4-7:公爵家、奮戦(長男)
「間に合ったか!」
フリューゲル公子、アクセルは馬を棹立ちにさせた。
白銀の鎧が、朝日にきらりと輝く。今日も剣を掲げ、炎を無駄に噴射して、指揮官の存在をこれ以上ないほどアピールしていた。
「閣下、危険です!」
追いついた部下達が、次々と具申した。
「ここは、騎兵向きではありません。何より、もう城壁もないではありませんか!」
アクセル達は、前方に突撃する亜人達を置いている。土煙は、百名を超えるだろう規模だった。丘を駆け下りたせいで、彼らには勢いもある。あと一分足らずで、突撃はアクセル達をも飲み込んでしまうだろう。
人数も、勢いも、敵が勝っていた。
「わかっておるわ!」
こうまで迫られては、アクセル達が騎兵として振る舞うのは難しい。
突撃しようにも、加速するだけの距離がない。城壁の外にあった街並みも、騎兵の展開を妨げる。
(城壁は、火薬で崩したようだな)
アクセルは、崩れた壁を振り返る。城壁の開口部は、馬車がすれ違えるほどの大きさだ。ここに拠点を作られては、もはやグラーツは陥落したも同然になってしまう。
「全員、下馬だぁ!」
訓練された動きで、騎士達は馬を降りた。城壁の前に騎士達が布陣する。
「城壁がないなら、我々が壁になればよいではないか!」
「で、ですが!」
前方からは、亜人達が迫っている。先頭を行くのは、極彩色の仮面だった。
この一人だけ、気迫が段違いだ。一人で、何百、何千人もの怨念を背負っているかのようだ。
「この人数で、あの敵を防ぐのですかっ?」
獣の速度で、亜人がアクセル達に迫ってくる。塀や屋根を乗り越えても、ほとんど速度が衰えない。突撃というよりも、もはや波濤だった。
「案ずるな。手は打ってある」
ぴぃ、と笛の音がした。亜人達の突撃が、中ほどで、弾ける。遅れて、わっと歓声があがった。
「大鷹族に先導させた、別動隊だ」
アクセルが言った。
「頃合いを見て、横から衝くように命じてあった」
アクセル自身を囮に使う策だった。
目の前に下馬した騎士を置く。城壁の穴を塞ぐ。当然の成り行きとして、敵は目の前の騎士に注目する。勝利にはやり、さらに速度をあげる。
そこを、騎兵が横からはねたのだ。
いくら亜人とはいえ、馬の胸板の前では跳ね飛ばされるしかない。亜人達の突撃は、騎兵の乱入に分断されていた。
「大鷹族が」
騎士達は、息を呑んだ。
亜人達の軍勢は、縦に長かった。市街の残骸が邪魔で、広く展開できないのは、彼らも同じだったのだ。
いわば、一本の槍として突進してきた敵に対し、アクセルはその槍を真ん中でへし折ってしまったのだ。
この突撃には、もう一つの効果もあった。
「大鷹族が……本当に、やってくれたのか」
突撃した中には、大鷹族の騎兵も見えた。そもそも彼らが案内してくれなければ、アクセル達はここまでたどり着けなかったろう。
公女モノリスは、彼らを信じてみようと言う。
現場の感覚としては、そんな単純なものではない。マクシミリアンの残酷なやり方に反目したというのは理解できても、騎士にとって、裏切りは裏切りなのだ。むしろ公女が言い出したからこそ、複雑な気持ちを抱く者もいる。
だが、大鷹族は自ら道案内を買って出た。こうして、かつての同胞に突撃を繰り出すこともしている。彼らは初めて、忠誠を実戦で示したのだ。
「大鷹族のギギは、どうした」
「は、はっ。そちらは、手はず通り、城壁の上に」
「そうか……精霊術師に、雑用をやらせてしまったな」
「はは。まぁ、せっかくグライダーも修理したことですし」
アクセルは目を細めた。
おお、と声がした。最前列の勢いが、萎えるわけではないらしい。極彩色の仮面が、アクセル達目がけて突っ込んでくる。
(あの仮面、どこかで見たような……)
思い出す時間などなかった。
「死ね、ゲール人!」
亜人達の叫びに、アクセルは大笑した。剣を抜くと、心の力――マナを帯びた血液が刀身に伝っていく。
豊かなマナは、貴族の証。
見る間にアクセルは、炎をまとう。
「踏ん張りどころだ。おのおの、掛け声を忘れるな」
◆
ラシャは短槍を振るった。
一合、二合。剣と槍が打合う。
ラシャが速さだとすれば、アクセルは重さだった。
一つ一つの動作に、惑わされない。ただ撃ち込まれているだけでも、猛烈な重さが耐え難い。炎を抜きにしても、強い相手だった。
「くそっ」
突撃を分断されたことで、人数の差はほとんどなくなっていた。ラシャを舌を巻く。
俺は焦っている。
でも、この騎士はどうだ。打ち込むほどに、広大な相手の懐に引き込まれていくようだ。年季の違いを肌で感じた。
「おお!」
一つ勝てるものがあるとすれば、向こう見ずな勢いだった。
ラシャは体勢が崩れるのを承知で、思い切り槍で打つ。二度、三度、倒れ込むように打ちまくると、敵の剣筋にほころびが生まれた。
かろうじて、ラシャは敵の切っ先を跳ね上げた。
が、これは仕掛けだった。
騎士は踏み込んできた。応じるのは、左側の拳。
鉄の拳は、金づちと変わらない。
槍で受けるのを諦めて、ラシャは上体を逸らして交わす。
ぶんと空恐ろしい音を立てて、鉄拳が空振りした。受けていたら、跳ね飛ばされていただろう。
「ラシャ、伏せろ!」
仲間の声がした。大柄の牙猪族だ。何かが、炎の騎士に投げつけられた。
次の瞬間、炎の花が咲いた。投げつけられたのは、発破用の油が詰まった壺だったらしい。
「自分の火で焼かれてしまえ!」
灼熱の雨に、アクセルがよろめいた。
その隙に、槍の石突で、相手を突く。が、ほとんど壁を打ったようなものだった。
手が痺れる。
慌てて退避した時、熱風がラシャの視界を洗う。足が空を切る。俺は掴まれたのか。
ぐわんぐわん響く大笑が、頭を揺らした。
「やるではないか! 今のは惜しかった!」
力任せに、ぶん投げられる。ぞっとするような迫力だった。兜の隙間から、ダークグリーンの瞳が見える。鎧の隙間から、血と油が混ざって零れていた。
「フリューゲル公子アクセルである! その方ら、我らをなんと心得る!」
まるで、火山だった。
「公女の猫耳にかけて! ここは通さんぞ!」
ラシャは目を見開いた。
「公女の、耳?」
「ラシャ、一旦逃げろ!」
仲間を集めて、建物の陰に退避した。
「ラシャ?」
アクセルの声が、聞こえてくる。次の言葉は、燃えるような怒りだった。
「出てこぉい! モノリスから聞いているぞ! 馬車にまで飛び込んできた、しつこい男だとなぁ!」
ひどく名誉を傷つけられた気がした。厄介な男を妹から追い払う、兄の顔が見えた。心外極まりなくて、げんなりした。
「ラシャ、まずいぜ」
「何を言う、もう少しだ……」
その時、奇妙な歓声が聞こえた。ラシャは眉をひそめる。
耳慣れないゲール語の掛け声が満ちていく。アクセルも、あの大声で同じ言葉を唱えているようだった。
亜人の聴覚に頼らずとも、歓声は空気の震えとなって伝わってくるほどだ。
「東からだ。増援が降りてくるんだよ!」
ラシャは残骸の陰から、東の軍勢を見上げた。土煙をあげながら、そちらからも馬が向かってくる。数は、アクセル達の比ではない。
ラシャは、血が出るほど歯を食いしばった。捨て身に見えて、アクセルはしっかりと遅滞戦闘の役目を果たしていた。
騎士を倒すことに捕らわれず、強引に駆け抜けていれば、一人二人は城壁の中に入れたかもしれない。
「……退くぞ」
ラシャ達はマクシミリアンが待つ本営へ引き返した。やはり、奇妙な号令は耳についた。
――公女の耳にかけて!
ゲール人は、突撃の勢い付けを掛け声で行う。今やその掛け声が、平原に満ちていた。
「公女の耳にかけて?」
その時、鳥の羽音が聞こえた気がした。空を見上げると、太陽の逆光の中に、大きな影があった。
訝しむラシャに、一枚の紙が落ちてくる。文字がびっしりと書き込まれた、パンフレットに近いものだった。
ゲール人が宣伝にこれを利用するのは、ラシャも知っていた。
問題は、中身だった。
右下に双頭の鷲の紋章を見つけて、ラシャは目を見張る。これはフリューゲル家のものだ。実際、ゲール語で亜人との共存を目指す文言が書かれており、公女の名前もある。
「なぜ、こんなものが」
空に鳥の影を確かめて、ラシャは悟った。
妙に直線的な翼。羽ばたきもせず、風の動きだけで飛んでいる。
「グライダーか……あれから、まいているのか」
紙は、空から大量にまき散らされていた。風に乗った紙が、次々と平原にまかれていく。そのせいで、戦いが一時的に中断していた。
(この風は……)
ラシャは、紙を運ぶ風に、精霊の気配を――大鷹族のギギの気配を感じた。大鷹族のギギは、風を操る精霊術師なのである。
彼女のグライダーに捕まってウォレス自治区を飛んだのが、もう昨日のことのようだった。
目つきの悪い娘に、読んでみろ、と言われた気がした。
紙には、公女モノリスの物語が書かれていた。紙の一番上には、アーチ形の飾りがある。そこからひょっこりと飛び出すのは、公女本人のものを思い出させる猫耳だ。思わず苦笑してしまう自分を見つけて、ラシャは驚く。
――公女の耳にかけて!
――公女の耳にかけて!
騎士の号令が、角笛の音や、進軍の太鼓に交じっていく。
「公女の、耳に……?」
ゲール人の家族と暮らす、猫耳の娘。まるでこの戦いの意味自体を、問うているかのようだ。
二つの種族は、決して、相いれない。片方を押しのけるのが、戦士の証だ。
ゲール人でもあり、亜人でもある娘は、ラシャが信じるそんな当たり前を問い返していた。ゲール人と亜人の家族は、確かに存在しているのだから。
ラシャが本営に戻ると、この紙はマクシミリアン神官の元にも届いていた。
「印刷によるものです」
マクシミリアン神官は、大柄な体を折り畳み式の椅子に載せていた。そのまま身を屈めて、手に持った紙を分析する。
「活版印刷の導入で、カネと人脈さえあれば、主張はいくらでもばらまけるようになりました」
いつもの柔和な笑顔は、略奪と移動の中でも微動だにしていない。
「彼らの長女イザベラが、活版印刷に投資をしていたと聞きます。以前から、帝都より南では紙の値段も上昇していた。この時のため、買い占めと準備に動いていたのでしょう」
公女を前面に出して、戦いのための布石は、すでに打たれていたのだ。草原に満ちる歓声さえ、まだほんの予感に過ぎなかった。
マクシミリアン神官だけは、柔和な笑顔を崩さず、次の手を考えているようだった。
◆
同じ日、一頭の伝令がグラーツを発した。早馬を引き継いで帝都へ急行したその伝令は、『公爵家奮戦』の報を伝えた。
それは、帝都の政局に少しの変化をもたらす。




