4-40:再会
地下から噴き出た水は、モノを遙か高みへと運んでいた。
宮廷の屋根が見下ろせる。顔を上げれば、帝都の城壁からその先の街道まで一望できた。
「に、にに」
風に猫耳がなびいてしまう。ずっと地下にいたせいか、青空と太陽が眩しかった。
「モノ!」
不意に、聞き慣れた声がした。
目に飛び込んできたのは、三角形の翼。グライダーが、モノの方へ飛んでくる。乗り手は、合図をするように翼を左右に振っていた。
「ギギ!」
モノは跳ねながら手を振った。下敷きになったサンティが、ちょっと唸る。
「無事だったのね!」
大鷹族の精霊術師、ギギがグライダーから声を張ってきた。
「うん、でも……!」
伝えなければいけないことが多すぎる。モノは言葉に詰まってしまった。また仲間に会えたことも、胸をいっぱいにした。
「行くよ!」
ギギのグライダーは、翼を傾けた。
「へ」
「捕まって! 今、下の方がかえって危ないから!」
説明もそこそこに、高度を下げて突っ込んでくる。
「さ、サンティ。小さくっ」
水の虎、サンティは小さくなり、モノの肩に乗った。
ギギが手を伸ばした。
モノは、その手をしっかりと掴む。勢いを利用して体をひねり、両手でグライダーの座席を握った。
「……軽いと楽だわ」
「?」
「なんでもない」
ぼそっとした呟きも、一瞬のことだ。気づくとグライダーにぶら下がって、空へ舞い上がっていた。
「す、すごい……!」
宮廷がどんどん小さくなる。
逃げ込んでいたらしい貴族がモノ達を見つけて目を丸くしていた。
高い場所から見ると、池の様子もよく見えた。
どうやら地下に至る割れ目は、池の中心部にできたらしい。そこから滝のように水が落ち込んでいた。
おかげで水位は低い。ほとんど底が見えそうだ。きれいな景色の一部だった、庭園の聖堂も、今は屋根が崩れ落ちている。
(本当に、亜人達は宮廷の真下にいたんだ)
飛行をしながら、モノは帝都を見下ろした。
大通りにも人が満ちていた。帝都を脱出しようというのか、荷車を引いた人も多い。猫耳を動かすと、公女を呼ぶ声も微かに聞こえていた。
「そうだ!」
モノはギギへ言った。
「お兄様――アクセルお兄様に、伝えないと。宮廷の穴から、地下の中枢へ降りられるの!」
分かってる、とギギはぶら下がるモノを見る。
「アクセル達は、大聖堂の塔にいるよ。そこに連れてくから」
グライダーはどんどん空を進んだ。区画で区切られた街も、空なら最短距離で一飛びだった。
やがて帝都で一番高い鐘楼が見えてきた。白亜の塔は、大きな鐘を陽に輝かせている。
「も、モノリスか!」
鐘楼に近づいた時、アクセルの声がした。大柄な兄は、モノに向けて大きく手を振った。
「はい、お兄様!」
グライダーは鐘楼に近づいていく。
モノはタイミングをはかって、骨組みから手を放した。
「え、ちょっとっ?」
ギギが目をむく。モノは笑った。
木から木へ飛び移るようなものだった。
「ありがとう、ギギ!」
モノは空中で態勢を整えた。飛翔の勢いのまま空を泳いで、兄の胸に飛び込む。
が、鎧は固い。モノはごちんと額をぶつけた。
「んにーっ」
「こ、公女よ!」
モノをキャッチした長兄アクセルは、兜の奥で目を白黒させた。まるで本物か確かめるように、両手でモノを抱き上げる。
外を見ると、グライダーは心配そうに鐘楼の周りを旋回していた。
「だ、大丈夫です!」
身振りで応じると、呆れたように笛で合図をして、塔から離れていった。
モノは頬をかいて、帰還を告げた。
「えっと。た、ただいまです」
長兄は、感極まったようだ。
ぶるぶる震えて、モノを降ろす。兜を取ると、滝のような涙を流していた。
「よかった……! 本当に……! うむ、うむ!」
モノは嬉しくなった。しかし辛い報告もあることを、思い出す。
「お、お兄様。私は帰って来れましたけど……」
モノは続けた。
きっと不吉な何かを察したのだろう。アクセルがさっと目をそらした。
「その、お兄様が……オットーお兄様が……!」
「あ、モノ」
聞き慣れた声がした。
モノは目を見開く。二度と聞けないはずの声だ。
「えっ?」
黒いローブの男性がいた。座り込んで、壁に背を預けている。
が、その人の声ではないとすぐに分かった。
続く声が、『足下』からやってきたからだ。
「こっちこっち」
モノは、ぎょっとした。
「……あ、れ」
ネズミがいた。
緑色のトサカをそよがせて、ネズミがモノを見上げている。
「お、お兄様?」
記憶の中の兄と、姿がダブる。が、よくよく見ると細部が違う。長い間モノについていてくれた兄のオットーは、紫のトサカのネズミに魂を入れていた。
このネズミは、トサカが緑色だ。
「いや、その……」
黒々とした瞳で、ネズミはモノを見上げた。視線が泳いでいる。何度か、壁で項垂れているローブの男性を見やる。
男性には意識がなさそうだ、とモノは追って気づいた。
「なんてこった。あっちの方が、ずっと話が早いのに。まさか、こうなるなんて」
「もしかして」
モノは声を震わせた。
「お、お兄様?」
おずおずと、ネズミが頷いた。
モノは言葉を失った。泣いたらいいのか、驚いたらいいのか。
「お兄様が二人~~!?」
「ち、違う! ちょ、ちょっと話を聞いて!」
モノはネズミを抱き上げた。
温かい体温。柔らかい毛の感じ。トサカの色は違うけど、モノの知るオットーそのものだった。体をばたつかせながらも、オットーは説明した。
「マクシミリアン達に、最初のネズミは殺されてしまった。でもあの後、僕は本来の体に帰って来れたんだよ」
モノは目を瞬かせた。
「多分、あの場が、心の力を貯めておく場だからだろう。ネズミの体を失っても、すぐに魂が損なわれなかったんだ」
それに、とオットーは付け加えた。
「変な話だけど……耳も、体も喪ったはずだけど、僕を押し戻すような、優しい風も感じたんだ。薄桃色の、不思議な場所で」
オットーもまた、モノと同じように薄桃色の空間を見たということだった。
モノは息を呑む。堕精霊を鎮めた時に感じた、温かな風を思い出した。
(それって……?)
モノは思った。
あの場で、モノは優しい気配を感じた。
荒れ狂う恨みや憎しみが、もう一つの世界に溜まっているとするなら。嬉しいことや、幸せなことといった気持も、同じように溜まっているのかもしれない――モノはそう感じたのだ。
恨みや憎しみは、それだけでは成り立たない。
幸せや喜びを奪われたからこそ、憎しみが生まれるのだ。
白狼族のような氏族はいた。戦い続けた戦士は、確かにいた。しかし土地を諦め、島や荒れ地で、生活を切り開いた亜人もいたのだ。戦い続けた戦士にしても、ずっと戦い続けたわけではない。家族や仲間を愛し、そのために戦ったのだ。
戦士は憎しみを叫ぶ。
一方で、力強く生活を続けた亜人もいたということだ。遠くの島で暮らしていた山猫族のように。それは五十年続いた閉め出しの歴史の、側面でもあった。
苦しい人だけじゃない。幸せにやっている人もいた。
それもまた事実なのだ。堕精霊を鎮めたのは、そんなもう一つの心の力だった。
モノは育ての親の考えを思わずにはいられなかった。
(オネは、きっと――)
薄々、そんな現実を感じていたのだ。
地下から、外に出たからだろう。生活を再建した亜人達と交わる内に、地下の亜人達の考えが間違っていると気づき始めた。心の力とは、暗いものだけではないのだと。
だから、モノに地下の亜人の考えを教えなかった。
代わりに、歴史や、算術や、言語といった、モノが世界に飛び出していける知識を授けたのだ。
――もう、子供じゃないのよ。
子供でなくなったモノが、自分の答えを見いだせるように。オネはそういう母であることを選んだのだろう。
「お兄様」
「ん?」
「それ、私も感じました」
堕精霊を鎮めた力からは、ぼんやりと、『意思』のようなものを感じた。それがオットーを助けてくれたのだろうか。
聖教府は、光の神をまつっている。
(神様、なのかな)
モノは手を組み合わせて、安息を祈った。もうない地下の遺構と、そこに全てを捧げた亜人達に。
「……モノ?」
オットーに言われて、はっとした。
毛に包まれた、つぶらな瞳が見上げてくる。
「で、でも、どうしてまたネズミに? 戻っちゃったんですか?」
「それが、また人間の体から飛び出してしまったんだ。根無し草が、風に吹かれたみたいにね。世界中から心の力が集まってきた時だと思うけど」
兄はネズミの頬をひくつかせた。モノは言葉を失う。
「……結局、ネズミですか」
「そうなるね」
二人して顔を見合わせる。
なんだか気が抜けて、モノは涙と笑みをいっしょにこぼした。
「ただいま戻りました、お兄様」
「うん、お帰り」
モノはぎゅっとネズミを抱きしめた。
「アクセル兄さんには、島のことも話してある」
「……はい」
モノは頷いた。
取り戻せた温かさと、取り戻せないことを思う。
全てを知ったら、きっとオネやモノのしたことや、選択に悲しむ人や怒る人もいるだろう。多くを知っていたオネは、きっと島を巻き込まない選択もできたはずなのだから。
(それでも……)
今は、前に進まないといけない。
まだ戦いは続いている。兄達に報告をして、地下に入らなければまた光の精霊が現れてしまうかもしれなかった。
「お兄様」
モノは翡翠色の瞳をきらめかせた。涙をぬぐって、二人の兄を見る。
「報告があります」
「うむ、聞こう」
「亜人達の本拠は、宮廷にあった池の真下でした。光の精霊が現れたせいで、天井が崩れて、宮廷から直接降りていけるかもしれません」
「通れるのか」
「サンティも通れましたから」
アクセル頷いた。
「あれが通れるなら、馬車でも通れよう」
おお、おお、と鐘楼に戦士達の声が満ち始める。
亜人達との戦いで、誰もが傷を負っていた。それでも、一人一人が武器を杖に立ち上がる。ぎらぎらと燃える目つきは、初めて見るものだった。
「いいぞ」
「……帝都から、これで敵を追い出せる」
モノは恐いものを感じた。
「追撃戦か」
オットーが小さく呟いた。
不穏さの理由に、モノは気づいた。逃げる亜人の背中を追うとは、まるで五十年前の再現だった。
読了ありがとうございます。
次回は、9月19日(水)投稿予定です。




