4-21:帝都集結
モノが図書館で調べ物を始めたのと、同じ頃。
二人の姉もまた行動を開始していた。
「どちらへ行かれるのですか?」
テオドールが商人に扮して、イザベラとフランシスカに追随していた。一行には、他にも聖教府の護衛、そして家令としてフリューゲル家の雑事一切を采配する、老戦士ヘルマンが付いている。
一団に頭を下げるかどうかで、宮廷内の派閥が浮かび上がる。
実際、目立った。
長い銀髪を後ろでまとめ、軽快に歩くイザベラ。平日を表す緑の法衣を来て、豊かな赤髪をなびかせるフランシスカ。
これに神官らがぞろぞろと追随するのだから、宮廷の廊下には花が咲いたようだった。
「テオドール、私はロッソウ大臣の執務室へ行く。あなたも来るのよ」
イザベラの言葉に、テオドールは顔を曇らせた。
「あら、浮かない顔」
「……僭越ながら。嫌な予感がするのです」
「それでも、無視するわけにいきません」
フランシスカは歩きながら言う。
「ロッソウ大臣は、あれから姿を見せていません。逃げたと考えるのが自然ですが、残したものがあれば、せめて利用しなければ」
イザベラは口の端を歪めて、期待に応える顔だった。
「ま、帳簿に関しては、私に任せなさいな」
イザベラはポケットから、一枚の紙片を取り出した。王太子が添え書きをした、宮廷での調査を認める許可書である。
王太子の追認をテコに二人は侍従長に粘着し、宮廷内を自在に調査する権限を与えられていた。
「お兄様にも、手伝ってもらいたいものですが」
「あの姿じゃ無理でしょう」
ネズミの姿では、聞き込みをするわけにもいくまい。
「モノリスも年頃の娘。いつまでも、お兄様が一緒に動くのは、あまりよくないと思うのですが……」
イザベラが言葉を止めた。
「妬いてる?」
錫杖で男装の足が小突かれたところで、目的地に到着した。
「ここね」
イザベラは、黒塗りの扉の前で止まった。役職を示す天秤の印が、ドアの上に彫り込まれている。
「お姉様。私は、湖の聖堂に向かいます。神官にも、今一度当たってみましょう」
フランシスカは、そこで声を潜めた。
「街にいて、私達を妨害してきた、自警団のことですが。ロッソウ大臣が白だとすれば……恐らく地下の亜人が、直接に手引きしたとするべきでしょう。黒星とは、本来は彼らのしるしですから」
イザベラは顎を引く。
時間は、あまり残されていない。足下に、真意の分からない勢力がいるという状況は、できるだけ早く終わらせたい。
「であれば。当然の推察ですが、彼らが私達に敵意を持っているのは確かです。気をつけて」
それだけを交わして、姉妹は別れた。
イザベラは唇に手を当てる。
「頼りにしてるわよ、護衛さん」
「……だんだんと、心労の割に合わない仕事だと感じてきました」
長女は笑い、ドアを開けた。
財務大臣の執務室は、臙脂色の絨毯が敷かれた、落ち着いた内装だった。壁際には帝国全土を記した地図が置かれている。刺さった色とりどりのピンは、まさに大臣がこの地図で帝国の状況を俯瞰していた証だった。
「窓は、すべて内側から閉じてる」
イザベラは、まず部屋全体を見回った。前のように、襲撃を受けるのはごめんだった。
「暑いですね。開けますか?」
「いいえ。外から目立つ」
男装で歩き回った末の言葉に、テオドールは何か言いたそうな顔をした。
何も言わなかった。意味がないという点では、確かに賢明だった。
「取引記録、徴税記録、面会者の記録……どれもなかなか興味深そうですが」
「帳簿を探すわ」
イザベラは迷いのない足取りで、一つの棚に近づく。
無遠慮に開けようとしたところで、ガチャリと鍵の音がした。
「あっちゃ。鍵付きか……」
「失礼」
テオドールは懐から器具を取り出し、苦もなく錠を開けてしまった。中には赤い背表紙の本が、ぎっしりと入っていた。
イザベラは口笛を吹く。
「やるわね」
「ほんの、手慰みですが」
キキ、とテオドールは自嘲気味に笑った。
「地下の亜人、その一派とはいえ、地鼠族の立場は低いものです。こういう技量で、かろうじて数十年も命脈をつないでいました」
「地下の、一番端にいたのでしょう?」
「はい。地下についてもっと詳しく、あるいは歴史を詳しく語ることができれば、調査に時間をかけなくても済んだのですが」
イザベラは肩をすくめた。
「気にしないで。いずれにしても、裏付けは必要だわ」
長い指が帳簿の上を滑る。目が冷たい光を帯び、時折、訝しげに細められた。
「……ダメね」
だがすぐに、落胆のため息が漏れた。
「さすがね。あのギョロ目でも気づかないだけある」
「巧妙に、金の流れも隠していますか」
「というより……聖教府に関連する支出が、意図的にずさんになってる。資金の流れを追えないようにしているわ」
イザベラは午前中を投じて、財務大臣の部屋にあった帳簿を読み込んだ。
目論見としては、資金の動きから、地下の亜人に通じている人間を洗い出そうとしたのだった。何十年も地下に隠れるとは、容易ではない。食料にしろ、構造の修繕にしろ、金はかかる。
そしてその金の使途が明らかにできないとすれば――『戦費』や、『宮廷費』といった、使途不明金が帳簿に現れてくる。
(それらしい動きはあるけど……数も多すぎるし、しっかりした監査が入った形跡もない)
ロッソウ大臣は政治家特有の勘の良さで、あえてこうした支出には触れなかったのかもしれない。深入りすれば身が危ういことを、知っていたのだ。
「うーん」
芳しくない。
そう思った時、イザベラはつい昨日の日付で書き込まれた、ある項目に気がついた。
「これって」
手がかりを探して、大臣の机に近づく。
大臣はよほど慌てて出て行ったらしい。机には、手紙や書類が置かれたままになっている。几帳面に整えられてはいたが、出しっ放しというのは少し不自然な気がした。
「どうしました」
「これ」
イザベラは、帳簿の一行を示す。大臣からの指示書を元に、書記官が記帳をしたのだろう。日付はつい昨日だ。
「……騎兵の、出陣費用ですか」
「ええ。でも、これって」
イザベラはロッソウ大臣が動かしたことがある騎兵の名を、連想することができた。
黒星騎兵。
ざわり、と肌が粟立つ感覚があった。
「ウォレス自治区で、あなた方を襲った騎兵隊ですか」
「聖教府の裏仕事をやるような部隊よ。フランシスカに裏をとってもらうけど……」
イザベラは眉をひそめる。
「だとしたら。なぜ、ここで黒星騎兵を?」
すでに南への援軍は発っている。その中に、裏仕事をやる騎兵部隊を混ぜた理由が、すぐには想像できない。
「あ」
イザベラは、さらに気がついた。
机には、ロッソウ大臣がいつも愛用している砂時計が置かれていた。イザベラには見慣れたものである。
それは、今は横倒しになっていた。
まるで、誰かが倒したように。
(大臣の性格なら、必ず、時間を計るために時計を立てるはず……)
几帳面な大臣の癖だった。商人は時間を大切にする。休憩時間や、部下の報告の時間さえきっちりと砂時計で計っていた。
(今は、倒れている)
倒れたままの砂時計は、何かがあったことを示唆していた。
席を立つときも、座るときも、必ず砂時計をひっくり返すのがあの几帳面な大臣なのである。
「……大臣」
不自然な黒星騎兵の出兵と、倒れたままの砂時計。
イザベラはこの部屋で何らかの策謀があったことを察知した。
「テオドール。この部屋を、もっと調べるわよ」
イザベラは言った。
「地下の亜人が、ここに来たのかもしれない」
机の引き出しを遠慮なく開けながら、イザベラは大臣の死を悼んだ。生きてはいまい。平静に戻された部屋の様子が、かえってその確信を強くさせた。
◆
「お話ありがとうございました、猊下」
フランシスカは優雅な仕草で腰を折る。
相手は枢機卿という、高位の神官だった。四角い顎に帝都の聖職者の気風を感じさせる、老年の人物だった。宮廷にある神官の中では、最高齢に当たる。
熱心にフリューゲル家を推し、賄賂の収集にふける聖教府を糾弾する、フランシスカの支援者だった。
「ところで」
フランシスカは、切り込みをかける。
「お話を聞きたいのですが」
「ほう。何でしょう?」
「帝都の街の、成り立ちについてです。猊下、あなたのお年であれば、帝国が南下した直後、つまりまだ亜人達のものであった帝都の土地を、聞き及んでいるのでは?」
枢機卿の男は、しばらくの間、口を閉じた。
物言いたげに眼を細める。
「……特別な土地、それしか私も知りません」
さらに問おうとするフランシスカを、微笑の仮面で突き放した。
「お帰りを願いたい」
やむなく、フランシスカは席を外した。宮廷内の聖堂を出ると、初夏の日差しがやってくる。昼過ぎの日差しは、厚着をする聖職者にはこたえた。
「……秘密を守る壁は厚い、ということですか」
フランシスカが思うのは、地下の亜人について知っていなければならない人物に、まずは当たるということだった。
皇帝は知っていた。王太子も、今は知っている。
ならば教皇を初めとした、聖教府の上層部も知っているはずなのだ。
宮廷に入った今なら、かつての人脈を総動員できる。しかしどんなに切り込んでも、鎌をかけても、手がかりは得られなかった。
「フランシスカ様」
「平気です。仕方がありませんから」
柔和な顔を貼り付けながら、のらりくらりとかわす。フランシスカも覚えのある態度だったが、される側になると腹立たしい。
「ただ、覚えておきましょう。次回の選挙では席を譲ってもらいます」
「……聖女様」
「冗談です」
はぐらかした時、中庭の遠くから姉が近づいてきた。
「お姉様」
「フランシスカ、ちょっと来れるかしら」
二人は大臣の執務室へ入った。イザベラから、単刀直入に書状を示される。
「……騎兵への、出陣要請?」
南ではすでに戦況が動いている。事態は、南で素早く進展していた。
フランシスカは全てを悟る。地面についた錫杖は、悔しさの表れだった。
「これは……後手に回りましたね。急いで、モノと合流しましょう」
二人は、今や宮廷の中心となった公女と合流すべく、大図書館へと向かった。
◆
結局、モノ達に報告が届いたのは、明け方に近い深夜だった。長兄アクセルは戦勝の作業を切り上げて、家族に早馬の使者を送っていた。
夜間も走る伝令なら、鳥よりも早いという長兄の判断だろう。
「……マクシミリアンが、捕虜になった?」
一日の調査を終えて、モノ達は早めに休んでいた。
深夜に起きることになったが、睡眠はとっている。
目覚めに聞いた報告は、驚くべきもので、眠気はあっという間に吹き飛んだ。
「お兄様……こちらがもう少し早く、状況を伝えていれば」
フランシスカは、悔しそうな顔をした。
「黒星騎兵を発したのは、身柄を取り、捕虜にするため。騎士の習いで、敵の将は命までは取らず、身代金と共に解放する習いです」
「大臣の身に、何かがあった。犯人は推測するしかないけど、この動きで利を得るとしたら、マクシミリアンしかいない」
イザベラが引き取った。
「地下の亜人とマクシミリアンは、結び付いている。地下の亜人が裏で動いたとすれば、筋が通る」
ごくり、とモノののどが鳴った。
「でも、一歩間違えたら、神官も死んでいたかもしれないのに」
相手の真意が読めない。宮廷を動かして安心していた自分が、馬鹿みたいだった。
声だけだった、地下の亜人。それがいよいよ本性を現してきたということだろう。
フランシスカはさらに続ける。
「……お兄様は、騎士の礼や、義務を大切にする方です。南の総大将としての、立場もあります。こうなった以上、マクシミリアンの身柄には手が出せないでしょう」
書面には、帝都へ連行されるという旨が書いてあった。
マクシミリアン神官は、神官ということもあり、聖教府の身内である。連行するというのは、筋が通っていた。
モノはぎゅっと手を握った。島を襲った神官。
ずっとずっとあった不安が、相手の方から近づいてこようとしている。
「選択肢は、二つ」
フランシスカは指を二つ立てた。
「一つは、マクシミリアンが帝都へ来ること自体を、拒み、保留にすること。黒星騎兵の出陣について、私が神官法に照らして手続きの不備を訴えます」
このままではマクシミリアンと、帝都の地下の亜人に、合流を許すことになります。
フランシスカはそうも付け加えた。
「大変なリスクです。ですが……」
次女は言い淀む。
「そうしたとしても、手続きとしては、 首領の連行です。明確に反対できる、表だった理由はありません」
「皇帝陛下に言って、止めてもらうのは?」
オットーの言葉を、モノも考えた。確かに、試す価値はある。が、皇帝が地下の亜人の行動に、積極的に関わるとも思えない。存在すべてを、容認しているような言動だった。
どこまでフリューゲル家に協力するかは、未知数だ。
「敵の帝都入りを阻止するのであれば、暗殺という選択肢もあります」
老戦士、ヘルマンも口を開いた。暗殺、という冷たい言葉が、モノをひやりとさせる。
フランシスカが制した。
「ヘルマン。マクシミリアンは、黒星騎兵に守られているということを、お忘れなく。裏仕事は、むしろ先方の得意分野です」
「……確かに、そうですな」
ヘルマンは一礼して、自らの案を取り下げた。
モノはほっとした。暗殺という選択は、取りたくない。
「もう一つは……このまま、帝都で会うことですか」
モノが言うと、姉達は頷いた。
部屋に重苦しい沈黙が垂れ込める。目を閉じると、育った村の襲われた姿が見えるようだった。
(これ以上、長引かせられないよ)
同じ目に遭っている人がいる。そう思うと、モノの心は決まっていた。
「お姉様、お兄様」
モノは言った。翡翠色の瞳が、決意にきらりと輝いた。
「会いましょう。全部明らかにする、チャンスです」
今は帝都にも、味方が増えている。体勢を整えて会う道を、モノは決断する。
◆
身を起こした時、鋭い痛みを感じた。
時刻は明け方に近い。草原の夜明け独特の草の匂いが、一面にあった。
「気づきましたか?」
ラシャは驚いた。
なんてことだ。俺は、生きている。
誰かが手当てをしたらしい。腕や足に包帯が巻かれていて、動かすと痛みが走る。腹や背など、致命的な箇所に傷がないのは幸いだった。
(あれから、どうなった?)
平原の戦闘で、決死の覚悟でマクシミリアン神官を守りに入った。騎馬の波濤を切り伏せ、押し返し、やがて力尽きた。
マクシミリアン共々、平原に散る覚悟だった。
「マクシミリアン神官が、あなた方を救助させたのです」
話しているのは、漆黒の甲冑に身を包んだ騎士だった。面頬を上げると、白い顔が現れる。皺の多い、老年の顔だった。
「ゲール人」
「いえ、これは化粧です」
肌をこすると、褐色の地肌が現れた。
「全身を覆う甲冑は、人種を隠すため。獣の耳を削いでまで、化ける氏族もありますね」
あなたがうらやましい。
騎士に化けた亜人は、そう言って兜の頭をなでた。獣の耳がないことを言っているのだと、しばらくしてから気づいた。
「黒星騎兵に、化けていたのか」
「いかにも」
騎士は認めた。
「激戦の後、何人かに、死んだかのように見せる薬を飲ませ、薄く土を被せました。あなたの仲間の生き残りも、じきに目を覚ますでしょう」
ラシャは仰向けになる。ぼんやりと天に満ちる星を見上げた。
「神官殿も、生きています。ご安心を」
生きている。
そう聞いても、不思議と嬉しいという気持ちは沸かなかった。突然放り出されたような、空しさがある。
「帝都に向かうそうですよ」
ラシャの心も、決まっていた。
「……俺は、神官殿を追いたい」
「そう言うだろうと、神官殿もおっしゃっていました」
黒星騎兵の亜人は、頷いた。
「あなたも近くで見たいでしょう。我々の歴史が、蘇る瞬間を」
ラシャは立ち上がり、ゆっくりと己の体を点検する。歩けることが分かると、彼もまた、帝都へ向かって動き出した。




