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亜人公女物語 ~猫耳の公女、モノリス~  作者: mafork(真安 一)『目覚まし』書籍化&コミカライズ!
第4章 帝都ヴィエナ

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4-16:前線の異変

 広大な平原の夜明けは、まず地平線が明るくなる。一本の光の線が生まれた後に、まるで幕が上がっていくように、夜の領域が取り払われていくのだ。

 大鷹族の精霊術師、ギギは祖先が何十年、何百年とやってきたように、その日も朝を迎えた。

 見張り台の上から、いと高き久遠の蒼穹を見つめる。

 快晴であった。

 さっと風が渡り、短い黒髪を揺らす。氏族のしるしの鋭すぎる目で、ぎっと地平線の彼方を睨みつけた。


「きれいだ」


 大鷹族も亜人として、祖先と精霊を祀る。

 ギギは畏敬の念を込めて、見張り台から空を見つめていた。


「うむ! よく晴れた!」


 うわっと、声が出た。

 ギギが慌てて振り向くと、長身の赤髪が、窮屈そうに階段から現れたところだった。鎧を脱いだ軽装だが、元々が大柄なので、足音も荒々しい。

 朝の静けさを、文字通り踏み荒らしていく。


「風もよい! 霧もない! 絶好の開戦日和だな」


 フリューゲル家長男、アクセルは喉を鳴らす。どうやら昨日も遅くまで会議をしていたらしい。顎には無精髭の陰が生まれていた。

 苦労を察し、ギギは文句を飲み込んだ。もっとも彼女の目つきからすれば、怒っていても、笑っていても、他の人種にはほとんど違いが見えないことは自覚しているのだが。


「もう、三日か」

「ああ、三日だ」


 アクセルは、にかっと笑った。


「よく耐えた、大鷹族」

「ふん。ゲール人も、やるじゃないのよ」


 大小の拳がぶつかり合う。それは互いの健闘をたたえ合う、しるしだった。

 南部の都、グラーツに駆け込んでの籠城戦は、三日目に突入していた。


「よく保ったものね」

「希望がある。希望があれば、士気は長続きする」


 ギギは城壁の見張り台から、市街を見下ろした。

 朝の煮炊きの煙が、グラーツの市街から上がっている。住人に食料が行き渡っている証だった。

 今頃は援軍に胸をなで下ろしながら、備蓄用の食料を取り崩しているだろう。


「ゲール人は、家畜を飼わないのね」


 ギギが見下ろす街は、石造りで堅牢そうだった。城壁の難点で、気軽に拡張はできない。そのため狭い区域に、民家、教会、倉庫などが密集していた。


「確かに。家畜がいれば、もう少しマシだったろう。いざとなれば食える」


 聖ゲール帝国の中心に近いグラーツは、五十年以上も平穏の中にあった。古い城壁を頼みに、形ばかりの籠城を取ることはできても、住人全員を養えるほどの備蓄はすでになかった。

 騎兵隊から遅れて補給の馬車が到着するにつれ、グラーツの人々は胸をなで下ろしたに違いない。商業の都は、絶えず物資が入ってくることを前提にした街になっていたのだ。


「とはいえ、楽観はできんぞ」


 アクセルは表情を引き締めた。


「グラーツは人口が多すぎる。疎開するにも、次の街までが長い。元々が不作だ、追加の食料も潤沢とは言えない」


 ギギは頷いた。亜人学派の猛攻をしのぎながら稼いだ三日だった。が、稼いだ分だけ、腹の足しが減っているのだ。


「帝都から補給と援軍が来なければ、あと四日と保たぬ」


 それが南部の力を結集しても、稼げる限界だった。

 ギギは視力を活かして、もう一度平原を見渡す。

 アクセル達は初日に合流してから、まずは徹底的に破壊された防衛線を再構築した。

 城壁にとりつかんとしていた敵を、騎兵の圧力で押し返した。

 ギギから見て左側、グラーツの東には諸侯混在の兵力が無言の壁となっている。そちらからも白い煙が立ち上っており、持久戦の食料は問題がなさそうだった。


「敵はどうかな」

「うむ。こちらが苦しいとき、敵もまた苦しい」


 アクセルは懐から、黒いパンを取り出して、かじった。飲み物は葡萄酒らしい。革袋に詰められた酒は、適度に湿気を逃がすことで、初夏の朝でも冷たい。

 勧められたが、ギギは手を振った。


「いい。酒は飛行に障る」


 ギギは何度かグライダーに乗り、戦場を俯瞰していた。


「今日も長引くよ。決め手がない」

「ふはは」


 アクセルは笑った。


「手厳しい。が、事実だな」


 そう言って、ぼりぼりと黒パンをかじる。

 ギギは頭をかいた。


「ねぇ、大丈夫なの?」

「はにが」

「援軍。当てにしていいの?」


 不安点は、そこだった。

 帝都とは、早馬で半日の距離である。本気で援軍を送るなら、伝令の一つでもあるべきだった。


「帝都から文の一つも無いじゃない。見なよ。元気がある内に、東の軍勢を動かしたら、挟み撃ちにできるよ」

「いや」


 アクセルは首を振った。

 東には、二千人の軍勢が丘の上で陣取っている。諸侯混成の、アクセルが急遽編成した部隊だった。崖もない、なだらかな上り坂に過ぎなかったが、高地は高地だった。高低差が弓の精度に影響することは、ギギだって知っている。だが三日間も同じ場所にいるというのは、勿体ない気がした。


「あれは動かせん。諸侯の混成だ、根っこのところでは、亜人を恐れてもいる」

「じゃあ何で」

「置いておけば、壁にはなる。丘の上から矢雨を降らせて、疲弊したところを歩兵が襲う。そこまでやって、やっと亜人とは互角だ。平地では勝てん」


 事実、アクセルは丘の上から騎兵をほとんど引き揚げていた。東の丘に、攻撃力を期待していない証である。


「敵が東に向かえば、我らが騎兵を出して襲う。もっとも、敵も動かんだろうがな」


 アクセルは、平原を顎で示した。

 ギギは足場から身を乗り出して、遠くを伺う。そちらは亜人学派の陣地だった。

 遠目には、菱形が無数に並んでいるように見える。けれど、その一つ一つが、百人近い亜人から構成された、陣地なのだった。


「方陣という。あれをされると、騎兵は厳しい。馬は陣地の隙間を通ろうとする。あれは突撃をやり過ごし、騎兵をすり潰すための陣形だ」


 分かるか、とアクセルは言った。


「敵も待ちの構えだ。先に殴った方が、怪我をする戦いということだ」


 ギギは口を結んだ。確かに理屈としては、納得できる。


「だから援軍を、待つってことか」


 うむ、とアクセルは頷く。その自信に満ちた態度が、ギギを困惑させた。


「ねぇ」

「うん?」

「信じてるってわけね。家族が、助けてくれるって」


 アクセルは大笑した。


「その通りだ。公女の猫耳にかけて――なかなか耳に残るセリフだと思わないか?」


 ギギは嘆息した。フリューゲル家が仕掛けたのは、民の印象に訴える作戦だった。

 大量のパンフレットを刷り、耳に残る言葉を叫ぶ。人々の期待を高めて、満を持して亜人の公女が登場するという仕掛けだった。

 が、あくまで、仕掛けに過ぎない。

 ギギは、大鷹族の中では、身分は高い。一族は弱小だが、一応は族長の娘なのである。だから、多くの人間が集まり、権謀術数を練る場所が、余談を許さない場所だと知っている。


「……普通、こういう時には奇跡に頼ってきたのだ」


 アクセルは苦いものを流し込むように、革袋をあおった。


「神罰の奇跡が機能すれば、あの程度の陣は壊滅できたろう」

「あー」


 ギギは頷いた。ゲール人の奇跡の強さは、ギギも身をもって体験した。


「我々は、頼り過ぎたのだろうよ。奇跡がないと、このありさまというわけだ」


 アクセルは首を振る。


「火砲も、投石器もここにはない。頼る必要がなかったのだ」

「……奇跡が効果がないって、本当?」


 ここ数日の間、グラーツでも奇跡の発動が試みられていた。だが、サザンのように、巨大な雷が敵を打つことはなかった。神に見捨てられた、と市民の不安をあおっただけだ。


「うむ。亜人学派は、奇跡の発動を、無効にしているようだな」


 ギギはふと、亜人達が巻いていた青い布のことを思い出した。マクシミリアンは、亜人達を聖教化していた。青い布とは、聖教への改宗を示すしるしなのである。

 白狼族のラシャを始め、多くの亜人が腕に青い布を巻いている。


(奇跡は、人々の思いを集めて放つというし……)


 だとすれば、敵の亜人も今や聖教の徒だ。

 亜人達もまた、ゲール人のように、祈っているのだろうか。その祈りが、奇跡を邪魔しているのかも知れない。

 マクシミリアンは、言っていた。奇跡とは信仰という共通の基盤で、無数の心の力を――マナをまとめ上げて放つ、と。だとすれば、亜人達の祈りは、ゲール人の奇跡にとっては雑音(ノイズ)となるだろう。

 今まさに奇跡で撃とうとする相手からも、祈りによるマナが飛んでくるのだから。


「いっそ、お前の翼で、俺を敵陣のど真ん中に落としてくれれば、楽なのだがな」


 アクセルは眉を上げる。ギギは声を出して笑った。


「重たい鎧を脱いだら、考えてあげる」


 そう軽口をたたいたとき、ギギは鼻を鳴らした。悪臭だった。風上は、亜人学派の陣地である。


「……なに?」

「これは」


 アクセルはうめいた。


「存外、本当に決戦となりそうだな」


 亜人学派もまた、待つことに飽いたらしい。

 方陣が生き物のように動いた。側面にあった大鷹族の騎兵が、一頭の獣のように、東の丘へ向かっていく。

 城壁の前でも、変化があった。火事かと思うほどの、黒い煙が立ち上っている。しかしそれは煙ではなく、もやだった。

 現れた黒いもやは、ウォレス自治区や、サザンを襲ったものと同じ種類に思えた。

 アクセルとギギは、二人して目をむいた。


「近づいてくる」


 ギギは目をこらし、悲鳴を上げそうになった。近づいてくる黒いもや、その下には一頭の馬がいたのだ。馬の背には、人が括り付けられている。

 意識がない様子のその人物に、ギギはかつての自分を重ねた。


(もしかして……)


 あの黒いもやを、強引に宿らされた精霊術師(イファ・ルグエ)ではないだろうか。


「閣下!」


 見張り台の下から、アクセルの部下が声を張ってきた。


「うむ、行くぞ」


 ギギもグライダーを取りに、物見台を降りる。

 大柄なアクセルがつっかえるので、ギギは城壁から張り出した、外側の階段を降りた。


(なぜ今?)


 こんな手があるのなら、膠着する前に、もっと早く使えばよかった。ギギは北の空を見つめる。帝都ヴィエナで何が起きているのか、この場から知ることはできない。

 胸騒ぎがするのは、ギギはあのマクシミリアン神官を知っているからだ。

 岩石のように揺るがない、柔和な笑顔。あの男ならどんな策略だって、あの笑顔のままやってしまう気がした。


「ギギ様」


 大鷹族の面々が、続々と参集していた。ギギのために馬が引かれてきたが、彼女は首を振った。


「グライダーで、空から戦場を見る」

「前線が流動的です。風もあり、矢が届きやすくなっています。危険ですよ」

「相手の動機が読めない。どうせ飛べと言われるさ」


 ギギは言った。


「みんなも、できるだけ死なないでよ」


 大鷹族はお互いに顔を見合わせ、笑っただけだった。


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