4-2:大鷹族のギギ
「ギギ!」
モノは彼女の名前を呼んだ。目つきの鋭い娘は、ただでさえ固い眉間の皺を、いっそう固く結んでしまう。
兄妹達も顔を見合わせている。モノが前に回り込むと、彼女は目を逸らした。
「急にどうしたの? そういえば、姿を見なかったけど」
「斥候に出てたから。目がいい人が、足りないって」
「そ、そう」
「あれだけ疎開の列が長いなら、誰だって見逃しようがないけど」
彼女はそう言って、ようやくモノの方を向いた。何度見ても、気圧されるような迫力がある。
(や、やりすぎたかな)
二人の関係は、モノが親愛を示し、ギギが遠ざかるという微妙さを続けていた。
彼女の出身は、大鷹族。歳はモノの一つ下の、十四歳だ。亜人らしい褐色肌は、すっかり健康的な張りを取り戻している。黒髪は後ろにまとめて、鳥の尾羽のようだった。
それにしても、目つきがきつい。
ギギは『鷹顔』という氏族に独特の顔をしており、目つきが異様に鋭い。恐らく、彫刻家に彼女の顔を彫らせたら、最も大雑把なナイフしか使わないだろう。常にまなじりを上げたような、どこか怒ったような顔をしているのだ。
出会ってから、モノ達はまだ十日ほどしか経っていない。その間、ギギはひどく沈んでいた。モノはサザンの治水を直したり、姉達から宮廷の情勢を仕込まれる間を縫って、できるだけ彼女に会いに行った。
気にかけるのには、理由があった。
モノは、嵐の晩に彼女を助けようと決めた。
だが彼女は、己の半身を――精霊を失った。元気がないのは、疲れとか病ではなくて、寂しさのせいだと思っていた。助けた彼女に元気を戻すところまで、モノの責任だと思い詰めていた。
それに、モノ自身も同い年の亜人には興味があった。手持ち無沙汰の空回りを、ずいぶんと彼女には慰めてもらったものだ。
もちろん、最初は遠慮もあった。お互いに敵同士で、傷つけ合ったのも本当だ。フリューゲル家の中にも、彼女に思う所がある人がいるのも、なんとはなしに知っている。
でもモノは、いつか互いに、『友達』と呼べるようになればいいと思っていた。
とはいえ、さすがに今回はやり過ぎた。
「公女シモーネ・モノリス」
後ろから、フランシスカが釘を刺した。猫耳がピンと立ってしまう。
「立場をわきまえるべきかと。相手も困るでしょう?」
きついお叱りを受けてしまった。いきなり抱き着きにいったことだった。
モノは少しむっとしたが、やむなくギギから離れた。よろしい、とフランシスカは頷く。
「さて、大鷹族のギギ。あなたからの情報と、献身には感謝をしています」
フランシスカは静かに言った。
「身に余る言葉です。こちらこそ、公女の恩情に感謝を」
ギギが膝を折る。床に手を突こうとするので、モノは慌てた。
「そ、そこまでしなくても」
「これが正しいのです」
「フランシスカ、この場では固すぎるのではないか?」
アクセルも助け舟を出した。家族の中でも、ギギの立場は意見が分かれるところだった。
敵の捕虜として牢に繋ぐべきだ、という意見もあるにはある。モノの耳にも、それは入ってきていた。
「モノ、君にも多分、だんだん分かってくると思うけど……こういう問題は難しい。フランシスカの言葉も、正しい」
ネズミ姿のオットーが、モノに囁いた。
「僕も、彼女が信用できそうだというのは、同意するけどね」
アクセルが口を開いた。
「まぁ、立つといい。それで、大鷹族のギギよ。公女に頼みがあると聞いたが」
ギギはこくりと頷いた。鋭い目が、モノを見つめてくる。
(なんだろう)
モノは体を強張らせた。ギギの願いは、短かった。
「私に、命じて欲しい」
モノは目を瞬かせた。
「命じる?」
こくり、とギギは頷く。
「何を?」
「何でもいい。公女の言葉なら」
モノは首を傾げた。眼差しは、真摯だ。
「……牢に繋がれるなら、そうする。戦えというなら、戦う」
「どういうこと?」
「私たちは、そうする習わしのはず」
モノは気づいた。これは、モノ達のような亜人の慣習だった。
亜人は氏族という単位をつくって、まとまって暮らしている。戦いが終わると、戦利品や、償いの労働が命じられるのが常だった。
「戦いの後の取り決めが、まだということ?」
ギギは頷いた。
「私は、あなたに助けられた。何をして償うべきかは、公女に決めて欲しい」
「で、でも、私は」
「お願い」
ずいと迫られて、モノはちょっと考え込んでしまう。
モノは、いよいよ自分の立場が変わってきているのを、自覚せざるをえなかった。色々な書類にサインをすることも増えたし、演説をして以降、モノの存在が噂になっているのも知っている。
島から出てきてから、モノは重要な決断では流されるだけだった。でも、最近は自分で采配を振るうことも増えてきた。
モノはぎゅっと口を結んだ。
(ちゃんとやるって、決めたじゃない!)
モノは少しだけ悩む。最後は直感で、ギギに問い返した。
「あなたは、どうしたい?」
ギギは虚を突かれたようだ。モノは先を促すように、口の端だけで笑ってみる。姉達を見ての真似だったが、ギギの気は楽になったように思えた。
「……戦いたい」
「なっ」
フランシスカが慌てる。一方で、モノは思った。
(やっぱりだ)
彼女はしっかりしている。自分の意思が、きちんとある。モノに決めて欲しいと言いつつ、自分の肚を決めたからこそ、話を持ち出してきたのだ。
願いの内容も、彼女らしい。曲がったことが嫌いな質なのだ。戦いの償いは、戦いでやるというわけだ。
アクセルがまず反応した。
「なら我が職分だな。大鷹族のギギは、何ができる」
「目がいい。私たちの氏族の『鷹顔』は、目の力に優れます」
モノも聞いたことがあった。彼らの鷹顔という特徴は、伊達ではない。空を飛びながら地上の虫を見つける鳥のように、彼女達は遠くのものを見分けてしまう。
「ふむ……こちらにも亜人の目がいるとは、思っておった」
アクセルは頷き、獰猛な笑みを浮かべた。
「亜人学派というくらいだ。敵にも、亜人の協力者がいる。それも、隠れ上手な協力者がな。こちらに目がいい者がいれば、不足はない」
話は決まったようなものだった。
「なら、そうしてください。大鷹族の戦士が、すでに働いてくれています。改めて、紹介しましょう」
モノは席を立って、ギギの方へ向かった。戸惑うギギを制して、彼女の手を握った。
「……何を?」
モノは意識を集中させた。そしてゆっくりと、起き上がらせた。
公女の、獣の体の奥に秘められた、『精霊術師』の力を。
マナの気配を感じて、オットーのネズミが鼻をひくつかせる。
「モノ?」
「大丈夫です、お兄様」
精霊術とは、モノのような獣のしるしを持つ人の業だった。モノの猫耳は、動物と心を通わせられることの証だ。
『亜人』と呼ばれているのは、こうした人たちだ。そして亜人の中には、心を通わせた動物の魂を、『精霊』として働かせることができる人もいる。
それが、精霊術師だった。故郷の島では、イファ・ルグエと呼ばれている。
モノは生まれた島からの旅路で、様々な精霊を仲間にしてきた。
最初は、ずっと共にあった虎。その後は、鳥や馬、蛇など、今では色々な動物の心が、モノの中に棲んでいる。
(誰か、ギギを助けてあげられる?)
思いは波紋のように心へ広がった。
モノは、猫耳が鳥の羽音を捕えた気がした。一羽の鳥が、モノを離れて、大鷹族の娘に飛んでいく。
(よかった)
モノは安堵した。だが直後、寒々しい気配が体を撫でる。
――早く、来い。
まるで冷たい風が遠くから渡ってきて、モノに吹き付けたみたいだった。感じていた温かさが消し飛び、モノは窓と反対側の壁を見る。そちらは、北の方角だ。皇帝一族がおわす、聖教の中心地、帝都ヴィエナのある方だ。
寒い気配は一瞬だった。気づくと朝日の温かさが戻ってくる。目の前に、ギギの驚いた顔が現れていた。
「あ、あんた」
ギギが愕然とモノを見返した。
「な、何やってんのよ! あんたこそ、精霊が必要で……!」
あ、とギギが慌てた。アクセルは苦笑した。フランシスカが全ての努力が徒労に終わったとばかりに、天を仰いだ。オットーはちょっと目を丸くしていたが、やがて笑って許してくれた。
「ずっとこんな風に、話してくれればいいのに」
モノは小さく言って、唇を尖らせた。
「け、けじめは大事だ」
「ふーん」
とはいえ、フランシスカや、オットーが言っていたことも分かる。今は非常時だ。しばらくは、『公女』でいくのだ。
モノはわざとらしく咳払いし、態度を改めた。
「大鷹族のギギ。お兄様と、お姉様を守ってください」
ギギは鷹の顔を歪めた。笑みだった。
「鷹の目にかけて」
頷き、今度は祈りをこめて、ギギの手をぎゅっと握った。
熱いものが胸に込み上げてくる。
「無事でね」
「公女も」
ギギは、モノに囁いた。
「あなたは、どんな公女になるのかしらね」
別れ際の、何気ない言葉だった。それがモノの胸を不意に波打たせた。
これから何年も、何十年も、公女として生きていくとしたら。
モノはどんなことをするのだろう。それは、『何ができるか』という、島を出る時の問いの先にある疑問だった。
モノは自分が向き合わなければいけない、新しい問いに気が付いた。
(何を、したいんだろう?)
公女として、色々なことができるのは分かった。では、その上で、モノはどうしたいのか。
旅路でのさまざまな出来事が頭を過ぎる。
モノが変に思ったことも、力になれそうなことも、あった。でも理解はまだ曖昧で、漠然としている。兄妹のように確たる戦略とか、政策があるとはいえない。
モノが自分の意思で提案したものといえば、ウォレス自治区で、亜人の食料を料理し、炊き出しをしたくらいである。
「帝都へ、行くんでしょう。皇帝や、貴族に会うために」
「う、うん……」
心を映して、耳が揺れる。
思考に落ちそうになったところで、モノの猫耳が反応した。眉をひそめる。天井から微かな足音が聞こえた気がしたのだ。
(ネズミかな?)
人は気にしない音を、猫耳の聴覚が拾ってしまうことは、珍しいことではない。だがこれは、長兄のアクセルにも聞こえたらしい。
モノと兄は視線を交わす。
アクセルは腰にはいていた剣を手に取る。巨体で、ゆっくりと部屋の中を歩いた。オットーのネズミも、天井裏の物音には気づいているようだ。
「曲者が!」
アクセルが、握った剣で天井を突き上げた。すると、天井の板が外れて落ちてくる。長兄は、板を真っ二つに切り裂いた。
落ちて来たのは、それだけではない。土煙と共に、人影が天井の穴から降ってきたのだ。
「ははは! この前の刺客から、音が鳴るように天井を改造しておいたのだ!」
「な、な、なな」
慌てるフランシスカ。目の前の荒事には、意外と弱いところがある。
モノはすぐに気づいた。誰よりも先に、声を張った。
「て、テオドール! み、みんな、味方です!」
土煙が、しばらくの間蠢いていた。やがてそれが晴れると、白い、女性じみた顔がぬうっと現れた。
煙が晴れた時には、細い目は歪んで笑いかけていた。
「公女様、お久しぶりでございます」
フランシスカとアクセルは、顔を見合わせている。二人にはこれが初対面だった。
「……どうして、天井の裏に」
「火急の要件なのです。多少は無礼でしょうが、サロンの前に並ぶ時間も惜しかったので」
まさに、ネズミの氏族だった。モノは帽子の中身と、白粉を塗った顔の、本当の色を思う。
テオドールは、フリューゲル家の協力者だった。今では正式に取決めをして、密偵の役割を担っている。
「足場のおかげで、捗りました」
三階の修理のため、屋敷には足場が組まれていた。大きな屋敷だし、三階と二階のどこかに、隙間が設けられているのかもしれない。彼は、そこに忍び込んでいたのだ。
「イザベラ様に報告が」
「今、帝都に向けて手紙を書いてます。邪魔するとすごいですよ」
モノは、指で目の端を吊り上げた。
この場にいない姉、イザベラは長い長い手紙に取り組んでいる。姉は姉で、別のところに手紙を出しているようなのだ。
「ここで、私が聞いてもいいですか?」
テオドールはギギがいるのを見て、少し迷ったようだ。
でも、ギギは精霊術師だ。テオドールが最初にまとっていた空気を見て、敏感に事実を察したらしい。
聖ゲール帝国は、モノ達のような『亜人』を国土から閉め出している。だとすれば、彼はさしずめいないはずの人だった。
「帝都ヴィエナに入るのは、急がれた方がいいかもしれません」
テオドールの言葉に、モノは怪訝な顔をした。
「まだ実行に移されてはいませんが、亜人を帝都に入れないよう、市門を封鎖しようとする動きがあります」
これには家族も驚いた。
何より目を見張っていたのは、宮廷と文のやりとりをしていたフランシスカだ。
「……どの情報です?」
「我々の仲間は、帝都中に散っています。そこから、とてもとても強硬な手段に出そうな人がいるという、情報が。市に入るだけで騒ぎを起こしたくないのであれば、速やかに、そしてできれば静かに入るのが重要かと」
モノは言った。
「何か案があるんですね?」
「戻ったのは他でもありません」
キキ、とテオドールは笑った。
「出発前に、間に合ってよかった。公女様には、我々の裏口を使っていただきたいと思います」
そう言って、テオドールは深く礼をした。
(いったい、何が起こっているんだろう?)
モノ達を、皇帝や宮廷へ手引きする人もいれば、逆に街に入れないようにする人もいる。おまけに、すぐ南がこれだけ荒れているというのに、助けてもくれない。
大臣に、貴族、そして皇帝一族。
彼らをこの目で見てやろうという意気込みが、モノの中でむくむくと膨らんできた。
「宮廷か」
オットーが、ぽつりと呟いた。改めて思い出すと、兄は宮廷魔術師だった。




