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亜人公女物語 ~猫耳の公女、モノリス~  作者: mafork(真安 一)『目覚まし』書籍化&コミカライズ!
第4章 帝都ヴィエナ

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4-4:帝都の黒星

 ひっそりと裏口から入ったモノ達に対して、姉のフランシスカは正反対の方法で帝都へ入った。馬車で堂々と、帝都の市門へ乗りつけたのである。

 自慢の弁舌を振りかざす、聖教府の聖女が相手では、城門を封鎖する民衆も道を開けるほかなかった。彼女は聖教府が集まる島に入ると、早速活動を開始していた。


「はぐれた?」


 聖堂の一室で、フランシスカは声をあげた。

 豊かな赤髪が肩から流れ落ちている。片眼鏡の下で、彼女は眉をひそめた。

 いつも被っている位階を示す帽子は、書き物のために除けられていた。同じように、ゆったりとした緑の外套も、今は壁に掛けられている。

 そのせいで、彼女本来の小柄と、割に女性的な起伏が露わになっていた。

 手には、まさに口に運びかけていた焼き菓子がある。脂肪はつきやすい方だったが、姉のように乗馬や狩りを趣味としているわけではない。太りそうな甘味は、いつも彼女の悩みの種だった。


「帝都の中までは、ご案内したのですが」

「失態ですね、テオドール」


 フランシスカは焼き菓子を口に含んで、言った。


「言葉もございません。ですが、まさかあの状況で、分かれ道をうろちょろするとは……」


 テオドールは苦々しく言う。白塗りで肌の地色を隠し、帽子で氏族の証の耳を隠しても、戸惑いと不満は抑え難いようだ。


「一応、我々の仲間が足跡を追っています。どうやら、大図書館の方に出たようです」

「そうですか」


 フランシスカは嘆息した。

 公女としての自覚を持ちつつある妹だが、かえってそれが弱点だった。気が緩んだ時、好奇心旺盛な島娘の地金が出てしまう。あるいは自分の知識の無さを知っている分、少しでもそれを補おうと、空回りして無駄な行動力を発揮してしまうのだ。


(私がしっかりしないと)


 紙とペンに向き直り、仕事を再開する。誘惑的な焼き菓子は、どけた。


「宮廷の協力者は、増えそうですか?」

「ヘルマン卿が今も探りを入れています。芳しくはないようです」

「マクシミリアン一派との、戦況は?」

「好転の兆しがあるようです。アクセル様が、南から追撃する形になっています」


 フランシスカは報告に応じながらも、手を止めない。有力者との間で取り交わす手紙は、私信と折衝が織り交ざった、複雑なものだ。それをいとも簡単に紙に起こしながら、まるで関係のない会話をこなす。

 尋常の頭脳ではない証だった。


「今上陛下のご様子は」

「お加減はあまり優れない、とお聞きしております」

「ふむ……」


 フランシスカは、薄い唇に指を添えた。深い思考へ潜ろうとしたところで、不意に階下が騒がしくなった。

 どうやら表で騒ぎがあったらしい。


「大聖堂の方からですね。恐らく、演説を止めようとしているのでしょう」


 騒ぎはしばらく続いた。

 廊下から足音が聞こえ、やがて部屋のドアが開かれる。入ってきたのは、でっぷりと太った男だった。位階を示す帽子と、緑の法衣を身に着けている。


「フランシスカ様、お客人が」


 そう言って、男は両腕を広げて腰を折った。声が震えているのは、フランシスカの聞き違いではないだろう。

 帝都における、獣のしるしを持つ人――亜人への嫌悪感は、他の都市の比ではない。上流階級にとって、それは生理的なものだった。


「屋根から降りてきたのを、係りの者が発見しました。は、肌が、その、白いのですが」

「それは化粧です。ご苦労でした」


 目の前にいるのは、長くフリューゲル家に味方をしてくれた神官だ。父からの遺言書によれば、もっとも篤い協力者とされた。それでも、実際に亜人の手引きをするとなると、この有様だ。

 帝都では、一事が万事この調子だ。

 フランシスカは、時間が空費されているのを自覚している。この時も着実に成果をあげているのは、進軍するマクシミリアン達だろう。


「テオドール」

「……神官が裏切らぬよう、見張らせましょう」


 神の家で陰謀を練ることに、少しばかりの自己嫌悪を感じる。だが、今回ばかりは割り切る他ない。

 仲間さえ信じられない帝都が、一つになり、敵に立ち向かう。改めて、困難に思えた。



     ◆



 モノが向かったのは、別通りの聖堂だった。荘厳な造りの三階建て。色とりどりのバラ窓に、帝都の気風を感じさせた。

 横にはすぐに運河が見える。フランシスカに従う神官が、この建物には詰めているという。組織は、『修道会』というらしい。フランシスカは十七歳でありながら、聖教府の中に一つの勢力を打ち立てた才媛なのだった。


「まずは、無事に着いたこと喜びましょう」


 フランシスカは書き物の手を止めて、モノへ振り返った。モノは旅の煤を落とすと、来客用の椅子に座らされていた。質素なように見えて、色合いが地味なだけで、彫刻などが驚くほど凝っている。

 派手なことは嫌い。ただし、質にはしっかりと拘る。次女の気質が、この建物にはみなぎっていた。


「ですが、案内人とはぐれたのは失態ですね」


 次女は片眼鏡を外す。翡翠(ひすい)色の瞳は、いつも以上に冷たい感じだ。

 同じ瞳の色で見つめられ、モノはそわそわした。帽子を外すと、銀の猫耳がせわしなく動き回る。


「……ご、ごめんなさい」

「あなたの一挙手一投足に、私たちの、ひいては領民の命がかかっています。ゆめゆめ、忘れないように」


 モノは身を竦めた。猫耳もぺたんと伏せて、完全降伏の構えである。

 叱るのは、いつの間にか姉の役割になっていた。フランシスカは、特に説教が長いのだ。

 ただ今回だけは、次女も長い話を控えた。


「地下はどうでした?」


 モノは頷いた。報告すべきことが、たくさんある。


「すごかったです。広くて、暗くて。どこかに川があって、風もすごい吹いてました」


 フランシスカは目元を抑えた。


「まったく。この戦いでは、私たちの常識はたやすくひっくり返りますね」


 モノ達が通ってきた秘密の通路とは、帝都の地下に広がる空間だった。城壁のあちこちに入り口があり、狭い通路を通っていくと、広々とした空間に出る。モノは迷路のようなそこを抜けて、帝都へ侵入したのだ。


「まさか、帝都の下にそのような場所があるとは」


 フランシスカは、ちらりと部屋の隅に目を向けた。陰と一体化したかのように、テオドールが控えている。

 オットーが防音の魔術を展開済みだった。真ん中に出てきてもいいと思うのだが、彼の警戒はいつも徹底していた。


「我々は、『祖先の穴』と呼んでいます」

「テオドール、あの先には何があるんです?」


 テオドールは首を振った。


「別の氏族が管理する穴へと、通じています。我々は帝都の下にある空間に、隠れ住んでいるというわけです」


 これで、帝国の中に潜む亜人の、隠れ場所がはっきりした。明かりとか、面積の問題があるが、それは独自のやり方で解決しているらしい。


(サザンにも、古い亜人の痕跡があったけど)


 考えて、モノは身震いした。帝都は、都市丸ごとをその痕跡の上に建ててしまったのだ。

 運河も、噴水も、図書館も。土を掘り返せば、その下に埋められた亜人の跡がある。地下にある遺構を伝って、今も昔も、亜人達が蠢いているというわけだった。

 帝都は歴史の闇を、そのまま足元に抱え込んでいるのだ。


「マクシミリアンの戦略に、一つ組み込む必要がありますね」

「え?」

「その通路を使えば、帝都へ忍び込むのは比較的容易ということです。なんとなれば、精鋭だけで帝都へ入ってくるかもしれません」


 モノは息を呑む。テオドールは、当然のように頷いた。


「それは、我々も危惧するところです。帝国の中の亜人が、マクシミリアンに協力しているのは、もはや明らかですから」

「確認ですが。テオドール、あなた方以外にも帝国に亜人はいるのですよね?」

「その通りです。ですが、正確な人数や、規模までは分かりかねます」


 亜人の氏族そのものだった。モノ達も、島ではそれぞれの氏族が分かれて棲んでいた。交易などがない限り、互いの情報が交わることはない。

 経緯を思えば、島の白狼族のように、排他的な氏族がいるのは当然だった。


「……聖教府の、黒い星というわけですか」

「フランシスカ」


 オットーがふと思い出したように言った。ネズミは二本足で立ち、手を広げる。


「ところで、『黒星』については何かわかったかい?」


 モノも思い出した。『黒星』とは、帝国の中に隠れ棲んできた亜人の紋章なのである。

 帝国は、表向き『異民族閉め出し令』という法律で、亜人を閉め出した。ただし実際は、精霊術師などを帝国の中に匿っていたのだ。

 こうして生まれたのが、テオドール達の祖先だ。

 亜人を追い出したはずの帝国で、細々と暮らす、いないはずの人々。

 彼らは独特のしるしを持っている。

 聖教府の白い二つ星に対する、黒い二つ星だ。モノ達はそれを『黒星』と呼んでいた。


「それについては、少しだけ」


 フランシスカは、部屋角に積まれた本を視線で示す。


「サザンから、聖教府の歴史を洗っていました。亜人達を発明や、裏仕事に利用していたのは、事実のようです」


 モノは、ウォレス自治区で襲ってきた騎兵隊のことを思い出した。


「今は、役割の一部はゲール人が担っています。『黒星騎兵隊(シュヴァルツ・ワルト)』のような組織を、本来の黒星の代わりにしたのでしょう」


 テオドールは顎を引いた。


「見事です。その通り、最近では代替わりをしております。亜人が減った穴を、ゲール人が埋めました。もっとも、彼ら自身は亜人の仕事を引き継いだとは、夢にも思っていないでしょうがね」


 テオドールは楽しげに笑った。

 モノは、ぎゅっと手を握った。


「表で、見ました」


 モノが言うと、フランシスカが目を丸くした。


「どこで?」

「演説を邪魔してました。亜人じゃないと思いますけど、しるしは黒い星です」

「……そうですか」


 フランシスカは何ごとか思案しているようだった。モノは怪訝に思うが、彼女をもってしても結論が出ないことらしい。

 ゆっくりと首を振ると、フランシスカは話を切り替えた。


「論争自体は、私たちにとってもいいことです。どうやら民衆の不満は、私たちが思っている以上に、強いのかもしれません」


 モノも同意する。それは書状だけではなくて、実際に帝都を歩いた肌感覚だった。

 色々なところで論争が起こっている。亜人は、悪い。亜人は、怖い。そういう固陋な考え方が一方にあるのは、本当だ。でも議論があるということは、反対の考えもあるということだ。


(その人達と、協力すれば)


 モノは思い描いてみる。

 帝都には、あまりよくない印象があった。味方になってくれそうな人がいるというのは、朗報だ。


「モノリス」


 フランシスカが言った。


「風向きが変わったのは、あなたの存在もあるのでしょう」

「……私の?」

「人々に亜人の食料を炊き出し、堂々と猫の耳を晒して演説する。そういう型破りな人物は、小気味良く映るものです」


 フランシスカは思案を続けていた。会話を続ける合間にも、何かを猛スピードで考えているのだ。


「でも、今更、別の案を考えている時間はない。帝都では、まずはロッソウ大臣の協力を取り付けるんだろう?」


 オットーがモノの肩から降りた。

 そもそも、モノ達を帝都へと呼びこんだのは、このロッソウ大臣だった。

 ただ、協力者として完全に信用するのは、難がある。一度、裏切っているからだ。元々はフリューゲル家の家臣だったらしい。だが、アクセル達に無実の罪を着せて、帝都へ拘禁したのも、そのロッソウ大臣だ。


「クレメンス・フォン・ロッソウ大臣。財務大臣であり、一流の政治家でもあります」


 テオドールが部屋の隅から補足した。


「同志も、調べています。ですが、少なくとも武力の用意はないようです」


 フランシスカは思案を続けたままだ。

 モノは訊ねた。


「何か、気になることがあるんですか?」

「いえ。今更考えても仕方がないことではあります」

「……サザンで、襲われたことですか?」


 次女フランシスカと長女イザベラは、サザンで襲撃を受けていた。


「そちらも、重要です。ちらつかせれば、相手を揺さぶることはできるでしょう。ですが、根本的に我々には交渉材料が少ない」


 フランシスカは続けた。モノは頷き、分かっているふりをした。


「…………?」

「よい機会ですから、整理しましょう。耳が動いていますよ」


 目が泳いだモノに、次女は指を立てた。


「いいですか? 私たちの最終的な目標は、帝都と和解し、亜人学派に対して帝都の軍を発してもらうこと。これに尽きます」

「は、はい」

「軍を発する号令をかけられるのは、皇帝陛下、ただ一人。公女シモーネ・モノリスはまずは皇帝陛下へ面会しなければなりません」


 モノは、手を膝に置いて行儀よく聞いていた。


「ロッソウ大臣は、面会を手引きすると申し出ています。もちろん、様々な条件を付けてくるでしょう」

「条件、ですか?」

「交換条件ということです。要は、色々とよくない条件を、皇帝への面会の前に呑まされそうということですよ」


 モノは呆れてしまった。

 でも、サザンや馬車の中で言い含められてきたことが、ようやく繋がり始めた。

 これが現実で、ある意味では当たり前の話だった。

 モノは、心の中では、真っ先に皇帝へ会えればいいと思っていた。だが、現実はそうではない。ありとあらゆる人が、宮廷の中で、少しでも得をしようと動いている。


「追加の関税。色々な特権。私たちの領地や、鉱山の権限。そういったものを、恐らくは交渉のテーブルに載せてくるでしょう」


 どれを呑み、どれを断るのか。

 フランシスカは、ロッソウ大臣との交渉の話をしているのだ。


「で、でも」

「もちろん、『異民族閉め出し令』の撤廃も。場合によっては、私たちが戦ってきたことが、全て骨抜きになるかもしれません」


 モノは身を乗り出した。


「そんなこと、やってる場合じゃ」

「だからこそ、です。私たちは、焦っています。そこを狙うというわけですね。今まさにマクシミリアンの脅威に面している、私たちの領民が人質というわけです」


 にに、とモノは腕を組む。なんか変な感じだった。


(それじゃ、なんで帝都に来たんだろう?)


 こういう難しいことの準備も含めて、イザベラやフランシスカが帝都と手紙のやりとりをしていると思っていたのだ。

 とても分からない。降参だった。


「……じゃ、どうするんです?」

「手は打ってあります」


 フランシスカは言った。


「噂が広がっているということは、あなたに関心を持つ人が多くいるということ」


 オットーが口を挟んだ。いつの間にか机に飛び移り、焼き菓子に鼻を鳴らしていた。


「まだ演説の数は少ないよ。神官が布告している方が、圧倒的に多い」

「それでも、変化は変化です。テオドール、お姉様は?」


 テオドールは少しだけ顔を引きつらせた。


「……すでにサザンを出ています。手配は全て、済んだようです」

「けっこう」


 フランシスカは積まれていた書類を繰った。ところどころに色紙が挟まれた書類の塔は、モノに島の地層を思わせた。が、整理がいいのかすぐに出てくる。


「これです。帝都で、ようやく完成品を見ることができました」


 フランシスカは机の紙をモノに見せた。それは、文字と絵が書かれた紙だった。隅には『双頭の鷲』――フリューゲル家の紋章が描かれている。

 題名を示す上段部には、アーチ形の半円がかかっていた。そしてそのアーチからは、三角形の猫耳がぴょんと飛び出している。固い文面の中で、その部分だけが目立っていた。


「こ、これって……」

「言ったでしょう。あなたの物語を、帝都に知らしめると」


 記してるのは、モノのこれまでの旅路だった。

 ウォレス自治区では、亜人とゲール人が同じ炊き出しを味わった。

 そこからの行軍には、かつて敵だった大鷹族が混じった。

 サザンでは、異常な嵐に対して、公女は家族と共に相対した。

 そして今、恐るべき速さで進軍する亜人達を、ゲール人と、亜人が必死に止めようとしている。

 これは、亜人の公女の物語だった。


「猫の耳は恐ろしい。その偏見を、私たちは実物(、、)でひっくり返すのです」


 奇しくもその時、聖教府の鐘が定時課を告げる鐘を鳴らした。響き渡る鐘の音に、猫の耳が反応する。

 ここは修道院だ。無数の人が祈りを口ずさむ声が、獣の耳に聞こえてくる。もちろん、通りからも。

 帝都の人々が次々と祈りを捧げるのを、精霊術師の、共感の感覚も伝えてきた。

 十万人。

 その人口が、ようやく肌が粟立つような実感となった。


(この街を、ひっくり返す……?)


 呆然としてしまう。


「下地はできています。後は、演出次第」


 フランシスカは定時課の祈りに添えるように、モノの額に触れた。無事と成功を祈る祝福の言葉が、モノの胸を満たす。


「妹の進む道を、光が照らしますように」


 迷いは、消えていた。


「は、はい!」


 モノは力強く応じる。鐘の余韻か、心臓が高鳴っていた。

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