1-5:神官マクシミリアン
広場とは、島の集落に最低一つは存在する集会所のような場所だった。裁判、祭り、神事はすべてここで行われる。平日は市場が立っていて、最も賑わう場所でもある。
モノはそこに向かった。まだ戦争は続いている。兄を名乗るネズミや、大陸の男性のことは気になるが、込み入った話は後回しだ。
(私が、鍵?)
でも、心はそうもいかない。
(ずっと放っておいたのに、今更……)
やがて人が増えてくる。モノの身長では、とても前に進めなくなる。
広場には村を突っ切る大通りが走っており、家も多い。おかげで近くの民家の人と、集まってきた人が一緒くたになって、進めないほど混みあっていた。
どうやら広場の中心、日時計の塔で誰かが演説しているらしい。分かるのはそれぐらいだった。演説の抑揚に合わせて、太鼓が鳴らされている。
「ちょ、ちょっと」
「ああ、邪魔だ! 他に行きな」
無理に通ろうとしても、蹴散らされてしまう。モノは近くの建物を見やった。赤土で作られた屋敷が、いくつかある。先ほどまでモノがいた、長の屋敷も近くにあるはずだ。
モノは他所の屋根を借りることにした。
(ま、しょうがないよね)
モノは大通りを外れ、建物の陰に入った。短剣で塀を抉る。赤土を固めたものなので、あっさりと足場が出来上がった。塀伝いに移動し、屋根に飛び乗ると、身を伏せて広場を覗き込んだ。
広場で演説しているのは、極彩色の仮面を被った男だった。老人だろう。けれど、声には力があった。装束も他の人間よりずっと豪華だ。
その周りには男達がずらりと控え、仮面で辺りを睥睨している。大通りのずっと先にも、極彩色の仮面が見えた。合わせた数は、百人ではきかないだろう。
「最初の実が落とされた時、誰が実を割り、種を取りだしたのか」
豪華な装束の男は、演説を続けた。
これはモノ達の神話だった。
最初に神様がいて、人間に作物を授けてくれた。だから世界に人が住めるようになった、というものだ。
神様の家にはたくさんの精霊が棲んでいる。島の住民にとっては、神様も、精霊も、家族のようなものだった。
「最初の実が落とされた時、誰が実を割り、種を取りだしたのか」
男は繰り返した。
モノは男の姿を見て、はっとした。白髪の中に、三角形の、灰色の耳が見える。腕にもびっしりと獣毛が生えているようだ。
(血が濃い、亜人だな)
獣の特徴を持つ人を、亜人と呼ぶ。
この島では珍しくない。モノも、オネもそうだ。だから魔の島と呼ばれるのだ。けれど、ここまではっきりと、動物の面影を残しているのは珍しい。
若い人になるほど、獣の特徴を失うらしい。
「我々の先祖は、実を自ら割った。だから、我らはここにいる」
太鼓の音が広場に響いた。
モノはやはり不安を感じてしまう。
さっきまでの戦いの気配は、なりを潜めていた。こんなにすぐ終わるのは、ちょっと考えられなかった。
それに、広場で演説しているのは誰だろう。敵だとしたら、なぜ誰も向かっていかない。
「おまえ達は違う」
演説している男は、装束を揺らして、広場の一人一人を指さした。モノはそこで、島の人々がうつむいていることに気がついた。
「実を割るのに、余所者の手を借りた」
余所者。モノは昔を思い出した。胸が締め付けられる。
かつては、よくそう言われた。
島の生まれではない。肌の色は似通っていても、モノの顔立ちには明らかに大陸の血が流れていた。
「おまえ達は、大陸の女を、集落に迎えた。そしてその力を借りて、田畑を増やし、魔獣を平らげた」
仮面の男は、明らかに糾弾していた。
(大陸の女?)
モノは眉をひそめる。まさか、本当にモノのことを言っているのだろうか。
「そして、狼の血を引く我々よりも、強くなった」
混乱しながらも、モノは一つのことを思い出していた。
極彩色の仮面は、別の一族の象徴だった。島では、モノの集落以外にも、幾つかの氏族が同じような集落を形成して暮らしている。
極彩色の仮面は、そうした別の一族の装束だった。
(確か、大昔に、戦いがあった)
その時、彼らは敗れた。慣習に従って、収穫の一部と奴隷が差し出されたのだ。
(あれは狼の民……白狼族だ)
島の奥深くに、高い塀を作って籠もっている一族だった。最低限の交易さえしないため、島でも不気味な存在だった。
なお、モノ達は『山猫の民』、ないしは『山猫族』と呼ばれている。
白狼族の男は続ける。被った仮面が広場中を見渡す。恐らくこの男が、白狼族の長なのだろう。
「おまえ達は、不当な方法で強くなった。実を割るのに、大陸の人間の手を借りた。だから、我々もそうした」
白狼族の長は、右手を掲げた。そこには青い布が巻かれている。
ドン、と太鼓が強く鳴った。
広場の中央に向かって、何かが引き出されてくる。一見して、何かの設備だと知れた。車輪付きの台座に乗った、大きな筒だ。黒々とした穴が、空を睨んでいる。
「これは驚いた」
驚いたのはモノの方だった。
いつの間にか、ネズミがモノの脇にいる。彼女の兄、オットーが遠くから操っているナナイロネズミという種類だ。紫色のトサカが、風に揺れていた。
「ど、どうして」
「済まない。家を出る直前に、服にしがみついたんだよ」
「なっ……ど、どこにっ?」
オットーは面倒な話題になるのを避けてか、さっさとモノの脇を抜けて、同じように下を覗き込む。
「静かに。あれは砲だ。それも、魔法を使う特別製だ。魔砲ってわけだ」
「え? マホウ?」
「撃つ気だ。耳を塞いだ方がいい」
仮面を被った男達が、大砲を操作した。轟音。地面が揺れた。
モノは乗っている屋根が崩れないかハラハラしたほどだ。
「家が」
広場にどよめきが満ちた。大砲は、一際大きな家を破壊していた。
破壊されたのは、長の家だった。家は一瞬で赤土の瓦礫と化している。真っ赤な火が、瓦礫の上で踊っていた。
「普通の大砲じゃない。弾と一緒に魔法を撃ち出す、特殊な大砲だ。威力もでかい」
「こんなの見たことない」
「そうだね。大陸でも珍しい。理論は完成しているんだけど、これだけのものを鋳込める工房がまだ不足していて」
「し、静かに」
モノはぎゅっと歯を食いしばった。
勝ち誇った声が、静まりかえった広場に響く。
「見ろ。外壁の外には、同じ兵器をすでに並べてある。抵抗が一度起こる度、一度撃つ。我らに向かって怒声を発しても、撃つ」
白狼族の長は続けた。
戦闘が急に終わった原因がはっきりした。外壁の外の密林に、同じ大砲をすでに配しているのだ。村の入り口から、かすかに白煙が立ち上っているのが見える。
モノの顔がさっと青ざめた。
情景が目に見えるようだ。開戦の時、戦闘は北東の正面門で行われただろう。そこに敵の攻撃が集中したら、どうなるだろう。村の戦士がどうなったのか、モノは気がかりだった。
モノは、周囲を確認してみた。北の高台に、似たような大砲がいくつもある。
(密林なのに。あんな重そうなもの、どうやって運んだんだろう)
家に打ち込まれた火は、まだ消えていない。オットーの言う通り、延焼させる何かを撃ち出しているのかもしれなかった。あんなものが村中に撃ち込まれるのを想像して、モノは恐ろしくなった。
「島の兄弟よ」
広場の人混みから、モノ達の長が出てきた。
細い目の間には、険しい皺が刻まれている。怒りで唇はふるえていた。けれど、物腰は恭しい。
私たちは負けたんだ、とふとモノは理解した。あんな武器を持ち出されては、勝てるわけがない。
「戦の話は分かった。抵抗はしない。皆にも、そう伝えよう。だが」
モノ達の長は、独特の話術で続けた。細い目は、じっと相手の仮面を見つめている。
「おまえは、まだ大事な話をしていない。重要な話ほど、後にしたくなるのは分かる。おとぎ話の子供は言ったそうだ。取引は、相手のためにあえて転ぶことだと。先に転ぶのが嫌なのだろう?」
白狼族の長は手を振った。
「分かっている。戦いの後の習わし、つまり、戦利品の話だろう」
モノは気が気ではなかった。村には、十年以上いる。でも小競り合いはあっても、集落に乗り込まれるような戦争は数えるほどしかない。おまけに、負けるのは初めてだった。
略奪。奴隷。何を命じられてもおかしくない。
(ど、どうしよう……!)
村の平穏は、完全に踏みにじられていた。
「それは、この者から説明しよう」
涼しげな金属音が鳴った。広場の奥の白狼族が、一斉に動いて、道を開けた。太鼓の音も止んで、広場が静まり返る。
誰かが歩いてくる。モノはその純白の装束に、目を奪われた。
「みなさま、ごきげんよう」
人物は両手をちょっとだけ広げて、腰を折った。
全身を包むローブに、背の高い帽子を被っている。巨体だ。顔つきも厳めしい。だが、目だけは柔和な弧を描いていた。
広場全体が、呆気にとられていた。
「マクシミリアンと申します。宣教師として、この狼の民の方々に、愛と秩序を説いております」
とつとつとした声なのだが、不思議とよく届いた。神官だ、と広場の誰かが囁く。
(神官?)
モノは記憶を辿る。大陸では、島とは違う教えが信じられているらしい。その教えを広めたり、教えに基づいて様々な儀式を行う人を、神官と呼ぶ。オネの教育のおかげで、そこまでの知識はあった。
純白の装束に、高い帽子。教えられた通りの格好だ。
「心配をしておりました。しかし、大事に至る前で、なによりでございました」
「何の話をしている?」
モノ達の長が訪ねた。焦らすような話術では、この神官もなかなかのものだ。
「もう、分かっておいででしょう」
マクシミリアンは悲しそうに首を振った。
「あなた方に、不穏な噂がありました。狼の民を、再び攻撃する。そしてこの島を平定した後には、大陸へも侵攻する予定、だと」
広場にざわめきが満ちた。
驚きと困惑。そして、怒り。
「言いがかりだ」
長が一族の全てを代弁した。
「そんなつもりはない。おまえ達は、どうやら悪霊の声を聞いたようだな」
「確かな情報です。悪霊などと」
マクシミリアンは、極彩色の仮面達と、目配せを交わした。
くぐもった笑い。思わず出て行って、声をあげたくなるくらい、嫌な笑い方だった。
「さて、とはいえ、もう争いの心配はありません。要求は、私から」
マクシミリアンは息を吸った。
「この村に、古い友人の血縁がおりまして。彼女を、このような危険な集落から引き取りたい」
モノははっとした。脇の下で、オットーのネズミも息を呑むのが感じられた。
「シモーネ・モノリス・フォン・デア・フリューゲル殿です! 彼女を、この集落から連れ帰らせていただきたい」
モノは気づくと、土の天井を思い切り掴んでいた。日差しが首筋に痛い。でも、体は冷え切っていた。
なんで、今?
なんで、私を?
答えのない疑問が、胸を覆い尽くす。
(お父様が、亡くなったから?)
すべては、あの文が発端なような気がした。
(放っておいてよ)
それがモノの偽らざる本音だった。
「出て行くな、モノリス」
ネズミは言った。
『モノ』という島での呼ばれ方は、本名の『モノリス』という部分を縮めたものだった。島で呼ばれやすい名前を、生家の母親が敢えて名前に混ぜたのだ。
「絶対にダメだ」
「ど、どうして」
「あいつは危ない。危険だ。君の力じゃ、どうしようもないんだ」
堪える言葉だった。今更指図されたことも、モノの癇に障った。背後に何があろうと、これはまだ、島の問題なのだ。
「どうした、早く娘を出せ!」
白狼族の長が、声を張った。大砲を見やり、肩を揺らす。
「出さねば、今度は人を壊すぞ?」
そう言って、白狼族の長は人混みから娘を連れ出した。モノも知っている子だった。さっき狩りの帰りに、モノと会ったばかりの友達だった。
乱暴な手つきで耳を掴まれ、目じりには涙が溜まっていた。
かっと胸が熱くなる。
(私がなんとかしなきゃ)
覚悟は決まった。ここで逃げたら、きっと絶対後悔する。モノは行動の女だった。
「モノリスは、私です!」
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