4-23:家族と仲間と
聖堂に、獣のような叫び。
声は高い天井で反響し、およそ人のものとは思えない。恐ろしくて、痛々しい、地の底から響いてくるような音だ。
モノも、思わず猫耳を伏せさせた。人目がなければ、耳を塞いでいただろう。
「ああ、まだ落ち着かないのか」
神官が額に手を当てた。
厄介な二人の来訪者に、ちらりと目を向ける。
「フランシスカ様、公女様。お聞きの通りです。今は、お帰りください」
神官は振り返り、モノ達をそう制した。顔にはクチバシを模した仮面を被っている。ツンと香草の匂いがした。真っ白いはずのローブには、生々しい血の跡がある。
「念のため、少しでいいんです。マクシミリアン神官の様子を見ることは、できませんか?」
重ねてモノが願っても、神官は首を振るだけだった。
「無理です。今、聖教府の者が治療に当たっていますので」
「ひどく悪いのですね?」
フランシスカに、彼はほっとした顔だった。モノとは目を合わせようとしない。
亜人への差別は、聖堂ではより強く感じる。ここは大聖堂と呼ばれる、帝都で最も大きな聖教府の施設なのだ。
「それはもう。傷が多すぎ、どの傷が新しいものか、古傷が開いたものかさえ、検討がつきません」
「お察しします。ですが、遠くから見るだけでも、不可能ですか?」
「死毒ですよ。病をもらうかもしれません」
それでも粘ると、神官は渋々と認めた。部屋の入り口から、少し中を覗かせてもらう許可が下りた。
「これを付けてください」
手渡されたのは、神官と同じ、クチバシ付きの仮面だ。被って分かったが、やはりマスクのクチバシ部分には、香草が詰められている。
島に自生していた、毒消しや臭い消しの香草も使われていた。亜人達も毒がありそうな場所に入るときは、似たようなマスクに炭を入れたり、草を詰めたりする。
でも近づくにつれ、血の臭いはマスクで誤魔化せないほどになっていった。
「うっ」
その姿を遠目から眺めただけで、モノは心臓が凍り付きそうになった。
マクシミリアンは、ベッドに縛り付けられていた。神官が祈祷をし、時折、傷口に手を当てる。誰の手も赤黒い血でべったりと汚れていた。
「帝都についてから、悪化したのです」
案内の神官は、抗議する口調だった。
「どうして、わざわざ連れてきたのです?」
モノは自分を奮い立たせる。
精霊術の力を起き上がらせた。念のため、マクシミリアンの周囲の気配を探るつもりだった。
たとえば、穢れた精霊、堕精霊のような。
だが精霊の気配など、感じない。施術の叫びが聞こえるだけだ。
(本当に、何も隠していない?)
思った時、マクシミリアン神官の顔が、こちらを向いた。感づかれたような気がして、モノはぞっとする。
「ありがとう、もう大丈夫です」
そう断って、モノは逃げるように聖堂を後にした。馬車に乗り込むと、オットーのネズミが小物入れから顔を出す。
「……怖いのかい?」
モノは遠ざかっていく聖堂を見上げた。明日の裁判も、同じ場所でやる。建物の形と道を、しっかりと覚えなければいけない。
「ヘルマンに言われたこと、思い出して」
「ただ捕まっているはずがないってこと?」
「はい。逃げ出せそうもない、っていうことは、分かりましたけど……」
それでも漠然とした、不安がある。故郷の島を襲った、今回の戦争の中心人物なのだ。心配は、全てが終わるまで消えないかもしれない。
(怖がってるだけじゃ、ダメだよね)
同乗するフランシスカも、思いは同じのようだ。
「奇跡は、治癒にも有効です。今は彼らに任せるしかありません」
聖堂の側で澄ましていると、本当に神像のようだった。
「……私も遠からず、呼び出されるでしょう。すでに神官が五人もつぶれていますからね。一応、専門は法律なのですが……」
はぁぁ、と重たいため息が漏れた。聖女も俗世の激務に、お疲れ気味だ。
「公女よ!」
騒がしい声が近づいてきた。一際大きな軍馬の馬蹄に、猫耳がピンと立つ。
馬車の窓を開け、モノは顔を出した。
「お兄様!」
ずっと離れていた、長兄のアクセルだった。あの後すぐに宮廷へ行ったため、すぐ側で会うのは久しぶりだ。
「うまくやったな。援軍、沁みたぞ」
「んに!」
「後で時間を取れるか。明日に備えて聖堂の囲いを考えたのだが、公女が調べたという、水路の位置と照合をしておきたい」
モノは慌てて頷いた。頬を引っ張り、顔を引き締める。
いよいよという緊張が、這い上がってきた。
「で、では、後で。全部終わったら、今日はお姉様の修道院で、合流しましょう」
時間は刻々と過ぎていく。高かった日も傾き、夏の長い昼が終わる。
モノとフランシスカは、修道院に戻り、色々な人と明日の準備をして過ごした。やがてアクセルも合流した。
帝都における聖教府の施設は、一つの島にまとめられている。運河の中州を、巨大な地区に埋め立てたのだ。明日の裁判の舞台となる大聖堂も、同じ島にある。
文献で知った島の起源にも、やはり奇跡が関わっている。
多くの神官が総出で奇跡を行使し、土砂を操り、亜人の都をゲール人のものに変えたようだ。
「あら。私が最後か」
最後に修道院へ戻ってきたのは、長女のイザベラだった。男装にビロードの仮面。相変わらず人目を引く装いである。
「ここの水路と、ここの井戸……」
「……なるほどな。公女よ、これだけの地図、よくも残っていたものだ」
「二人して、何やってるのよ」
「王族用の図書館の奥で、見つけたんです」
モノとアクセルは、結局夕方まで、人の配置を詰めていた。戻ってきたイザベラが、興味深そうに同じ地図に目を落とす。
「なるほどねぇ」
やがて、いい匂いが鼻をくすぐった。
野菜を煮た甘いスープと、焼いたばかりのパンの香り。
「お食事ですが、本日はいかがされますか?」
ヘルマンが呼びに来る。
「みんなで食べましょう! 来ている人も、呼んで」
モノはそう提案した。
食堂の机は、丸い形をしている。家族以外にも、修道院へ報告に来ていた仲間も巻き込んだ。
ギギを初めとした、大鷹族。地鼠族の亜人達。ヘルマンを初めとした、フリューゲル家の人々。顔の色も、耳の形もさまざまな面々が一つのテーブルに揃う。
「ゲール人って、こういう時どうするの?」
ギギが向かいの席から囁いた。なお、彼女たちは、独自に家畜の乳を練ったという保存食を持ち込んで、食卓に供していた。
「えっと、誰かが一応、挨拶したりする……」
「じゃ、やったら?」
「え」
言われて、モノははたと気づいた。みんな食べ始めないと思ったら、そういう区切りを待っていたらしい。
(な、なんか難しいなぁ)
モノは頬をかいて、家族へ目で合図した。えほん、と念のため咳払い。思えばこういう仕切りも、妙に慣れたような気がする。
「明日が勝負です。準備はしました。後は、今日決まった分担に沿ってやれば、敵が襲ってきても、この島の中だけに騒ぎを食い止められるはずです」
言い切ってから、ふと寒気を覚える。
失敗すれば、十万の人口の街が、戦場になる。改めて考えると、震えるほどの責任だった。ヘルマンが暗殺を提案するのも、分かる。本当に危ない橋なのだ。
「確かにね」
肩をすくめたのは、イザベラだった。モノの不安をほぐすように、口の端で笑む。
「でもちょっと、私はワクワクしてるけど。何が出てくるか、楽しみじゃない?」
「お姉様」
フランシスカは諦観の顔だ。とはいえ、彼女もどこか表情が緩んでいる。
「モノリス。戦うのは、あなただけではありません。あなたに賛同した、私達みんなで、やるのですよ」
亜人も、ゲール人もいる。家族も、友達もいる。
モノは笑みで結んだ。
「はい。みんなで、無事に乗り切りましょう!」
最後にアクセルが破顔した。
「うむ! では各々、補給といこうじゃないか!」
やはり食堂は、大人数では手狭だった。テーブルの料理は申し分ない量だったが、取り分けられることはなく、全員で皿に手を伸ばして食事した。
大鷹族は立って食べたり、ギギの手が届かないのをヘルマン達が取ってあげたり。地鼠族のテオドールはすぐに出て行こうとするが、彼の仲間が引き留める。初夏の熱気で白塗りの化粧が落ちそうになって、なんだかおかしかった。
狭い。
でもその狭さが、モノは心地よかった。
料理も、宮廷よりも質素だ。それなのに、モノは一昨日よりも何倍も、本当に何倍も、美味しく感じたのだった。
(みんなを、守らないと……)
歴史に残る裁判が、始まる。
ただの娘として料理を味わいながら、モノは己の力と責任を感じていた。
その日は、夢を見なかった。
次回、『4-24:マクシミリアン』は、明日投稿します。




