4-25:中枢突入!
「こんなことになる気がしたよ!」
モノを乗せた水の虎は、水上を走る。まるで地面を行くように、四本足が水面を掴むのだ。
身を低くして、風を切るように。
獣の速さが、山猫の血を呼び覚ましていく。
「ごめんなさい、お兄様」
「あれだけ準備したのに、突出するつもりなのか?」
マクシミリアンを乗せた小舟は、モノが追ってくるのを確認して、さらに速度を上げたようだ。運河の水を、舳先で三角形に巻き上げていく。
「分かってるのか? 敵は明らかに、君の身柄を狙っていた。君は、何かの鍵なんだ! なのに――」
オットーは続ける。
「自分から、その敵に向かっていくなんて!」
「でも……」
モノは前を見据えた。
裁判用の緑色の服は、丈が長い。裾が、風にばたばたとなびいていた。装備を突っ込んだ小物入れは、風で持って行かれないように、紐で体に縛り付けてある。
本当は、着替えも、聖堂に籠城する準備も、してあった。なのに飛び出したのは、マクシミリアンの行動が、常軌を逸していると直感したからだ。
「このまま逃がしちゃ、ダメな気がするんです。何か……何か、ひどく悪いことを、隠している気がするんです……!」
誰かが、戦わないといけない。
そして今戦えるのは、モノ達、フリューゲル家だけだった。
モノの不安をあざ笑うように、小舟から黒いもやが持ち上がった。巨大な影が太陽を覆い隠していく。
(もやが、大きくなってる)
モノは喉を鳴らした。
「恐ろしい相手だぞ。あれだけの穢れた精霊を――堕精霊を、自分の体に宿すなんて」
もやが歪み、たわんで、水面を打ち付ける。白波が持ち上がり、一直線にモノへ向かってきた。
サンティが横へ飛んで回避する。
「攻撃してきた!」
幾条もの波濤が、モノ達の横を過ぎていった。頬に痛みが走り、ぞっとする。
繰り出される波は、精霊術によって鋭くなり、まるで巨大なカミソリだ。
「公女様!」
岸から、声がかかった。味方の騎士達だった。
モノは援軍に手を振り返して、声を張った。
「私が、敵を追い詰めます! みんな、私の後に続いて!」
助けは、地上だけではない。空からも声がやってきた。
「モノ!」
ふっと水面に影が差す。
大鷹族のギギが、グライダーでモノの動きを追っていた。
「ギギ!」
「前! 前!」
振り返りかけたモノの頬を、オットーがつねった。モノは慌てて、水の刃を回避する。
ギギが短い悲鳴を上げていた。
「あ、あんた……!」
「公女が最前線を張るとは!」
地鼠族のテオドールが、グライダーにぶら下がっていた。いつものフードが風でめくれ上がり、丸い耳が見えている。逆側の端にぶら下がっているのは、老戦士ヘルマンだ。
「さ、三人乗り?」
「おいおい、無茶するなぁ」
猫の耳には、ギシギシとグライダーが軋んでいるのが聞こえた。ギギも眉間に皺を寄せて、唸っている。
「お、重いぃ……!」
そこで、また波の刃が来る。
高度を下げたグライダー。ぶら下がるヘルマンとテオドールの足が、波の先端に切断されそうだった。
「危ないっ!」
モノの精霊術が、立ち向かった。
水が壁となり、敵の波とぶつかり合う。水は互いに砕きあって、雨のように降り注いだ。
「助かった……」
「じいさん、あんた降りろよ」
「そういうわけにも、参りませんな」
三人が胸をなで下ろす。モノの方も、ほっと安堵していた。
(精霊術が、使えた?)
マクシミリアンを追おうとした一瞬は、確かに使えなかったのだ。
(妨害は、もう止んだってこと?)
考えている時間もなかった。マクシミリアンを乗せた小舟が、運河の角を曲がる。遡上しているというのに、なんという速度だろう。
「宮廷に近づいてるよ!」
ギギが方向を教えてくれた。
「モノ、援軍を待つべきだよ」
オットーがもう一度、忠告した。
モノは応えない。前日に覚えた地図によれば、宮廷の周りにも多くの水路がある。そして、噴水や池に水を引くための、地下水路もあるはずだ。
(帝都の大昔の地図にも、たくさんの水路があったし……)
地下への入り口があっても、不思議ではない。目を離したすきに、マクシミリアンが地下へと消えてしまえば、それで追跡は打ち止めだ。
運河を曲がると、小舟が大きなトンネルへ吸い込まれるところだった。
「追いましょう。中へ入ります」
「公女様、お待ちを!」
ヘルマンとテオドールが、グライダーから飛び降りてきた。
モノは慌てて、水の塊で二人をキャッチし、水路の脇へ降ろす。
「我らもお供します」
感謝して、モノは地下水路へ踏み込んだ。しかし、小舟の姿はすでにない。ずっと先まで進んでしまったようだ。
「見失ったか?」
オットーが言った。通路は、暗い。テオドールが光る石を取り出し、松明の代わりとした。
モノは鼻を鳴らす。
「……ひどい臭い」
穢れた精霊の胸が悪くなる臭いが、まだ残っていた。
「この先です、鼻で分かります」
まっすぐ進むと、水辺に小舟が取り残されていた。
ヘルマンは船へ飛び移り、中を改める。
「ここで、下船したようですね。水路ではなく、脇の通路に入ったと思われます」
老戦士は鷹の目で、血の跡をたどる。
「……黒くなった血が、あちこちにこびり付いています。先日治療した怪我が、もう悪化したのでしょう」
血の跡と、臭いは同じ方向を指していた。モノ達はトンネルの分かれ道を、右へ折れる。そこからは、人がすれ違えないほど狭い道が続いた。時折サンティに先行してもらって、慎重に進んでいく。
やがて進む方角から、水の音が聞こえてきた。
「こっちは……そうか」
オットーが呟く。その理由は、すぐに分かった。
「なに、これ」
狭い通路が途切れ、広間に出た。
巨大な設備がモノの目に飛び込んできた。
たくさんの水をため込んだ、円形の装置である。ウォレス自治区で見た円筒分水嶺に近いが、さらに大きい。
「これは、浄水装置だ」
「ジョウ……?」
「この前も、話したかもしれない。帝都の運河の上流は、宮廷や貴族の邸宅があるから、運河の水をきれいにする」
モノは思い出した。
テオドールと川を下ったときも、運河の水は汚かった。生活のための水が、次々と流れ込むからだろう。しかし、宮廷にはきれいな水の噴水や、池があったものだ。
「じゃ、これで水をきれいにしているの?」
「ああ。ぼくら宮廷魔術師が組んだ、浄水装置だ。水車で水を回しながら、魔術で有害なものを除去してる。物体の『変質』は、魔術の得意とするところだ。でも……」
オットーが言いよどむ。
「これが、地下へと続く道だっていうのか?」
モノは鼻を鳴らした。確かに敵の臭いは、この辺りに続いている。
「血の跡も、ここで途切れていますな」
ヘルマンは地面に膝をつく。指ですくった血は、まだ乾いていない。そして転々と、装置の縁にまで続いている。
「……探してみましょう」
モノが精霊術の力で、水を調べた時だった。
装置の中で、水がうねった。平らかだった水面は、一瞬で嵐のように荒れる。警戒するモノ達の前で、たちまち渦が生まれた。
ぐっと水面が落ち込む。現れたのは、遙か下まで続く大穴だった。水はらせん状に渦巻いたまま、恐るべき力によって、凝固する。まるで、水でできた階段だ。
――さぁ、来よ。
声が、聞こえた。開いた穴から、地下からの風が吹き上げる。
ヘルマンが剣を抜き、モノを庇うように前に出た。
「公女様、ここまでです。援軍を待ちましょう」
「……悠長にはしていられないようですが」
テオドールが、ヘルマンの提案を退けた。彼はモノの後を警戒する。彼の精霊である、土の蛇がゆっくりと土煙を上げ、とぐろを巻き始めた。
サンティも、低く唸っていた。
「グウウ」
聞こえるのは、武器を持った、無数の足音だ。鎧の音はしない。
(騎士じゃない)
亜人学派に違いなかった。
前方に敵の本拠地へ通じる門。後ろからは、敵の増援。挟まれた形だった。
(どうするか、決めないと)
それも、早急に。モノは決断を迫られる。
――来るのは、公女、お前だけだ。
声は続いていく。
「これは」
ヘルマンが呟いた。どうやら伴をしてくれた二人にも、この声は聞こえたらしい。
――我らと戦えるのは、お前だけだろう、公女よ。
モノはぎゅっと手を握る。敵の思い通りのようだが、他に選択肢はなさそうだった。
「ヘルマン、テオドール」
ついてきたくれた二人に、言った。
「帰り道は、分かりますか?」
「問題なく。この辺りまでは、地鼠族の領分です」
テオドールは、モノの決意を察したらしい。
「なんとか敵を撒いて、地上へ戻ってください。二人が逃げる間、この水は、私がなんとかします。私が先へ進んだことと、ここまでの道のりを、増援に伝えてください」
「公女様」
「お姉様と、お兄様が、昔の水路の地図を持っています。この場所と照らせば、きっと他の道も分かります」
ヘルマンは言葉を失ったようだ。数瞬、迷う。
水路に入ったこと自体を、悔いているのかもしれない。公女を残して撤退せざるをえない状況は、家令の本意であるはずがない。
「……分かりました。必ず援軍を、連れて戻ります」
「はい」
モノは気丈に笑った。
水の階段に足をかけると、水は再び流れ出す。大きくうねり、縁に立つモノを飲み込んだ。
「いくよ、サンティ!」
水はモノを取り込むと、渦となる。
モノは巻き込まれるに、任せた。モノの後をサンティが追い、水の虎は、モノを守る水の膜となった。
サンティに守られながら、モノは地下深くへと引き込まれる。
深く、深く。隠された闇に向かって。
穴は驚くほど深い。水面がみるみる遠ざかっていく。
「お兄様、ごめんなさい」
モノは詫びるように言った。
結局、兄の心配したとおりになってしまった。
「いや、いい。僕はここにいるよ」
モノはオットーのネズミを、手に取り、ぎゅっと抱きしめた。本当は怖くて仕方がなかった。
時間が、ひどく緩やかに感じる。感覚が引き延ばされて、すべてがゆっくり起こっているように感じるのだ。
(光?)
モノは遙か下に、輝く光を見たような気がした。




