4-34:戦意上昇
(だめか)
膨大な光の中で、宮廷魔術師は終わりを感じていた。
使い魔のネズミに精神を宿す術は、大きなリスクをはらんでいる。
危険なタイミングは、大きく分けて二つだ。使い魔と人間の間で、心を移し替える時。そして、使い魔が死んでしまった時だ。
(モノ……!)
ネズミのか弱い体が息絶えた時、オットーは広い場所に放たれたような気がした。濃霧を抜けたように、急に視界が晴れたのだ。
一瞬だけ見えた。
それは、数多の光が登っていく、薄く桃色に色づいた世界だ。
――帰りなさい。
不意に、そんな言葉が聞こえた。
南風のように暖かく、何かがオットーを押し戻す。見えた世界は、急速に遠ざかった。
公女モノリスを呼ぶ声も、潮騒のように聞こえる。導かれるように、オットーの心は現世へ戻りつつあった。
――帰りなさい。
声は続く。
思い出すのは、マクシミリアンからの言葉だ。神官は、光の精霊を聖教府の神と呼んでいた。だとしたら――
(この声と、風は……?)
気づくとフリューゲル家の次男は、帝都の地下室で目覚めていた。
彼は悲鳴を上げる体に鞭打って、戦場に駆け付けることになる。公女を呼ぶ声が、戦場の目印だった。
◆
事態は逼迫していた。
なのにアクセルは、しばらく口を開けて動けなかった。
「お前」
現れたローブ姿は、宮廷魔術師のものだった。フードを目深に被っているため、顔は見えない。金刺繍がなければ敵の仲間と思ったか、そうでなくとも布地のおばけだ。
「オットー、か」
布地の化け物は、ぶんぶんと頭を振った。胸がつかえて、言葉が出ないらしい。
「顔を見せろ」
「ま、眩しいっ」
アクセルがフードを外そうとしたが、オットーは慌てて拒んだ。
「何ヶ月寝てたと思うんだっ。明るすぎるんだ。目が痛い……」
「モグラかお前は」
とはいえ、部屋にはまぶしい光が差し込んでいる。いやいやする強情さは、間違いなくアクセルの知るオットーだった。
足元には、緑や赤色のトサカを持ったネズミが屯している。おそらくは、オットーが使い魔としているナナイロネズミだろう。確か紫トサカのネズミを用いて、オットーはモノについていたはずだ。
(いや、待て待て)
そうだ。
無理というなら、弟がここにいること自体が無理だ。ネズミの体となり、モノと一緒に穴へ入っていったはずなのだから。
アクセルはオットーの肩を掴む。傷が痛んだが、それよりも気がはやった。
「どういうことだ。なぜ、ここにいる。モノリスはどうなった?」
問うても、次兄はしばらくの間は咳き込むだけだった。息を吸う度に新たな咳が生まれて、なかなか会話にならない。
「そうだ……た、大変なんだ」
「まずは、呼気を整えるとよいでしょう」
老戦士ヘルマンが気遣う。背中をさすり、無理をせず腰を下ろすように促した。
「落ち着いて」
「あ、ああ。その……」
オットーが話したのは、地下で起きた出来事だった。
マクシミリアンが魔の島に対して行った非道と、その目的、何よりモノに起きた出来事が、アクセルの頭を殴りつける。
「故郷の島を、襲われただと……?」
「うん。それで感情を昂ぶらせた後、狂った精霊――つまり、ルイファに取り込んだんだ」
ヘルマンが眉をひそめた。
「オットー様。取り込んだ、とは」
「かつてのギギと同じだ。マクシミリアンは、ルイファの中に精霊術師を入れることで、荒れ狂う精霊を制御したり、長持ちさせたりすることを試していたんだな」
モノは、とオットーは言葉を継いだ。
「モノは今、あの光の中にいる。あれ自体が、一種の、巨大な堕精霊なんだ」
オットーは続けた。
「あの中に入れることを目的に、きっとマクシミリアンは精霊術師を集めていたんだろう。そして――」
「いや、待て。……なるほど」
アクセルは手でオットーを制した。
マクシミリアンが、軍勢の中に精霊術師を連行していたという情報は、すでに明らかになっている。その理由が判明した。
「マクシミリアン達は、南部の戦いに行き詰まった。最後の手段、あるいは前もった代替手段として、モノに目を付けたというわけか。すでに帝都にいる、精霊術師に」
オットーはローブを揺らして、こくこくと頷いた。
あのまま亜人の軍勢が帝都へ迫っていれば、恐らくマクシミリアンは各地から集めた精霊術師を使っていたのだろう。
「それでか」
だんだんと糸が繋がっていく。
グラーツの戦いで、敵は最後に無数の黒いもやを解き放った。少なくない数の精霊術師が、かつてのギギのように消費されていた。あれはつまり、モノリスという代役を決断し、連れて来た精霊術師が不要になったということだろう。
ひどい例えだが、邪魔な在庫を払ったということだ。
「状況は、分かった」
アクセルは膝を突き、オットーをねぎらった。
「安心せい。モノリスの状況については、我々が想定したとおりだ」
「オットー様。宮廷魔術師と神官を十数名動員し、すでに同じ推定に辿り着いています」
そうか、とオットーはほっと息を吐いた。
「今は鐘を目指して進んでおる」
「……鐘?」
「うむ。これはフランシスカの推察だが、モノリスは周囲の祈りを聞き、攻撃をしているようなのだ。公女はあの精霊の『耳』というわけだ」
フードの奥から、息をのむ音がした。
「驚いたな……フランもすごいな」
「ために、今は賭けに動いている」
「賭け? まるで姉さんだね」
「そう言うしかない。まさに賭けなのだ。我らの作戦は――」
アクセルは籠手に覆われた指を、天井へ向けた。
「鐘で帝都中に合図を出す。そして多くの民でモノリスへ向けて祈り、名を呼ぶことで、正気に戻すというものだ」
口に出すと、どう見ても原始的なやり方だ。気を失った病人に対し、名前を呼びかけて意識を取り戻させるのに似ている。
が、オットーの反応は、真剣だった。
「効果はあると思う」
「本当か」
「うん。不思議な声は、僕にも聞こえたから」
兜の中で、アクセルはちょっと目を細めた。
「ところで、お前はどうやって助かったのだ? ネズミは死んでしまったのだろう?」
「それも説明したいけど、今は急ごう」
アクセルは立ち上がり、同意した。
「確かに。あの光の柱の被害は、早めに除くべきだな」
「それもある。でも、あまり時間が経つと、モノリスに意識が戻っても……元に戻らない可能性があるんだ」
次の言葉まで、少し間があった。
アクセルは目を瞬かせる。腕を組んだ後、尋ねた。
「………………なに?」
「モノは今、膨大なマナにさらされている。ウォレス自治区でも、彼女は堕精霊と共感して、ひどく苦しんだろう? あれと同じだ」
オットーの言葉は、だんだん震えてきた。
「共感しすぎて、完全に混ざり合ってしまえば、元に戻らなくなる」
少し、部屋が静かになった。戦闘の最中とはいえ、狭い建物の中では全員がいっせいに剣を交えるわけではない。
部屋に残っている騎士達は、もれなくアクセル達の会話に聞き耳を立てていた。
誰もが口をつぐんでいた。
「真っ先にそれを言わんか!」
「説明するために登ってきたんだよっ」
なんでも、体を隠しておいた場所から、聖教府の塔とアクセルの炎が見えた。ために、大急ぎで状況を伝えようと登ってきたらしい。
途中でヘルマンと合流できたのは、まさに僥倖といえる。
「本陣には、別途に伝令を向かわせていらしたようです。万一オットー様が倒れても、情報は我々に届いていたでしょう」
ヘルマンがそう補足し、次兄の肩を持った。アクセルは頭を振る。
まったく、無茶は血筋かもしれない。
「鐘だ! 今すぐ!」
その言葉は塔に朗々と響く。やがて、兄弟は六階の大鐘を目指して駆けだした。
◆
ゲール人からいくつか部屋を隔てて、亜人学派は体勢を立て直していた。
――鐘だ! 今すぐ!
アクセルの大声が響いてくる。遅れて獣の聴覚は、無数の鉄靴が階段を登るのを捉えた。
公女の名を唱えろ、とゲール人達が叫んでいるようだ。
(鐘へ、登るか)
ラシャはそう判断した。嘆息して、首を振る。
残念だが仕方がない。いずれ取り戻すとしても、奇跡の一つや二つは甘んじて使われてしまってもよいのだ。
「いかん」
だが、亜人学派は目をむいていた。深刻な表情に、ラシャの方が驚いた。
「鐘を取り戻させてはならぬ」
ローブの隙間から、血走った目が見える。口から泡を飛ばして、地下の亜人達は指示を飛ばした。
「戻るぞ。鐘を鳴らさせてはならぬのだ」
「待て。なぜだ」
ラシャは問うた。
「あの部屋には、ゲール人が満ちている。精霊術師をまずは集めて、散った勢力を再編すべきでは」
「鐘を鳴らされれば、光の柱が消える」
ラシャは二度目の驚きを味わった。
目を細める。極彩色の仮面を外し、面罵の表情を見せつけた。
「馬鹿なっ!」
仲間の白狼族も驚く声量だった。
亜人学派はフードを外し、ラシャに説明した。
鐘はゲール人の祈りを集める。大きな声を出すようなものだ。光の柱は、そういった声の一つ一つを聞き届ける。
たとえばゲール人がいっせいに『公女を返せ』と願えば、光の柱が消えてしまうかも知れない。
「嘘は日が暮れるという。なぜ言わなかった?」
ラシャは、せいぜいがゲール人に奇跡を放たれるという程度に捕らえていた。一つか二つの奇跡であれば、もはや大勢に影響はないのだから。
「そんなに危険であるならば、無理にでも鐘を破壊すべきだったのだ」
「それは……そうだが……まさかゲール人に気取られるとは」
亜人学派は口ごもった。その目に宿る光を、ラシャは見逃さない。
侮りと、拒絶の目だった。魔の島でもさんざんに見てきた目つきだった。
――獣の耳がないやつに、何が分かる。
ラシャは亜人の血が薄い。親は獣毛が濃かったが、受け継いだものは褐色の肌しかない。あってしかるべき獣の耳さえ、ラシャの体には受け継がれなかったのだ。
(やはり……)
内心、そう思われていたか。亜人学派は現に、白狼族に隠し事をしていたのだ。
神官の元で学んだ洞察が、ラシャに告げる。
(……今後の、主導権というわけか)
ぎりと歯を食いしばっても、つまらない現実は変わらなかった。
地下の亜人達は、きっと自分達が持っている情報を、ラシャ達に渡したくないのだ。
鐘を残したのも、戦後の打算のためだろう。例えば――鐘の音を餌に、ゲール人を操るといった目的で。
「もはや、やむをえん」
亜人学派は口々に言った。
「上がるぞ。鐘を破壊する」
亜人にとって、道は階段だけではなかった。黒いローブが、次々と窓から外へ出る。
ラシャも後に続いた。高所の強い風が、氏族の装束をはためかせる。
仲間が慌てて追ってきた。
「ラシャ、どこへ行く!」
「この程度、密林の岸壁に比べればなんということもあるまい」
鐘楼の壁には、すでに無数の黒いローブがへばりつき、登攀を試みている。
「追うぞ」
ラシャは外壁に手をかけた。
次話は、明日(8/20)投稿いたします。




