちゃんと未来ちゃんは先に帰ってて大丈夫!またね~!」
「二人ともありがとう。お疲れ様」
最後は上級生らしくなった部長と最初から頼りがいのある美優が二人に対してねぎらいの言葉をかけて、別れを告げた。
「こちらこそ、ありがとうございました!これからもよろしくお願いします!」
「入部考えておきますね!今日はありがとうございました!」
新入生二人も感謝を告げて、部室から出ていく。廊下を歩きながら、恵美は満足げな深いため息を吐いた。
「はぁー。とっても良かった!今日行けて良かったよー。連れてきてくれてありがと」
「こっちこそ、貴重な体験ができて良かったよ!」
「いやー、普通にオタクとしてテンション上がっちゃったなー」
「ちょっと上がりすぎてて、イラっとほんのちょっと思っちゃうくらいだったよ……」
未来は苦笑いを浮かべながら、ぼそっと呟いた。
「うん?なんて言ったの?」
「ううん!なんでもないよ!えみちゃんがテンション高かったなーって」
恵美は未来の言葉を『書き手にとって主人公には聞いてほしくないけれど、読者には聞いてほしい会話文』に見事に昇華させ、何事もなかったかのように足を進めていった。
「まあ、ずっと会いたかった人だからね。次からはもっと自制していくよー」
「それがいいと思う!」
未来は首を縦にぶんぶん振って激しく同意をした。
これから、美優先輩の苦労が増えてしまわないことを祈ろう……さっきは相談に乗るって言ってくださったけど、こっちこそ相談に乗りますよ……!
未来はこれから先の文芸部の未来に目を向けて、決心をした。
二人は校門まで一緒に歩いた。未来はその道中でかなりテンションが落ち着いてきた恵美に、部長の作品について聞いてみた。そうしたら、恵美は再び目を輝かせて『この作品の肝は3巻で……』『この巻は最初から最後まで心が揺れ動くから……』などと早口で感想を語った。未来には言っていることの半分も分からなかったが、すごくいい作品らしいし読んでみたいという気持ちだけは湧いてきていた。
「あ、えみちゃん。わたし帰るのこっちだけど……」
恵美による部長の作品語りのきりがいい所で、帰る方向を指さす。
「あ、歩きなんだー。わたしは自転車なうえに反対の方向だね」
恵美はポケットから自転車の鍵を取り出して未来に見せた。
できれば、もう少し良さを語って部長の作品のいい所を知ってほしい……!そして、あわよくば少しでもいいから、こういう雰囲気の小説も読んでほしい!
そう思う恵美であったが、さすがに今度は自制して駐輪場のどこに自転車を置いたのかを思い出そうとする。
「そっかー、もうちょっとお話していたいけど、今日はここまでだね。今日は本当にありがとう!」
「こっちこそいろんな部活に見学に行けて本当に良かった!じゃあ、また明日ねー」
「うん!ばいばーい」
二人は手を振り合ってから、お互いの道を進んでいった。結局、恵美は自転車の置いた場所を思い出せず、端から見ていく羽目になってしまい、今日初めての暗い感情のこもったため息を吐いた。一方で、未来は恵美が見えなくなったころ、ふとした疑問が頭をよぎった。
部長って名前もペンネームも何なんだろう?
そんな疑問が浮かんだが、明日えみちゃんに聞けばいいやと思いなおし、家への帰路につく。
夕日が沈む。二人を含め新入生たちは皆、高校生活が始まったばかりだ。