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春がくる

作者:

 空高く、炎の髪が凍えて息に氷が混ざるくらい高いところまで来ると、ファルファルドはふわりとその場に止まった。

 雲の大群はずいぶん前に追い抜いたから、空はうんと晴れ渡っていた。ぶるりと肩の炎が震える。憎らしいくらいあたりは真っ青。

 鼻歌を歌いながら、パチンと指を鳴らして焔玉を浮かべた。

 体がまん丸になるくらい思い切り息を吸い込んで、一気にビュッと吐き出す。まばゆく光った炎の玉が一斉に飛び散って赤い尻尾を空に描いた。


「ファルファルド、またお前は……無闇に火の粉を飛ばすなと言っているだろう」


 きっと困った人間たちが、大慌てで火消しに駆け回っているはずだ。

 わははと機嫌よく笑うファルだったが、長の声が聞こえると、ヤベッと顔色を変えて一目散に空を下った。

 名を呼ぶ声が追ってきたけれど、逃げるが勝ち。長のガミガミは長いのである。


 火傷するところだったぞ! 長を困らせてはダメよ! なんて精霊たちに言われてもなんのその。

 ファルは知らんぷりして声高に歌いながら町から町を飛んでいく。

 たまに魔力の強い人間に引っ張られて力を貸してやったり、いけ好かない水の精霊を驚かせたり、気ままに過ごす毎日だ。


 この日も、ファルは木の葉がたくさん積もった道をすいすい飛んでいた。

 もう数えるほどしか葉がない並木道では、風の精霊が木枯らしをびゅうびゅうと巻き起こしている。

 落ちる葉を避けたファルは、下に女の子が座っているのが見えてふわりと止まった。


 ガリガリで貧相な人間だった。魂の色も薄くて気配があまりない。

 もうすぐ死ぬやつが、ちょうどこんな命を持っている。

 相手もファルに気づいた。水の精が好きそうな青い瞳が向けられたのに、ファルはフンと鼻を鳴らしてみせる。

 どうせすぐ死ぬのだから、ちょっとからかってやろう。




 青い青い軟弱 赤い赤い豪傑

 つよいのは誰だ よわいのは誰だ




 高らかに声を弾ませ、空をぐるんぐるんと舞って火の粉を散らす。すると、ぱちぱちと拍手が響いた。


「それは、なぁに?」


 高くて細い声に、ファルはふふんと笑って胸を張る。

 真っ青な瞳のまえにずいっと座った。


「炎はすごいっていう歌さ」

「歌?」

「そんなことも知らねーのか。言葉に節をつけて、口ずさむと楽しくなってくるのが歌さ」


 ふうん、と少し考えてから小さな人間は軽やかに言葉を転がした。



 はじめまして 炎さん

 つよくて ようきな 炎さん



 ファルは目を丸めた。からかったのに、この人間は暢気に挨拶の歌なんか歌い出したぞ。

 変なやつだ。毒気を抜かれたファルを気にした様子もなく、相手は肩をすくめた。


「わたしは体が弱くて。先はないってお医者様に言われているの。家も燃えちゃったし、ちょうどいいから好きに生きようと思って」


 訝しげなファルに彼女は空を指さす。


「きれいな炎が降ってきて、あっという間に広がったの。幸い誰も怪我もしなかったし、家族はとっくに亡くなっているから」


 どこかで聞いたような話に、ファルはらしくもなく気まずさを感じた。

 それはまぎれもなく自分の仕業じゃないか。きらきらと空で散った焔は、この子の魂より鮮やかだったと知っているのだから。

 もぞりと空に座り直して、ファルは青い瞳から目をそらした。


「……ちびすけ。ここでなにしてるんだよ」

「ロロよ。ちびすけじゃないわ」


 唇を尖らせたロロは、それでもふうと息を吐き出して答えた。


「ちょっと休憩。でももう日が暮れちゃうね」


 言って、よいしょと立ち上がる。


「わたしね、季節は春が一番好き。やわらかい緑と、鮮やかな花たちと、水色の空。見ているだけでも胸が踊る、あのあたたかな季節」


 てくてくと歩きながら、ロロは楽しげに声を弾ませた。


「ずっと先の町にはもう春が来ているんですって。わたしは死ぬなら春がいいなと思って、自分から春に会いに行くことにしたの」


 死にに行くのか。

 やっぱり変なやつ。ファルは思いながら小さな背中を追うことにした。





 風が空を駆け抜けて

 雨が木の根をうるおした

 夏がくる 夏がくる 星が瞬く夏がくる




 ファルが声を響かせると、ロロもいつの間にか一緒になって歌った。何度か聞いているうちに覚えたようだ。

 これは案外悪くない。歌いながらファルは南を目指すロロについていく。

 変なやつだから、気になっているだけだ。ただの気まぐれ。深い意味はない。今度はなんの遊び? と尋ねてくる精霊たちに、ファルはそう答えた。




 炎が大地をあたためて

 木の葉が染まって色づいた

 秋がくる 秋がくる 実りに踊る秋がくる




 ふたりでいくつかの町を越え、新しい町に着いた。

 けれども、ロロの顔色が悪かった。

 地面にうずくまってごほごほ咳をするのに、ファルはなにもしてやれない。


「大丈夫か? ああ、こんなに汚しちまって」


 ファルが服の汚れに手をかざすと、ボッと音を立てて火の粉が裾を焦がした。慌てて水の精を呼んで消し止め、ふたりそろってホッと胸をなでおろす。

 そうだった、ファルは火の精霊だった。


「……悪かった」

「きれいにしようとしてくれたんだから、気にすることないわ」


 ロロはやんわり笑みを浮かべ、それからすぐに苦しそうに眉を寄せる。


「今日はもう、宿に泊まることにするわ。ちょっと歩くのは大変」


 そうしたほうがいい。ファルもうなずいたのに、宿には泊まれなかった。部屋がいっぱいだと断られたのだ。

 ロロはしかたがないと笑ってから、馬小屋の片隅を銅貨と引き換えに借りることにした。藁を端に寄せて、そこにぽすんと横たわる。

 こほこほと咳をするロロの胸が、空気に溶けて薄まった。ファルはぎりりと奥歯を噛む。


「なんで人間は腕っていうのがあるのに、この子を抱きしめてやらないんだ」


 止まらない咳に苦しんでいるロロを、気にする人はいても足を止めてはくれなかった。そんな人間たちにふつふつと怒りが湧く。けれどもファルは、それ以上に自分に腹が立った。

 一番近くにいるのになにもできなかった。なにもできないのは、いないのと同じだ。

 ロロがぐっすり眠っているのを三度確かめてから、ファルは全速力で空を駆けた。



***



「長。俺、人間になりたい」


 南の星がいっとう輝く空のもと、

 ファルは火の精霊の長をまっすぐと見上げる。


「今までいたずらばかりしていた俺だから、精霊じゃないほうが長だっていいだろ?」


 長はファルを見すえてから、物憂げに目を細めた。あたたかなそよ風みたいなため息が、ファルの前髪を揺らす。


「条件がある。お前に体を授けるかわりに、あの子の命がついえたら、お前も消える。お前の命が代償だ。時間はそれほど多くないとわかっているな。よく考えて決めよ。決めたら私のところへまたおいで」


 ファルは首を振ってすぐに口を開いた。


「長。俺は、体がほしい。やってくれ」

「ファルファルド」

「あいつの傍にいると決めた。転んだとき差し出す手がほしい。汚れた裾を払ってやりたい。だから、消えたっていい。あいつが辛いのは俺のせいだ。俺がやれることをやるんだ」



***



 ロロが目を覚ますと、ファルはおはようも言わずにくるりと回った。


「ロロ! 見てくれ。俺、人間になれたぞ!」


 真っ赤な髪に、暁色の瞳。透けない体に二本の足。長の力はすごかった。


「な、見た目はちょっと熱そうだけど、お前とおんなじだ。どうだ? いいだろ?」

「どうして」

「どうした? 気に入らないのか、ちびすけ」


 ぎゅっと唇を噛むロロが不思議だったが、ファルは機嫌よくもう一度回ってみせる。


「これなら、お前との旅だってもっと楽しいだろ。さあ、歌うぞ。一緒に歌おう」




 雨が凍えて雪になり

 クマもウサギもおやすみだ

 冬がくる 冬がくる 夢にいざなう冬がくる




 ふたりで声を合わせて歌うと、胸がぽかぽかした。もう炎をまとっていないはずなのに。おかしなものだ。

 ファルが機嫌よく声を響かせると、ロロが隣で楽しそうに笑った。

 ひとつの町を越え、春の町まであと三つ。

 このまま行けばひと月ほどで着けるだろう。弾む胸とは裏腹に、そのころからロロの歩みが遅くなっていることにファルは気づいた。


 ファルはしゃがんで背中を向ける。負ぶされと笑うと、ロロは困ったように地面とファルを見比べた。

 おそるおそる伸ばされた手。次いで、背にぬくもりと重みが乗る。首に細い腕が回ってから、ファルはひょいと立ち上がった。軽かった。びっくりするほど、ロロは軽くて薄っぺらかった。

 礼を言う小さな声と背に伝わるあたたかさに、ファルはぐっと唇を噛んだ。


 歌を歌うと、楽しくなる。

 でもファルは喜べなかった。歌っても、どんどんロロの声が聞こえなくなって咳に変わってしまう。そしてごめんねと言われるのが嫌だった。

 ごほごほと止まらない咳が大きくなって、慌ててファルはロロを木の根本におろした。くったりしたロロは、身を縮めて肩を揺らす。色が、抜ける。抜けていってしまう。


「おい、ちびすけ! 大丈夫かっ」


 どうして、ロロは死にそうなんだ。まだいくらも生きていない、小さな女の子なのに。

 なぜ馬鹿なファルは薄い魂をからかおうと思ったのか。あのとき焔玉を飛ばさなかったら、ロロはこんなに苦しまなかっただろうか。


「町までもうすぐだ。負ぶって走れば――」


 ああ、抜けてしまう。

 色がわからないくらい、透けている。嫌だ、嫌だ、嫌だ。どうしてなにもできないんだ。こんな、ひどい。

 言葉を失うファルを、掠れた声が呼ぶ。


「……歌って」


 小さな手を握りしめて、ファルは奥歯が砕けそうなほど噛みしめることしかできない。

 それなのに、弱くて小さな声が呼びかける。


「あなたの声は、とっても、あたたかくて」


 なんで、うれしそうなんだ。苦しくて苦しくてたまらないくせに。ファルの前から消えようとしているのに。


「いつだって、わたし、」

「嫌だ、やめてくれ!」


 思わず叫んだとき、青い瞳がとうとう瞼に隠れてしまった。

 嫌いだった水の精の色。それが特別になったのはいつからだろう。ひゅうひゅうと喉が鳴る音に耳を塞ぎたい。でも、だめだ。ロロの声を聞き逃すのは――

 歌って。唇がそう動くと、ほほえみの形で止まる。


 ファルはひくつく喉を叱咤して、高らかに声を張り上げた。

 大好きな真っ青な瞳のかわりに、晴れた空を見上げて。

 目から熱いものがぼろぼろこぼれても気にしない。ぼやけても青だけはそこにあるから、腕の中でことりと首が落ちても、薄い胸で脈打つ音が止まっても、朗々と声を響かせた。




 青い小鳥が旅立って

 赤い花がほころんだ

 春がくる 春がくる

 きみの焦がれた 雪どけが

 リスの肩を揺り起こし

 緑の芽吹きをささやいた

 春がくる 春がくる

 きみの好きな 春がくる




 ファルの歌声に、精霊たちが集まる。風の精がふわりと起こした風を、火の精があたためて、地の精が摘んだ花をのせる。

 大きな雪が降るかわりに、ロロの好きな花たちがはらはらと舞い落ちた。


 花に埋もれたロロを前にして、ファルも消えていく。二度と目覚めず、世界から消える。

 そのはずだったのに。

 今、ファルは酒場の賑わいの中にいた。

 真っ赤な髪に、暁色の瞳。筋肉がついたしなやかな体には、大きな剣と荷物が少々。


 あのとき、薄れる意識に響いたのは火の長の声だった。

 長は、消えていくファルの胸から炎の魂を取り出して大きな結晶にすると、容赦なく半分に割った。高い音が響いてパキンと赤い宝石が砕ける。

 ――半分、お前の片割れに渡しておこう。割り符は呼び合う。忘れるな。

 その声を最後にファルの記憶は途切れ、気づけば人としての生を受けていたのだから、それはそれは驚いた。


 今度は、守れるように強くならなくては。それだけの気持ちで冒険者になった。

 精霊だったおかげか魔力も強く、今では周りから一目を置かれる存在になっている。

 長の言葉を信じて、片割れを探しながら放浪すること、幾年。窓の外では花びらが風に舞っていた。

 もう、何度目の春だろう。

 あの子の去っていったやわらかな芽吹きの季節。


 ファルは胸に手を当てる。

 半分になったファルの結晶は、心の臓に埋められていると生まれたときから知っている。

 それが、キィンと、鳴った。

 聞こえない音が、確かに体に響いた。


「あの、これがなにか知りませんか」


 ざわめきと賑わいの中で、はっきりと聞き取れた声。

 ファルは暁の瞳を向ける。酒場の親父を見上げている、細くて小さな背中。

 ああ、と声にならない声がこぼれた。

 ――ああ、あの子だ。間違いない。俺のちびすけ。

 小さな手の中には、赤い赤い、いびつな形の結晶がファルを呼ぶようにキラキラと輝きを放っている。


「ありそうな場所とか知っていそうな人とか、些細なことでもかまいません」


 ガタンと椅子が倒れた。

 人を押しのけながら急で、見下ろせるほど小さい背中に駆け寄ると、ファルはとびっきりの笑みを浮かべる。


「なあ、俺はファルっていうんだ。よかったら、一緒に探しに行かないか。歌でも歌っていれば、そんなの答えのほうから出てくるよ」


 きょとんとした真っ青な瞳。今度こそ、うんと素敵な世界を見せよう。

 ファルは戸惑う相手にかまうことなく、小さな手をしっかりと握った。


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