第1話 1年目「11月28日」
放課後の高校。そこを想像するときは、運動部のよくわからない掛け声や吹奏楽部のたくさんの楽器の音が入り混じったごちゃごちゃした喧騒があるものを想像するだろう。はたまた、生徒会と部活が衝突して言い合いをしていたり、もしかしたら学校の能力者たちが派手に暴れまわっているようなことを妄想する人もいるかもしれない。
しかし、この高校は無駄に広く、文芸部室はさらにその片隅に追いやられているためにどんな喧騒が高校内で起きていたとしてもこの部屋にいる限り、他の環境音とも混ざってしまい、はっきり聞こえてくることはほとんどない。冬の寒さをしのぐために締め切りにしていたら、なおさらだ。カチャカチャとキーボードをたたく音だけが鳴り響く。
「ねぇ」
「はい、なんですか、部長?」
今、この部屋には二人の女性だけがいる。部員は全員合わせると六人だが、授業が終わって一時間以上経った今いないということは、今日はこの二人だけの活動になりそうだ。二人とも文芸部らしく小説を書いていたが、部長と呼ばれたその人が、隣に座っているもう一人の部員に唐突に話しかける。
「クソアニメの定義って何かしら?」
「いや、部長の一人演説とかよくわからない議題はもう慣れてきましたけど、ほんと、なんなんですか、その質問」
首だけをグイっと部長の方に向けて冷ややかな目を送る。
「おっ、質問に質問で返すとは、なつめぐちゃんもなかなかやるようになったわね」
「そんなこと聞いてませんし……はぁ、私はもう自分の作業に戻りますね。あと、なつめぐって呼ばないでください」
夏目恵美はパソコンの方に向き直り、再び書き始めようとする。待ったといわんばかりに、部長はガバッと両肩に腕を回して抱きつく。
「やー、ごめんごめん!ちゃんと説明するから!」
「あー、もう!わかりました!わかりましたから、抱きつかないでください!」
部長の腕を引き離し、今度は体ごと部長の方を向く。
「で、なんですか、その質問」
「いや、ね、昨日の夜にあるアニメをイッキ見したんだけど、なんか面白くないなとか自分の求めてるものと違うなって思ったんだけど、具体的にどこがどうダメかが分からなくて。そうやって考えるうちに、クソアニメの定義が何かという疑問にたどり着いたわけだよ、なつめぐちゃん」
「なるほど、言いたいことはわかりました」
恵美はうんうんと頷きながら、部長のたわごとを聞く。
「さっすが、なつめぐちゃん!それで、ずばりなつめぐちゃんの意見は?」
「自分の求めていないものがクソアニメと化すでファイナルアンサーですね」
「そりゃあ、そうなんだけど!なんか、もっとこう、具体的にね?一応、私たちも書き手なわけだし、そういうこと考えておいた方がいいかなって」
恵美は部長の言葉に対して『えー、面倒くさい、部長一人で考えてください』と言わんばかりのジト目をするが、ふむ、とわざとらしく声を上げて言葉を続ける。
「じゃあ、昨日見たアニメがどんなものだったかを教えてください」
「一人で考えろみたいな目だったから、そういわれると思ったんだけど、一緒に考えてくれるなんて嬉しい!」
この部長、意外と鋭いな。そんなことを考えながら、部長が話し始めたあらすじを聞く。
「えっと、剣と魔法のファンタジーな世界観だよ。そこに転生した主人公がすっごく強くて、いろんな事件を解決したり、女の子を助けていくみたいな感じの物語だったかな。すっごい端折って話すとこんな感じ」
あー、わかった。もうわかった。つまり、部長の言いたいことはこうだ。
「わかりました。つまり、部長は異世界転生ファンタジーチーレムものが嫌いでファイナルアンサーですね」
「ちーれむもの?知らない言葉ですね。わたし、気になります!」
「……そんなことばっかり言って、自分の作品に影響されると、読者にどやされますよ。私は元ネタあんまり知らないので言えませんが」
そんなに影響されないもーんと言いながら足をパタパタする部長。この人はすでにメジャーデビューしている正真正銘の作家だ。恵美はこの人のライトノベル作品が中学生のころから好きで、この高校に入学したという噂を聞きつけて、後を追うように入学した。憧れに振り回されてから食べる晩飯はうまいかと神様に聞かれているような気分で毎日を送っている。
「まぁ、チーレムというのはチートとハーレムを掛け合わせた言葉ですね。よくある設定を揶揄したような言葉です。ネットではよく使われていますよ」
「へぇー、そんな言葉があるんだ。教えてくれてありがとう!でも……うーん、そういうわけではないと思うんだよね。この前、友達に勧められて見たアニメはそんな感じだったけど、結構面白く見れたし」
部長はそのアニメを思い出すかのように顎に手を当てて、何もない床を見つめている。
「あ、そうなんですね。それじゃあ……何か捻りが欲しいとかですかね?」
「捻り?とはどういうことでおじゃるか?」
先ほどまで床を見ていた目を恵美のほうへ向けて、きらきらと輝かせている。きっと、この人の何に対しても好奇心を持つ貪欲さがこの人の作品を素敵なものにしているのだろう。そういえば、ライトノベル作家の話のライトノベルがあった気がするが、この人がその作品に出るとすれば、主人公を苦しめるライバル枠だろうか。いや、この人の作品は知る人ぞ知るくらいなものだし、駄作も少なくないと思う。考えを巡らせながら、恵美は自分の思う『捻り』を教える。
「捻りというのはですね、ありきたりな設定の中に自分独自の何かを入れて、それを生かすことですね。あとは、ありきたりな設定同士だけど、今まで混ぜられたことのない組み合わせをしてみるとかもありだと思います。例えば、異世界に来たけど、結局やってることはコンビニバイトと変わんなかったり、異世界で元の世界の文化や音楽を広めるとかありますね。急作りな設定なので適当ですが」
部長はほうほうと感心しながら聞いている。そして、今言った話を要約してまとめる。
「つまり、そういう捻りを何にも入れていない、もしくは入れていても活かせていないアニメは残念なことになる可能性があるということだね。なんかすっごい納得できたよ!」
「さすが部長、理解が早くて助かります。それでは私は作業に戻りますね」
恵美は今まで何もなかったかのように区切りがついたとたんに会話をぶった切ると、今から書こうとしていた場面の設定を思い出しながら、キーボードに手を掛ける。
そうだ、今から主人公とライバルの決闘後のシーンを書くんだった。
「わー!待って待って!どうせなら、今書いてる小説の見せっこしようよ!」
今までの話はこれを言う心の準備をするための話題提供だったのだろう。実際、これまでにもこういうことは何度かあった。まあ、そうじゃないときによくわからない話題を持ってくることも多いのだが。意外と部長でもほかの人に自分の書いた文章を読まれるのは恥ずかしいと思っているのかもしれない。
「はぁ、仕方ないですね。でも、私、まだ書き終わってませんよ?」
「大丈夫だよ!私も書き終わってないから!ここまでの感想が聞きたかったんだー。じゃあ、席を交代しようか!」
「わかりました」
席を代わり、お互いのパソコンで、お互いの書いている途中の小説を読んでいく。
十数分後。恵美は部長の小説を読み終えた。自分が好きなライトノベルの外伝に位置する作品であった。ライトノベルは読まないであろう一般人にも読んでもらいたいくらいの出来栄えだった。登場人物の感情表現。移り変わる鮮やかな背景。これからクライマックスへと続くであろう最後の引き。続きが早く読みたくなる作品だ。
部長はまだ読み終わっておらず、パソコンを前にして百面相をしている。そんな部長を見ていた恵美は新たな発見をする。あんまり部長が読み物をしている時の顔見たことなかったけど、部長ってこうやって見ているだけだったら、ただの可愛い生物だな。よし、今度からはこっちから読み合いを提案してみようかな。部長の作品が読めるし、変な絡みがなくなるしで一石二鳥だ。
恵美がペットに対してどの餌をやろうか考えるように部長の扱い方を考えているうちに部長も読み終えたようで、ふうと一息ついて恵美の方を向く。
「ん?どうしたの、なつめぐちゃん?私の顔に何かついてる?」
「いえ、部長って見てるだけならすごくいいですね」
恵美がそう言うと、部長はおろおろとする。
「え、なつめぐちゃん……私、百合ものってゆるいのしか知らないから……」
「私はいたってノーマルですよ!変な勘違いしないでください!」
「それはツンデレのツンの部分ということでおっけー?」
恵美は『はぁ』とこれまで何度吐いたか分からないため息を大きくする。これだから見ているだけがいいって言ったんだ。
「全然違います。もう時間もないことですし、お互いの作品を批評しましょう」
この部活では、全員が何かしらの小説を書いている。だから、こうして作品の批評会を開くこともある。
「私の作品どうだった?」
「正直、私では文句がつけられませんね。一読者として続きが読みたくなる引きでした。あとはやっぱり人物の感情の変遷の描写が丁寧で、感情移入しやすかったです。これからもこの調子でいきましょう。私の方はどうでしたか?」
本を出している人に文章の評価をしてもらうのは、あまり緊張することのない恵美であってもさすがにドキドキする。
「えっとねー、さっきの残念アニメの定義は回避していたんだけど、なんか文章が成り立っていないというか、ちょっと言ってることが分かんないとこが多くて……つまり、結論を言うとあんまり面白くなかったです!」
部長はペコリと頭を下げる。ここまで正直に言われると恵美にも、ぐさりと来るものがある。
「……くっ。こ、これからクライマックスにかけて面白くなっていきますから……」
恵美は長い文章を書くということをし始めたのが高校になってからということもあり、まだ文章を構成する力が未熟である。これまでの読書感想文などもあらかた母親に修正されてから、提出してきた程であった。しかし、これまでいろいろな作品を読んできたせいか、設定だけはものすごく膨らんでしまう。そのため、とある部員には『設定厨、乙!』と言われてしまう始末だ。
「そうなんだ!また出来たら読ませて!楽しみにしているね!」
恵美は嘘のない部長の笑顔を見ると少しの罪悪感と嬉しさがこみあがってきた。これからもたくさん文章を書く練習をして部長に面白い作品を読ませてあげられるまで頑張ろうと心に留めた。
「ありがとうございます、部長。さて、そろそろ下校の時間ですね」
「あれ?もうそんな時間かー」
窓の外を見ると、まだ六時だというのにもう真っ暗だ。高校の片隅ということもあり、本校舎へ続く電灯は二本しかない。冬の寒さも本番に入ってきたこの頃は、冬休みが待ち遠しくて堪らない。二人とも立ち上がるとロッカーまで行き、コートを着込む。
「今日はなつめぐちゃんの家までついていっちゃおっかなー」
「あなたの家は真逆でしょうが、まったく。部室の鍵はどこにやりましたか?」
「私のパソコンの横に置いてあるよー。うー、外は寒そうだね」
部長は手袋をはめた手で鍵を指さす。
「校内なのに、校舎まで結構歩きますしね。下校する時も自転車の乗り始めは寒いですよね」
「えー、私は自転車乗ってもずっと寒いよー」
恵美が鍵を手に取ると、二人で部室の扉まで歩いていく。パチンという部屋の電気のスイッチを切る音とともに、温かな光で包まれていた部屋も真っ暗になり、暖房も切れる。
「少しは我慢してください」
「話し相手がいれば我慢できるかも!だから、一緒に帰ろうよー」
「いや、だから、部長の家と私の家は真逆でしょう」
真っ暗な部屋の扉を閉めて、鍵を掛ける。二人分の歩く音が廊下に鳴り響く。
「そういえば、来週は期末試験だよー。なつめぐちゃんは大丈夫そう?」
「私と加藤さんは大丈夫ですが、他の一年文芸部員はちょっと……」
「そっか!なら、勉強会もしなくちゃね!」
「もう明日から部活は休みですよ……」
「部活じゃなくてもやればいいんだよ!」
二人の取り留めもない会話と足音はだんだんと部室から離れていき、校外を走る車の音やカラスの鳴き声と入り混じっていく。生徒会との衝突も、学校の能力者の戦いもなく、何も起こらないこの部活の日常はまだまだ続きそうだ。






