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亜人公女物語 ~猫耳の公女、モノリス~  作者: mafork(真安 一)『目覚まし』書籍化&コミカライズ!
第4章 帝都ヴィエナ

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4-13:帝国の番人


 どこにでも、舞台裏というのはあるものだ。

 シェーンブルク宮殿に足を踏み入れたモノ達だが、いくらか進んだだけで、一向は足を止めてしまった。乗り物を降り、衛視に馬を任せる。そのまま正面の道を外れてしまう。

 モノはフードをかぶり、再び猫耳を隠した。


「こちらです」


 進むのは、生け垣に挟まれた横道だった。

 ヘルマンが案内する。いよいよ、広大な庭は迷路のようだ。


(壁の中なのに……)


 いったいどうして、こんなに大きな建物を作るのだろう。サザンの生家もそうだったが、モノはたまに貴族の感覚が分からなくなる。

 モノが案内されたのは、宮廷の一番東だった。猫耳に届く水音が、ここが表の水路に近いことを教えてくれる。

 見張りの兵士が、近づいてきた。


「ヘルマン卿」

「手はず通りに」

「畏まりました」


 そつのない対応に、モノは驚いた。宮廷で南部の味方が増えてきたというのは、本当らしい。

 両開きした扉には、双頭の鷲のしるしが彫り込まれていた。


「懐かしいですね。お父様達は、よくこちらの出入り口を使っていました」


 フランシスカが目を細める。でもさすがに、本当に家族がいるとは想像もしていなかったようだ。


「あら。紋章付きから入ってくるなんて、いったいどこのお嬢様かしら?」


 入った先で、モノは意外な人物を目にした。ローブを被っているが、長身と、ビロードの仮面は見間違えようがない。


「……お、お姉様?」


 長女の、イザベラだった。予想外の再会に、モノ達は目を丸くする。


「どうして宮廷に?」

「ちょっと様子を見にね」


 あ、と今気づいたように、イザベラは嫣然と笑う。


「正面の間に、他の貴族は引きつけておいたから」


 オットーとフランシスカが、息の合った嘆息をした。

 確かにフリューゲル長女の登場は、宮廷の耳目をさらうだろう。そうして人目を惹きつけたところで、首尾よく姿を消したというわけだった。庭園が静かだった理由がはっきりした。

 フランシスカはとろんとした目で、もはや悟りの境地のようだ。


「……最近、隠密行動が、板についてきたのでは」

「ふふ。あなたもすっかり姉らしくなったみたいね」


 イザベラは余裕でかわしていく。


「昔はオットーの後ろに……」

「お、お姉様」


 イザベラは指を一つ立てた。静かに、という合図である。床のタイルが鳴る音が、遠くから聞こえてきた。


「……あちこち見といた。会談の用意は本物ね。兵士に怪しい所もない」

「また、無茶をして……宮廷に入って、大丈夫なのかい」

「護衛もいるし、身を守る対策は取ってる」


 イザベラは懐から、細長い筒のようなものを取り出した。

 オットーが何か言いかけるが、ヘルマンが咳払いをした。

 一息ついて、イザベラはモノを上から下まで見る。ふっと浮かんだ笑みは、温かい。


「ここまで声が聞こえた。猫耳を見せつけたのね」

「はい!」

「まったく、賭け好きは誰に似たのかしらねぇ」


 苦笑して、長女は入り口の側に控える。やがて足音の主がやってきた。

 宮廷の外れには、窓が少ない。モノははっきりと人影を見ることができたが、他の家族には薄闇から足音だけが近づいてきたように感じられただろう。


「お待ち申し上げておりました。ロッソウ大臣の書記官をしております」


 手燭を持ち、黒い帽子を被った男性が、モノ達に向かって頭を下げた。猫耳に対して、ちらりと視線を感じる。

 フードをかぶり直していたが、帽子のような膨らみと、褐色の肌は明らかだ。


「亜人公女、シモーネ・モノリス様ですね?」


 モノは顎を引いた。


「こちらへ」


 去り際に、イザベラが囁いた。


「気を付けて。亜人の遺構は、帝都中にある。なら、ここは地下も地上も、敵の中心よ」

「え、お姉様は?」


 イザベラは肩をすくめ、寂しげに笑うだけだ。


「一緒に行きたいのは山々だけど。一応、一回は拘禁されているからね」


 イザベラを初めとした家族達は、一度は罪に問われ、宮廷を追い出されている。無実の罪、つまり謀略の類いだったが、宮廷での交渉は制限されていた。

 仮面で顔を隠すのは、まずは身分を伏せるためでもあるのだろう。

 同様の理由で、アクセルも、たとえこの場にいたとしても議事には加われない。唯一宮廷内で表向きの活動ができるのは、聖職にあるフランシスカだけだ。

 モノは姉が来た理由を悟る。思えば帝都に入って以来、ほとんどが別行動だった。山場に挑むモノを、一目見たいという思いがあったのかもしれない。


「あなた達に預けるしかない」


 イザベラが合図すると、闇からもう一つのローブ姿が現れた。そっとモノの方へ寄ってくる。

 囁き声は、地鼠族の亜人、テオドールだった。


「最後の報告です。結局、『黒星』の自警団を組織した人物は、判明しませんでした。大臣が亜人学派と組んでいるとは思えませんが、やはり警戒はすべきです」


 亜人同士の会話で、おまけにオットーがネズミの目を輝かせ、音の魔術を用いていた。大臣からの使いに、内容までは気取られないだろう。


「イザベラ様の御身は、我々が氏族にかけて守ります。ご心配なく」


 頷き、モノはイザベラ達と別れた。

 フランシスカとヘルマンと共に、長い廊下を渡る。次第に騒がしくなってきた。貴族たちの喧噪が、ここまで聞こえてくるのだろう。


「大丈夫でしょうか」

「……宮廷には、ぼくらを支持する貴族も増えてきた。例え見つかっても、一方的な展開にはならないと思う」

「だといいですけど」

「いずれにせよ、もうやるしかないよ。文字通り、川を渡ったのだから」


 宮廷の中にはいろいろな調度品や、絵画が飾られていた。皇帝と思われる絵も掲げられている。子供の頃、青年の頃、壮年の頃。ただし壮年の絵ですら、十年以上も前のものということだ。

 通された部屋は、三階にあった。大きな黒扉が、両側に開いた。


「ようこそ、おいでくださいました」


 部屋の主は、奥の席にいた。黒帽子を被った、老年の男性が書き物に取り組んでいる。

 席の後ろの壁には、天秤の紋章。左側の壁には帝国全土を示す地図があり、色とりどりのピンが刺さっていた。反対側には窓があり、初夏の陽光を取り込んでいる。花の匂いと一緒に、水の精気も感じた。


「まるで帝国の、指令室だな」


 オットーが舌を巻いていた。

 大臣はまだ顔を上げない。よく観察すると机の上には砂時計が置かれていた。


「いましばし、お待ちを」


 羽ペンが書類を滑る。書き物の音が、しばらく続いた。時計が砂を落としきった頃、ようやくぎょろりとした目がモノへ向いた。

 迫力に、モノは息を呑む。


(この人が……)


 異相だった。色褪せた金髪を後ろに流し、まるでたてがみのようだ。かなりの年配に見えるが、背筋はしっかりと伸びている。


「失礼。本来であれば、もっと公的な場で行う話し合いですが」


 勧められた椅子は、一つずつしかなかった。ロッソウが奥の椅子に腰掛ける。モノは、丸い机を挟んで、その対面を取った。

 図らずも、モノとロッソウだけが向かい合う形となった。ヘルマンとフランシスカは、モノの後ろに控えた。


「お初にお目にかかります。ロッソウ伯クレメンス――最近では、ほとんど財務大臣で通っております」


 ロッソウは口元を歪めた。


「とはいえ、あなたはこう吹き込まれて、お思いでしょうな。裏切者、と」


 思いを見透かされて、モノは身を強張らせた。

 ロッソウは先代フリューゲル公爵――つまりモノ達の父親に、宮廷へ紹介された。だが、政争が起こると、あっさりとフリューゲル家を見限った。

 家族は罪人として一度は捕らえられてしまった。それほど不意を突かれたのだ。


「事実です。が、詫びるつもりは、ありませんよ?」


 ロッソウは軽やかに笑った。


「裏切るも、裏切られるのも、統治者の器次第です。あなた方には器量がなかった。よくも裏切らせてくれたな、とむしろ詫びてもらいたいくらいです」


 あまりの言いように、モノは面食らった。神経の太さに眩暈がしそうだ。


(しっかり、しなきゃ)


 モノは唇を噛む。顎を上げて、大臣を正面から見返した。


「こちらも、初めまして」


 モノは、小さなことには取り合わないことに決めた。意地で笑みを結ぶと、すらすらと言葉が流れてくる。


「シモーネ・モノリス・フォン・デア・フリューゲル。フリューゲル家の、末っ子です。あなたの言うとおり、昔の話は、今日はよしましょう」


 ロッソウは眩しそうに目を細めた。


「……見事。公爵閣下は、どの跡継ぎにも恵まれた」


 ロッソウは机の上で、手を組んだ。そのまま、じっとモノを見つめてくる。

 戦いで間合いを計るのに似た、独特の緊張感があった。あえてゆっくり息を吸ってから、切り出した。


「お願いがあって、伺いました」


 大臣は頷くだけだ。


「亜人学派が、南を襲っています。私達と一緒に、援軍を出し、戦ってほしいんです」


 真正面から見つめても、ロッソウは曖昧な笑みでかわす。


「なるほど」


 言葉を改めて口に出すと、自分たちの不利を悟らざるをえない。どう言いつくろったところで、一番に困っているのはフリューゲル家なのだ。

 援軍を出さずに見殺しにするという宮廷のやり方は、ひどいとは思う。が、嫌がらせという意味では理にかなっていた。

 その果てに、『異民族閉め出し令』の撤廃や、亜人との貿易といった、フリューゲル家の主張を取り下げさせればいいというわけだ。


「援軍を出すのは、皇帝陛下です」

「では、皇帝陛下へ!」

「謁見を許すかどうかは、大臣達が協議して決めるのです。謁見は貴族に広く認められた権利でしょう。が、あなたは違う」


 ロッソウはうそぶくばかりだった。モノの反応を、楽しんでいるかのようだ。


「ずっとこの部屋で、この話をしてもいいのです。困っているのは、主にフリューゲル家の領地。引き延ばしに引き延ばします。好きなだけ時間をかけようではありませんか。我々は座してあなた方が弱るのを待てばいい」


 ロッソウの微笑は崩れない。


「ほとんどの貴族も市民も、そう思っていますからな」


 沈黙が降りる。余裕を崩さない大臣に対して、気ばかりが焦ってしまう。ぴくんと震えた猫耳を、大臣が観察者の目で見つめてきた。


「はて」


 ヘルマンが、巧妙なタイミングで咳払いをした。


「私も、耳が遠くなりましたかな?」


 それは、老戦士なりの忠言だったのかもしれない。一人ではない。気づき、モノは落ち着きを取り戻す。猫耳が本来の役割を果たした。


(そうか)


 感覚を広く持てば、開け放たれた窓から通りの声が聞こえてくる。


 ――公女の猫耳にかけて!


 この掛け声は、昨日の夜から帝都で地鼠族が広めていた。発端は、アクセル達が戦地でこの掛け声を使ったことだ。今やフリューゲル家の合言葉となり、地鼠族が群衆の中で繰り返している。


「いいえ、大臣」


 モノは強く首を振った。


「私達のことをもっと知れば、考えを変える人もいるはずです」


 今度は、大臣は沈黙した。

 勝機があるとすれば、モノ達に賛同してくれる人が増えてきたという点だ。自分で決断したことは、モノの自信になっていた。

 余裕を取り戻せば、いろいろなものが見えてくる。例えば、ロッソウとモノが向き合うこの配置は、家族が目に入らないよう巧妙に計算されているのだろう。実際、モノはさっきまで一人で交渉をしているような気になっていた。

 直前まで執務をしていたのも、こちらを待たせ、余裕を見せつけるためかもしれない。


(すごい)


 純粋な敬意が芽生えた。交渉もまた、戦いというわけだ。罠を張った場所に相手を引きずり込むのは、狩りと同じだ。


「ロッソウ大臣」


 フランシスカが口を開いた。宮廷での振る舞いは、姉も負けてはいない。


「あなたは、思い切り時間をかけると言いました。確かに審議を長引かせ、どんな提案も立ち消えにしてしまうのが、宮廷流でしょう」


 ですが、とフランシスカは笑みを深めた。


「時間を味方につけたのは、どうやらあなたではないようですよ?」


 大臣の眉間のしわが深まった。窓から聞こえてくる声は、時間と共に大きくなっていくようだ。


「時流を読めないあなたでもないでしょう」


 丁寧な口調なのに、フランシスカの言葉は驚くほど皮肉げだった。裏切られた家族の怒りを、初めて見た思いだ。


「面会の申し出には、感謝しています。もちろん、私たちに譲歩を促すためのものでも、あったのでしょうが」


 フランシスカの微笑が、酷薄な迫力を帯びてきた。


「今や宮廷内の支持にも、目途がついています。サザンでの暗殺未遂。ウォレス自治区への、黒星騎兵の派遣。神官法に照らすまでもなく、上座裁判ではどれも重罪ですね。少なくとも年金は無理でしょう」

「ふむ。ですが、証拠は?」

「大臣。あなたは私達を拘禁する時、証拠を出しましたか?」


 はっとした。今協力しなければ、支持者が増えた時、されたことをやり返す。姉はそう脅しているのだ。


(宮廷で、争うってこと? これから?)


 緊張が高まっていく。二人の交渉者に挟まれて、空気の方が悲鳴をあげていた。

 そんな時間はない、とモノは思う。この瞬間にも、南では長兄が戦っている。マクシミリアンは帝都に近づいている。

 まずは自分の思いを、きちんと伝えたかった。


「お願いです、大臣」


 気づくと、モノは割り込んでいた。


「……お、お願い?」

「はい。お兄様達を、助けてほしいんです」


 つまるところ、それがモノの本音だ。フランシスカが、ひっそりと嘆息する。交渉で本音を出すなど、確かにやるべきではないのかもしれない。

 案の定、ロッソウは苦笑をみせただけだ。


「……お願い。まさかこの場で、お願い、と来ましたか」


 ロッソウは、小さく呟いた。苦笑はやがて、ため息に変わる。

 窓からはモノを呼ぶ声が、まだ続いていた。

 生気に満ちていた大臣の相貌が、一瞬だけ、疲れた老人のようにしなびた。


「パンと、サーカスですな」


 ロッソウが、吐き捨てるように言った。


「恐れずにご自身の考えを晒したあなたは、民にはさぞ珍しい貴族に映ったことでしょうね。今までにない、新しい貴族に」


 指が机を叩く音が、しばらく続く。


「確かに、うまくやったものです」


 声には、諦観の響きがあった。ロッソウは席を立つ。壁に貼られた地図の前で、声を張ってきた。


「公女様!」


 一つ質問があります。

 笑みを消した顔は、はるか高みからモノを計る、裁定者の顔だった。


「なぜ貴族が宮廷に集まるか、お分かりになりますか?」


 出し抜けな質問だ。訝しむモノに、大臣は指を一つ立てる。


「あなたは、重大な決断をしました。長く亜人を見ていないなかった帝都に、自ら亜人のありようを示したことです。帝都は、知ってしまった。知るべきでなかったとしても、もう戻れません。ならばあなたも、知る義務がある」

「義務……?」

「そう。己が、何をしたか」


 大臣はモノを見つめた。


「貴族とは、貴き者。踏みつけた他者を顧みないのは、貴さではなく、傲慢です」


 モノは頷いた。フランシスカが目線で、モノに場を譲る。試されているのは、公女モノリスの方だった。


「宮廷に、貴族が集まる理由?」


 モノは問いを復唱する。


「それは……」


 帝都を見て感じたことを、モノは思い出した。あまりにも多くの人ともの。美しい建物。そして、聖堂。


「帝都は、人やものが集まるから……」

「見事。単純ではありますが、解ではありますな。ここはまさに、帝国の中心です」


 ロッソウは頷いた。


「しかし以前はそうではありませんでした。皇帝陛下がおわす帝都の他に、ほとんどの貴族が領地に居を構え、地方の王として振る舞っておりました」


 ロッソウは続けた。壁に貼られた丸い国土を、指でなぞる。


「『異民族閉め出し令』は、およそ五十年前。そこから少しずつ宮廷は力を蓄え、多くの貴族が宮廷に詣でるようになったのは、つい最近のことです」


 モノは首を傾げた。亜人や閉め出し令と、貴族が何の関係があるのか。モノには今一つ繋がらない。


「それでもまだ、貴族達は多い。この国土で、五千人近い貴族が、それぞれ領地を経営し、騎士団を持ち、領民を抱えているのです」


 それが貴族の役割だ。少なくとも、モノはそうオットーから教わっていた。

 ロッソウは、一刀両断した。


「非効率です」

「ひ、こうりつ?」

「はい。皇帝という王の中の王がおりながら、小さな王が無数にいるようなもの」


 ロッソウは首を振った。


「貴族はいずれ、間引かなければいけない」


 大臣は話を続ける。

 壁に貼られた地図を剥がし、テーブルに持って来た。示されたのは、モノが見ていた『異民族閉め出し令』の、もう一つの役割だった。


「国土の境目に強固な壁を築き、異民族として遠ざける。勝手な貿易を許せば、いずれ王以外が力と財を蓄える苗床となるでしょう。壁の向こうに敵がいるという現実は、民に団結を促す仕掛けです」


 ロッソウは言葉を継いでいく。

 窓の外からは、民の掛け声が響き続けている。


「あなたにとっては理不尽な法律。ですが……貴族を減らし、帝国が新しく生まれ変わるには、多少の犠牲は必要です」


 モノは自分のしてきたことを、思う。

 家族と暮らしたい。ロッソウが言うことをおぼろげに理解しても、家族への思いは揺るがなかった。でも本当に、何が正しかったのかは――長い時間が経たないと、分からないのかも知れない。花が咲くまでは、どんな植物か分からないように。

 モノはまだ、種をまいたに過ぎない。そしてモノがまいた種は、別の花が咲く機会を永遠に奪ってしまったかもしれないのだ。

 思えば、南部はみんなフリューゲル家についている。亜人への思いに嘘があったとは思いたくない。それでも、きっと大臣が言うような打算もあるのだろう。モノが帝都を歩いた時、背負っていたのは未知だけではなかった。

 認識できないほどの期待と打算を、背負っていたのだ。

 帝都の声は、続く。人々の意思が燃えている。

 まるで油だ。火が付く準備は、とうの昔にできていた。

 それに火を点けたのは――『家族と暮らしたい』、そんな当たり前の意思を持つ、一人の島娘だった。


「ロッソウ大臣」


 モノは席を立つ。大臣の目を、真っ直ぐに見つめた。


「難しいことはまだ分かりません。でも、大事なことを決めてしまったのは、分かります」


 だから、とモノは言った。


「決して、投げ出したりしません」

「……ふん。一生懸命やるから、というわけですか」

「それだけじゃ、ありません」


 モノは言った。小物入れの中の、生き物の温もりを感じる。


「みんなにも、助けてもらいます」


 みんなという言葉を聞き、ロッソウ大臣は苦笑の顔となった。


「まるで、子供ですな」


 寂しげに目を細める。椅子の背もたれを軋ませた。窓からの光を背負い、俯いた顔に黒い影が彫り込まれる。

 眼窩(がんか)の陰からモノを見つめる視線には、彼が背負った年月分だけ、万感の念がこもっていた。


「……私も歴史に名を残す仕事は、道半ばだ」


 掠れた声は、すぐに生気を取り戻した。


「そのためには、帝国に滅んでもらっては困るのは、確かだ。いいでしょう。皇帝陛下への拝謁を、大臣として奏上しましょう」


 だが次の瞬間には、計算高い政治家の顔に戻っていた。


「条件があります。捕虜に取った亜人は、全てフリューゲル家の責任です。また、皇帝陛下へ助けを請う公文書を頂きたい」


 すかさずフランシスカが言った。


「文書については、フリューゲル家ではなく、グラーツや南部の都市の名で出しましょう」

「けっこう。ですが、公女様の署名は頂きます」


 フランシスカとヘルマンが、細かい点を詰めていく。目まぐるしく交わされる取引に、モノは目が点になった。


「まぁ、こんなものだろう」


 モノの戸惑いを察して、オットーが教えてくれた。


「現実問題として、フリューゲル家が率いる南部と、北部は、手を組まなければ始まらない。亜人学派と戦うとするならね。付帯的な条件は、事前折衝の範囲内だ。どちらが主導権を取るかという問題があったけれど、それも今、解決した」


 モノは重たい息を吐き出した。なんとか、前には進んだようだ。


(次は、皇帝……)


 一番偉い人とのことである。


「んに……」


 口を押さえたところで、部屋の扉がノックされる。


「人払いは」


 ヘルマンが尋ねた。ノックの音は、不躾なまでに激しい。


「心配は要りません。陛下の希望で、私が先触れを出させていただきました」


 ロッソウは微かに笑った。


「殿下、どうぞお入りになってください」


 殿下。

 あまり聞かないゲール語を、モノは変に思う。入ってきたのは、線の細い、金髪の少年だった。どことなく神経質そうで、失礼だが気の弱そうな感じもする。

 周囲を見回すふとした仕草に、モノは既視感を覚えた。


(どこかで……)


 手には、本を持っている。ようやく思い出した。


「図書館!」


 少年が、やっとモノの方へ気づいたようだ。あんぐりと口を開けて、ばさりと本を取り落とす。猫耳を見つけた顔は、蒼白だ。


「……誰?」


 囁くモノを、オットーがたしなめた。


「教えただろう。確かに、皇帝陛下に通じる方だが……これは、どういうことだ?」

「こ、皇帝に?」


 モノはようやく気付いた。『殿下』とは、貴人の子息などにも尊称として使われるゲール語だった。モノも家族も、何度か使われたことがある。

 そしてこの宮廷でただ『殿下』と呼ばれる人間は、限られる。ここは皇帝の居城なのだから。


王太子(、、、)だ」


 聖ゲール帝国、宮廷内における『殿下』とは――すなわち皇帝の子息のことだった。


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