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亜人公女物語 ~猫耳の公女、モノリス~  作者: mafork(真安 一)『目覚まし』書籍化&コミカライズ!
第4章 帝都ヴィエナ

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4-6:罪悪の洗礼

 かつてない音が、大気を揺らしていた。

 土煙が爆発的に広がると、街を囲う城壁が揺れ、息絶えるように崩れていく。瓦解が一つ起こるごとに、歓声があがっていた。平原に展開するのは、褐色肌に、異民族の武装を施した亜人達だった。

 ここは、トレニア地方と呼ばれていた。

 帝都ヴィエナを北端とする肥沃(ひよく)な平原である。西の山間から流れるサーラ河、大陸をほぼ南北に縦断するホロヴィッツ川。二つの大河が、巨大な豊穣の地を形成していた。畑も放牧も盛んで、水車を活用した工業もある。水量豊富な河川は、実りの元手であると同時に、そのまま大都市への輸送路ともなるのだ。

 会戦は、そんなトレニアの南で起こっていた。


「戦士達よ!」


 勢いは、侵略者が勝っていた。三千の軍が城壁を前に布陣していた。

 夜明けの空は、少しずつ白み始めていた。平原はあちこちに朝もやを残して、都市の姿を際立たせている。


「天に満ち、地に満ち、声をあげよ! 狼の氏族よ、その通りに為せ! 山猫の氏族よ、その通りに為せ! 鷹よ、山犬よ、猪よ……我ら一体となって、燎原をのむ大蛇(おろち)となるのだ!」


 応じるように、また巨大な破砕音が轟く。

 爆ぜているのは、城壁だった。根元から揺らぐと、まるで積み木を崩すように分厚い壁が崩壊していく。

 街からは、緊急事態を告げる鐘が絶えない。耳を澄ませると、住人の悲鳴さえも聞き取れそうだ。トレニア地方の都市グラーツは、人口二万を超える大都市なのだった。

 壁の外にも、城外市としての暮らしがあった。だが、こちらはすでに略奪の憂き目に遭っていた。

 放棄された民家には、生活の残骸ともいえる家財道具が散乱している。命を絶った者も、少なくないはずだった。


「そろそろか」


 白狼族の亜人、ラシャは極彩色の仮面を確かめた。

 ざんばらの黒髪は、行軍の間に伸びたので後ろでまとめるようになっていた。

 短槍を携えて丘に戻ると、景色はまたしても一変していた。城壁のあちこちから、白い煙があがっている。今日中には、あの街も廃墟となるだろう。

 ラシャは、自分の陣地を点検して歩いた。

 丘の陰に隠れて、百五十名が突撃の命令を待っていた。これは全て、ラシャの配下として与えられた兵である。彼は早くも、別動隊の将となっていた。


「穴ぁ作らせたら、俺達が一番です」


 ラシャの傍に、大柄な男がやってきた。褐色の肌は、筋肉で膨らんで、はちきれそうだった。肩にはツルハシをかついでいる。


「夜のうちに掘り進めていたんです。連中は、俺らほどは夜目が利きませんからね」


 彼らは、牙猪(がい)族という氏族だった。大柄は、一族の特徴である。ラシャは彼らの手腕に舌を巻いていた。


「確かに、見事な穴掘りだった。城壁が爆ぜるまで、グラーツの街は気づきもしなかった」

「へへへ。神官殿には、どうぞよろしく」


 ラシャは頷いた。

 マクシミリアン神官に近しいという点が、おかしな権威として機能していた。そうでなければ、ラシャのような若者に従う者は少なかったろう。亜人の社会では大人だが、まだニ十歳にも満たないのだ。


「でも、すごいなぁ。あの炸裂する薬は、なんだい?」


 一方で、島から出てきた白狼族は、無邪気なものだった。

 城壁がまた崩れていく。土煙がぱっと上がって、朝もやに消えていった。

 ラシャは答えてやった。


「装薬だ。大砲に用いていた、薬剤のことだ」

「魔の島では、砲があったな」

「そうだ。魔の島では、あれを鉄の筒に入れて、重い球を撃ちだすのに使っていた。神官殿に言わせれば、こういう使い方もできるそうだ」


 それは、誰もが初めて経験する『発破(はっぱ)』だった。元々、城壁の下に穴を掘り、自重で崩落させる手段はよく知られていた。マクシミリアンは、穴の中で爆発を起こすことで、威力を高めていた。


(マクシミリアン殿は、ありとあらゆる亜人の氏族の間を、渡り歩いてきた)


 全てはそうして得た、広い知見の賜物なのだろう。ゲール人はこんな使い方を、思いつきもしなかったはずだ。


「降伏せよ――!」


 怒声が、また聞こえてきた。

 亜人の軍勢は、平原から声を張っている。そろそろ恐怖のあまり、街は内側から門を開くかもしれない。


「降伏せよ――!」


 ラシャはふと暗い気持ちに包まれる。

 これから起こるのは、略奪と、殺りくである。ラシャはこの街の運命を思った。これから異民族の支配がいかに悲惨か、身をもって体験することになるのだ。

 今更何を、とも思う。

 だが、戸惑いは拭い難い。

 ラシャは、土地を取り戻していくことは、もっと素晴らしいことだと考えていた。失ったものを取り戻す。当たり前のことだし、そうするべきだという信念もある。

 だがラシャは、進軍と略奪を繰り返すうちに、どこか満たされない自分を見つけていた。


(こんなことを思うべきではない)


 心揺らぐのは、ラシャに獣の耳がないからかもしれない。亜人は代々、獣のしるしを受け継ぐ。ラシャの父親は、獣毛も、獣耳も持つ、血が濃厚な亜人だった。

 しかし、ラシャが受け継いだのは、褐色の肌だけだった。

 獣毛も、獣の耳も、ラシャの体に入る前にどこかへ消えてしまった。

 目の前の獲物に、どこか昔の自分を重ねているのかもしれない。

 獣の耳がない亜人は、ラシャの集落では悪霊に憑かれた子供だった。虐げられた記憶が、相手にほんの少しの共感を覚えさせるのだ。獣の耳がないという点は、ラシャもまた、ゲール人と同じなのだから。


「待ちきれねぇよ」


 牙猪(がい)族は顔をほころばせた。もっと温厚な男だと思っていたが、大陸での略奪で、すっかり人柄が変わっていた。

 ラシャは首を振って、気を取り直す。短槍を握り、自分の気持ちを確かめた。


(俺は、戦士だ)


 土地を取り戻すべきなのだ。

 それは間違いない。

 これを機に叩き潰さなければ。心の弱さの、ほんの兆しであっても。


「ラシャ」


 仲間の白狼族が、報告を持って来た。ラシャにはない狼の耳が、黒髪の上からピンと立っていた。

 ラシャは意識して、彼の方を見ないようにした。


「まずいな、来てるぜ」

「確かか」

「ああ。南東からだ、軽く千人はいるな」


 行軍は順調だった。懸念があるとすれば、やはりフリューゲル家の動きだった。

 大貴族は、トレニア地方で唯一、大軍を派遣し、諸侯を統率する権威を持っていた。


(サザンを、少しでも攻めるべきだったのだ)


 サザンを発った軍勢が、じわりと南から圧力を加え始めていた。

 街を包囲しなかったのは、援軍に備える意味もある。街を囲えば、容易に軍を動かせない。


「槍や、鎧の輝きが遠くに見えたんだ」

「……千人か。だがそれは、少なく見てもだろう?」

「ああ、そうだ」


 慌てて動員したにしては、多い数だ。

 ラシャは鼻を鳴らしてみる。残念ながらこの軍勢と、朝もやでは、闇を見通す目も、鼻も、あまり役立ちそうにはない。

 そこまで考えて、ラシャは首を振った。


(俺の役目は、戦況を考えることではない)


 全体を見渡して陣を動かすような仕事は、もっと年長の亜人の仕事だった。ラシャの役目は、ただ一つ。城壁の穴に、この百五十名の亜人を解き放つことだった。


「準備を急がせろ」


 その時、ラシャにまた報告が来た。今度は、北に送った斥候からだった。


「ラシャ、敵だぜ」

「何?」

「馬がいる」


 ラシャは目を剥いた。動揺を表に出さない振る舞いは、いつの間にか身に着けていた。


「近い。地面が揺れたんだ。もう蹄の音も、聞こえたぜ」


 報告は、ラシャ達のすぐ北に、敵の騎兵が迫っているというものだった。極彩色の仮面の下で、ラシャは顔を歪めた。


「……騎兵を見逃したのか? その鼻は何のためだ? お前は昨日一晩中、略奪のために地面に鼻を突っ込んでいたのか?」

「違う、違う。いきなり、俺達のすぐ北に現れた。きっと、川を渡ってきたんだ」

「馬鹿な!」


 牙猪族が一喝した。


「ラシャ殿。見間違いだぜ。橋などないだろう? 流れも速いはずだ。馬が渡れるはずがない」

「橋か。いや、待て……」


 ラシャは、気づいた。亜人学派が常に利用してきた、水中に掛けられた橋ならある。それは彼らの協力者が、進軍に先立って予め用意しておくからだ。

 秘密の道によって、亜人学派は縦横無尽な行軍を可能にしていた。


(橋を見つけて、渡ってきたのか?)


 ラシャは思う。だが、果たして見つけられるだろうか。水の輝きに隠されて、日中はほとんど見えない橋なのだ。


(あれを見つけられるとしたら、特別な目が必要だ)


 それは、鳥の目だった。草原の遥か彼方や、水中の魚を見通すような、特別な目である。


(大鷹族か?)


 そんな気がした。ラシャの頭に、目つきの悪い精霊術師の顔が過ぎる。


「生きていたか」

「ラシャ?」


 仲間が不思議そうにしていた。ラシャは自分の顔が緩んだことに気づいた。


「いや、いい。騎兵は、どこへ消えた」

「都市の城壁と、丘の森を迂回してるのだと思う」


 ラシャは北を見た。だが朝もやが白々と輝くばかりで、何も見えない。

 発破で解体された城壁は、ラシャから見える範囲外に、二か所ある。そうした場所を、敵は騎兵の機動力で見回っているのかもしれない。


「地図を」

「ゲール語のやつしかないぜ」

「俺は読める。貸せ」


 別の手で、遠眼鏡を投げさせる。砦からの略奪品だった。

 やがて平原が息を吹き返したように、風が強くなり始めた。


「もやが、晴れるな」


 東のもやが吹き消えた時、ラシャは目を見開いた。


「これは」


 ゲール人の軍勢だった。

 武具の輝きが目に痛い。なだらかな丘の向こうから、続々と兵士が送り込まれてくる。千人ではきかないのは明らかだった。

 覗き込んだ望遠鏡の視界に、双頭の鷲の旗がはためいた。


「二千人はいる」


 徒歩の者が多い。おまけに鎧や武器も不揃いだ。それでも、驚異的な数だった。


「これほどの軍を、用意したのか」


 ラシャは瞬時に、北の騎兵も頭から追いやった。

 この百五十名は、いわば本隊から放たれた一本の矢なのである。決定的な不首尾がない以上、やはり城壁を目指すべきだ。


(なるべく早く、城壁の中に入らねば)


 最後の発破が、起こった。

 城壁が爆ぜて、一際大きい音を立てる。丘の上にいてさえ、地面が揺れるのが分かった。


「よし!」


 牙猪族が、顔をほころばせた。

 最大の爆発は、城壁を根元から崩していた。馬車がすれ違えそうな大穴が、城壁に穿たれている。この壁の向こうは大通りとなっているはずだ。入り込めば、城門へ一直線に向かうことができる。

 ラシャは声を張り上げた。


「聞こえたか!」


 応答を待って、ラシャは言った。


「あの穴を目指して、突撃する」


 丘の上から城壁までは、城外市の残骸が続いている。騎兵にとっては、やり辛い地形だ。塀や木の柵はまだ残されているし、狭い路地もある。

 半面、物陰が多いのは亜人に有利だ。


我らの父君に(ンナーイイ)!」


 ラシャは仲間に、突撃の号令を降した。丘を駆け下りて、発破で生み出した城壁の割れ目へ殺到する。だが不意に、置き去りにした丘から、馬蹄の音がした。

 上空を、鋭い音を立てて何かが飛び去っていく。慌てて目で追えば、それは一本の矢だった。

 丘から、今度は騎馬が駆け下りてきた。

 鎧の上に、赤い布を巻きつけている。特徴的な装束で、すぐに相手が知れた。


「ラシャ! 大鷹族だ!」


 丘の上から、ゲール人の騎兵伝統の角笛が聞こえる。音は平原に響き渡って、東の歩兵とも共鳴した。

 ラシャは歯を食いしばった。

 先ほどの矢には、覚えがあった。『鏑矢(かぶらや)』という矢先に笛を付けたものである。大鷹族が好んで使う。敵の方向や位置を、音で大まかに示すものだ。

 ラシャ達は、敵の騎兵に発見されたのだ。


「ラシャ、退くか? ゲール人の重装槍兵は厄介だぞ」

「いや、何も変わらない」


 丘を降る騎兵は、城外市の残骸に足止めされていた。残したままの塀や柵は、そのまま馬防の仕掛けとなる。


「号令は出した。後は戦士が、あの大穴へ向かえばいい!」


 ラシャは仮面を外した。狼そのものの遠吠えを放ち、仲間に突撃の継続を命じた。

 城壁から悲鳴が聞こえた。壁の向こうは、もう街だった。住民の顔が見えるようだ。極彩色の仮面が、ラシャに復讐を命じる。

 あと少し。

 その直前に、白銀の鎧が怒涛の勢いで前を塞いだ。城壁の穴を、馬に乗った騎士達が塞いでいく。

 揺らめいた炎に、ラシャは強敵の出現を察知した。

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