4-22:言葉か刃か
「妙に静かだな」
馬上で、アクセルは呟いていた。
仮にも、戦勝の軍団である。物々しい武具を鳴らして兵士が歩けば、軍馬に乗った騎士が街道狭しと続く。
普通であれば、騒ぎ好きの民衆がやってくる。
しかし、鞍の上から見渡しても、人気はない。早朝のせいかうっすらと空気が白んで、まるで不確かな夢を進んでいるようだ。
「人が消えたようだな」
兜の中で、アクセルは苦笑した。
「誰かが、我々が敗北したと伝えたか?」
笑いが起こる。それも一時ばかりのことで、すぐに軍勢の足音と、車輪が転がる音だけが戻ってきた。
「静かだな」
アクセルは繰り返した。
帝都が石造りの高層建築だとすれば、城壁の外は、木造低層建築が主になる。普段も宿場街として賑わうはずだ。今はどの家もひっそりと門戸を閉ざしている。
「戦いはまだ、終わっていませんからね」
アクセルの側で、部下が遠めがねをのぞき込む。
「宮廷から達しが出たはずです。亜人学派の首領が神官というのは、民に衝撃を与えたのでしょう」
話ながら入念に地図を確認するのは、職人技の仕事だった。部下は地図をたたむ。
「行軍は最速です。できることはすべてやりました。後は、神の采配次第ですな」
アクセルは後を振り返り、進軍を確認する。
重要人物の馬車が、アクセル達のすぐ後に続いていた。他よりも一回り大きい、要人を運ぶための特別製だ。耳を澄ませれば、中から祈祷の声が聞こえてくる。
「マクシミリアン神官は、どうだ」
丁度、行進の最後尾から別の部下が戻ってきた。アクセルが問うと、面頬を上げる。
「……落ち着いています。時折、祈祷に参加するほどです」
ただ、と部下は顔を曇らせた。
「容態は、変わりません」
アクセルは嘆息した。
「敢闘の代償か」
アクセルは兜を外し、遠見の姿勢を取った。
帝都へ戦勝の伝令を飛ばしてから、二日目。アクセル達もまた、帝都へ帰着しようとしていた。
白いもやの中に、城壁が見える。煙が上がっているのは、朝の炊事だろう。
「しかし、腹が減ったな」
のんきに呟くと、下でゴホンと咳払い。
大鷹族のギギが、小柄な体をゲール人の装束に隠して、行軍に帯同していた。他の大鷹族も同様である。
ぎくりとするほど鋭い目が、アクセルを見上げた。
「まだ、敵は残っている」
ギギは小さく言った。
「逃走した亜人学派の残党にも、それ以外にも。神官を奪い返そうとする勢力はあるはず。ゆめゆめ、気を抜かないようにしないと」
「そうだな」
表向きは残党の襲撃を警戒するため、大仰な行列になっている。しかし、本当の理由――すなわち、帝都の亜人を警戒するという理由は、ごく一部の者にしか明かされていない。
アクセルとギギは、理由を知る数少ない二人だった。
他の兵士も、薄々異変には気づいているだろう。そもそも作戦の全容など、全兵士にまでは明かされないものだ。
「それにしても、原因が、分かりません」
部下は呻くようだった。
「いったい、あれはどのような病なのでしょう。あれを発症したがために、神官は捨てられたのでしょうか?」
「分からん」
アクセルは唸った。
「経緯は、あの男が話すのを待つしかない。脱走の気配を見逃すなよ」
アクセルはそう命じつつも、果たして必要な指示か確信がもてなかった。マクシミリアン神官の状態は、それほど悪い。
(いつからだ?)
アクセルは自問する。
亜人学派が総崩れとなった時、神官は最後尾を勤めた。穢れた精霊が荒れ狂う中、僅かな手勢と勇戦したと聞いている。
捕らえたとき、深く傷ついていた。だが、死ぬほどではない。
変化があったのは、夜だ。
一時は高熱を出し、血を吐いた。毒を飲んだのかと危ぶまれたが、そもそも拘束されていては、服毒もままならないだろう。
(穢れた精霊から、何らかの毒を受けたのか?)
それが最もあり得る結論だった。今はそう信じて、諸都市の神官が総出で祈祷をしている。心の力――つまりマナによる毒であれば、マナを使う奇跡で軽減できるはずだった。
(死なせるわけには、いかん)
話すべきこと、償うべきこと。それがこの男には、数え切れないほどあるのだから。
帝都への連行とは、すなわち聖教府による裁判があるということだ。帝国の法の大部分は、聖典に基づき神官が取り決めている。
帝都であれば、より優れた医者もいるだろう。
「あっ」
ギギが声を上げた。
「どうした?」
「あれ、見て」
帝都の城壁の上に、旗が見える。きびきびとした動きで、アクセル達に信号を送っていた。
「手旗信号だと?」
さらによく見ると、その下で小柄な人物が手を振っている。
「ふむ、公女か!」
アクセルはしばらくぶりに、笑顔となった。
「ギギよ。先に行ってくるといい」
大鷹族の一人が、グライダーの保管された馬車を開けに行った。
◆
「ギギ!」
「モノ!」
大きな翼が軍勢の上を飛び去る。さすがに周囲がどよめいた。
風の精霊術師であるギギは、強烈な風を巻き起こす。ヘルマンがかばってくれなければ、小柄なモノは吹き飛ばされてしまっただろう。
「うわっとと! モ、モノ、落ちる!」
ネズミの長男が、モノの肩にしがみつく。
モノは猫耳とネズミを押さえながら、ギギへ駆け寄った。大鷹族のグライダーは、丁度城壁に着地したところだ。
「無事でよかったよっ」
「なんとかね。ていうか、こっちのセリフなんだけど」
二人は年頃も近い。大人ばかりの環境だったので、モノはほっとする思いだった。
ギギも鋭い目を緩める。
だが再会を喜んでばかりはいられない。二人はすぐに城壁に飛びつき、市門へと進んでくる軍勢を見下ろした。
「マクシミリアンはどこにいるの?」
「あの馬車。一番、大きいやつ」
ギギが指さすのは、行列の真ん中辺りを進む馬車だった。
「大きい……」
「あの中で、神官が回復の祈祷をしている。何人もね」
モノははっとした。肩口にオットーが登ってきて、訊ねる。
「……じゃあ、本当なんだね?」
「ええ」
ギギは眉根を寄せた。
「ひどく弱ってる。捕まえたときは、普通だった。でも、夜の内に血を吐いた。今は少し落ち着いているけど」
ヘルマンが口を開く。
「油断させるため、毒を自ら服用したのでは?」
「それも考えたんだけど……飲めるとは思えない。穢れた精霊が、毒を出したんだと思う」
モノはぎゅっと手を握った。
様子は急変したらしい。モノが報告を受け取ったのは、昨夜のことだ。今でさえ、まだ信じられない。
(あの神官が?)
そんな気持ちだった。
「モノ、帝都の準備はどう?」
急に話題が変わり、モノは戸惑う。そちらも大事な話だった。
アクセルがやってくる間の二日間、モノ達も精力的に動いていた。地下の亜人について調べ、貴族や王族に協力を要請していた。
「宮廷の兵が、たくさん貸してもらえる。お兄様の兵と合わせると、五百人くらい」
「それと、テオドールのような地鼠族が、帝都の周りにある、地下への抜け穴を見張ってる。城壁を守る部隊も、増員してもらったところだ」
二人の説明に、ギギは目を丸くした。
「……それだけの準備、よくできたわね」
「お姉様や、ヘルマンにも手伝ってもらったから。でも一番は……皇帝陛下が、話を聞いてくれたこと」
出てきた名前に、ギギはさらに目を丸くする。
「すごい。本当に協力してくれてるのね……聖ゲール帝国が、亜人に」
ギギにとっては信じられないことなのだろう。彼女が属する大鷹族は、最も激しく帝国と争った氏族の一つだ。
「マティアスも、味方になってくれそうです」
「ん。マティアスって誰?」
「あ、王太子。じゃない、王太子、で、殿下の名前」
ギギは今度こそ顎を落としそうな顔をした。
「……大鷹族の次は、王太子? あんた、誰でも顎で使えちゃうのね」
「に、にに」
「……褒めてないわよ」
モノはしゅんとした。
ヘルマンが、咳払いをする。
「ギギ殿、お話中申し訳ありませんが、階下にフランシスカ様がおられます。南部の戦いについて、詳しく報告が欲しいと仰せでしたので……」
モノとギギは、目線を交わし合った。
「後でね」
二人は別れた。
「公女様」
ヘルマンが、不意に言った。素早く視線を走らせて、周囲を警戒する。
「はい?」
「オットー様。音の魔術をお願いできますか?」
オットーが音の魔術を展開する。ふと、空気が変わる感覚が来た。
「人払いのような真似をして、申し訳ありません。ですが一つ、ご相談があります」
「なんでしょう」
いつにない雰囲気に、モノは眉をひそめた。
「このまま、マクシミリアンに、帝都へ入ることを許しますか?」
老戦士は、厳しい面持ちだった。鋭い目がモノを見つめる。
「続けてください」
「一つ、危険性を最小にする方法があります」
ヘルマンは、言う。
「『暗殺』です。今一度、この案を真剣にご検討ください」
モノは息を呑んだ。
「あ、暗殺……?」
人知れず、このまま亡き者にしてしまうということだった。
「神官は重要な秘密を握っています。これは間違いありません。その口を封じれば、地下の亜人のこと、そして穢れた精霊……そうした諸々のことが明らかになることは、なくなるかもしれません」
ですが、とヘルマンは言った。
「ですが、私にはあの神官が、一人で帝国にこれだけの混乱をもたらした人物が、このまま囚われて終わるようには、どうしても思えないのです」
老戦士はモノを見つめる。伸ばした背筋で、それは本当の忠言だった。
「……密かに準備は、整えさせていただいておりました。相手が患っている今は、好機であります。誰もが病と思うでしょう」
ヘルマンはモノを見つめた。強い目だった。切り出すタイミングを、ずっと待っていたのかもしれない。
(……このまま、殺してしまう……?)
神官が乗った馬車が、近づいてくる。
島でのことを思い出す。
彫り込まれたような、柔和な微笑。破壊された村。
ぶるりと震えが来る。イザベラだって、襲われ、死にかけたのだ。どんな危険が迫るか、モノは本当に分かっているのか、自信が揺らいだ。
「酷な判断です。しかし……それを決断することも、我々の役目です」
沈黙があった。
やがて、モノは強く首を振った。強く、強く。
「やめて、ヘルマン」
翡翠色の瞳が、きらりと輝く。
「マクシミリアンは、明日にも聖教府で言葉を話す予定ですよね」
「はっ。裁判のことですね」
「それです! まだ、言うべきことが、聞かないといけないことが、あるんです」
家族と再会し、亜人への偏った見方も少しはよくできた。
やれたと思う。頑張ったと思う。
でもどんなに進んでも、最後に残る謎が、過去のことだった。
(色々なことを、変えてしまったから)
家族と暮らしたい。当たり前だと思っていたそんな思いを胸に、モノは色々なものを巻き込んだ。ならば、巻き込まれた側の声も聴くべきだった。
亜人の歴史も、同じことだ。自分が変えようとしているものに、向きあうつもりだ。
何より島の育ての親、オネ。彼女が属していたという地下に亜人について、もっと知りたいと思う。彼らが何を望んでいたのか。オネがモノに何を望んでいたのか。
それを当人の口から聞けるのは、きっとこれが最後に違いない。
モノに対してだけではない。あの神官は、宮廷や帝都に対しても、きっと話すべきことを持っている。叫びたいほど、壊したいほど知ってもらいたい何かがあるからこそ、マクシミリアンはこれほどの軍を起こしたのだ。
怨念のままに荒れ狂う、あの穢れた精霊のように。
「マクシミリアンの、話を聞きます」
決意を変えないモノに、ヘルマンは頷いた。
「……内心、そうお答えになるだろうと思っておりました」
ヘルマンは天を仰ぎ、嘆息した。長い長い、嘆息だった。
「あなたには、そう答えていただきたいとも、思っていたのかもしれません」
剣の柄を鳴らして、老戦士は膝をついた。
「フリューゲル公女の、ご随意のままに」
オットーが、肩の上から降りる。城壁の上に立つと、紫のトサカがそよいだ。
「……君は強い子になった。以前よりも、ずっと」
オットーは眼を細める。そうすると、人間の横顔が浮かんでくるようだった。
「ぼくもそろそろ、人間の体に戻るべきなんだろう」
ネズミは行軍を見つめる。
「知識もついてきたし、仲間も、友達もいる。その内、男の子とも仲良くなるだろうしね」
最後に言われて、モノはちょっと頬を赤らめた。強気に、にっと笑って、オットーの鼻をつつく。
「お兄様がかっこいいと、なおいいのですけどね」
「……うーん、まぁ、努力できればいいけど。フランシスカには不評なんだよなぁ」
「楽しみにしてますね」
本気で心配する兄に、モノはくすぐったくなった。ささくれた心が、ふわふわと温かくなっていく。
「さぁ、聖堂へ向かいましょう!」
いよいよ、長兄アクセルも市門をくぐる。手を振って、モノは改めて帝都の周りを見渡す。豊かで美しい平原は、川の流れに抱かれて、きっと数千年前と同じ光景だった。
精霊に、そっと語りかける。
「行くからね……サンティ」
精霊の気配を感じる。意識すれば、帝都は確かに特別な街だ。こんなに水があるのだから。
城壁からは川が見え、それを引き込んだ運河に、さらに地下には急流が流れている。
古くから、この水を求めて人が集まる場所だったのだろう。
――グオオ。
虎が鳴く声が聞こえる。モノはその裏に、何千、何万もの動物の声を聞いた気がした。この地で生き、死んでいった生き物の声を。
(きっと、ただじゃ、終わらないよね)
モノは喉を鳴らす。
マクシミリアンの裁判が始まるのは、翌日の予定だった。




