4-12:シェーンブルク宮殿
――公女の猫耳にかけて!
そんな叫び声が、帝都に響き渡っていく。耳慣れない言葉に、窓から次々と人が顔を出していった。帝都は長い間、亜人を見たことがなかった。いつしか亜人への恐怖は、未知そのものに対する恐れになっていた。
ならば、亜人の方から歩み寄ればいい。
私達が、どんなものか。
フリューゲル家が配ったパンフレットが、強風で舞い上がり、まるで劇団の紙吹雪のようだった。
(この先が)
地図の上では、この先に宮廷へ通じる門があるはずだった。人が多くて、モノの身長では通りの先まで見通せない。それでも気配を感じるのは、初夏の風に乗って、さまざまな花の香りがするからだ。
(宮廷には、大きな庭があるんだよね)
前進する。
通行人も馬車も、驚いたように避けていく。モノの褐色肌と猫耳、そして水の動物達が道を作っていた。背後からは、まだ神官の怒声が追ってくる。
「いよいよだ、モノ」
小物入れから、オットーのネズミが鼻を出した。
「この先に……」
「ああ。皇帝陛下と、大臣達がいる」
頷き、モノは後ろを振り返った。
「ここまでで、大丈夫です!」
ついてきた人達は、面食らったようだ。数は、すでに数え切れないほどに膨れている。
急に行進を止めたので、どどど、とつんのめる勢いに、モノも巻き込まれそうになった。
「し、しかし」
「これから、宮廷になりますので」
尻餅から起き上がりつつ、モノは宣言する。猫耳を揺らして、ここまでついてきてくれた、水の動物を見渡した。
「みんなも、ありがとう。もう大丈夫!」
蛇、犬、鳥に馬。ありとあらゆる動物が、モノを見返した。
「お兄様」
「うん、さすがに宮廷は……やめた方がいいと思うな」
モノにも、亜人の象徴である精霊を宮廷にまで持ち込む気はなかった。宮廷にいるのは、神官や、保守的な貴族ばかりという。現状に不満があった市民とは、状況が違うのだ。
(慎重にいかないとね……)
モノが手を振ると、動物達は元の水に戻った。地面を駆けて、水路や、近くの井戸へと帰って行った。
「ほら、サンティも」
だが島の友達だけは、なかなか帰らない。水の虎は、モノを守るつもりでいるらしい。
「グウウ」
モノの精霊は、宮廷の方を不安げに見つめている。
あそこに行くのか、と問いたげだった。
「……大丈夫。お前はいい子だね」
そう言ってあげると、やっと彼も水に戻り、水路へと姿を消した。精霊もいつか、この街に受け容れてもらえることを、モノは願う。
亜人がいなくなるまでは、この土地にいたのだから。
「では、私は先触れとなりましょう」
鞍上で、ヘルマンが手綱を握り直す。行進をかき分けながら、宮廷へ向かって蹄を進ませていった。
そうして一段落すると、少しだけ待つ時間になる。
馬車の扉が開いた。法衣を揺らして、フランシスカが馬車から降りてきた。豊かな赤髪が、強い風になびく。
「見事でした。公女シモーネ・モノリス」
柔らかい笑み。モノは一緒に過ごす内に、姉には実にさまざまな笑顔があることに気づいていた。これは説法をする時の微笑である。
「帝都の信徒達へ、フランシスカ修道会からも、感謝を」
腕を広げて、腰を折る。それだけで、群衆がたちまち居住まいを正した。
「必ず、勇気には加護をもって報いられるでしょう。少なくとも私達は、あなた方を忘れません」
神官の多くは、亜人を差別している。一方で、亜人を差別しない派閥もきちんとある。その一つが、フランシスカの修道会だった。
説教が多くて忘れそうになるが、姉は姉で、とても徳高い、人気のある神官なのである。
奇跡は大勢のマナを束ねて行使する。人気がある神官はそれだけ強力な術を放つことができる。支持の強さが実力に直結するというわけだった。神官とは、形を持たない光の神に代わり神威を伝える、形であり、偶像なのである。
(私の精霊術も、ちょっとだけ似てるんだよね)
共感するということは、大勢の思いを自分の中に引き入れるということだ。神官は信仰という共通の基盤で、信徒達と思いを一つにする。
モノの精霊術が強力なのは、ずば抜けた共感能力で、神官のように周囲の思いを――マナを集めるからだ。少なくとも、オットーの指摘はそうだ。
精霊術は、普通は術師のマナだけでまかなう。モノはそれを大勢のマナでやるから、ひどく強力になるらしい。
「帝都の勇気に、感謝を」
フランシスカの声は、決して大きくはない。なのに、不思議なほどよく届く。
静寂に、モノははっとした。
「あ、ありがとうございます!」
慌てて礼を言う。猫耳が緊張で動いて、群衆が思わず後ずさりした。
(……あ)
モノはばつの悪さを感じ、しゅんとした。やはり、言葉や思いは理解できても、怖いものは怖いのだろう。
帝国にいれば、嫌でも理解する。神官から常に亜人の恐ろしさと汚らわしさを伝えられる。単純に、頭に生えた猫耳に、ぎょっとされることもある。
亜人への恐怖は、人が雷を恐れるような、生理的なものなのだ。
「……公女様。どうか、顔を上げてください」
沈黙を割って、一人の男性が口を開いた。立派な服装だが、よく見ると接ぎだらけだった。
「あなたのような方は、初めてでした」
彼は苦笑した。きっと演説をしていたような、中心人物なのだろう。四角いあごに、親方の風格があった。
「私は、貴族様に納めるピンを作っています。洋服を留めるあれです。生活は……まぁ、よくはありませんわな」
群衆の目が、モノを見つめた。モノのよく動く猫耳を。
「あなた方のことは、まだ、よく知りません。でもどうせ賭けるなら、目の前で声を張ってくれる人の方がいいです。そう思います。猫の耳がついていても、顔が見えて、声を聞ける相手なら」
別の人も、次々と声をあげる。
「パンフレットを読みました」
「亜人の食物とは、それほど荒れ地に強いのですか?」
次々と吹き出す、疑問、疑問、疑問。中には、懐疑的な顔もある。
褐色の頬に笑みを浮かべて、モノは応えた。
「はい! タネイモは長持ちするし、粉にするのは麦と同じです」
「ほう、麦と……」
「毒抜きしなきゃいけない種類も、ありますけどね」
「ど、毒?」
「毒と言ってもですね。ヤムイモには二種類あって、毒がある方が病気や虫には強いです」
作戦に、手ごたえを感じた。帝都で耳を傾けてくれた人がいることも、純粋に嬉しい。
「にに」
公女のおかしな笑い方に、人々は顔を見合わせ、なんともいえない苦笑となった。
「公女様」
ヘルマンが衛兵を引き連れて戻ってきた。
面会の意思は、宮廷から失われていないらしい。老戦士の顔つきと、連れてきた兵士の数に、モノはいよいよ山場が来たことを悟る。
「では、行きます」
「はい。光の神が、あなたの前途を照らしますように」
見送りの言葉を背に受けて、門の方へ向かう。公女が通るぞ、と誰かが声を張ってくれた。
宮廷は、鋼鉄の格子で囲われていた。大通りとの間には、水路がある。大きな門には、左右それぞれに太陽を象った装飾が施されていた。
「二つの太陽。つまり聖教府の二つ星を、宮廷に掲げているわけだ」
こんな時でもオットーの知識は休みがない。
宮廷の門扉が、ゆっくりと左右に開いていく。
――よくぞ、来た。
水路を渡る時、不意に冷たい風が吹き抜けた。一瞬で衣服を抜けて、心の奥の奥まで吹き抜けた。そんな風だった。
「……モノ?」
オットーに言われて、モノは我に返る。風を感じたのは、モノだけだったらしい。
「な、何でもありません」
橋を渡り、門を抜ける。出迎えたのは、壮麗な庭園だった。
門から伸びる石畳の道。左右を緑と花が飾っている。
都会の街並みを抜けてきたせいか、一気に空が広くなったように感じた。あるいは、庭園が街並みを押しのけているのかもしれない。
完全に手入れされた植物というものを、モノは初めて見た。生命力に溢れた島の森とは、違うタイプの美しさだ。それは調和による華やかさである。
「あれがシェーンブルク宮殿だ」
オットーに言われて、ようやく庭は主役ではなく、奥の建物の付属物に過ぎないことに気が付いた。
白亜の姿が、陽光に洗われている。きらきらと輝いて見えるのは、窓や屋根の装飾が、光を宿すからだろう。
「すごい」
ようやく首を回す余裕が生まれる。
左右対称の位置に、噴水が配されていた。運河があるように、帝都はとても水路が発達した街のようだ。帝都へ来るときに通った地下空間にさえ、ごうごうと流れる大河があったほどだ。
知らぬ間に止めていた息を吐く。
花の香り。噴水の音。感覚の全てが、ここが特別な場所なのだと告げていた。
「我々が、ご案内します」
ヘルマンが前に出なければ、モノはずっと見惚れていただろう。
「正面の大理石の間には、すでに貴族が詰めかけています。謁見場もそこですが、我々は車止めに馬車だけを残して、庭園を迂回する道順がよろしいかと存じます」
モノは慌てて頷いた。歩き出すと、人々の声援が見送ってくれた。
大変お待たせいたしました。
次話は3/11(日)に投稿予定です。




