1-4:襲撃(後編)
「ったく。不作法者どもは、帰ったようだねぇ」
奥の部屋から、オネが顔を出した。
彼女は夕日色の衣装を着た、背の高い女性だ。歳は三十過ぎに見えるが、実際はもう二回り上である。褐色の肌に、彫りが深い美貌。頭には緑色の布を巻いて、額から上を隠していた。
「よ、よかった」
無事な姿に、涙が滲んだ。力が抜けたせいで、猫耳がへたった。
「大丈夫? 怪我ない?」
「大袈裟な子だ。平気だよ。お前を出せってあんまりしつこいから、服を燃やしてやったさ」
オネの周囲には、数匹の赤い蝶が舞っていた。蝶は火の粉を鱗粉のように落しながら飛んでいる。
火でできた蝶。
それが、オネの操る精霊だった。
島にはこうした秘術がある。
学問としては、精霊術、と呼ばれているらしい。精霊を操り、火や水を自在に操るのだ。オネは火の精霊術士として、火でできた蝶を使役する。
「お前は、大丈夫そうだね」
「はい!」
「……まったく、また短剣を振り回したんだね」
オネは苦笑した。
「もう敵はいないんだろう?」
「は、はい。外に気配はありませんでした」
「ま、それはよかった。怪我人がいるところで怪我人を増やされちゃ、医者の数が足りない」
モノは、一番奥の寝台で眠る男に気が付いた。さっき滝壺から救出した男だった。
まだ目覚める様子はない。
「その人は、大丈夫でしたか?」
そこでモノは思い出す。
長は「家族が迎えにくる」と言ってくれた。
(この人が、家族かな?)
色白の、大陸系の顔立ちだ。けれど、あまりモノには似ていない。
年は四十近いだろう。がっしりした顎を、立派な髭が覆っていた。隊長とか、先生とか、とにかく立派な役職のような気がする。
「もう容態は安定してる」
「やっぱり、毒?」
モノは竈を見やった。
オネの精霊、火の蝶が竈に戻っては、火と同化し、火勢を強めさせていた。
床には大きな葉が置かれている。皿代わりだ。その上で、赤い木の実に、キジ根の樹脂、そしてヤラッパ根の粉末が煎じられるのを待っていた。
(大丈夫そうだ)
いずれも体内の毒を吐かせたり、緩和したりするものだった。
オネは優れた医術者でもあった。オネから教育を受けたモノも、大体の薬なら分かる。
「ああ。荒事の心得がある。毒でやられた腕を、自分で縛って、傷口をえぐって、手当してあった」
「うえ。そ、そうですか」
「もう心配ない。悪いもんは出た。じきに話もできるよ」
モノはほっとした。戦いに戻る前に、男の顔をもう一度のぞき込む。
その時、彼の目がちょっとだけ開いた。モノも、オネも、驚いた。
男は薄目を開けて、モノを見つめる。やがて、その目がまん丸に見開かれた。
「あなたは」
かすれた声の後、男は何度も咳き込んだ。
立ち上がろうとして、猛烈に顔をしかめる。傷でえぐれた右腕を使おうとしたからだろう。
「よく、似ておられる」
モノは、はっとした。男はモノを見て、誰かに似ていると言ったのだ。
「ここは、村ですか」
「ああ、そうだ。あんたらの言葉で言う、魔の島の集落だよ」
「そう、ですか」
男は息を吐いた。窮地を脱したことには気づいているようだった。
胸がざわざわした。聞きたいことが次々にやってくる。
「あなたは? ど、どうしてあの滝に?」
「私は、この島に、言づてを届けに参りました。そのお方は、まだ小さい頃に、大陸からこの島に預けられた方で」
言いながら、男は懐からペンダントを取り出した。双頭の鷲が彫り込まれた、見事な逸品だった。明らかに生家の家紋。
男はある種の確信を込めて、モノを見つめていた。
大陸から、小さいころ、この島に預けられた子供。そんな存在が、他にいるはずはない。
「それ……私です」
モノは、自分の胸に手を当てた。
男は目を細めた。きっと薄々、そうだと思っていたのだろう。
オネが背中をさすり、彼を寝台に戻す。
「申し訳ありません。腕に、矢を受けて」
「では、やったのは人だったのですか?」
「……はい。仮面で、顔は見えませんでしたが」
今、襲ってきた者達と同じだ。
「申し訳ありません。私は、あくまでも、言づての運び屋。後の話は、あなたのご家族から、直接お聞きください」
「か、家族?」
モノは訝った。話からして、この男性はモノの家族ではないのだろう。
けれど、モノが滝壺で見つけたのは、この男性だけだ。
(まさか)
不吉な想像がよぎった。
他の人を、モノは見落としたのだろうか。
(どこかで、死んで……野獣の餌に)
モノは顔を曇らせる。男は、髭面で笑った。
「ご心配なく。あなたのお兄様は、すぐ、あちらにおられます」
男は目線で部屋の隅を示した。動物の革や骨で作られた棚の上に、薬の材料や、混ぜ合わせるための器具が置かれている。村や、患者本人から送られた、香木製の引き出しもあった。
(あちらって……)
なにもいない、とモノは思った。
けれど、それは違った。棚の下から、小さな生き物が這い出てくる。
灰色の体毛。小さな、黒目。四本足で這ってから、後ろ足だけで立ち上がった。ただし、立っても高さは手のひらくらい。
「ね、ネズミ?」
オネがつぶやく。ネズミは鼻を鳴らした。
「やぁ、その、仰るとおりです」
ネズミは、そう言った。慌てた調子で付け加える。
「ナナイロネズミは初めてですか? いや、混乱させて申し訳ない」
モノとオネは顔を見合わせた。
ネズミが、見事なお辞儀をしてみせたのだ。
ちらりと、寝台の男性を見やる。彼はすでに気を失っていた。この異様なネズミに対する解説は望めそうにない。
「あの、ネズミ、だよね」
オネが言うと、ネズミは頷いた。三角形の頭を、真下に振るような具合だが。
「ナナイロネズミ。必ず七つ子で産まれる、特殊なネズミでね。一度に数がそろうから、色々と便利なんだ」
七色、とモノは考えてみた。
確かによく見ると、ネズミにはトサカがあった。トサカは紫色で、額から背中まで、背びれみたいに渡っていた。
「特に、魔術師が使い魔にする時には」
「使い魔?」
モノは繰り返した。さっきから、木霊みたいに同じ言葉を返してばかりだった。
「あ、そこからか。うーん、参ったな」
ネズミは短い腕を精一杯に寄せ合わせて、腕を組んだ。
「君らは、精霊術士。この島の言葉では、イファ・ルグエ。そうだろう?」
モノは頷いた。
「大陸には、それの親戚みたいなのがあってね。似たようなもんだ。心の力を……大陸では魔力、ないしマナというのだけど、それを使って、ちょっとした不思議を起こすわけだ。魔力を使う。だから魔術。分かりやすいだろ? 神官になると、もう少し高等な術を使うけど」
ぎゅぎゅうっと、オネに頬をつねられた。
「な、何するんですかっ」
「……夢じゃないようだね」
ようやくネズミの講釈が終わった。
「ふぅ。まぁ、とにかく、このネズミは、僕が遠くから操ってるんだ。君のような、不思議な術を使ってね。つまり、僕はこのネズミを操って、君の前に送って、おしゃべりをしているわけ。このナナイロネズミは操り人形で、後ろに糸を持った男が一人いると思ってほしい」
モノは、頭がくらくらしてくるのを感じた。
次から次へと、よく分からないことばかり起こっている。
「あなたは、何なんです?」
ついに、モノはそう尋ねた。
ネズミは前足を何度か合わせた。拍手のつもりかもしれない。
「そうだ、それを名乗ればよかった。僕は、オットー。オットー・フォン・デア・フリューゲル」
モノの記憶が、蘇った。
オットー。
遙かに霞んでいた家族の記憶が、ちょっとだけ像を結ぶ。
「君の兄だ」
モノは目を瞬かせた。
「確か」
モノが言うと、オットーが口をつぐむ気配があった。彼女の言葉を待っているのだ。
「ずいぶん前に、聞きました。魔術師になるのが、夢だって」
「ああ、そうだよ。びっくりした、覚えてたんだ。今じゃ、すっかり首都の宮廷魔術師……いや、クビになったからただの魔術オタクかな」
モノはちくりと胸が痛むのを感じた。
正確には、それしか覚えていなかったのだ。モノは、ほとんど赤ん坊の時から、この島にいる。
オットーのことを思い出したのは、母親の葬式があった時に、ちょっとだけ話を聞いたからだ。その時も結局、島からは出ずに、顛末を知らせる手紙が来ただけだった。
(オットー……)
確か彼は、長男、長女に続く、三番目の子供であったはずだ。長男、長女、次男、次女、そしてモノ。兄妹はこういう順番だったと記憶している。
「急だったのは、本当に悪いと思う。でも、今は信じてほしい」
ネズミは、兄の声で頭を下げた。
「モノ。いや、シモーネ・モノリス・フォン・デア・フリューゲル。頼む、家に帰ってきてほしい」
兄の姿を思い浮かべることはできなかった。
だがこの時、戸惑い以外の何かが、確かにモノの胸を高鳴らせた。
遠く離れた国の貴族、フリューゲル公爵の、五番目の子供。
それがモノだった。
「……え?」
銀色の髪の中で、猫の耳が揺れる。
こういう獣のしるしを持つ人を、生家の国では差別している。『亜人』という言葉は、人ではないのと同じ意味だ。
高貴なる貴族が、亜人を生むなどあってはならない。
だから生家は、モノをこの孤島に隠したのだ。
赤ん坊の頃から、十年以上も。
モノはいてはならない娘のはずだった。生まれた時から、家に拒絶された娘だった。亜人達が棲むことから、ここは『魔の島』とも呼ばれていた。
「い、家に?」
今の家は、ここだ。母親とは、オネだ。
そう言い切れる。そう言うべきだ。
だが高鳴る鼓動が、モノから声を奪った。
どこかにある、もう一つの家。知らないだけで、確かに存在している、四人の兄妹達。それは十五歳の好奇心と混じり合い、静かに熱を帯びていく。
――知りたい。
それは幼い頃に乗り越えたはずの、海の向こう側への気持ちだった。
「な、なんでまた、今更」
モノははっと我に返った。
そもそも、変な話だ。生家の国では、獣のしるしを持つ人は閉め出されてしまう。状況が変わったとは、思えなかった。
「い、いきなり来てなんですか? きゅ、急ですよ!」
「話せば長くなる。大陸で今、その、大変な騒動が起きていて……」
ネズミはやり辛そうに、モノを見つめた。
「君が、その解決の鍵を握ってるんだ」
「は、はぁ!?」
その時、遠くから雷に似た音がやってきた。ネズミを掴んで問いただそうと思ったが、それどころではないようだ。
聞いたことのない、空が割れるような音だ。不吉さに毛が逆立ちそうだ。
「広場の方角だ」
気づくと、戦いの喧噪は全く聞こえなくなっていた。
モノは訝った。様子を見に行きたかったが、病人とオネを残して出て行くのは避けたい。
じっと耳を澄ませていると、村の触れ役がやってきた。
太鼓の音が響いている。
今すぐに戦いを止めて、広場に集まるようにとのことだった。
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