第4話 1年目「4月6日」(前編)
入学式。
それは人生の中で数回しかない大変重要な式である。しかし、大抵の人は昔のことで覚えていないか、寝ていて覚えていないかのどちらかだろう。夏目恵美にとって、高校の入学式はそのどちらにも当てはまらないものであった。恵美の中学時代の成績からすれば、多少背伸びして入学を勝ち取った高校だ。その誇らしさと全く新しい環境に対するドキドキ感がこの入学式をも彩り豊かなものにしてくれていた。
「新一年生代表挨拶。加藤三咲さん」
「はい」
しんと静まり返っていた体育館に芯の通った綺麗な声が響く。その声の主はどうやら恵美と同じクラスのようで、恵美より少し前から舞台上へ歩いていく。
これが私たちの学年の首席入学者か……。
一つひとつの動作がとてもきれいであることも含めて素直に感心するとともに、お嬢様のようなこの人とはあまり仲良くなれないだろうなと感じ、自分が場違いなのではないかと少しの不安がよぎる。しかし、そのことすらもこの高校に入ることができたという高揚感には勝ち得なかった。
自分の好きな作家に会える!
恵美が背伸びしてまでこの高校を受験したのは、別に親に褒められたいという理由や勉強をすごく頑張りたいという理由ではない。この高校には中学生の頃から執筆活動をしている作家が存在する。新聞の地方版に顔写真付きで載っていたから間違いない。その記事を読む前から恵美はその作家の作品がとても好きだった。この人から貰った勇気、元気はとても大きい。だから、新聞記事を読んだ瞬間にこの高校の文芸部に入ると決めていた。それが達成されようとしている今、昂ぶりを感じずにはいられなかった。そんなことを考えていると、いつの間にか代表挨拶は終わっており、式は閉じられようとしていた。
入学式が終わり、各クラスの教室へと戻る。恵美と同じ中学からこの高校へ来た人は数人いるがその誰とも同じクラスにならなかったので、好きな作家に会えることに対する胸の高まりがあるといえども、さすがにこのクラスの雰囲気には緊張していた。恵美が自分の椅子に座ると早速、後ろの人が控えめにちょんちょんと恵美の背中を叩く。振り向くと、にこやかな表情の女性が座っていた。
「こんにちは!私は七瀬未来って言います!私の中学からここにきてる人少なくて……今後も席近い同士よろしくね!あなたの名前は?」
「あ、私は夏目恵美って言います。同じ境遇の人が席近くて助かったよ~」
恵美はほっと胸を撫で下ろす。同じような境遇で席が近くて、しかもコミュ力が高いなんて奇跡じゃないかと思いながら、親睦を深めるべく、会話を続けようとする。
「えっと、じゃあ、えみちゃんって呼べばいいかな?」
「うん、それでお願いします。じゃあ、私はみらいちゃんって呼ぶね」
中学生の頃はオタ活しかしてなかった自分が、今すごくリアルな女子高生してる……。
「お願いします~。えみちゃんの中学からもここに来る人少なかったんだ!勇気出して声かけてみて良かった~!」
「こっちこそ不安だったから声かけてくれてありがとう!」
恵美は心からの感謝の意を示す。顔だけを未来に向けていたが、椅子ごと移動させて未来と向き合うように座り直す。
「いやいや、優しい人で安心だよ~。このクラスの担任の先生も優しいといいなぁ」
「さっき入学式で見た感じだと、優しそうな女の人って感じだったけどね」
入学式の担任紹介を思い出す。見た限りでは、まだ先生になりたてのお姉さんという感じの印象の人がこのクラスの担任として紹介されていた。
「よく覚えてるね……私なんか眠くて担任紹介の時なんかウトウトしっぱなしだったよ~。でもそっか、優しそうな人かー。だけど、人は見た目に寄らないっていうからねぇ」
「まあ、来てみてからのお楽しみってとこだね」
その先生のことは自分のクラスの担任という以上に、文芸部の顧問として紹介されていたのでよく見ていたということもあり、覚えていた。自分のクラスの担任が入りたい部活の顧問なんて神様に文芸部に絶対入れと言われているような幸福を感じた。
「そうだねぇ。あ、そういえば、えみちゃんはどの部活に入るかとかもう決めてる?」
「あ、それはもう決めてるよ」
「そうなんだ!どこなの?」
部活見学をしていないのに決めていることに若干の恥ずかしさを感じつつも、堂々と答える。
「文芸部に入ろうと思ってるんだ」
「へぇ!それは、中学の頃から何かやってたとか?」
さすがにどんなに優しい人であろうと、今日あったばかりの人に一番の入部したい理由が好きな作家さんが部活にいるからだというのは恥ずかしいので、なんとか誤魔化す。
「いやー、そういう訳じゃないんだけど、高校生になったらなにか創作してみたいって思ってたから、せっかくなら小説書いてみようかなって思って」
これも入部したい理由としては間違いではない。未来は、本心を隠してしまった恵美に対して感心の眼差しを向けた。
「そうやってやりたいこと見つけられるって尊敬しちゃうなぁ。私なんか中学の頃に吹奏楽部だったから、続けようかなぁって思ってるくらいだし」
全くの嘘を言ったわけではないが、その言葉に恵美は少し罪悪感を抱く。
「そんな大したことじゃないよ。それにしても、吹奏楽かー。何の楽器をやってたの?」
「フルートだよー」
その受け答えと同時に教室の扉がガラガラという音を立てて開いた。
「はーい、皆さん、入学おめでとうございます。本日のことについて説明しますので席についてくださーい」
おっとりとした声でクラスの生徒たちに呼びかける。席から離れ、小さなグループを形成していた人たちも自分の席に戻り、先ほどまでの騒がしさが嘘のように静まり返った。未来も小さな声で『また後でね』というと、恵美も『おっけー』と返し、移動させた椅子を元に戻す。先生は教卓の前に来ると、生徒全員の注目が集まるのを待ち、黒板に自分の名前を書き始める。
「皆さん、おはようございます。私はこれから一年間このクラスの担任を務めさせていただきます宇佐美千恵と言います。よろしくお願いします」
にこやかではあるが少し緊張した様子でそう言うと、ペコリと頭を下げた。近くで見ると優しそうではあるものの、どちらかと言えば頼りなさそうと言った方がいい印象の千恵に、恵美は目を向ける。
どんな先生だったとしても話のできる友達になれそうな子ができたから、乗り切れるはずだ!
そう思いつつ、先生の説明を聞いていく恵美であった。