4-27:悪霊
モノは呆然と、現れた神官と精霊術師を見返した。
「そ、それ以上、近づかないで!」
毛を逆立てて、後ろへ跳ぶ。短剣を握り直し、相手に突きつけた。
張った声が、広い空間に響いていく。その反響も消えてしまうと、草木がそよぐだけだ。
「もうじき、私の仲間もここに来ます……! 大人しくして」
精霊術師と神官は微動だにしない。
天井に埋め込まれた石が、青い灯りを注いでいる。見慣れた短剣が、青白く不気味に光っていた。
「モノ」
首筋で、兄のネズミが囁いた。
「僕も手を考える。まずは時間を稼ごう。敵の手を読むんだ」
モノは小さく頷いた。腰の高さまで草が生えており、木まである。おかげで死角が多い。
空気は谷底のようにひんやりとしていた。湿った緑の匂い。
「恐れているな」
精霊術師が笑った。獣毛を引きつらせて、錆びた金属がこすり合わされるような声を出す。
しゃらん、と錫杖の音が追随した。
「この方は、亜人学派でも最も古い亜人です」
マクシミリアンが丁寧な礼を送る。
「名は、お持ちではありません。もはや不要だからです」
「……地上の者に、それでは不便だろう」
精霊術師は名乗る。
「エゼノ。そう呼ぶといい」
モノ達の言葉で、『悪霊』という意味だった。あえてそういう名を名乗る氏族もあるため、モノは偽名か判別がつかなかった。
「公女よ。祖霊と共に、おぬしの肉体と精霊にご挨拶申し上げる」
島でさえ聞いたことがない、古い古い挨拶。
モノは五感を総動員して、精霊術師エゼノを観察する。
(すごく、血が濃い亜人だ……)
顔は獣毛に覆われ、微かに見える目元にまで深い皺が刻まれている。ローブを羽織っているが、毛が布を持ち上げるのか、がっしりと着ぶくれして見えた。
亜人は、世代をさかのぼる毎に、獣の特徴が色濃く表れる。モノには褐色の肌と、猫耳を残すばかりだが、エゼノは直立した獣のようだ。
「よくぞ、来た」
うわごとのように、エゼノは呟く。
(この声)
モノは確信を強くした。大陸に入った時から、この精霊術師の声を聞いていた。
「あなたが、私にずっと話しかけていた人ですね?」
聞けば聞くほど、エゼノの声は聖壁を越えた時から、宮廷の中まで、モノを誘ったものと同じだった。エゼノは目を細め、微笑の気配を漂わせた。
「見ていたのは、大陸に入ってからではない」
「え?」
「あの赤子が、大きくなったものだ」
モノは自分の過去を思い出した。
「あなたが、私を魔の島に?」
亜人の娘を生んだフリューゲル家に、地下の亜人が接触してきた。モノは地下の亜人達の手を借りて、魔の島へ送られることになったのだ。そしてそこで、オネと出会う。
「お前は、特別な亜人のはずだった」
毛に覆われた指が、モノを示す。なまりのある亜人の言葉で、彼は語った。
「普通であれば、ゲール人の中から亜人が生まれるはずがない。亜人の血は消えるのみ。逆はないのだ。生きながらえ、子をなせば、亜人のしるしの要となれただろうに……惜しいことだ」
言葉に、モノは言いしれぬ不快感を覚えた。まるでモノを、血筋を残す道具のように扱っている。
「……もっとも、これほど見事な精霊術師に育ちようとも、とても、とても、思わなかったが」
空気が抜けるような、長い長い息を吐いた。
モノは首を振る。短剣を突きつけて、もう一度、問い詰めた。
「いったい、何が目的なんです?」
相手は応えない。
「穢れた精霊を呼んで、帝国を攻めて!」
戦ってきたことを思い出し、涙が出そうだった。
「私達、たくさん死んで、傷ついたんです!」
「ゲール人と亜人の争いなど、絶えたことなどなかったではないか」
エゼノは言った。
モノ達を囲む黒衣の集団が、包囲の輪をいっそう狭くした。
「公女よ。精霊術を、この空間で使え。力の限り、限界の及ぶ限りに」
精霊術師エゼノは、遠吠えを放つような姿勢で、あるはずのない天を見上げる。
「光を、ここへ呼び出すのだ……!」
モノは眉をひそめた。だんだんと呼吸が浅くなる。
「少しお待ちを」
神官は柔和な笑みで、議論を引き取った。
「エゼノ師。公女は私が、軍勢と共に連れてきた精霊術師とは違います。まだ具体的な説明が足りていないでしょう」
神官はモノに向き直った。
「公女様。光とは、聖教府が長く光の神と呼び習わしてきたもの、そのものですよ」
神官はいつもの微笑だった。彼が近づくと、サンティがモノを庇って前に出る。
――グオオ。
頼もしい吠え声が、洞窟の中に満ちた。今度こそ守るという決意を感じ、モノは胸が熱くなる。
神官はむしろ慈しむような笑みで、モノの精霊を見返した。
「モノ」
首筋に隠れたオットーが、モノに告げた。
「お兄様」
「決めた。どこかで、音で注意を引こう」
モノはぎゅっと口を結ぶ。一人で戦うわけじゃないと、勇気を持った。
「ヒゲで感じた。風があるんだ。どこかへ通じる穴があるはずなんだ」
モノは敵の気を引くように、自分から尋ねた。
「聖教府の神様が、私に何の関係があるんです?」
モノは聖教府の神話を思い出した。
光の神が現れて、闇を払った。ゲール人も神話をもっている。亜人達と同じように。それが聖教府の教えとつながっている。
「すべては、見方の問題なのです」
マクシミリアンは己の法衣に彫り込まれた、聖教府のしるしを示した。
黒地に白の二つ星。聖教府を示す、二つ星のしるしだった。
「亜人学派の黒星は、聖教府の二つ星の、色を反転させたものに過ぎません。これこそまさしく、亜人の神話と、聖教府の教えが、近しいものである証明です」
マクシミリアンはモノに向かって目を細めた。
「陰と陽。コインの裏と表。例えはさまざまにあり得ますが、本質は一つ。表裏一体ということです」
神官は、大きく手を広げた。
「公女様。光を媒介として存在する精霊がいるとしたら、どうでしょう?」
声に、熱がこもっている。
不穏な気配に、猫耳が動いた。
「昔の話です。私は、宣教師として辺境への布教を任務としていました。亜人が協力してくれましたが……それが地下の亜人だと知る、もっと前の話になります」
マクシミリアンの語調は強くなる。啓蒙の喜びがみなぎっていた。
「辺境には、聖教府を恨む亜人が多くいます。あなたの島の白狼族のようにね。私も彼らに捕まり、数週間の厳しい扱いを受けた後、やがて生命を神に託されました」
「……神、に? どういうことです?」
「たいしたことではありません。井戸に落とされたのです。暗く、深く、そして古い縦の穴に。運がよければ生き延びるはず――その程度の意味で、『生命を神に預ける』というのですよ」
その瞬間、感覚の波がやってきた。
マクシミリアンの興奮が伝わる。モノはサンティと身を寄せ合い、自分を強く持った。
(まただ)
来る時に感じたような、感覚があいまいになる現象だ。まるで、時間や自他の境目が溶けて、混ざり合ってしまうような。
――おお。
おぼろげな視界。目の前には、組み合わされた指がある。ごつごつとした、男性の指だ。
爪が剥がれかけ、血がにじみ、受けた仕打ちの悲惨さを物語る。
若き日に、マクシミリアンが見た光景かもしれなかった。
「井戸の底は、世界に見放されたような、暗黒の世界です」
マクシミリアンの言葉が、頭に響く。
「ですが日に一度、太陽が天頂にさしかかった時にだけ、光が差し込むのです」
やってきた光は、微かな筋となって、マクシミリアンの手のひらに受け止められる。マクシミリアンは、目を見開いたようだ。滲む視界と、震える手で、それが分かる。
光は一瞬だけ、不思議な動きをした。
水のようにうねり、跳ねた。それはつかの間の出来事だった。
「空気の鷹や水の虎がいるように、光によって象られる精霊もいる。だとすれば、それこそまさに、光を放つ、神話に歌うような、光の神の可能性がある」
モノは呻いた。精霊術師であるから、分かる。モノは手のひらに溜まった光の中に、生き物の姿を目にしていた。
「同じ真実を、地下で探求している方々がいました。それが、聖教府に匿われた、亜人達です」
驚きの中で、モノは必死に思考を巡らせる。
マクシミリアンの道案内に、地下の亜人が協力していたのだとしたら、マクシミリアンが気づいたことも彼らに伝わったのだろう。そうしてこの神官と、地下の亜人の協力が始まったのだ。
「だからって」
モノは言いさした。
「精霊は、精霊ですよ!」
神官の言葉が正しいとすれば、聖教府と亜人の神話、共通の元となった強力な精霊がいることになる。
「精霊は、あくまでもマナでできた生き物だ」
肩口でオットーが呟く。
「そんな強力な精霊が、果たして存在できるのか?」
そこで、オットーが息を呑む気配があった。
「お兄様?」
オットーは、応じない。身を強ばらせた感覚だけがある。
まるで唐突に、深い穴を覗き込んでしまったように。
「言ったでしょう? 見方の問題なのです」
マクシミリアンは、法衣に縫われた印を指さす。
「聖教府の、二つ星。黒地に白の二つ星は、物語にうたわれるような、闇の中の光を現しています。一方……」
マクシミリアンは、周りの亡骸の一つから、ローブをはぎ取る。
ひっとモノは息を呑んだ。息絶えた精霊術師が、露わになる。顔立ちは、年老いた大鷹族のようだ。
神官の指が、はぎ取ったローブに刻まれた、黒星へと移る。
「白地に黒の二つ星は、光の中にある『何か』です」
マクシミリアンは、続けた。
「面白いですね。同じ現象を見たはずなのに、ゲール人は白さに注目しました。彼らは、光に注目したのです。しかし、亜人は違う。亜人は光の中にある、黒い点に注目しました。亜人にだけ見えたのです。ゲール人は、気づかなかった。なぜならそれは――」
柔和な笑みが戻った。
「――精霊を感じることができるのは、亜人だけだからです」
モノはよろめいた。
一瞬、短剣が揺らぐ。聖教府の話は、フランシスカから聞かされていたし、自分でも勉強してきた。
――光の神が現れ、闇を払った。
そういう神話があったはずだ。
「神様が、精霊……?」
頭が痛くなりそうだった。呼吸が速くなる。ぞくぞくとするのは、ようやく自分が必要とされた理由を察し始めたからだ。
亜人が必要。
亜人の血を残すことも大事。
なぜなら、聖教府にとっても、亜人にとっても、神話の大元に迫るには、精霊と心を通わす必要があるからだ。
「あなたが疑問に思うのも、分かります」
マクシミリアンは頷いた。
「普通の精霊は、鳥や動物と変わりません。ごく自然なまま、生き物の姿そのものをとります」
モノは今までに会った精霊を思い出す。
水の虎に、空気の鷹、土の蛇。
(そんな強力で、大きな精霊なんて)
否定しかけて、何かが引っかかった。
次いでやってきたのは、ぞっとするような気づきだ。
(違う。いた……!)
ウォレス自治区やサザンでも、帝都でも、それは現れている。動物ひとつの精霊では足りないとすれば、多くの生き物を混ぜてしまえばいいのだ。
「だからこそ、私は何度も試さなければなりませんでした。普通ではない、心の力を。そしてそれを制御し、留めおく方法をね」
「……堕精霊?」
「はい」
モノは後ずさった。
「強力な精霊。その心の力を、今まで見てきたような、堕精霊で代用するつもりなんだ」
オットーの声は干上がっていた。
「だから、今まで色々な手を試してきたのか。あれは作戦でもあると同時に、実験でもあったんだ」
モノは息を整える。
「ギギみたいに、私を、その制御のために放り込むんですか?」
「荒れ狂う精霊には、それをなだめ、制御し、長持ちさせる精霊術師が必要です。確かにサザンの嵐では、有為な結果が得られました」
マクシミリアンは言った。
「原初、神話の元となった光の精霊が、どのような現れ方をしたのかは、もはや分かりません。おぼろげな物語として伝わっているだけですから。しかしそれがとても強力な精霊であったことは、疑いようがない」
マクシミリアンは空間全体を腕で示した。
モノは首を振った。
「そんなの、絶対にやりませんよ!」
確かに、堕精霊は強力な精霊だ。しかしそれが神様になるなんて、とても思えない。
「しかし、あなたは精霊術を使わざるをえないはずだ」
マクシミリアンの声には、不気味な確信があった。
「遠くから、声が聞こえるはずです」
「え?」
「あなたの故郷を、海賊に襲わせています」
モノは目を見開いた。
「本当に申し訳ない」
マクシミリアンは頭を下げた。不気味に歪んだ口元が、モノにそれが事実だと告げている。
「故郷から、悲鳴が聞こえませんか? 彼らの姿が、心配になりませんか?」
マクシミリアンは柔和な笑みで言う。
「あなたの精霊術師の感覚を、使うのです。共感の糸を伸ばせば――その目で見ることもできます。エゼノ師の声が、あなたに届いたことと原理は同じです」
神官は故郷の島を引き合いに出し、モノを誘う。
大きな猫耳に、海の彼方から悲鳴が届き始める。
「故郷を救うこともできるでしょう。それがあなたが呼び出せる、光の精霊の力です」
神官は、モノに心の力を絞らせようとしていた。




