4-20:図書館
「図書館だと?」
「はい」
モノは王太子マティアスの自室を訪った。王族専用である図書館の、利用許可をもらうためである。
作法によれば、女性から軽々しく男性の部屋を訪れるべきではなく、さらに言えば、男性が訪れる時にさえ先に手紙を寄越すのが常らしい。
が、モノにそんなつもりは毛頭なかった。
フランシスカから借りたフードで猫耳を隠し、慣れっこになった白粉をはたく。
帝国貴族のほぼ全てがそうであるように、王太子マティアスもまた、熱心な聖教徒である。聖教府の人間に化けて部屋を尋ねても、あまり怪しまれはしなかった。
「無茶をするものだな」
王太子マティアスは、額に手を当てた。
美しく整ってはいるが、繊細そうな顔立ちである。亜人の公女の来襲に、早くも顔が曇っていた。
「いつもそんな変装をしているのか?」
「大陸では、だいたいこんな感じでしたよ」
フードを外すと、銀髪から猫耳がぴょこんと飛び出してくる。
王太子マティアスは慌てて立ち上がる。不思議そうな顔をするモノに構わず、部屋の中を見回った。
「……どうしました?」
「お前は、本当に公女か。二人きりで亜人に会っていた思われたら、神官が怒鳴り込んでくる」
マティアスは呆れていた。
モノは首を傾げた。ええと、とふさわしい呼び方を頭の中で探す。
「で、殿下でも、気を遣われることがあるんですか」
言ってから、妙な間があった。
オットーを入れた小物入れが、ガタガタっと揺れた。
「あ」
しまったと思った。
「い、いえ! なんというか、殿下は帝国でとても偉い方と聞いていたので――」
とはいえこの言い方では、普段は何も考えていないと言っているのと同じだった。
王太子マティアスは、驚いたようにモノを見つめる。
「……気も、遣うさ。父上もいる、他の貴族もいる、おまけに今や神官も商人も」
ふぅっと少年は息を吐いた。どこか角が取れた笑みだった。
「図書館か。まぁ、いいぞ、案内して進ぜる」
モノはぱっと顔を輝かせた。王太子は慌てて視線を逸らす。
細面の頬に、朱が走った。が、モノは気づかなかった。
「……殿下?」
モノの白粉をはたいた顔は、初対面の図書館の時と同じである。
王太子は顔を赤らめたまま、モノの顔から目をそらす。次いで頭でぴこぴことよく動く猫耳に、なんとも微妙な顔をした。
「あ、なるほどね」
小物入れの中から、オットーが小さく言った。
事態が飲み込めていないのは、モノだけかもしれなかった。
「殿下。それとですね、他にもお許しがほしくて。イザベラお姉さまは、ロッソウ大臣の執務室を見たいと。あとフランシスカお姉さまは、この間の聖堂を見たいと……」
「…………お前、意外とずるいやつだな」
「?」
恐らく、帝国で類を見ないほど王太子をこき使った貴族だった。
彼の恋は難航する。
◆
「すごい」
図書館に案内されて、モノは息を呑んだ。
左右の壁は、両面とも書架に使われている。背の高い棚がずらりと並んで、規則的な配置で奥まで続いていた。本が見えないのは、高い天井を見上げた時だけだ。
まるで、本でできた洞窟だった。
「並びは、本の分類別、そして年代順だ。手前から新しい本になる。法律や神学などは、古いものが多い」
「へぇ……」
「逆に、詩や物語は新しいものが多いな。最近は、印刷のおかげで、金さえあれば誰でも簡単に本を書く」
見ろ、とマティアスは書架の一つを示した。
「これは、ある修道女が記した薬草学の書物だ」
「……あ、知ってる薬草もありますね」
「気をつけろ。その一冊で、民の一月分の稼ぎだ」
モノは慌てて本を戻した。
フードが外れないように気を遣いながら、図書館を観察した。
書架の間を縫って歩くと、独特の香りがする。ほこりっぽい空気さえ、独特な静けさの中では魅力的だ。
「お前、難しい本でも読めるのか」
改めて問われて、モノは頷いた。
「はい。大丈夫、と思います」
「そうか、失礼した。そのゲール語なら、期待できるか」
育ての親、オネから言葉に関してはかなりの教育を受けてきた。亜人の言葉であれば、方言もかなり理解できる。ゲール語も、十分に読み書きができた。
「古い本を探す、ということでいいな?」
「はい。新しい本は、恐らくお姉さまがすでに調べていると思います」
「いいだろう」
案内されるまま、モノ達は図書館の奥へ進んだ。だんだんと雰囲気が変わってくる。
装丁が崩れそうな本が増えてきた。製本が甘く、斜めに寝かされるようにして置かれている本も。中には、手紙のようなものまで保管されていた。
「ここは、法律文書を保管しておく場所でもある」
マティアスが足を止めた。書架にはさまざまな法律の名前が記されていた。
「関連するものは、貴族の私信に至るまで、保管されている。原本は地下になるが、そっちに用はないだろう」
「に」
モノは、足を止めていた。
「異民族閉め出し令……」
モノを大陸の外へ追いやった法律だった。一つの棚が、その法律のためだけに占有されていた。
「五十年前。帝国の南下に、ある程度の目処が立った頃だな。地下の亜人を調べるのであれば、これよりもさらに古い本を当たらねばなるまい」
モノは頷いた。
「ここよりも、奥を探しましょう」
マティアスと手分けをして、周辺の本を探った。
ほとんど手を触れられていない棚もある。手に取った瞬間に埃が舞い上がって、咳き込んでしまう。
「亜人についての本も、残っているんですね」
モノは記録文を見つけた。
帝国の南下に随行した神官や、騎士が日々の戦いの記録を残していた。
紙自体も古く、綴じ紐で結ばれているだけで、気を抜くと解けて散らばってしまいそうだ。
(激しい戦いだったんだ)
文面から、当時の叫びや悲鳴が聞こえてくるようだ。
フランシスカが奇跡を行使したのを、モノは何度か目にしている。あの天からの雷が、亜人の軍勢に向けられた。それが、歴史なのだった。
――光の神の威光に、獣の群れはひれ伏すばかり。
手記はそう結んでいる。身震いしそうだ。
「どうだ?」
マティアスが本を抱えて戻ってきた。
「……こんなに古い本が、残っているなんて、信じられないです」
「確かにな。図書館によっては、聖教府が燃やしてしまう」
王太子は寂しそうに目を細める。
「今思うと、王族の図書館は、焚書の後回しにしたのだろうな。王族は、地下の秘密を守る側だ」
モノ達は書架の探索を続け、一抱えもある本を選び出した。手が届かないところは、マティアスが取ってくれた。
「ありがとうございます」
礼を言うと、マティアスは小さく鼻を鳴らした。
(嫌われてるのかな?)
モノにはこの辺りの機微がよく分からない。
やがて二人が書架から出した本は、抱えきれないほどの量になった。
「女伯よ。これを全部読む気か?」
「何がヒントになるか、分かりませんし」
マティアスはしばらく、沈黙した。周囲に誰もいないことを確かめているようだった。
モノはフードを外す。ぴょこんと飛び出した猫耳を動かし、鼻で臭いをかいだ。
「大丈夫。誰もいないようですよ」
薄闇のなか、きらりと光る猫の目。マティアスが慌てて、本を取り落としそうになる。
「地下の、亜人の秘密か……」
王太子は首を振った。心中で何かと何かを天秤にかけたらしい。
「同じ亜人でも、お前の方がマシか」
結論は、苦笑と一緒に示された。
「……貸してみろ」
「え?」
「本を読むのは得意だ。というより……周りを気にせずできることが、これくらいしかなかった」
王太子マティアスは、肩をすくめた。
「いいか。どんな著者でも大体は目次を付けている。捜し物をするなら、まずは目次から目星をつけると効率がいい」
あっという間に、王太子は二、三冊の本を脇によけてしまった。
「これとこれは、後でいい。他の本も、余が先に目星をつけてやる。お前は中身を読むことに集中せよ」
そんな役割分担が、自然と決まった。
王太子がページを開いてくれる。そしてその上で、モノが座る書見台に載せる。
内容は、帝国が南下をしてきた当時の記録文。そして、亜人達が残した遺跡を、記録したもの。
モノは内容の正確さと、こんなものが残っていたことに、改めて驚かされた。
(文字って、すごいな)
モノは、島の母が言葉や文字の教育に手を抜かなかった理由をさとった。
言葉も文字も、自分の意思を伝えるためのものだ。それ以上に、他者の思いを感じるためのものでもあるのだ。
(これなら)
モノは紙と、帝都の地図を借りた。
紙に帝都の地形を写して、そこに本の内容を、できるだけ正確に再現する。
「紙の中に、当時の地形をまとめるつもりか」
「はい。地下の形が、分かるかも知れませんから」
羽ペンは、ペン先を止めているとインクが垂れてくる。やむなく、モノは亜人の神殿があった場所に印を付けるだけにした。
「ここと、ここと……」
しばらく、モノとマティアスの共同作業が続いた。
マティアスは時折、入り口の方を警戒する。誰かに見られることを、気にしているようだった。
「できた」
いつしか、お昼を過ぎていた。
紙の中に浮かび上がってきたのは、五十年前の、この土地の姿。かつての帝都は、周辺に亜人の遺跡が点在する、すり鉢状の盆地だったようだ。
中心には、何条もの水路があった。高いところから盆地に水を引いて、生活に役立てていたに違いない。
「これほど、亜人の遺跡があったのか。もはや一つの、都市だな」
マティアスは舌を巻いた。
「いや待て。今の帝都は、平地だぞ。盆地ではない。とすれば……」
マティアスは、身震いした。
「この遺構が、都市丸ごとが、この地下に埋められているのか……?」
「たぶん、そうだと思います。帝都の地下全体に、遺構が張り巡らされているようですから……」
盆地を囲う山を崩し、得られた土で遺跡を埋めてしまったのかもしれない。
聖教府の奇跡まで用いて、ゲール人は十年がかりで亜人の痕跡を破壊した。そして、得られた石材などで、自分達の都に作り替えた。
思えば広大な宮廷や聖堂、水路それ自体が、亜人の神殿の基礎を流用したのかもしれない。
サザンでも湖の下に沈んだ、亜人の痕跡はあった。違うのは、帝都の遺構にはまだ亜人が残っているという点だ。
歴史の闇と一緒に、地下に封じ込められた亜人。
そして、彼らはモノに語りかけてくる。
(これだけ遺跡や、神殿が集まっていたなら、きっと特別な場所なんだな)
亜人にとっても、聖地と呼べる場所だったのかもしれない。
帝都の中心では、精霊術が強力になるという。これだけの数の神殿が、関係しているのかもしれなかった。
(聖教府と、亜人……)
モノは引っかかりを覚える。
「二つの聖地が、同じ場所?」
聖教府と同じように、亜人も神話を持っている。『最初の実』にまつわる物語だ。
最初の実が落とされた時、亜人達の祖先は、それを割り、種を取り出した。種を地面に植えることで、亜人達はイモや麦といった、大切な穀物を手にしたというわけだ。
「だがな」
マティアスが引き取った。
「いずれにせよ、地下の遺構の正体は見えてきた。だが、どうやってたどり着くかは、分からんぞ」
翡翠色の瞳が、きらりと輝いた。
「水、かもしれません」
「水?」
「水路とか、噴水とか。地下にも、水はありましたし」
モノが再現した地図にも、何条かの水路が刻まれていた。イザベラも目にしたという地下の急流は、当時の水路の名残なのだ。
とすれば――
「水路をたどれば、地下に通じているかも……?」
モノは、水の精霊術師だ。
フードの中で、猫耳が動く。噴水の音と、宮廷を囲う水路の音が聞こえていた。感覚を広げて、地下からわき上がっててくる水を追えばいい。
――いつか、彼らの方から来るだろう。
皇帝はそう言っていたが、モノに待つつもりはない。
真実に、自分で会いに行くのだ。
瞳を輝かせるモノに、王太子と、小物入れの中のネズミがそろって不安げな息を吐いていた。




