5-83 N.A.Y.553年10月、香港にて。
-------N.A.Y.553年10月。香港にて---------
今から話すことは、私がこの10年間ずっと誰にも話していなかったこと。
人の人生というものは、突如変わることがあるのよ。
私が、23歳だったときの頃よ。
中国武術の蟷螂拳を広めつつ、医療関係の職に就いていたわ。
私の人生を変えたのは一通のメールでもなく、デジタルデータの動画でもなく、たった数枚の紙切れが私の運命を変えた。
宛名も書いていない手紙だったけど、私の運命を変えるには十分だった。
九龍城国は、隣国なので通勤する度にそびえ立つタワーを毎日眺めていたわ。
その巨大なタワーはあの国のシンボルだ。
タワーの真下、巨大地下街には、国を追われた人々や、犯罪を犯して逃亡してきた者。
手紙から察するに、あらゆる闇が全部一か所に集まっているという印象だった。
一通目の手紙は、残しておいたが細かくは読まなかった。
三日後、二通目の手紙が私のマンションに到着する。
達筆に書かれたその手紙に、一言だけ書いてあった。
「一人の女の子すら、守れない国に未来はあるのだろうか?」
私を突き動かすには十分な一文だった。
なぜならば、私は最終的に軍事医療者になりたかったのだ。
世界に散らばっている、一人でも多くの人を救いたい。
私の夢でもあった。
更に三日後に、三通目の手紙が届く。
今までのとは異なり、非常に長い文章だった。
私の父親は既に亡くなっていたが、蟷螂拳を教えてくれたのも父だった。
私が医療関係に勤めたのも、父親の影響だった。
我々一族が、メイヨウ様が産まれた時、全てを守るために、全部叩き込んでくれたという衝撃の事実だったのだ。
医療に従事しておけば、メイヨウ様の身に何かあったとしても対応できるし、蟷螂拳をマスターすれば彼女を危険から守ることが出来る。
我々一族は、国外追放へと追われてしまったが、彼女が死なないように面倒見てほしいという内容だった。
私は、しきたりなどを気にする古風なタイプだ。
今まで父親から学んだことや、習ったことは一切破ることはなかったし、考えを変えるようなことなどなかった。
手紙を読み進めていくと、裏九龍城国と言われるところがどの様にして出来たのか事細かく詳細に書いてあったのだ。
50年ほど前、地下鉄を作ろうとしたところから裏九龍城国が出来る基礎となったそうだ。
だが、相次ぐ反対のため、その地下鉄の計画は途中で頓挫することとなる。
頓挫した計画は、セントラルの真下の基礎工事のみ終了したまま、中断したのだ。
時は進み、龍王の元には三人の子供が生まれることとなる。
直系は、ワンシェンメイという女性とワンミンメイという女性だ。
その十年後に、腹違いであるワンメイヨウ様が、産まれたのだ。
龍王は、一人しか受け継ぐことが出来ない。
前代の龍王は、容赦なくメイヨウ様の母親を誰にも公開せず、メイヨウ様を切り捨てた。
彼女の母親に仕えていた一部の者たちと、ドラゴンマフィアがメイヨウ様を保護することとなった。
巨大地下街の中心にある闇市場から始まった裏九龍城国は既に表側とひけをとらない位、成長していた。
ドラゴンマフィアは「黒龍会」と名乗っていたのだったのだ。
当時「黒龍会」は縄張りを持っていなかった。
そのかわり、他の会内でのいざこざを誰にも悟られず消去したり、始末したりすることへと発展していたようだったのだ。
現在の名残が、会内にいつの間にか侵入して、会を壊滅させるということだったのだ。
つまり、メイヨウ様に少しでも触れるようなことが起こると、その会は必ず消滅させられるのだ。
私は誰が送ってきてくれたのか、分からないこの手紙を胸に寄せた。
今まで、私の父がここまでしてきてくれたのは、このメイヨウという女の子の為だけだったのだ。
裏九龍城国という国は、メイヨウ様をかくまう為だけに作られたらしいのだ。
途中で、日本赤軍の斎藤という輩が我々の思想を歪ませてしまったが……。
彼女が三歳の誕生日を迎えた時、背中には、産まれながらに黒い龍のような痣がハッキリと出ていたそうだ。
成長する度に相手が何を思っているのか、考えているのか分かるような子だったらしい。
決して裕福ではなかったものの、彼女達は平和に暮らしていたそうだ。
だが、世の中とは残酷なものだ。
予想を遥かに越える想定外の出来事が起きた。
反勢力、龍王は一人だけだという思想の者がドラゴンマフィア内部にスパイとして入って、裏切ったのだ。
彼女の母親は、メイヨウ様を守ろうとして凶弾に倒れ、周辺を囲っていた者達も全員殺された。
メイヨウ様は、黒龍会の助力によって難を逃れたものの、今まで伝えられてきた記憶の封印を強いられることとなった。
それは、人がショックを受けた時、精神的に記憶の防御をかけるのだ。
彼女は自動的に記憶をロックしたのだ。
黒龍会の一人が、彼女が行方不明になるまで見届けたものの証言によると、ハッキリとした痣も不思議と消えて行ったらしい。
まだ2歳にも満たない女の子が、一人であの暗闇の中を生き残なければならなかった。
私は、父親が今までしてきてくれたことを、受け継いできたことを人生をかけて成し遂げなければならない。
もっと言うなれば、そんな小さな女の子を闇の中まで追いやった国を、我々一族ごと引き離してしまった事がどうしても許さなかったのだ!!
私は、手紙を見終えた時、激しい怒りと、悲しみが心臓の中をこねくり回されたような錯覚を受けたのだ。
静かに手紙をしまい込み、胸元に寄せる。
だったら……そんな国など壊してしまえばいいんだわ!!
彼女を、龍王として迎えさせればいい!!
会ったこともない女の子がどうとか関係ないわ。
父親が託してくれたものを、この身体を犠牲、払ってまでも成し遂げなければいけないのだ。
私は、その意思を固く誓って、九龍城国へと彼女を探そうと趣くこととなったのだ。