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亜人公女物語 ~猫耳の公女、モノリス~  作者: mafork(真安 一)『目覚まし』書籍化&コミカライズ!
第4章 帝都ヴィエナ

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4-3:帝都ヴィエナ

 かぐわしいインクの香り。表とは隔絶した静けさが、ここが本を読む場所なのだと告げていた。

 時代がいくら変わっても、図書館は珍しい。活版印刷が始まっても、手写本が消えたわけではない。地下室にまでぎっしりと蔵書を詰め込めるのは、『税金』という無尽蔵の財源があるためだった。

 図書館に、ペンを走らせる音がする。上質な紙をペン先がこする音は、本来の静けさにさざ波を立てていた。

 今、もう一つの音がある。

 入り口の扉が開く。備えられた鈴が鳴り、新たな来訪者を報せた。羽ペンの擦過音は少しだけ途絶えるが、やがて思い出したように再び白紙を滑り始めた。


「まさか、こちらにいらっしゃったとは」


 臙脂(えんじ)色の絨毯を踏みしめて、来訪者は奥の書見台に近づいていく。


「同じものが、宮廷にあるはずですが」


 ここは、身分の高いものしか利用を許されない図書館だった。

 来訪したのは、老人だった。彼はため息を吐いて、首を振る。


「こっちの方が、静かでいいよ」


 応じる声は、若い。ペンを走らせているのは、少年だった。垂れた金髪が表情を隠している。


「しかし……議事にもご出席をいただきたく。なにせ、亜人に関わることなのです」

「亜人か」


 ペンを走らせる音が止まった。


「……私には、にわかには信じがたい」

「と、言いますと?」

「例の、亜人の貴族だよ。私は恐ろしい。亜人が、怖い。みんなそうじゃないのか?」


 少年は金色の髪をくしゃりと握った。大窓から取り入れられた陽光が、書見台の本を照らしている。


「ここを見てくれ」


 少年は開いていたページを示した。


「聖典だ。ウォレス自治区で、あの家の神官が言ったことは、どうも理にかなっている」

「はて。年のせいか、字が小さすぎますな」

「光の神は、闇を払ったと書いてある。でも、確かに、亜人がそうだとは書いていない」


 少年の指は別のページに移る。


「相続についての、文言もそうだ。神官の主張は、亜人は聖教で保護されない。しかるに、相続権もない。だがその理由を保証するのは、常に聖典であるはずだ。聖教は、女系にも不動産の相続権を認めたばかりだ。貴族と宮廷で、慣習をそう歪めてしまったんだ。亜人にも認めてはならないと、どうして言い切れるんだ?」


 少年は目元を押さえた。


「書いておくべきだったんだよ。亜人は、人じゃないって。文章にしておかないから、亜人の公女なんて出てくるんだ」

「それは」

「帝都に来るそうだ。亜人の、軍勢を連れて」


 老人は肩を揺らした。苦笑している。

 黒帽子を取って、白髪交じりの金髪を撫ぜた。老人が取った帽子には、役職を示す『天秤』の紋章があった。


「情報を混同しておりますな。亜人の公女も、亜人の軍勢も、確かに帝都に近づいています。ですが二つは、別のものですよ」


 老人は慎重に言葉を選んでいるようだ。ぎょろりと大きな目が、何度も少年の顔を見定める。


「むしろ、亜人の公女は現段階では味方といっていいくらいかと」

「だが」


 少年は言い募る。ばたばたと書見台の本をひっくり返し、一枚の紙を取り出した。


「亜人とは、これだろう?」


 それは聖教府が配布している、パンフレットだった。

 活版印刷ができて以降、最も多く刷られたものかもしれない。獣そのものの亜人が描かれ、武器を持ち、この国と戦った歴史が綴られていた。


「宮廷の誰に聞いても、情報は似たようなものだ、ロッソウ」


 少年は手元に視線を落とす。


「確かに。悪いことは全て亜人のせい……そういう風に考える貴族も多い」


 老人は静かに頷く。


「狭い世界は、居心地の良いものです」


 少年は書見台から顔を上げない。

 静寂が二人の間にやってくると、外から演説する声が聞こえてきた。亜人が帝都ヴィエナに迫っているという情報は、すでに街中に出回っている。


 ――帝都を守れ!

 ――いいや、打って出るべきだ!


 聖ゲール帝国の国境ともいうべき、『聖壁』が破られて二週間が経とうとしていた。

 混乱したのは数日だけだ。帝都では、元々、聖教府について論争があった。『九十九条の提言』に端を発する、南部と北部の確執の発端となった、そもそもの論争である。

 侵略者は、都市に新たなる議題を持ち込んだ。

 軍を発して、南部と協働して侵略者を討つべきだという意見も、民衆には根強い。だが宮廷は、沈黙したままだ。

 帝都の防御は強固だ。屈強な軍もある。沈黙を貫けば、帝都だけは救われるというのが、宮廷貴族の本音だったのだ。

 また、純軍事的に言っても、籠城には理があった。帝国へ侵入した亜人は、補給を略奪に頼っている。三千人の軍隊は、長く食えるものではない。フリューゲル家の領地を食い尽くせば、敵は干上がり、戦局が転換するという打算もあった。


「せめて、どなたかが号令を発すればよいのですが。大方針が決まれば、あとは小鳥のさえずりのようなものです」


 老人は少年に聞かせるように言った。


「でも、ロッソウ。軍を出すだろう? その隙に、もし亜人が、もしも帝都へ入ってきたら?」

「心配には及びません!」


 静けさを裂くように、鋭い声が飛んできた。図書館の中に、物々しい武具を持ちこんでいる者がいた。

 面頬(めんぽお)を上げた兜から、紅潮した頬が見えた。神官の男がべったりと後ろに張り付き、何度も頷いている。


「この聖ゲール帝国は、聖なる土地! 中でも帝都は、聖教府が本拠をおく場所です」


 彼らは息を吸った。


「ここに! 亜人は! いません!」


 その時、けたたましい音がした。本棚が何重もの壁になった先から、声が聞こえた。


「お静かに」

「んに、大丈夫です」


 妙な声だった。若い娘のような声色だ。

 少年達は、顔を見合わせる。


「ちょ、ちょっとびっくりして」

「びっくり?」

「いえ、その、えっと……ああ、棚が」


 なんともしどろもどろだ。図書館の静寂は、先ほどの騒動から破られ続けている。

 少年はペンを放り出した。


「ロッソウ、ここにいろ。他のものは、ついて参れ」


 少年はそう命じた。老人は深々と頭を下げる。

 数名を伴って、本が詰め込まれた壁を通り抜けていく。ここは帝国で最大の図書館だ。

 製本の甘い古い本から、必要に応じては石版まで、地下室まで設けて納めている。まさしく帝国が誇る英知の殿堂というわけだった。

 そんな場所で騒ぐのは、一種の冒涜であり、静けさへの侵略だった。


(どこからだ?)


 散らばった本を目星に、少年は本棚から顔を覗かせる。

 どうやら大きな音を立てたのは娘のようだ。建物の中だというのに、なぜか帽子を被っている。思えばそこも、ちぐはぐだった。


「おい」


 少女が顔を上げた。

 まず驚いたのが、大きな翡翠色の瞳だった。ほとんど宝石そのものに見えた。肌は、雪のように白い。唇は薄く、左右に大きかった。笑った時の可憐さを、自然と思わせる顔立ちだ。

 少年は、美しい顔には見慣れていた。でもこの少女は、何かが明らかに異なっている。

 北と南では、人の顔が違うという。この娘もそうなのかもしれない。


「す、すみません」


 少女は頭を下げる。ずり落ちそうになった帽子を必死に押さえると、慌しく背を向けた。出入り口の鈴がやかましく鳴り、最後にもう一度、静寂を壊していった。


「衛兵!」


 声を飛ばしたが、少年は不思議なことに気がついた。まるで透明な壁があるかのように、周囲の者達に声が伝わらない。(とも)は顔を見合わせるしかない。


「あの方向から、来たようですが」

「馬鹿な。あっちは地下室だぞ」

「調べさせますか」

「……いい、もう遅い」


 腑に落ちないものを抱えつつ、少年は書見台へ戻った。


「……いかがされました?」


 席に戻った少年に、老人は問いかける。


「いや、なんということはなかった」


 ただ、印象には残った。もやもやした不思議な気持ちを抱えて、少年は羽ペンを繰る。


「話を戻そう。父上は、本当に亜人に会うつもりかな」


 少年の父は、帝国で二つとない身分だった。父が人と会うことは、それだけで意味がある。

 交渉可能な相手として、国が承認するということだった。

 儀式の類だが、民衆に与える影響は大きい。相続や領地の問題など、この一事であっという間に解決してしまうだろう。


「さて」

「何か知らないか、ロッソウ。新しく集会が催されるらしいが」

「……存じませんな」


 政治家は含み笑いを漏らした。


「さて、殿下(、、)。ここも騒がしくなります。我々も宮廷に戻りましょう」




     ◆



「び、びっくりしました」


 図書館から、娘がまろびでてきた。

 彼女はまずは帽子を直す。ついでに手のひらに薄く水を張ると、鏡のようにして化粧を確認した。褐色肌を隠す白粉(おしろい)は、大丈夫そうである。


「まさか、あんなところへ出るなんて」

「モノ、だから危ないと言ったんだよ……」

「だって、テオドールも悪いんですよ。出口をちゃんと教えてくれないんですから!」


 ボルサという小物入れから、ネズミが黒々とした鼻を出した。

 往来がある通りだった。ここは、大陸で唯一、十万を超える人口を擁する大都市なのだった。


「お兄様も、お静かにね」

「君が言うのか? まったく」


 モノ達はそこでやっと、一息ついた。改めて、周囲をぐるりと見回す。

 あまりの建物の高さに、よろめていてしまいそうだった。おまけに、人の多いこと。誰も彼もが速足で、モノ達を避けて歩いていく。商人もいたし、神官もいる。モノは帽子をぎゅっと押さえて、呟いていた。


「ここが、帝都か」


 眩暈がしそうな大都会だった。

 あちこちで演説が行われていて、場所によっては地面にパンフレットの紙が散乱している。モノはオットーとの会話を切り上げると、速足で街を歩いた。


「まぁ、地上に出てきてしまったものは仕方がない。早めに、フランシスカと合流しよう」


 モノが帝都ヴィエナに入ったのは、特別な通路からだった。一緒に帝都入りする予定だった姉は、馬車で堂々と市門をくぐり、自前の建物でモノを待っているはずだ。


「はい!」


 とはいえ、道に迷う心配はなかった。見上げれば、目印とすべき白い尖塔が、常に見えていた。


「あれが、帝都の聖教府の尖塔だ」

「大きい……」

「宮廷に次いで、二番目に大きな建物だ。帝都は聖教府の中心地でもあるんだよ」


 モノは頷きながらも、初めて見る街の様子に目を奪われていた。

 露店では色とりどりのお菓子が売られている。亜人の鼻に、甘い匂いは強烈だ。綺麗な布を売っている人も、紙を広げて布告を出している人もいる。モノにとっては、仕事の見本市だった。


(すごい)


 本物の都市。本物の都会。

 モノの小さな好奇心は、洪水のように押し寄せる真新しさに、すっかり溺れていた。

 生家のあるサザンも大きな街ではあった。でも、帝都とは活気がまるで違う。


「はい、お嬢さんもどうだい?」


 そう言って声をかけられたのは、とんがり帽子を被った売り子の前だった。


「え?」

「試しにどうぞ」


 丁寧に断ろうとする前に、皿パンに乗った、冷たいお菓子を押し付けられてしまう。一口サイズだったのでそのまま食べる。


(つ、冷たい……!)


 冷たさと甘みが、口の中で弾けた。モノは往来の真ん中で、表情をとろけさせる。


「またどうぞ! 今度はご家族もご一緒に」


 目ざとい営業にも手をぶんぶん振り返し、モノは前進を再開した。


「いいところです」

「……果物の切れ端を、魔術で凍らせたものだな。まったく、最近の宮廷魔術師は、すぐに新しい商売を始めて困るよ」


 甘みを口に入れたせいか、モノは大分緊張が抜けてきた。そうして観察して、初めて分かることもある。

 馬車が行き交い、職人が声を張り上げる。活気とは、商いの豊かさなのだろう。帝都はまさに帝国の中心として、物資が流れる結節点なのだ。

 人の装いも、違っている。彩が豊かで、見ていて飽きない。

 サザンの街が質実を重視する大らかさであるとすれば、帝都は極彩色の華々しさだ。乾季の後の雨季といった具合で、都市には様々な服装が咲き乱れている。


「どれくらい、大きな街なんでしょう?」

「城壁は、ぐるっと街を一周してるよ。そうだな、端から端まで、歩いて半日くらいかな?」


 まるでイメージが湧かなかった。


「……ここの路地は、なんだか雰囲気が違いますね」

「裏路地だ。あまり行くと、貧民窟になるよ」


 確かに、雰囲気がその路地だけ変わっていた。水の気配があるため、恐らくはその先が運河になっているのだろうが。

 寒々しい街並みが、モノに城壁の外で起こっていることを思い出させた。


(なんで、帝都だけこんなに賑やかなんだろう?)


 南部にさえ、貧しい村というのはあった。目にもした。さらに言えば、今は南で戦争中なのだ。

 国中の富を、この都が吸い上げているとでもいうのだろうか。


「モノ?」


 呼びかけられて、モノははっとした。

 人の流れに沿って進むと、大きな橋に差し掛かる。いよいよ聖教府の尖塔が間近に迫ってきた。


「運河の中州に作られた島だ。ここは聖教府のためだけの小島と言っていい」

「え」


 モノは思わず声を出してしまった。


「じょ、城壁の中に、島があるの?」

「島と言っても、中洲の小島だけどね」

「は、はぁ……。はぁ~」


 オットーの解説に圧倒されながら、モノは純白の大聖堂に近づいていく。すると、喧噪が聞こえてきた。


(なんだろう?)


 もめ事のようだ。噴水の広場があって、人だかりができている。

 何かの集会かもしれない。

 じっと見つめていると、騒がしい理由が分かった。

 純白のローブを羽織った一団が、人だかりの周囲で声を張り上げている。演説に割り込むような形になっていて、おかげで勝手な議論が方々で巻き起こっていた。


「南部に援軍を出すとは、亜人に味方するということだぞ!」


 帽子の中の猫耳が、ぴくぴくと動く。こっちは、神官の怒声だった。


「でも、敵はすぐそこまで迫っているんだろう? 我々の暮らしはどうなるんだ!」


 反駁する声に、また耳を奪われる。言ったのは、商人らしい。

 そこからは、激しい言い合いだ。

 田舎者は途方に暮れる。彼らが大聖堂の入り口にいて、モノはどこから入っていいか分からない。


「おい、お前」


 唖然としていると、声をかけられた。

 三人の男が、腕を組んで立っていた。揃いのローブを身に着けて、服装を統一している。モノはそれが神官の装いであることを思い出した。

 でも、雰囲気は神官とはほど遠い。ローブもところどころ汚れて、ほつれて、荒々しい気配だ。


「親はどうした?」


 彼らは冷たい目をしている。オットーが舌打ちした。


「しまった。典型的な、お上りさんだったかな」

「余所者だぞ。念のため、帽子を奪え」


 彼らが動いた瞬間、モノは驚いた。翻ったローブには、目立つほど大きく、『黒い二つ星』が刻印されていたのだ。


(こ、黒星?)


 『黒星』の意味を思い出す暇もない。モノは慌てて逃げた。物陰に隠れて、壁に飛び移る。煤臭い煙突に足をかけると、勢いに任せて屋根まで上ってしまった。


(……今のは?)


 下を見ると、男達はモノを見失ったようだ。三人が顔を見合わせて、建物の陰を探し出している。亜人の身体能力など、思いもよらないのだろう。 

 彼らには、仲間がいるようだった。演説に割って入り、半ば強引に解散させていく。


「……神官? いや、自警団か?」


 オットーが呟いた。


「ジケイダン?」

「誰かが、そういうのを組織させたのかもしれない。気に食わない集会を、解散させるためにね」


 そう言えば、帝都へ通じる門は、固い警備が敷かれていた。

 だからこそモノは、裏口から入ってきたのである。

 モノは高い屋根の上から、帝都の様子を一望した。遠くから、白い煙が昇っている。運河の傍に工場があるのかもしれない。

 上から見る帝都も、なかなかのものだった。建物と建物が重なり合い、どこまでも続いている。陰になった暗がりは、故郷の密林や、天然の洞窟を思わせた。


「……サンティと一緒に、走れたらいいのに」

「ダメだよ」


 モノは唇を尖らせて、姉が待つ聖堂へと跳んだ。


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