4-5:公爵家、奮戦(長女)
モノとフランシスカから一日遅れて、フリューゲル家のもう一人の家族もまた、帝都ヴィエナへ向かっていた。
ごうごうと水が鳴っている。イザベラは空恐ろしい気持ちになりながら、足を進めていく。
導くのは、頼りない青い光だった。三つの光がイザベラの前方にあり、持ち手の歩みにそって揺れていく。
足元を流れる川を思えば、いかにも頼りない先導者達だった。
(まったく、なんて道)
文句を押さえて進むと、男装のブーツが石を蹴ったようだ。石は少しだけ跳ねて、道を外れた。着水の音は、すぐに急流の音にかき消された。恐らくは足元を流れる川に、飲まれたのだろう。
イザベラは躓いた先の未来を想像し、背筋を寒くした。
「お気を付けを」
先導者が言った。
青い光が、褐色の肌を照らしている。頭からは丸い耳が生えて、油断なく辺りを警戒していた。闇に光る眼は、味方と知っていても恐ろしい。なるほど、怖がる人がいるのも道理だった。
「そうは言ってもね」
「落ちれば、流れに飲まれます」
「本当にモノはここを通ったの?」
亜人達は頷いた。
「公女様は、もう少し南側を通りました。そちらは、なだらかです」
「寄り道した私が悪いってことか」
イザベラは欠伸を忍んだ。
馬車で三日はかかる、帝都とサザンの距離である。イザベラはフランシスカ達よりも二日遅れて出発し、各領地を見舞いながら帝都に向かって北進した。欠伸が出るのは、隙あらば宿を取ろうとする御者を叱りつけて、夜通し進ませたからだった。
先にフランシスカが先行したのは、幸いだった。帝都に近づくと、神官はどんどん固陋になる。聖女とも呼ばれるフランシスカが神官を丸め込んだおかげで、イザベラもとりあえずは街道を利用できたのだ。
(帝都は、今、どうなっているかしらね)
五人兄妹は、サザンから別行動で動いていた。
フランシスカと、モノとオットーはすでに帝都で合流したはずである。恐らく事前に仕立てた作戦通り、コトを運んでいるはずだ。
「……あの紙に、それほどの力があるのですか?」
亜人達は訊ねた。イザベラは不敵に笑って見せる。
「あら? 信じてないの?」
「というより、想像ができないのです。何百、いや、何万枚もの紙が、帝国中に撒かれるなど」
イザベラは苦笑した。
「それが賭けってものじゃない。あなた達も、私も、もうモノに張ったのよ。今更、降りるなんて言わないで」
亜人達の表情は読めない。彼らは地鼠族の面々で、テオドールの仲間だった。
モノと同じように、イザベラを地下から帝都へと案内しているというわけだった。
「進みましょう」
先導が再開する。イザベラは先を進む青い光に、舌を巻く思いだった。
(街灯と同じ石よね。ウォレス自治区の)
街灯とは、ウォレス自治区に備えられていた、光る石である。心の力――マナに反応して光る石は自治区の路地に実験的に配されて、街の名物になっていた。
それが、この場所にも配されている。
(元々は、ここの技術ってこと?)
空恐ろしいものを感じた。
今まで享受してきた、ありとあらゆるもの。それが全て、歴史と先人のものというのは、当然のことではある。
しかしイザベラ達は、その『先人』が誰であるか、今まで知らなかったのだ。
(サザンにも、古い亜人の痕跡はあったけど)
サザンの遺跡は、湖の下だった。アルスター湖の下に沈められた遺跡は、モノの精霊術がなければずっと隠されたままだっただろう。
帝都の場合は、街の下に遺跡が隠れていたというわけだ。
亜人達は、こうして潜んでいたのだろう。水も空気もある。遺構が延々と続いているとすれば、広さも十分だ。灯りは、光る石で賄っているに違いない。
「……あなた達に、聞きたいことが山ほど出て来たわ」
「答えられることは、すでにテオドールからお答え申し上げているはずです。適宜、文でも報告があったと聞きました」
地鼠族の亜人達は応じた。
実際、フリューゲル家にはすでに様々な情報が集まっていた。サザンで過ごした間に、それらの情報はまとめて、分析され、家族で共有されている。
「この目で見ると、また違うのよ」
亜人達は沈黙して、先導を続けた。肯定と取って、イザベラは質問する。
「分かれ道があるけど、この先はどうなっているの?」
「別の氏族が管理する遺跡へ、繋がっています。地下でひっそりと生きているとはいえ、縄張りがきちんと決まっておりますので」
そこで、先導者は言葉を切った。明るい入り口が、ぼうっと闇の中に口を開けていた。
「さ、危ない道はここまでです」
新しい通路に入ると、道のりはずいぶんと楽になった。
道は平たくなり、歩きやすくなる。光る石は壁や天井に埋め込まれており、もう松明のように掲げる必要はなかった。
案内の亜人達は、棒の先の青い石に、丁寧な手つきで布を巻いた。
「木の年輪のようなものですな。帝都の真ん中に行くにしたがって、より歴史のある、重要な役割を担った氏族の縄張りになっていきます。我々地鼠族は、一番外側。つまり長いこと、聖教府や、他の氏族の使い走りだったわけです」
そう言って、彼らはからからと笑った。明るい所で見て、イザベラはようやく彼らが老人だと気づいた。肌は皺だらけで、髪の毛も白くなっている。
テオドールの部下と聞いていたため、もっと若いかと思っていた。
「……驚かれたでしょう。我々は、まだ四十です」
彼らは首を振った。笑うと、皺がまたさらに増えた。
「こんなところに暮らしていては、長生きもできません。いつまでも続けるべきじゃありません。せめて、一番若い、あのテオドールくらいは、広い世界で生きるべきだ」
イザベラは何か言おうとしたが、言葉が出なかった。
(本当に、この場所で暮らしているのね)
帝都の街並みの華麗さ、ものの豊かさを知っている分、彼らの暮らしは衝撃的だった。
「あなた達もよ」
おや、と案内者達は首を傾げた。
「テオドールだけじゃなくて、あなた達も、雇ってあげる。亜人と、ゲール人が暮らせるようになったらね」
「はは、これは素晴らしい!」
「テオドールからは、ちと吝嗇な方とお聞きしてましたがね」
イザベラは苦笑した。
「私はカネが好きなんじゃないの。増やすのが好きなのよ! 投資なら歓迎よ?」
一しきり、亜人達は笑った。皺だらけの顔が、眩しそうにイザベラを見ていた。
「ぜひ、お願いしたいものです」
一行はさらに進んだ。ここは通路のようになっているらしい。空気は清浄で、洞窟のように淀んだ感じはない。なんとなれば、石造りの貴族の屋敷の方が、空気が悪いくらいだった。
イザベラはやはり途中も、幾つもの分かれ道を見た。
(何?)
分かれ道の一つから、不意に風が吹き込んできた。イザベラの耳を、聞き慣れない旋律のようなものが撫でる。
通路は、無機質な青い光に照らされながら、どこまでも延々と続いていた。
この遺構が木の年輪のような形をしているならば、その道はさしずめ、年輪の中心へと繋がる道だった。
「木の年輪といったわね? じゃあ、この遺構の中心には、何があるの?」
さらに踏み込んで聞いてみた。
「偉大な精霊術師です」
イザベラは思い出した。
聖教府もまた、精霊術師を集めていた。これはテオドールからの情報だった。集められた彼らは、どこかで精霊術を行使している。それが、ウォレス自治区や、サザンを襲った、真っ黒に穢れた精霊を生んだのだ。
「聖教府に仕えているのね?」
「もちろんです。ずっと、ずっと、です。この暗闇の中心で、精霊術を使い続けていると聞いています」
「ずっと……」
イザベラは呻いた。
「ゲール人の奇跡は、強力です。ですが、彼らは使いすぎるのです。精霊術は、自然の力、いわば調律。例えば、『聖壁』であったり、雷を落とす『神罰』であったり、土地を改善するものであったり。これら偉大な奇跡が使われるということは、どこかで精霊術が使われ続けなければなりません」
道の向こうから、風が吹いてくる。なんだか空気が冷えた気がして、イザベラは身震いした。
「水の流れと同じです。ゲール人はマナを使います。ですが、いささか使い過ぎるのです。洗濯や鍛冶に水を使っても、水は汚れるだけで、消えるわけではないでしょう。誰かが汚れを除かないと、水は淀んで、穢れてしまいます」
イザベラは、マナが消費されることをイメージしようとした。
ゲール人はマナを使う。ただしマナは消えてしまうわけではない。商人同士の取引と同じだった。イザベラの懐から金貨が減っても、金貨が消滅するわけではない。金貨は別の商人の財布に移っただけだ。
亜人達は、ゲール人が金貨を使いすぎていると言っているのだ。
「これをきれいに説明するのは難しいです。恐らく、公女様であれば、感じているでしょう。ひょっとしたら、見たことさえあるかもしれませんね」
亜人達は分かれ道の先を見つめていた。
「私たちの、すぐ隣にある場所を」
イザベラは顎に手を当てた。じっと道の先を見つめる。ごうごうと風が鳴っているだけだった。
「この場所は、元々は亜人達にとっても重要な場所でした。精霊がやってくる場所と、近しいということです。歴史が証明しています。ゲール人は実際に南下して、この場所を分捕ったのですからね」
そう言って、亜人達は笑った。乾いた、虐げられた人たちの笑みだった。
「……行きましょう」
持ち前の強気で暗闇を裂きながら、長女もまた帝都へ仕事のために進む。頭の中では、ある仮説がずっと閃き続けていた。
(帝都の真ん中に? なら、それってやっぱり……)
帝都の中心には、皇帝のおわす宮廷が控えているはずだった。
イザベラは最後に、歩いてきた方を振り返る。帝都の南では、もう戦闘が始まっているだろう。
長男アクセルが、すでに軍を発しているはずだった。




