4-8:現地偵察
帝都では、少しずつ状況が変化していた。亜人学派による侵攻を、アクセル達が防いだという報が、モノ達に半日遅れで到着していた。
戦勝の報告は、まずは帝都での実績になる。宮廷に立ち向かい、援軍を派遣するために、貴重な一歩となっていた。
(お兄様、すごい!)
モノは、修道院のベッドから、天井を見上げていた。
身分を隠して、ひっそりと信徒になる者も受け入れるのが、修道院である。亜人の隠れ場所にはもってこいというわけだった。
とっくに寝る時間になっていた。でも、緊張と興奮のせいか、モノはなかなか眠ることができない。ぱっちりと目を開けたまま、コロコロと意味もなく寝返りを打ってばかりいる。
(ううん。お兄様だけじゃない。お姉様も、みんなみんな、すごいんだ)
モノは起きていたことの多さに、改めて驚かされた。
戦士を集めて、作戦を整えて、出撃する。その裏でずっと動いていたのは、大量のパンフレットを用意した、長女のイザベラだ。
みんなが、モノを宮廷へ押し上げるために動いてくれている。
(……私も、がんばらないと)
だとしたら、大事なのは体力だ。モノは目を閉じて、寝ようとする。
ドクン、と心臓が波打った。
(がんばるって……どうやって?)
その疑問が、心にへばりついていた。
(ええと、宮廷へ行って、皇帝とか、大臣とかと、話して……?)
またしても眠気は消えていた。
(……それだけで、いいのかな?)
作戦は、すべて家族が決めてくれた。後は、モノはその通りに動くだけでいい。それが家族からの、思いやりのはずだった。
難しいことの分からない、モノのための。
――あなたは、どんな公女になるのかしらね。
サザンで大鷹族のギギから受け取った疑問を思う。これにもまだ、答えを出せないままだ。
(早く、寝ないと)
目をぎゅっと閉じると、音だけの世界だった。
夜警の人の話し声や、鐘を衝く音、運河の流れる音が聞こえた。運河は遠くウォレス自治区まで繋がっており、輸入で得た高級な品物を、帝都まで運んでくるらしい。
全て、都会の音だった。きっとこの都市は、まだ眠ってはいないのだ。夜に耳を澄ますだけで、島娘の好奇心は刺激されてしまう。
またコロコロと、寝返りが始まった。
「モノリス」
暗い部屋に、聞き慣れた声がした。
「眠れないのかい」
オットーのネズミだった。兄はモノと同じ部屋にいて、万一の見張りを兼ねている。
モノとしても、彼が近くにいた方が、ありがたかった。
「気になるなら、やっぱり部屋を外そうか?」
「いえ……」
モノは、ベッドで背を向けたまま、兄に相談してみることにした。
「お兄様」
「うん?」
「私、明日には宮廷に行くんですよね?」
オットーは、ちょっと考えたようだ。
「なんとも、言えない。もちろん、必ず行く。でも早くて明後日だと思う」
「……そうですか」
「どうしたんだい?」
モノは、答えた。
「私、宮廷で、何をするのかな、て」
「それは」
オットーは戸惑ったようだ。
「皇帝陛下に面会して、アクセル兄さんへ援軍を出してもらうんだよ」
それはモノも知っている話だった。
「んに、えっと。そういうんじゃ、なくてですね」
モノは言いよどんだ。自分でも変な気持ちだった。不安でおぼれそうなくせに、予感のような、不思議な熱さが胸にある。
「私、もっと、いろんなコト、知らなくちゃって、思うんです」
耳を澄ますと、都会の音が聞こえる。これから、モノは帝都に訴えかける。でもモノは、帝都をまだきちんとは知らない。
モノは亜人だ。銀色の猫の耳があり、褐色の肌。
翡翠色の瞳をぱちくりとしばたたかせて、モノは兄を見つめる。
「知らないままじゃ、ダメだと思うんです」
「モノ」
「だってもう、公女なんですから」
オットーが息をのむ気配があった。モノは事実を口に出して、ようやく不安の正体を察した。
「宮廷に行くのが、嫌じゃないんです。私たちのこととか、話したいことも、伝えたいことも、あるんです。でも……」
モノはベッドの中でもぞもぞ動いて、オットーの方へ顔を出す。
「このままだと、うまく伝えられない気がして」
オットーはモノの言葉を、長い間待ってくれていた。ようやく歩き出した子供を、辛抱強く待ってくれるように。
「変ですか?」
「いや……」
オットーは首を振った。
「だとすれば、君はどうしたい?」
ようやく受け取った声は、優しかった。
「帝都を、もっと知りたいです」
ウォレス自治区や、サザンの時は、話はもっと単純だった。
目の前に敵がいた。彼らを助けることは、あまりにも当然の話だった。
でも、帝都はそうではない。帝都自体は、まだ襲われているわけではないのだから。
モノの胸には、伝えたいことがある。でもそれは、彼らに届く形で伝えなければならなかった。
(どうすれば、伝わるんだろう)
疑問点とは、このことだった。
「街に気になることがあるんだね?」
モノは頷いた。
「お姉様は、帝都を味方につけるといいました」
「う、うん」
「なら、この街のことを知らないと」
オットーは、密かに息をのんだ。
フランシスカは、確かにそう言った。だが帝都の住民は十万人を超える。味方につけるというのは、宮廷や貴族など、ごくごく限られた人を、民意をてこに味方につけるという意味だった。
一方で、モノは素直な意味にとっていた。
知らないゆえの、思い切りの良さかもしれない。本当に、フリューゲル家の活動を、帝都中に知らしめるつもりだった。
帝都中の人に、モノ達の言葉を聞いてもらいたかった。
「私たちの戦いで、帝都がどうなるか……それを知りたいんです」
モノは、やがて答えを見いだした。頭で考えても分からない時は、こうすると決めていた。
「……だから、街を見たい」
モノはぱっちりと目を開けた。暗がりの中で、猫の目がきらりとした。
◆
「はい?」
考えてみれば。それは案の上の、反応だった。
「公女シモーネ・モノリス? 失礼。あなた、今、なんと」
「街に出たいです」
モノが帝都に入った翌日の、朝だった。
書斎には、薬草茶の落ち着く香りが漂っている。
次女フランシスカは、豊かな赤い髪を後ろにまとめて、今日も宮廷貴族との手紙に打ち込むところだったようだ。
突然のお願いに、彼女は目を白黒させている。
(やっぱり、無茶だったかな?)
モノは、猫耳をぴこぴこ動かした。落ち着かない気持ちになると、まずはここが動いてしまう。
フランシスカは片眼がねを外した。
「……理由を聞かせてください。その様子だと」
フランシスカは、じとっとモノを見つめた。
今のモノは、すぐにでも外へ出て行ける服装だった。茶色のチュニックに、肌には白粉をはたいている。銀髪の上には帽子を乗せて、猫の耳を隠していた。
どこからどう見ても、普通の町娘である。
思い詰めた顔でそわそわと窓を見る町娘がいれば、の話だが。
「その様子では、決心は固いようですが」
「はい」
モノの手には、昨日フランシスカからもらったパンフレットがあった。
印刷という技術によって、同じものが何千枚も、すでに準備されているという。
内容は、モノのこれまでの道のりだ。
どこで演説をしたか。どこで戦ったか。そうした情報が載っており、フリューゲル家への支持を訴えている。
「今しかない、って思います」
「今?」
「私、帝都のことは何も知らないんです。建物の上で、ちょっと見ただけで」
モノは、続けた。
「だから、もっと知りたい。そうしたら、宮廷でもうまく話せるから」
モノは正直に話した。次女の瞳を、まっすぐに見つめる。
フランシスカは目を細める。
「なるほど。テオドールからはぐれたのも、その好奇心が原因ですか」
フランシスカはモノに背を向けた。書き物を再開するらしい。
だめか、とモノは口をもごもごさせる。
「公女シモーネ・モノリス。あなたは自分の立場を分かっていますか」
モノを身をすくませた。
「あなたをここに匿うだけで、私達に従ってくれる修道女、修道士、そして神官の二四名が危険にさらされています。おまけに、あなたはフリューゲル家、ひいては南部の主張の、今や要となっています。不要な危険は避けてもらいたいのです」
フランシスカの言葉に、モノは必死に食らいついた。
獣のしるしを持つ人――亜人が街を歩くことの危なさは、モノだって知っていた。帝都は、亜人を排除してきた国の、中心地なのだ。
「わ、分かってます。でも」
モノは言いよどんだ。
「このまま行っちゃ、だめだと思うんです」
それは、紛れもなくモノの実感だった。
「確かめたいんです」
モノの胸にあるのは、サザンを出る前の、大鷹族ギギとのやりとりだ。
公女になる決意は固めた。
でも、どんな公女になるか――つまり、何をしたいか。それはまだ、分からないままだった。
家族と一緒に人々を導いた先に、何があるのか。それをもっとしっかりと、知っておきたい。でなければ、モノのどんな言葉も、この街には響かない気がした。
「私達のやっていることが、本当にいいことだって」
「誤解をしないように」
フランシスカは言った。書き物の手が止まる。
「……別に、ダメだというわけではありません」
次女はモノに向き直った。
「責任を理解しているなら、あなたにとって、必要なことなのでしょう」
フランシスカはモノの肩口に目を向けた。
「とはいえ、公女シモーネ・モノリス。あなたは、私に相談する前に、誰かにこの話をしたのでは?」
ぎくり、とモノの肩で何かが強ばる気配がした。
フランシスカは苦笑する。
「ここで断ると、次はお兄様が出てきそうです」
「は、はい」
「ただし。危ないところには行かないように。この島の範囲なら……」
「……う」
「モノリス?」
「は、ハイ!」
ついに目をそらすモノに代わって、モノの豊かな銀髪をかき分けて、ネズミが顔を出した。
紫のトサカを揺らして、遠慮がちに告げる。
「実は、行きたい場所はね……」
フランシスカが目を丸くした。何かを言いかけるが、最後には同意してくれた。
モノが行きたがっていた場所とは、初日に少し覗いただけの、薄暗い町並みだ。そこは帝都の最も暗い場所――工場が集積する、運河沿いの貧民窟だった。




