4-14:至高の一族
ロッソウ大臣に案内され、モノ達は宮殿を進んだ。
ついに皇帝へ面通しするのである。フリューゲル家、ひいては大陸の行く先をも左右しかねない、重要な会談となるはずだ。
(ここまでは、大丈夫)
モノは息を吐いた。ひとまずは計画通りに、事象は進んでいる。
ただし、予想外のこともある。
モノは口元をもごもごさせて、壁際を見やる。モノ達から距離を置いて、毛色の違う人物が歩いていた。
毛色とは、鮮やかな金のことだ。
目元にかかりそうな金髪が、歩く度に揺れていた。こんなに鮮やかな金髪を、モノは初めて目にした。オットーに言わせれば、毛の色どころか、血の色さえも違うらしい。
「伝承さ。王族は、青い血を持つと言われている」
帯から提げた小物入れから、オットーが教えてくれる。
「王太子、帝位を特に強調するなら、皇太子。彼は今上陛下の息子、一粒種というわけだね」
鮮やかな金髪を除いては、全体的に細身で、印象が薄い。灰色のローブは大きめで、裾が床を引きずっている。フランシスカの法衣に近かったが、それよりもよほど地味で、質素だ。
歩きにくくないのだろうか、と心配になった。
(王太子?)
王太子殿下も殿下で、モノの方を見ていたようだ。目が合った瞬間、慌てて顔を背け、言いつのる。
「ロッソウ! こんな話は、聞いていないぞ!」
王太子は何度も訴えていた。
人払いの済んだ廊下に、声はよく通る。自分の声に驚いたらしく、続く抗議は小声だ。
「亜人だぞ……!」
「まさに。そこにいるのは、亜人ですね」
王太子は気味が悪そうに、モノの猫耳を見つめる。この類の視線には、モノは慣れっこだった。
とはいえ――
「モノです」
同年代には、さすがに負けん気の血が騒いだ。猫耳をピンと立てて、真正面から相手を見る。
異性に猫を被るような習慣は、モノにはなかった。
王太子はぎょっとした。まさしく、猫に話しかけられたような顔だ。
「……な、なに?」
「私の名前です」
「な、名前? いやそれより、お前が、公女だと?」
「モノリス」
フランシスカが遠い目でたしなめた。でも姉としては珍しく、うるさいことを言ってこない。横に視線を走らせて、慎重にロッソウや王太子の反応を伺っている。
「大臣。我々にも説明が必要です」
次女をしても、この状況は判断に困るようだった。
「謁見は、皇帝陛下と行うはず」
「その陛下が、殿下の出席を求めたのですよ」
フランシスカは、何かに気づいたらしい。次の言葉で、完全に顔を曇らせた。
「殿下には、すでに議事にも全てご出席願っております」
「……そこまで、ですか」
「口さがない者が、あれこれ噂をしていますでしょう。しかしすべては噂以上だと、あらかじめ申し上げておきます」
足を止めたのは、廊下の突き当たりだ。外へと通じる扉があり、ロッソウが開けると、風が吹き込んできた。
「壁を伝うので、目立ちますよ。公女様も、殿下も、お顔を隠してください」
モノはちょっと覗き込んでみる。開いた先は、壁を這うような階段になっているようだ。鼻を鳴らすと、煤の臭いがする。
狭い石段に申し訳程度の手すりが付いた、頼りない階段だった。
「煙突掃除用の通路だ。煤だらけになるぞ」
ヘルマンが先行し、異常がないことを確かめる。戻ってきた彼の手は、確かに黒くなっていた。
「どうぞ」
言われて踏み出すと、吹き付ける風が高所を感じさせた。
(高い)
島娘のモノにとっては、たった三階でも十分な高層建築だ。庭園を越えて、外の町並みまで見通せる。
「止まっていると目立ちます。お早く」
「あ」
ヘルマンに急かされて、モノは慌てて階段を降りた。
急な段差を降りる時、公女のスカートはいかにも邪魔だ。油断するとローブ共々はためきそうで、モノは一々手で押さえなければならない。
モノは先行するロッソウへ問うた。
「大臣、陛下はどこに? こんなところにいるんですか?」
「今は、泉の聖堂におられます」
モノは事前に教えられた、宮廷の地図を思い出す。宮廷は庭園の他、劇場だとか、色々な建物を抱えている。
聖堂もその一つだった。とすれば、今は中庭を目指していることになる。
「待て、泉の聖堂だと?」
外に出たせいか、王太子は遠慮なく声を張ってきた。
「使わなくなって、かなり経つじゃないか」
「殿下。だからこそ、ですよ。すぐに、分かります」
階段を降りると、中庭に出た。
泉の聖堂とは、文字通り泉のほとりにあった。
見事な庭園は、ここでも変わらない。池が海を見立てたとするなら、真ん中の岩は島だろうか。自然がぎゅっと縮められて、配置されていた。
聖堂のサイズも控え目なのは、庭園に調和させるためだろうか。尖った屋根は聖教府の造りのようだが、大きさは倉庫と言っても通りそうだ。
「こちらに」
聖堂に通されて、モノは驚いた。
まるで廃屋だ。絵に、壺に、椅子、机。備えられた調度に、うっすらと埃が被っている。ほとんど物置同然という場所だ。
「こ、ここ?」
思わず、ローブの襟をあげた。空気がよどみ、胸を悪くしそうだった。
「陛下は、あなたとお話をしたいと仰せです」
「ロッソウ大臣。つまり……」
「はい。まずは、密談ということになります」
フランシスカの問いに、ロッソウは肩をすくめた。
「謁見では、決まった文句のみになりますので。ああ、ここは、六年ほど前から使われておりません。立ち寄る者もいない。ひっそりと会談をするためには、打って付けですのでご心配なく」
大臣はモノ達を見回した。
「さて。フランシスカ様も、ヘルマン卿も、ご退出を願います。もちろん、私めも外しますので」
家族の顔に、警戒が浮かんだ。モノと姉は目配せを交わし合う。残されるのは、モノと、王太子、そして誰も気づかれずにモノと伴にある、オットーだけというわけだ。
「ロッソウ大臣」
「おや、罠をお疑いですか?」
次女は沈黙する。オットーもいる。形ばかりの拒否だろう。フランシスカはやがて引き取った。
「いいでしょう。ヘルマン、念のため聖堂の入り口を警備なさい」
慌てたのは王太子だ。
「ま、待て! 亜人と、残るのか?」
「そうです」
「ロッソウ! お前、以前からこのことを知っていて……!」
大臣は微笑を浮かべるだけだった。
「これは陛下のご命令でもあります」
それが殿下への殺し文句のようだった。彼は肩を落とすと、抵抗を止めた。
ばたんと音を立てて、聖堂の扉は閉じた。部屋にはモノと、王太子だけが残される。石造りの聖堂は、窓の位置が高い。そのため十分な光が差し込まず、夜明け前のような暗さだった。
モノ達の他、生き物の気配がない。まるで建物ごと死んだような場所だ。
「あの」
「――マティアス」
ようやく、王太子が口を開いた。
「え?」
「余の名だ。お前は、名乗ったであろう」
モノは頷いた。改めて向き直り、胸に手を当てた。
「シモーネ・モノリス・フォン・デア・フリューゲルです」
マティアスはとても小さく頷いた。正面から見ると、確かに気品があるように思う。伏し目がちで、少し自信がなさそうな振る舞いではあるが。
「亜人、か」
マティアスは小さく呟いた。
「初めて見たよ」
王太子の方から、先に歩き出す。
「皇帝は、モノに秘密を話すつもりかもしれないな」
オットーが口を開いた。モノはマティアスに気取られないよう、背中の方へ回って口を動かす。
「秘密を?」
「ああ。王太子を招いたのは、そういうことだろう。君という実物を見せて、次代に話を通すつもりなんだと思う。つまり……いや」
オットーは言葉を濁した。不吉な気配を感じた。
聖堂の奥へと進む。一つの部屋だけ、扉が隙間を作っていた。そこから日差しが差し込んで、廊下を照らしていた。
――よくぞ、来た。
そんな声が、また聞こえる。ぞくぞくした。
モノは今度こそ、幻聴だとは思わなかった。
「どうした」
止まった気配を察したのか、マティアスが振り返る。
モノは無言で、周囲を警戒した。精霊術師の感覚を総動員。さぁ、と風が渡っていくように、モノを中心に感覚の波が広がった。
声が聞こえてきた場所を、探す。目、耳、鼻。亜人の五感は、獲物を逃がさない。
(外?)
自然を持ち込んだような、あの庭園のどこかだろうか。
(違う)
明るい場所ではない。暗い場所の、その奥の奥だ。
「……地面の、下?」
――どちらかだ。
そんな声が来て、気配が絶たれた。何か大きな生き物が去って行ったような、言いしれぬ存在感がまだ部屋に残っている。振り返れば、知らない誰かがいそうだった。
「宮廷の下に、誰かいるんだ」
モノは精霊術師だ。精霊術とは、共感の業である。他人と思いを一つにする能力こそ、精霊術師の格を決める。
だとすれば、これほど遠くまで声を届かせるとは、どんな相手なのだろう。聖壁を抜けた直後、サザン、そして帝都。どのときにも、この声を聴いたように思う。
(……ずっと、私を呼んでたの?)
だが思考が伸びるより早く、現実の声がモノを呼んだ。
「お前、いったい何だというのだ?」
マティアスが困惑していた。モノは気を取り直し、首を振る。
「何でもありません」
「……なら、いいが」
モノは気を取り直して、聖堂の奥へと進んだ。一室だけが扉が半開きとなり、中の光が漏れている。
足を前に出しても、乱された思考は止まらなかった。
(何者なんだろう?)
モノのことを知っているのか。オネのことを知っているのか。
あの黒い精霊や、マクシミリアンと関係しているのか。
そして、何が目的なのか。
聞きたいことは山ほどあるのに、声は届かない。
「入るぞ」
マティアスが扉を開け、モノは部屋に入った。来客に舞い上がった埃が、窓からの陽光に照らされていく。
その陽光が、遮られている箇所があった。一人の人物が、窓に向かって座り、背中で影を作っていた。
「来たか」
しなびた声が、モノを出迎えた。椅子を回したのは、老人だ。痩せている。けれど四角いあごと、真っ白なひげが往年の威厳を思わせる。
何よりも、目だ。体は弱っても、年を経た獣が知恵を増すように、老人の目は力を失っていない。
「皇帝、陛下?」
皇帝は微かに頷いた。
「予想以上だ」
オットーの声は干上がった。
「ずっとひどいな。帝都の政争から、まだ三ヶ月も経っていない。フリューゲル家が拘禁された時は、もう少しマシだったのに」
皇帝は咳き込んだ。疲れた目で、窓から差し込む日を眺める。額には脂汗がにじみ、座っているだけで、大変な労力なのだと察せられた。
明らかに病だ。
(そうか)
モノは、ようやく宮廷の内情に、実感が伴った。
今まで大臣が表に出ていたのは、皇帝の病状がよくなかったからだろう。そしていよいよ、王太子に重要な引き継ぎをするというわけだった。
聖ゲール帝国皇帝、ヴィルヘルム五世。モノが目にした姿は、巨木が朽ちていくように、ゆっくりと命を失っていく間際の姿だった。
「ロッソウが、面会を許したか」
皇帝は確認した。
「長旅、大儀であったな」
弱々しく手を振ると、乾いた中に、笑みの気配を感じさせた。
「どうした。公女よ、遠慮なくかけるがいい」
モノははっとした。慌てて、皇帝の前に置かれた椅子に腰掛ける。王太子マティアスも、部屋の奥の調度から埃を払い、腰掛けた。
「父上、これは」
「まずは、公女の言葉を聞くといい」
皇帝は、金色の髪の毛が陽を背負い、光をまとっているようだった。
モノはぎゅっと手を握る。胸を張って、語った。
「フリューゲル公女、シモーネ・モノリスです」
まずは決めてあった名乗り口上だ。
「謹んで、玉体に申し上げます」
気を整え、一息に言ってしまう。
「南では、亜人学派が私達の土地と、人を、荒らしています。兵を出して、フリューゲル家と共に戦って欲しいのです」
皇帝は目を細める。続く声は、威厳に満ちていた。
「よし」
モノの心が、一瞬で和らいだ。猫耳がピンと立ち、喜びを伝える。
「お前達のことわざに、こういうものがあるそうだな。人がよしといえば、精霊もまたよしという。よい精霊がつくとは、よい意思を持つことだと」
モノは驚きに目を見張った。知っていよう、と皇帝はモノに問いかける。
「……私達の、ことわざです」
「なぜそれを余が知っているか。お前は、すでにその理由も知っているはずだな?」
思わぬ成り行きに、空気が張り詰める。
モノは、慎重に頷いた。皇帝は、マティアス王太子を見やる。
「その話だ。我々が地下に押し隠してきた、獣のしるしを持つ者達のことだ」
不穏な空気を感じたのか、王太子が眉をひそめていた。
「……この下に、亜人がいるんですよね」
皇帝は笑みを深めた。見つめていると、どこまで心が吸い取られてしまいそうな笑みだった。
「気づくか」
「声が、したんです」
しわの奥で、皇帝は目を細めた。痩せた手が持ち上がり、豊かなひげをなでる。
「……なるほど。やはり亜人を理解できるのは、亜人だけか」
声は皮肉げだった。
「思えば、フリューゲル公爵がお前を得た時にも、我々は亜人と取引をした」
「取引?」
「お前に見張りを付け、できるだけ無力に、牙を抜き、単なる島娘として育てるようにな」
皇帝はくつくつと笑った。
体が強ばる。見張りとは、きっと――オネのことだろう。オネは元々は、聖ゲール帝国内に残った亜人だった。
島で医者として、精霊術師として暮らしてきた育ての親にも、闇の中にあった過去があるのだ。
「だが、裏切られた」
モノは顔を上げた。
「裏切り?」
「お前の育ての親の裏切りか。それとも、地下の亜人が丸ごと帝国と聖教府を裏切ったのか。それは定かではないが、裏切りは明らかだ」
「まさか、そんな」
「お前の育ての親は、完全な教育を施した」
皇帝はモノを見つめる。
「言葉。気品。意思。貴族の娘として見ても、お前は上出来の部類に入る」
公女の猫耳にかけて。
帝都の声は、続いていた。
「帝国の秩序を、壊してしまうほどにな」
それが裏切りの証左とでもいうようだった。
モノは言葉を失った。使命を達したと思った瞬間、予想外のところから、真実を告げられた。
(オネが……)
モノは衝撃を受けたが、心のどこかでは、納得していた。どころか、一度は自分の力でたどり着いたことでもあった。
帝国や聖教府にしてみれば、モノに教育を施す理由はどこにもないのだから。言葉に歴史、そして精霊のこと。モノをこの場所まで導いたのは、オネの教育とも言える。
それは、今の秩序に弓を引く行為だった。
「裏切りは罰せられるだろう……」
皇帝は静かに言う。モノは、皇帝がさっきまで見つめていた窓は、陽が差し込む南側であったことに気がついた。モノの故郷、『魔の島』がある方向でもある。
「父上、これは」
「お前に知らせておく」
皇帝は宣言した。
「帝国は、亜人を飼っている」
王太子は目をむいた。視線が、モノの猫耳と、皇帝の間を行き来する。
「……あ、亜人が?」
「そうだ。じきお前の前にも、公女に似た、本物が現れることだろう」
王太子は何かを言いかけていた。だが皇帝は取り合わず、モノに向き直った。
「黒い精霊には、会ったな?」
話を急ぐ姿勢に、皇帝の焦りを感じる。本当に、時間がないのだろう。
「は、はい」
ウォレス自治区や、サザンを襲った、汚れた精霊のことだ。長い間、帝国は精霊術師がいなかった。そのため、正しい流れがよどみ、汚れた精霊が現れた。
「彼らは、あれを堕精霊と呼んでいた」
「ル……イファ?」
『ル』、とは亜人の言葉で、汚いとか、穢れたとか、よくない意味を示す。悪精霊、あるいは堕精霊という程度の意味だ。
「……ゲール人は奇跡を使ってきた。マナによる営みは、我らにとって慈雨だった」
皇帝は息を吐いた。
「いつしか雨は止み、水は枯れる。それも道理か」
皇帝は外の歓声に、聞き入っている。
明らかに疲れていた。そのくせ、まるで心地よい歌や音楽に耳を傾けているように、優雅で、救われた様子だった。
「亜人と、ゲール人。力を合わせれば、より民の生活はよくなるか」
「は、はい。私は……そう信じます」
「成功するとは、とても思えんな」
皇帝は懐かしむ顔をした。
「南の自治区を見ただろう? あれは相当な投資を無駄にした」
確かに、ウォレス自治区には、共存を願った頃の残滓が残っていた。今は廃墟のような裏通りに亜人が多いのは、当時の建物がまだ残っているからだ。
精霊術に用いた円筒分水嶺も、共存のため、水を正しく分配する仕掛けである。
「慰めは、一つだけだ。無理だと気づくために、失敗は必要だった。犠牲を払わねば、気づけないこともある。これに我々は五十年かけて気づいた。お前達が何年かかるか、それとも永遠に気づかぬか」
モノは唇を結ぶ。皇帝は痩せた手を振った。
「援軍を出して進ぜる。壁を見よ」
壁の一面に、紋章が掲げられていた。熊に、蛇、馬、鷲――フリューゲル家を示す双頭の鷲の紋章もある。
「十五歳で、女公というわけにもいくまい。紋章を、あらかじめ決めておくがよい」
オットーが少し唸った。が、モノにはよく意味が通じなかった。
皇帝は席を立つ。ふらつきながらも、足取りはよどみがない。どうやら皇帝用に、別の出入り口があるらしい。彼が向かうのは、モノが来た方向とは逆側だった。
「あ、あの!」
モノは立ち上がった。聞きたいことが、まだたくさんある。
「この地下には、本当には、何があるんです?」
皇帝の足が止まる。
「南で、お兄様が、みんなが、戦ってるんです! 帝都の亜人も、やっぱり、敵なんですか?」
皇帝は言った。
「感じたのなら、分かるだろう。ここの地下にあるのは、お前の敵でも味方でもない。意思があるのかさえ、怪しいものだ」
背中が遠ざかっていく。手をかけた真実が、また闇に消えようとしていた。
「呼ばれているのだろう? ならばいつか、彼らのほうから来るだろう」
薄暗い部屋の中に、モノと王太子は残される。マティアスは呆然としていた。力が抜けたようで、椅子から立てないようだった。
「……なんだと?」
ぶるり、とマティアスは震えた。恐れに満ちた目で、モノを見上げてくる。モノは王太子に、昔の自分自身を見る思いだった。
「帝国の中に、亜人だと? そんなこと、誰も……」
「大丈夫」
モノは褐色の手を伸ばす。力強く見つめると、王太子は息を呑む。翡翠色の瞳を見つめ返し、手を払いはしなかった。
「大丈夫です」
モノは気づくと、自分に言い聞かせていた。マティアスはモノの震えに、気付いたようだ。
「……すまん」
王太子は、褐色の手を取った。階段のすすがまだ残っていて、二人の手は揃って黒くなった。
皇帝への正式な謁見は、すぐに設けられた。
「亜人公女シモーネ・モノリス前へ!」
その号令で公女モノリスが赤い絨毯を歩くのは、二時間後だった。




